2019年4月12日金曜日

【ixa/日本史】濃姫さんを引く!~キャラ絵小話・濃姫編~

ixa/日本史コラム









関連する前回
https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/02/ixa_22.html
キャラ絵小話~祥鳳さん編


(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・Σ(`・ω・´)


おっ、NEWカード。 濃姫さんが再び「極」としてリリースされたんですね。


スキル名は「鵺の接吻」。 濃姫さんを「ぬえ」と言ってしまうところに若干の違和感は感じますが、ゲームとしてなかなか面白いスキル名ですねえ。







てゆうか!




☝・・・面白いスキル名といえば、最近リリースされた彦姫さんのスキル名「カタストロフ」も相当変わっていて(→ 「IXA」において、これまでカタカナ表示のスキルは無かったですよね?) それで驚きましたよねえ。


新プロデューサー氏の意向が反映されているのか、「IXA」におけるスキルの言葉チョイスも少しづつ変わってきているみたいで・・・。 いっそ、先の濃姫さんのスキル名も「鵺のキッス」でええかったんちゃう?w









☝・・・なお、「鵺の接吻」のスキル効果(レベル10)は、現時点でwikiにその情報は載っておらず、よくわからない。 有名な別の攻略サイトを参照したところ、発動37%、防御UP39%、速度UP35%とのことらしいですが・・・スキル効果には「防御効果は武将ランクで変化」とあるので、防御UP率の上限は39%よりももう少し高く設定されていそうですが・・・どうなんでしょうね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・ところで、新濃姫さんのイラストを担当されたのは影井由宇さんという方だ。











☝・・・影井由宇さんは新進気鋭の絵師さんなのかな、どのキャラ絵もステキですね。 とくに、人物の心のありよう・・・それもマンガ由来の表情ではなく、微妙なニュアンスでの描き分けをされていて、そこがまたイイですね。 今後の新カードにも期待です!
(^ω^)b







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


そういえば、ここ最近、「IXA」ではマイナーな姫が次々とリリースされるなか、濃姫さんはメジャーな部類であるといえますよね。


濃姫さんといえば戦国の覇者・織田信長の正室として、歴史に関心のある人ならば知っていることでしょう。 ここからは濃姫さんについて、個人的に通説のおさらいをしてみようかな。







【ここから日本史の話題】


☆『千万の覇者』より、帰蝶


☝・・・濃姫は「帰蝶」という名が本名のようで、❝美濃から嫁いできた姫❞ということで通称「濃姫」と呼ばれた。 彼女の生年は天文4年(1535)とされていて、天文17年(1548)、数え15の時に信長と結婚したと言われている。


ちなみに「数え年」とは、生まれた年齢を1歳とし、正月元旦にひとつ年を重ねるという、我が国古来の年の数え方だ。







☆『戦国ixa』より、斎藤道三と小見の方


☝・・・そんな帰蝶の父は斎藤利政(のちに剃髪して道三と改名)、母は小見の方だ。


帰蝶が信長に嫁ぐことになったいきさつはこうだ。 当時、のちに道三の名で知られる斎藤利政は、えげつない手練手管で下剋上を達成した。 そんな斎藤家を周囲の大名は危険視し、逆徒討伐ということで包囲網が敷かれ、対斎藤の共闘が行われていた。


斎藤家は多方面から刃を向けられ、一大ピンチに陥る。 そんなところ、利政は包囲網の一角を崩すべく、織田家にへりくだる形で、大切な一人娘・帰蝶を添えて和睦を申し込んだというわけだ。







☆『戦国ixa』より、織田信秀と平手政秀


☝・・・結果、織田家(弾正忠家)はこの和睦を受け入れることになるのだけれども、それにはいささか勇気が必要だったことだろう。 なんせ斎藤利政(道三)は悪党であり、国の秩序を乱す張本人で、ハッキリ言ってしまえば謀反人だからだ。


主家の斯波家、織田大和守家からのプレッシャーもあっただろう。 しかし、信長の父・信秀は重臣の平手らと相談をし、あえてこの和睦を受け入れることにした。 その決定は反斎藤で一致していた周囲を大きく驚かせたことだったろう。 斎藤家はこの和睦・婚姻によって敵を絞り込み、反撃を開始し、やがて美濃一国を平定することになる・・・。


信長の実家・・・織田弾正忠家とは、この時の婚姻をもって伝統的な秩序体制から飛び出して、下剋上を是とし、戦乱の世の統一戦に事実上の名乗りを上げたと言えるだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・さて、こちらは嫁に行くと決まった帰蝶である。


現代になって創作された小説などと違って、帰蝶が歴史史料で語られる期間はごくごく短い。 その最大の見せ場が婚礼直前の実家の場面で、帰蝶は父・利政(道三)から懐剣を手渡されてこう会話する。


利政「婿どのが評判通りのうつけだったなら、この短刀で…わかっているな」
帰蝶「逆に、その刃はお父様に向けられるかもしれませんよ」
利政「フフ、それでこそわが娘だ」


・・・この場面はなかなかニヤリとさせられますよねえ・・・w







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国姫譚Muramasa』より、濃姫


☝・・・前述のとおり、通説において帰蝶の登場するシーンは数少ない。 帰蝶が信長に嫁いで濃姫と呼ばれるようになり、それから数年が経っていた。


天文23年(1554)、濃姫の父・斎藤利政は剃髪して道三と号し、隠居することになる。 実は、道三は隠居などしたくはなかったものの、やはり道三の権力は下剋上による正当性のないものだったためか、美濃の国では反斎藤の騒動が相次ぎ、国を治めきれない状態になってしまっていた。 それでやむなく当主の座を降り、事態の沈静化を図ったという背景であったらしい。


道三の嫡子・義龍は美濃守護・土岐氏の血を引く者だという噂が広がっており、美濃の保守層からは支持が集まっていた。







☆『千万の覇者』より、斎藤義龍


☝・・・やがて美濃の斎藤家を舞台に、骨肉の相克劇が幕を開ける。 義龍は異母弟二人を謀殺したうえで、最後の仕上げとばかりに父の道三に襲い掛かる。 このとき、義龍の兵1万7500に対して、道三が集めた兵は僅か2500と、それほどまでに両者の人望には差が開いてしまっていた。


道三は戦上手とうたわれていたものの、兵力に圧倒的な差があってはまともな戦いなどできやしない。 こうして、美濃のマムシと恐れられた下剋上の体現者は、「長良川の合戦」であっけなく討ち取られた。







☆『千万の覇者』より、帰蝶


☝・・・以上の流れを踏まえたキャラ絵がこちらだ。 帰蝶こと濃姫は、かつて父から渡された懐剣を見つめ、改めてその想い出を反芻する。


「斎藤は下剋上の成り上がりの家。 お父様のご意思はわたしと夫・信長とで引き継ぎます・・・」


こうして濃姫は心強い後ろ盾であった父を失い、実家とは敵対関係の状態となってしまうのですが・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、濃姫


☝・・・せっかくお話が盛り上がってきたというのに、それからの濃姫が史料で語られることはパタリと無くなってしまう。 その理由はいくつか推定されていて、


1.斎藤氏は織田氏の敵となったので、斎藤氏出身の濃姫は実家に帰された
2.子供ができなかったので、それで離縁された
3.いずれかの時点で病死した


☝・・・このように推定されているものの、ありていに言えばよくわかっていない。


なお、先ほどの推定の中に実家に帰された/離縁されたというものがあるけれども、それについての信ぴょう性は低そうだ。 というのは当時、いっぱしの大名クラスの奥方ともなると非常に身分が高いものとされており、仮に敵方になったり、あるいは子供ができなかったとしても、おいそれと追い出すことは普通しなかったからだ。


なによりも「本能寺の変」の際、「安土城に 女主人 がいて、そこでいろいろな指示を出していた」という記録もあることから、その女主人とは濃姫のことを指しているのでは?とも推定されている。 その線から考えれば、濃姫は史料に残らなかっただけで、普通に大名の御台所/奥方として、織田家中における女性のトップとして君臨していた可能性も大いにありそうだ。


しかし、いずれにせよ決定的な史料があるわけではなく、「濃姫の動向は不明だ」というのが正確な言葉の使い方だ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


濃姫の動向について、後世の歴史家が歯がゆい思いをするのは、ひとえに『信長公記(しんちょうこうき)を記した太田牛一にその責任がありそうだ。







☆『千万の覇者』より、太田牛一


☝・・・牛一ははじめ弓に秀でた武士として、信長の親衛隊の一員としてそのキャリアをスタートさせた。 やがて牛一は中年になってからは筆働き・・・「右筆」の職(主人に近侍し、命令伝達の文書作成を主な仕事とする職)を務めることとなる。


やがて訪れる「本能寺の変」。 周囲は気づく、失ってはじめて、信長という英雄の存在の大きさを。


牛一はその半生を信長の側近として過ごしてきたことで、誰よりも信長について詳しく知っているという自負があった。 そんな想いが、牛一に信長の生涯を記すという大仕事をさせる原動力となった。 かくして晩年の牛一は、かつての忘備録や独自の取材などをもとに、個人的な事業として『信長公記』を書き綴ることとなる・・・。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した太田牛一


☝・・・そんな熱い気持ちで『信長公記』・・・のちに16巻にもわたる大著を記した牛一ですが、信長の正室である濃姫の記述は、婚礼のときに「道三の息女」として一度登場するだけで、それ以外は驚くことに一切ない。


また牛一は、濃姫だけでなく、織田家嫡男・信忠を生んだ側室・生駒夫人(吉乃)のことも含めて、信長の女性関係については基本的に記していない。 信長の母・土田御前についてもそうだ。 これはいったいどういうことだろうか?


・・・思うに、これは主人に対する礼儀であったのだろうか。 どうも日本の中世時代とは、そういった憚り/遠慮の意識があったようで、「家の奥(内情)のことは、よほどの事件が無い限りは書かないし、記さない」ことがマナーでありルールであったようだ。


わが国の中世の女性について、極端な話、名前すらも判明していないという理由は、こういった当時の社会的通念が背景にあるのだろう。 ハレとケ、表と裏、男と女。 記すべきところと、伏せるべきところ。 ・・・そういったいろいろな不文律に中世の日本人は従っていたのでしょうね。


となると、やはりというか、『信長公記』は一定の編集をされているということになる。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦魂~SENTAMA~』より、濃姫


「家の奥のことについては、基本的に記さない・・・これが中世日本のデフォ」


・・・だとするならば、濃姫は織田家の御台所としてふつうに活動していたのだろう、後世の私たちからは見えにくいものの。 そう伺える伝承がいくつか思い浮かびます。







☆『千万の覇者』より、千代


☝・・・そのひとつが山内一豊の妻・見性院、通称千代のエピソード・・・「鏡栗毛」の一件だ。


このエピソードは有名なので、要点を4行にしてここでは記述しよう。


1.天正年間の中ごろ、織田領内に軍馬(それも名馬)を売りに来た商人が居た
2.山内一豊はその馬を欲しがったが、とても高くて買うことは諦めた
3.そこに妻・千代が登場し、ヘソクリで夫のためにその馬を買ってあげた
4.のち、信長がこの一連の話を耳にし、特に妻の千代を高く評価した


☝・・・こういったものだ。 なんと信長は、陪臣(山内一豊は羽柴秀吉の家臣)の内情も把握していたというのだ。 戦国一忙しい男といっていい、あの信長がこんな些末?なことも耳に入れているのですよ? いやはや恐ろしい。


その情報源はどこなのだろうか? ・・・「軍馬を買うのに、奥さんのなけなしのヘソクリを使ってやっとこさ購入した」・・・ こんなことを一豊が言いふらすワケがない。 男として、一家の主として恥だからだ。 だから、このエピソードはまず女房衆の噂として広まったのだろう。


その噂を、織田家中の女房衆のトップ・濃姫が耳にする。 そして、「その武士の女御・・・出来た女ですね、ぜひ褒章を与えなければ・・・」 こう考えて忙しい信長にこの話をし、褒美を与えるように図らったのではないだろうか。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


つぎに、信長の奥方が噛んでいるように思われるエピソードが以下だ。









☝・・・こちらが、信長が寧々(羽柴秀吉の妻)に宛てて書いたとされる書状だ。 この書状にまつわるエピソードも有名なので、こちらも端折って4行でご説明しよう。


1.信長が秀吉を大抜擢。 秀吉は城持ちの身分となり「女狂い」となる
2.寧々は夫・秀吉の所業を大いに怒り、やがて信長に直訴する
3.信長、書状で双方をたしなめる
4.秀吉ー寧々夫婦、破局の危機を回避する。 めでたしめでたし


☝・・・こちらについては、信長の部下の女房に対する思いやりの一面が現れたエピソード・・・いわゆる「信長、実は優しかった説」を代表するものとして知られている。







☆『戦魂~SENTAMA~』より、ねね


☝・・・先ほどのエピソードは実に美談で、なんの文句のつけようもない。 しかし、ここでは美談としてただただ受け入れるのではなく、少し立ち止まって考えてみよう。


それは、日本の中世とは、たいへんな身分意識のある時代であったということだ。 いくら信長は秀吉のことを目にかけていた部下だとはいえ、その女房と信長が直に書状のやり取りを行うなど、通常考えられないことだと言える。


夫・秀吉の浮気について、直々に信長と相談をする寧々・・・。 普通に考えると、これは信長と寧々とがただならぬ関係にあったということになる。


しかーし! このブログではオカルト説を垂れ流すことはしたくない。 健全な可能性としては、寧々が夫・秀吉の問題行動の相談をまずしたのは、信長の正室・濃姫ではなかっただろうか。


濃姫は秀吉という武将が織田家にとって役に立つ人材だということ、そしてその女房・寧々もひとかどの女性だということを査定して、そのうえで信長に口添えをし、結果、あのような書状を出すように信長を動かしたのではないだろうか?


もちろん、これは個人的な想像であって裏付けがあるワケではない。 ただ、信長は自身も軍務・政務で東奔西走する、戦国一せわしない武将だ。 信長がやけに部下の家庭の内情に詳しく、その裁定まで行っていたというのは、濃姫をトップとした女房衆による情報収集の体制が確立されていてこそ可能だったのかもしれませんね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




歴史の事実、あるいは歴史の事象について、後世のいま(2019年)から見て解っていることばかりが全てではない。


濃姫もまた、その実像は霧にかかって見えない状況にあるものの、織田家・女房衆のトップとして、彼女もまた夫・信長をサポートしていただろうことは想像に難くない。 そう考えれば、濃姫もまた「天下布武」の立派な一員だ。


そんな濃姫に思いを馳せつつ、今回はこれにてお開きにしましょうか。
(*´ω`)


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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