2016年7月26日火曜日

『ポケモンGO』ブームについて!(3)



http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2016/07/blog-post_49.html
前回のつづきです。





☝・・・わたしは残念なことに、いわゆるポケモン世代ではありません。 ポケモンよりも前の、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーシリーズを慣れ親しんできた世代・・・といえばわかってもらえるでしょうか?w


そんなDQ/FF世代にとって、ポケモンとは、自分たちとは切り離された別のゲーム文化のような気がします。 同じ国内で、たかだか数年の差なのに、この断絶した感は一体何でしょう? ・・・今回はこんな思いを念頭に、話を進めていきましょう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ポケモン世代でない自分が、漠然と「ポケモン!」と言われてまず思い浮かぶのは、なんといってもピカチュウ、そしてアニメ版ポケモンですね。 そして同時に、「いつもいつでもうまくいくなんて、保証はどこにもないけど~♪」とゆう歌のフレーズが脳内で演奏されます。









☝・・・ようつべより、『めざせポケモンマスター』。 特別な思い出はないけれど、なんででしょう? この歌を聞くと気持ちがざわざわしてきます。 ざわ・・・




☝・・・アニメ版ポケモン(無印)のレギュラーメンバー。


現在のアニメ版ポケモンでは、カスミやタケシはパーティーからお別れしてしまったとゆうことで、こちらはつい先ほど知って、驚きでしたね~。 『ドラえもん』での愉快な仲間たちのように、永遠のメンバーだと思っていたんだけど、サトシ&ピカチュウ以外は違ったんだね。
(´・ω・`)







ポケモンがまず最初に、社会にその存在を強く印象付けたのは、なんといっても『ポケモンショック』の一件からでしょう。 その概要を記すと、


ポケモンショックとは、1997年の12月に起こった出来事で、当時子どもたちに大人気だったアニメ・ポケモンの放送中にピカチュウが電撃を放つシーンがあり、その映像・演出があまりにもピカピカとしたものだったため、部屋を暗くしていたり、もしくは食い入るように画面を見ていた子どもたちがてんかんに似た症状を発して救急車で搬送されるなど、全国的な騒動となった件だ。




☝・・・ショックの原因とされるシーン。 画像からも、その光がまぶしかっただろうと容易に想像できますね! (*_*)




☝・・・この一件以降、「テレビを見る時は部屋を明るくして、離れてみてね」の一文がアニメに必ず入るようになったのです。 そしてポケモンは世間からバッシングを受けると同時に、


「なにやら子どもたちに大人気のアニメ・ゲームがあるらしい・・・」 「そのアニメ・ゲームにはピカチュウとゆう、なにやらかわいらしいマスコットがいるらしい・・・」 と、子供世代以外の一般の人たちに、広くその存在を知らしめる結果となった訳なのです。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ポケモン&ピカチュウがじわりと世の中に浸透していくそんななか、あいかわらず自分たちの世代はポケモンをキッズ向けのライトなゲーム、とみなしていました。 いまでいう、『妖怪ウォッチ』のような存在だったかもしれません。 妖怪ウォッチをバカにするつもりは全くありませんが、当時、小学生向けのゲームを、それより上の年代の子が興じているとしたら・・・。 それはけっこう恥ずかしいことだったのです。







余談で、ポケモンとは別の話となりますが、自分が中学生のある時、友人数人となにげなくコンビニに入ったことがあった。 そしてみんなが買い物をするなか、用事を済ませた自分は雑誌コーナーで立ち読みを始めた。 ・・・手に取ったのは少年向け漫画雑誌、『コロコロコミック』である。


当時の自分がコロコロで何か目当てのマンガがあったのか、それとも偶然たまたま手に取ったのかとか、細かな状況はすっかり忘れてしまった。 でも、友人たちがコロコロを読んでいる自分を見つけて、「コロコロwww m9(^Д^) 」と笑われたことを、今も覚えています。
(;´∀`)


適当に場を取り繕い、その件は友人たちとの関係で尾を引かなかったものの、今でも覚えているとゆうことはやっぱり「恥ずかしいことをしてしまった・・・ (-_-) 」 とゆう思いを強く感じたのでしょうね。


こういったエピソードを教訓に、「キッズものには手を出すまい! (`・ω・´) 」 と、自分は無意識ながら、固く心に誓ったのでした。


繰り返しになりますが、キッズ向けのゲームや雑誌といったコンテンツ全般をバカにするつもりはありません。 でも、キッズものを、それより上の子が手に取っているとゆうのは恥ずかしいこと・・・こうゆう認識が未成年の世代にあったことは事実で、ゆえにドラクエ/FF世代の自分たちがポケモンについて、まるで断絶しているかのようにその知識が欠落しているのは無理もないことなのでしょう。


ある程度経験を積み、達観できるようになって初めて、「このゲーム・アニメはキッズ向けだとゆうことを抜きに、本質的に面白い!」・・・と、言えるのかもしれませんね。





☝・・・ピカチュウを表紙にした『別冊コロコロ』。 少年向け雑誌、とゆうことで細かな対象年齢は設定されておらず、そのあたりはざっくりした感じだ。 とはいえ、コロコロが小学生向けの雑誌であることは間違いないでしょう。 小学生向けマンガ雑誌のカバーをピカチュウが飾ることで、そのコンテンツがどの層向けなのかを明確に示しているといえるのではないでしょうか?






と!ゆうことで、冒頭でわたしの感じたポケモンへの断絶の感は、 「世代が違うから・・・。」  の一言で済む話だったのですが、コンテンツの出現によって世代が区切られるメカニズムを、とても興味深く思ったのです。



(つづく)










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ポケットモンスター・ポケモン・Pokémon は任天堂・クリーチャーズ・ゲームフリークの登録商標です。

2016年7月24日日曜日

『ポケモンGO』ブームについて!(2)



http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2016/07/blog-post_20.html
前回のつづきです。




☝・・・先日の7月22日に日本でも配信が開始され、人気を博しているとゆうスマホゲーム・『ポケモンGO』。 この件により、世間のポケモンシリーズに対する関心もにわかに高まっています。 と、ゆうことで今回はポケモン全般をお題にしてみましょう^^







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


突然ですが、残念なことに自分はシリーズを通してポケモンを実際にプレイしたことはありません。 今でこそポケモンは人口に膾炙し、そのシリーズは大人やゲーム好きの人たちからも大いなる人気と支持を集めているゲームとなっています。 ・・・ですが、初期時代にリリースされたポケモンは「キッズ向けの、ちょっとライトな感じ」 といった印象が強く、個人的にあまり興味が湧かなかったのです。 (-_-)


てゆうか、それ以前にポケモンのハードであるゲームボーイとか、そういった携帯ゲーム機自体を持っていなかったんだったな、自分。 だから、ポケモンを遊ぶとゆう、そもそもの選択肢がなかったとゆう訳だ。







 


☝・・・ポケモンシリーズの歴史に、ハード機の変遷を記入したもの。


こうして見てみると、ポケモンシリーズは常に任天堂の携帯ゲーム機とともに展開されていて、まさしく旗手といえますねっ。 そして今日、最も普及した携帯ゲーム機ともいえるスマートホンに、ポケモンの新作がリリースされたとゆうことも当然の流れだと感じます。








(・ω・)(・ω・)(・ω・)


 



☝・・・ゲームボーイによる、ポケットモンスター初代の販促ポスターと実際のゲーム画面。


リリースは1996年とゆうことで、そのことが意外だと個人的に感じました。 と、ゆうのは、96年といえば、スーファミがニンテンドー64へと任天堂のハード機が世代交代した年で、それと同時にソニーのプレイステーションもじわりと普及し始めてきた時期だったように記憶しているからです。














☝・・・家庭用据え置きゲーム機が画質の向上を売りにし、2Dが否定され、ポリゴンによる3D表現がもてはやされている・・・96年とはそんな年だったのです。 そんな時期に、モノクロで画質も良くないゲームボーイのソフトが発売され、ヒットしていたのですからすごいですよねぇ。 まぁ、このことはゲーム・ポケモンの持つ、画質を抜きにしたゲーム本来の面白さが突出していたとゆうことの証といえるのでしょう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





☝・・・モノクロのゲームボーイソフトとして1996年にリリースされ、以降、その歴史を刻んできたポケットモンスター。 今日のように、世界的に愛されるコンテンツになるだろうとは当時だれが想像できたでしょうか?


ポケモン&任天堂恐るべし、ですね・・・!



(つづく)










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2016年7月20日水曜日

『ポケモンGO』ブームについて!(1)



7月10日の参院選挙では大方の予想通り与党が勝ち、それ以降、日本の株価はおおむね好調。 以前あれほど騒がれたイギリスのEU離脱の件などどこへやら、といった感じです。


そして、任天堂の株バブルもほぼ同じタイミングでスタートしました。 そう、スマホゲーム『ポケモンGO』が米国を中心に熱狂的なブームとなり話題となっていて、それに注目した世界の投資家たちが同社の株を買っているからだというのです。




☝・・・任天堂の株価チャート。 ブームが起きる前の株価は1万5000円前後の推移だったところ、あれよあれよとゆう間に株価はウナギ登り、19日の終値では3万円台を回復した。 翌日、大幅反落して株価が一本調子に上がるとゆう展開は終わったものの、まだしばらくはポケモンGOブームは続きそうな気配だ。 なぜなら、日本でのサービス開始がこれからとゆうことで、様々な期待や思惑が渦巻いているからなのです。


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


先回りの得意な投資家たちは、『ポケモンGO』に関連した銘柄も買いあさっています。 そのいくつかを見ていきましょう。









☝・・・日本マクドナルド。 海外のハッカーによりコードが解析され、コラボの観測がされていた。


のち、2ちゃんねる系サイトを中心に話題となり、「コラボがあるのでは?」と、一般に知れ渡ってから後追いでコラボの公式アナウンスがされるなど、インサイダーを思わせる荒れた状況がつづいている。


日本マクドナルドはしばらく赤字が続いており、ここの株価は底値だと思われることから、その分期待も大きいのだろうか?








☝・・・つづいて、東映。 アニメ映画・ポケットモンスターシリーズはここの配給らしい。


うーん、スマホゲームと映画館って、関連性がやや遠いような気がするんだけれど・・・。 これまたコラボで、映画を見ると「GO」のポケモンゲットだぜ!→大ヒット! 的な展開を期待しているのでしょうか・・・。 とはいえ、封切されたばかりのこの映画に、現状そのようなコラボは見当たりませんね。 (;´∀`)









☝・・・お次は、サノヤスホールディングス。 これに関しては、東映よりも関連性はさらに薄い。w


ここの会社、本業は造船の会社のようだけど、『ポケモンEXPOジム』とゆう、ポケモンに特化したアミューズメント施設をなぜか作っちゃったみたいで、それが投資家の目に留まったらしい。







☝・・・ちなみにポケモンEXPOジムは大阪・吹田市の万博跡地にあり、2015年11月にオープンしたばかりの新しい施設のようだ。


大阪&任天堂といえば、USJも任天堂のテーマパークを大型投資してこれから作るとゆう発表をしていたよね。 ポケモン擁する任天堂のブームはこれからも続くのだろうか。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と! このように、いくつかの銘柄がブームによって、自分からすれば不可解と思えるような値動きをしているのです。 ・・・特にサノヤス。 w


まぁ、外国人投資家からすれば、ポケモンについて何らかの関連があれば、それだけで投資の対象となるのかもしれません。


真相はわからんがね! (;´∀`) 







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


それにしても、降って湧いたようなポケモンGOブームで、「これって仕組まれたブームじゃね?」と、日本では懐疑的な見方をする人も少なくないのですが、ここはひとつ、海外発のドキュメンタリーを見てひとつの判断の材料としてみようか。










☝・・・海外のサトシ。 ピカチュウといっしょにノリノリで楽しんでいる。



☝・・・海外のサトシ、その2。 ワッペンがどうかしたって?



☝・・・海外のサトシ、その3。 淡々とだが、ポケモンへの熱い思いを隠すことなく語っている。



☝・・・街角に出てポケモンに興じる女性もけっこういるようだ。 恰好から、けっこうなフリークだとお見受け。



☝・・・ポケモンゲットし、実にうれしそうな男性。 歓声をあげ、ハイタッチやハグして喜びを表したりしているところが海外らしくていいね。



☝・・・ポケモンとの2ショット。 ガッツポーズしているので、レアものなのかしらん。



☝・・・こちらは傍観者。 困惑しつつも、街角の熱狂に否定的ではない。



☝・・・つづいて大人の男性ですが、こちらはユーザー。 やや理屈っぽくなっているところが照れ隠しの証。



☝・・・ここの動画では、編集されていることもあるだろうけど、人々は笑顔で、見知らぬ人たちとポケモン主題歌を歌ったりと実に楽しそうだ。 〝ポケモンによる平和”・・・と誰かが言ったけれど、それは的を得ているかもしれない。



☝・・・治安を預かるポリスメンまでもがポケモンに興じる始末。 アンタは仕事しなってー!







う~ん、どうなんでしょう。 彼らはみなサクラなのでしょうか? 一部にサクラが混じっているかもしれないけれど、ある種の社会現象になっていることは否定できないように感じます。


そして今後は『ポケモンGO』の日本逆輸入とゆうことで、今は狂騒の第2幕前夜! といった感じデスね! (`・ω・´)


(つづく)


※次回もポケモンに関するお題でいきたいと思います! (`・ω・´)ノシ!











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2016年7月12日火曜日

宇都宮空襲を思う!(2)


http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2016/07/blog-post_11.html
(前回)


前回のつづきで、宇都宮空襲の話(2)となります。


宇都宮空襲とゆうと、全国的な知名度はありません。 いち地方都市の空襲であり、戦時中には東京、大阪、名古屋など大都市はもとより、それ以外にも多くの中小都市も空襲されたため、他県の人と空襲の話をすると、きまって「あぁ、宇都宮も空襲があったんですね・・・」的な反応が返ってきます。 とはいえ、わたしが(故郷以外で)他の地方都市の空襲をよく知らないように、それは仕方がないことなのでしょう。 


ですが、意外なことに宇都宮空襲はある有名人が遭遇・被災していて、その人物が空襲体験をして感じたこと、戦争についての思いが、多くの日本人に並々ならぬインパクトを与えていたのです。


その人物とは・・・













アニメ映画監督で巨匠と呼ばれる、スタジオジブリの宮崎駿さんです! Σ(・ω・)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)



宮崎監督は東京都生まれ。 太平洋戦争末期、東京が空襲で危ないとゆうので親戚のいる宇都宮に疎開した。 ちなみに宮崎監督の親戚とは、飛行機の機械部品を製造する工場の経営者であり、資産家だったそうだ。


疎開した先で空襲にあい、鮮烈な印象として残ったとゆうのも皮肉だが、この時の出来事は宮崎少年の心に深く刻み込まれた。


そう、宮崎監督のアニメに時々出てきた印象的なシーン、燃え盛る町の原イメージは宇都宮空襲だったのです。

















☝・・・代表的な例として、『風の谷のナウシカ』と『ハウルの動く城』より。 ハウルについては、反戦の臭いが強すぎて嫌いだとゆう人もいるが、わたしはこの映画が宮崎監督の作品の中で一番好きだ。 単なる反戦のメッセージとゆうよりも「人の業」について深く描かれているのだと思うし、なによりラストでは「人の世は醜いこともあるけど、それでもいいもんだよね」といったものを感じさせられるからだ。
 






(・ω・)(・ω・)(・ω・)



ちなみに、宮崎少年がどのような空襲体験をしたのか、その詳細についてはいくつかの書籍、またはサイトで触れられています。


サイト 「のまのしわざ」 2008年7月の記事

http://nomano.shiwaza.com/tnoma/blog/archives/006588.html




サイト 「住宅さんの子育て日記」 2014年12月の記事

http://shomeh.blog116.fc2.com/blog-entry-1309.html



☝・・・これらのサイトを見てみると、宇都宮大空襲の真っただ中、宮崎少年とその一家は叔父さんの小型トラックに乗り、鹿沼市(宇都宮の西)方面に逃げたとゆうことです。


焼夷弾が降り注ぐ町を疾駆する、少年とその一家を乗せた小型トラック。 これだけで映画の印象的なシーンになるような気がしますが、その前後には非常時ゆえの、なんとも言い難い悲しい出来事があった。 この件については元サイトをご覧になってください。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、宮崎少年とその一家が疎開していた住宅は、幸いなことに空襲で焼けることなく現存していました。 そして今日ではギャラリーとして運営されていたのです。


それが、ギャラリー絆和(はんな)







サイト 「トラベルjp」 2015年10月の記事

http://guide.travel.co.jp/article/13199/



☝・・・ここのサイトに掲載されている写真を見るとわかるように、この建物は宮崎監督の一部映画に出てくるような日本建築で、レトロな趣を十分に感じることができる素晴らしいものだ。 この建物に宮崎監督とその一家が一時的とはいえ暮らしていたことも加えると、ジブリフリークはさぞ感慨深いことでしょう^^




☝・・・同サイトより、美しい古民家の内装。


余談ですが、自分、宇都宮市松が峰にある、この絆和とゆうギャラリーの存在はまったく知りませんでした。 (;´д`) 友人宅が近くにあり、ニアミスはしていたのですが・・・。 それもそのはず、宇都宮市中の細い生活道路、住宅の立ち並ぶ区画の奥にひっそりとあったのだから。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と!ゆうことで、以上が宇都宮空襲に遭遇した著名人、宮崎駿監督についてのあれこれでした。


宮崎監督と言えば、素晴らしい映画監督として国内・海外を問わず圧倒的な評価を受け、アニメ史において前人未到の境地に達していると言っていい巨匠である。 その一方、宮崎監督個人の反戦への思いだとか、軍国主義時代の日本の戦争責任についての考えはいわゆる「左寄り」であり、一部サイトで物議を醸した。


とはいえ、宮崎監督の空襲体験のあれこれを知ると、監督が反戦への思いを強く持つに至ったことは十分に理解できるなぁ、と思ったのです。







なお、この文章を書いているときに知ったギャラリー絆和については自分、興味をかきたてられたので、機会があれば必ず行ってみたいと思う。


都心で暮らす方も、餃子の食とギャラリー絆和の古民家を見に宇都宮を訪れてほしいものです。 東武鉄道・宇都宮線がすぐ側を通っていて駅からも比較的近いとゆうことで、東武鉄道を利用するのもGoodでしょう。 (^ω^)



(つづく)

2016年7月11日月曜日

宇都宮空襲を思う! (1)



突然ですが、わたしの出身地は北関東に位置し、餃子の生産を主要な産業として成り立っている都市、宇都宮です。 (`・ω・´)


そして、その宇都宮は戦争が終わる年の7月12日深夜、米軍から大規模に空襲され、壊滅した。 ・・・いわゆる「宇都宮大空襲」と呼ばれる事件である。 今回はこの7月12日とゆう日にちなんで文章を書いてみようと思う。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)



空襲に遭遇したのはわたしの祖母と、生まれたばかりで乳飲み子の父である。 ちなみに祖父はそのとき戦時徴用で他県に出向いており、家を留守にしていたそうだ。


祖父母はもう鬼籍の人となってしまったので、空襲の時の詳細を聞くことはできず、よくわからない。 今となっては一度くらいはきちんと話を聞いておくべきだったと悔やまれるが、時すでにお寿司である。


それはさておき、空襲は71年前の7月12日、雨の降る深夜に突然やってきた。 そして、焼夷弾の炎で昼間のような明るさのなか、祖母は乳飲み子の父を背負い、元石町(もとこくちょう)の自宅から八幡山に逃げ、なんとか生き延びたとゆう話を伝え聞くのみである。


なお空襲の際、市民の多くは誰が言うでもなく八幡山に向かったとゆう。 猛火に染まる町、泣き叫びながら殺到する人の群れはまさに阿鼻叫喚の地獄だった・・・と官公庁の資料にはある。


余談ですが、あなたは火事に立ち会ったことがあるだろうか? たった一軒の火事でもその炎の熱と煙はすさまじいものがある。 ましてや、都市ひとつを焼き尽くす空襲なんてとてもじゃないけど想像できない。 本当に恐ろしい出来事だったと思う。 (-_-)





☝・・・現在の宇都宮の地形。 宇都宮二荒山神社を通じ、その後ろに祖母が逃げたとゆう八幡山公園があります。

このように、宇都宮は都市の中心部近くまで丘陵地が「Vの字」のように食い込んでおり、当時は都市化もされていなかったので丘陵地のほとんどは山林、または一部農家に開拓されて田畑だった。









☝・・・米軍資料による、宇都宮空襲作戦図。 (総務省サイトより、一部画像加工。)

米軍の焼夷弾空襲は「囲」の漢字のとおり、炎で囲いを作って逃げ場をなくしておいてから絨毯爆撃するとゆう、まさに「全力で殺しに行く」とゆう言葉どおりのものだったらしい。 それが、町の中心地が山に通じていたため、人々は「完全包囲」から逃れることができたのです。

この空襲による死者は(資料により差はあるが)500~600人台だったようですが、先ほどの避難地がなければ死者数はもっと増えていたでしょう。









☝・・・太古の昔、八幡山のすそ野に建てられたお宮の門前として発展してきた町・宇都宮。 主祭神は「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」と、この地を開拓された神様である。

それから1000年以上の時が経ち、戦争で空襲があったとき、神社の森が人々の逃げ場となり、多くの命を救ったとゆう事実に感慨を覚えるのです。



(つづく)



※単なる地元ネタの今回でしたが、次回、絵師に関連した意外な人物へと話はつづきます・・・!


http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2016/07/blog-post_12.html
☝・・・(2)へつづく

2016年7月4日月曜日

天野喜孝さん、2ちゃんねる系サイトで酷評される!(2) ~フロントミッション(初代)の思い出~



http://exp0stargalaxy.blogspot.com/2016/06/blog-post_28.html
前回のつづきです。




☝・・・2ちゃんねる系サイトで酷評された天野喜孝さんですが、わたしの中ではいまだ過去の作品の数々が記憶の中で光を放っています。 ってことで、今回は天野さんのそういった作品を見ていくことにしましょう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)



天野喜孝さんのゲームにおける象徴的な作品と言えば、なんといっても『ファイナルファンタジー:FF』シリーズ、ですよね。






☝・・・代表的な例として、FF6より。


と、世間ではこのような評価が固定しているのでしょうけど、自分はそれに若干の違和感を感じます。 と、ゆうのは、ゲーム内におけるキャラ(キャラチップ)と、パッケージなどで天野さんの描かれたキャラ、それらに大きなギャップを感じるからです。









☝・・・こういったキャラチップによるイベントがあまりにも多かったためでしょうか? FFのキャライメージといえば天野さんの絵とゆうよりも、こういったものが印象として残っているとゆうことが正直なところ。







じゃあ、天野喜孝さんの絵を象徴するゲームって、いったい何だと思っているの? と聞かれれば、わたしはまず第一に『フロントミッション 初代』を推すでしょう!


※以下、最重要ネタバレはありませんが、一部ネタバレがあるのでそのあたりはよろしくね。










☝・・・フロントミッションとは、家庭用ゲーム機がスーファミ一強だった時代の後期、1995年2月にリリースされたゲームのことで、ジャンルはシミュレーションRPGだ。


SFCによる売り上げ本数はネットを検索したところよくわからず、スクウェア社的にはマイナーヒットの部類だと思われるが、独特で魅力的なそのゲーム内容は一部のゲームファンの心を強く捉えた。


このゲームはロボやメカといった要素・属性を持っていて、近未来SF、またはミリタリーに関心のある人たちがコアファンだと言えるが、加えて、当時ゲーム界において名声をほしいままにした天野喜孝さんのファン、シミュレーションRPG好き、そしていわゆるスクウェア信者がこのゲームをプレイしたものだった。(かくゆうわたしもシミュレーションRPG好き、そして広い意味でスクウェア信者だったと言えるだろう。)


当時プレイをし、クリアしたときの感想は今となってはあまり覚えていない。 ただ、ゲーム好きの友人たちが一様に「重い…」と言っていたことに共感したことだけは覚えている。 とゆうのは、当時のわたしは敵とのバトルが楽しければそれでいい、ストーリーは二の次! などと浅はかなことを考えていた。 


だから、ストーリーの細部はすっかり忘れてしまった。 後に残ったのは、ヴァンツァーをセットアップして敵を撃破していくとゆうゲームの面白さと、バトルを煽るようなBGM、天野喜孝さんのキャラ、そしてゲームにおけるいくつかの名場面、これだけ。


残ったものがそれくらいだったけれど、それがキラリと光っていて、いまだに色あせていません。 そして時が経った今、改めて思うのは、「このストーリーを、当時SFCのゲームで、子供向けに作られたってことがすげぇな!」とゆうことです。


「2」をはじめとする続編の評価が芳しくなく、このシリーズは途絶してしまったようで残念だけれど、それもキャラクター、BGM、ストーリーなどあらゆる点において「初代」が飛び抜けて完成度が高かったからかもしれない。 それほどの名作だと思う。









☝・・・『フロントミッション 1st』のパッケージ絵。 こちらはPSのリメイク版とゆうことで、2003年に天野さんは新たなパッケージ絵を描き上げた。







☆『The Evils of War』


☝・・・ようつべの動画より。 この音楽が耳に残るんですw







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と、ゆうことでフロントミッション初代のキャラ絵をメドレーに乗せ、見ていきましょう。


まずは仲間となるキャラクターたちから!




☝・・・(左から順に)主人公のロイドと婚約者であるカレン、そして部下のサカタ。 物語は婚約者が消息不明になるところから始まった。




☝・・・自軍・キャニオンクロウの中核となるメンバーたち。 秘書官的な役割のナタリー、そして賞金稼ぎに目がない傭兵のキースにJJ。




☝・・・新聞記者のフレデリック、格闘の破壊天使ヤン・メイファ、そして補給車のピウィー。 ピウィーは専用のテーマ曲があって、いいキャラしていたねぇ。 いまでいう、ゆるキャラ的な立ち位置。




☝・・・老兵のアルダー、神父のポール、そしてハッカーのハンス。


ヘッドギアを装着したハンスの見た目にリリースされた当時は違和感を感じたけど(当時はインターネットが普及していなかった時代だった)、今日ではウェアラブル端末などの開発が進んでいるようなので、こういったヘッドギアも未来においては十分あり得ると思う。 慧眼ですね~




☝・・・闘技場・賞金稼ぎのグレゴリオ、民間人のモーリー、そして敵方脱走兵のヤン・イーヒン。


ここではモーリーに注目。 ここのゲームにおいて、仲間となる数少ない女性キャラクターの一人が40歳前後のオバちゃんですよ!? ・・・女の子キャラが不自然なほど多い現在の水準からすれば、かなり異色ですよね。




☝・・・物語の後半において仲間になるキャラクターたち。 正規兵から転入してくるポルンガとボビー、そして歴戦の兵士ラルフとテロリストのゲンツ。




☝・・・上司筋にあたる方々。 直属の上司であるオルソン大佐と最高責任者のブレイクウッド将軍。 彼らを操作することはできない。




☝・・・味方モブ。 ターミネーターが一体混じっているような気もしますが、それは気のせい。w




☝・・・店のオヤジ。 新たな機体・武器を購入する際、セットアップしてくれるので裏方的な仲間ともいえる。 パーツを購入するごとに「テンキュー (注:thank you)」と発声し、その声はおっとりとしたマイルドさで、モッサリとした風貌とのギャップがまた面白いのだ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


こんどは敵となるキャラクターをご紹介。




☝・・・敵の代表こと、ドリスコル。 ニヒルで冷笑・冷血な性格。 初戦ではこの男の乗るヴァンツァーに圧倒的な強さを見せつけられた。




☝・・・つづいて、部隊・「地獄の壁」メンバー。


隊長のグリーグとその部下であるデイブ、ジョシー。 彼らとの激闘はこのゲーム・序盤におけるハイライトだ。




☝・・・先の「地獄の壁」メンバーのつづき。 リーバス、ゲッタ、ミリガン。


グリーグ:「俺に当たったのが不幸だったな!」
デイブ :「虫けらどもが!」
ジョシー:「いい度胸だぜ!」
リーバス:「オーケィ、ベイビィ。相手してやるぜ!」
ゲッタ :「ビビってんじゃねぇ!」
ミリガン:「これが64機動戦隊の力だ。」


・・・などと、彼ら一人一人は短いながらも印象的なセリフを吐き、モブキャラでない敵部隊と戦うことの楽しさを教えてくれたのです。





☝・・・敵対国・USNの将、カークランド。 ぶっとい首に眼帯と、夏候惇を彷彿とさせるかなりのコワモテ。 この将の立て籠もるフォートモナス要塞、そこでのバトルはゲーム中盤における集大成となる。





☝・・・いわゆる軍産複合体の面々。 サカタインダストリィの会長と社長、そしてブラウン博士。


ストーリーに起承転結を当てはめてみれば、「転」以降は政商と戦争に関する問題をこのゲームは扱うようになる。 すべてが経済に帰結する社会の醜さ、デリケートで複雑な社会事象、そしてその中で翻弄される一個人の苦悩。 こういったことに触れ、ゲームをする子供たちに訴えたゲームが当時ほかにあっただろうか? その辺りにこのゲームが名作と呼ばれるゆえんがある。



☝・・・敵モブたち。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ここからはバーやコロシアムにいる、その他のキャラクターたち。












☝・・・う~ん。 その他のキャラとはいえ、なかなかの見ごたえなのです。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と、長々としてしまいましたが、以上がフロントミッション初代における、天野さんのキャラ絵でした!


途中途中に記したように、フロントミッションはわたしの好きなゲームで、その中の天野さん絵もお気に入りなのです! (^ω^)


(つづく)


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