関連する前回
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濃姫さんを引く!~キャラ絵小話・濃姫編~
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☝・・・おおっと、NEW! れんみつ姫ゲットです。
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ここのゲーム、けっこうクジの内容が偏るようで・・・。 今れんみつ姫を引いたのは影城主の方でしたが、肝心の本城主の方はというと、いっこうにれんみつ姫を引くことはできず・・・。 「磯野さん」とか「本願寺」だとか、微妙なカードはポコポコ出るんですけどねえw
(てゆうか、そもそも、「天上くじ」でれんみつ姫が出ること自体がハズレなのですがぁー! orz)
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☝・・・それはさておき、変わった名前をしている「れんみつ」は、会津・蘆名家の姫のようだ。
そういえばここ最近、ここのゲームでは蘆名家絡みのカードが次々とリリースされていますよね! 「カタストロフの彦姫さん」とか、「大庭三左衛門」とか。
そこで興味を覚えたわたしは、少しばかり戦国蘆名家の歴史について調べてみると、何気にけっこう面白いのです。
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【ここから日本史の話題】
突然だけれども、「会津の歴史」と言われて思い出すのは何だろう? 会津鶴ヶ城、松平容保、戊辰戦争、白虎隊 etc ・・・。
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☆官公庁のサイトより、『大河ドラマ 八重の桜』ポスター
☝・・・「会津の歴史」といえば、日本全国区的には幕末に関するものが圧倒的にメジャーで、その地域の戦国時代はというと、どちらかといえばマイナーだと言えるだろう。
しかも、その戦国時代においても、脚光を浴びるのは伊達政宗による「摺上原(すりあげはら)の合戦」や「上杉景勝と東北の関ケ原」といったものがメインで、会津の伝統的な領主であった蘆名氏が主人公として語られることはごくごく少ない。
しかし、繰り返しますが、調べてみるほどに、会津・蘆名の戦国史はなかなかに興味深いのです。 そして、その属性は「哀史/悲しい歴史」といった類のものだ。
ここからは、そういった蘆名家の戦国史について話を展開していこう。
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蘆名家の戦国史・・・。 そうはいっても、さて、どの時点からそれを語ったらいいだろうか?
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☆『戦国大戦』シリーズより、蘆名盛氏
☝・・・そもそも蘆名家とは、その先祖が鎌倉の御家人ということで、会津地方の領主に任命されて以来、その地に根ついてきた武家である。 そんな蘆名家は戦国時代の天文年間あたりから盛氏という優れた当主が現れて、その勢力は一段と勢いを増した。 その基(もとい)となったいきさつがこうだ。
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☆『信長の野望』シリーズより、伊達稙宗
☝・・・そもそも、戦国時代、奥羽地方における最大の武家勢力は伊達氏であった。
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☆グーグル検索より、伊達氏の縁戚関係
☝・・・その当時の当主・伊達稙宗はいろいろと旺盛な人だったようで、子供をたくさん儲けては他家と縁戚関係を結び、一大勢力圏を築き上げた。 こういった婚姻・養子縁組を介して作られた勢力圏は「洞(うつろ)」と呼ばれている。
この「洞」、「洞中(とうちゅう)」という概念は少し難しい。 似たような歴史用語に「家中(かちゅう)」というものがあるけれども、「家中」が「家の子・郎党」といった譜代の家臣で構成されているのに対して、「洞中とは、家中が集まってできたもの」と解釈できるだろうか。 要は武家の連合体ということだ。
そんな伊達洞中には会津の蘆名氏も含まれている。 蘆名盛氏の妻の親父が稙宗という関係からだ。 こういったことにより、蘆名家は奥羽のドン・稙宗の影響下にあった。
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☆『戦国大戦』シリーズより、伊達稙宗
☝・・・しかし、大きくなりすぎた雪だるまが自身の重さによって自壊するように、稙宗の洞中もいったん崩壊の時を迎える。
天文8年(1539)頃のこと。 稙宗の権力欲は止まることを知らず、こんどは越後守護の上杉家をも自らの洞中に組み込まんと画策する。 稙宗の政治力によって彼の三男・時宗丸(のちの実元)の入嗣が内定し、いざ養子入りの門出というときにその事件は起こった。
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☆『戦国ixa』より、伊達晴宗
☝・・・天文11年(1542)6月、伊達家嫡男の晴宗が、あろうことか父の稙宗を襲撃・拉致し、彼を居城の座敷牢に幽閉したのだ。 この事件の知らせを受けて、奥羽地方には激震が走る。
幽閉された稙宗はほどなく側近・小梁川宗朝によって救出され、親子は軍勢をもって対立した。 その際、両陣営はそれぞれ各地の勢力に対して自分に味方をするよう要請を行ったため、伊達洞中は二分、これによって「伊達氏天文の乱」と呼ばれる大戦(おおいくさ)が始まることになる・・・。
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☆『戦国ixa』より、れんみつ
☝・・・しかし、今回のテーマは「蘆名家とれんみつ姫」についてなので、「伊達氏天文の乱」の細かい記述は端折ろう。
ただ、この6年にも亘る伊達氏の内紛は、当初反乱を起こした晴宗方が不利であったところを、会津の蘆名盛氏が晴宗に味方をすることで流れが変わり、稙宗方は逆転されて、晴宗方の勝利でこの乱は終結した。
そう、若き日の盛氏は「天文の乱」終結の立役者でもあったのだ。
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☆『のぶニャがの野望』より、伊達テネむね
☝・・・「伊達氏天文の乱」の背景や経緯は不明なことが多く、何より当事者である伊達父子の心境について述べた史料が残っていないなどと、いまだ完全な解明はされていないようですが、
・支配をより強めていこうという当主・稙宗と、一部その取り巻き
・それに反発する嫡男・晴宗とその取り巻き
・・・大雑把にはこのような対立構図だと考えられている。 また、伝承によれば、伊達稙宗は家中・洞中から非常に畏怖されていた存在だったらしく、そういった「恐ろしい」稙宗のキャラクターもあって、この乱は起こったのだろう。
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☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化した伊達稙宗
☝・・・「伊達氏天文の乱」終息後、奥羽のドン・伊達稙宗は隠居することになり、軍事・政治の表舞台から姿を消した。 また、新たな当主となった晴宗は安全地帯を求めて本拠地を伊達郡から移動。 以来、羽州・米沢が伊達氏の居城と定められる。
伊達洞中は完全な瓦解こそはしなかったものの、こうして伊達宗家の影響力は大幅に低下し、相対的にその洞中の傘下に置かれた各武家の力は高まった。
つまり、会津の蘆名盛氏は「天文の乱」が終わることで、「伊達氏支配からの卒業」を迎えたと言えるだろう。
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れんみつ姫と戦国蘆名家の歴史を語ると言っておきながら、その前座とも言うべき話を長々としたことを申し訳なく思います・・・。
ですが、戦国奥羽における伊達氏の存在、また、「洞(うつろ)」といった武家の連合体についての知識は、これからの蘆名家を語るうえで欠かせない前提となるのです。 ですのでどうかご容赦を。
ということで、ここでいったん仕切りとしましょうか。 次回に続きます。
('◇')ノシ
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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