2019年5月2日木曜日

【時事/日本史】炎上と政変!~ノートルダム寺院火災事件が起こる~

時事/日本史コラム


関連する前回
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そらと曽良!~芭蕉忍者説について~


(・ω・)(・ω・)(・ω・)




先日おこった、フランス・ノートルダム寺院の大火災。 この事件はインパクトありましたよね。







☆サイト『ライブドアニュース』2019年4月の記事より
http://news.livedoor.com/article/detail/16323454/


☝・・・このニュースを受けて、日本では「金閣寺の炎上」を連想した人が多数いた模様だ。 たしかに、フランスでの件を我が国になぞらえてみれば、昭和20年代に起きた金閣寺の火災がそれに近い事件だと言えそうだよね。









☝・・・日本の事例はさておき、近年で「国を象徴するような建造物の炎上・焼失」といえば、わたしは隣国・韓国の「南大門火災」を思い出しました。 この事件が起こったのは2008年2月ということで、もうずいぶんと時が過ぎてしまったのですね・・・。







それはさておき、




☝・・・さきほどのニュースによると、ノートルダム寺院の火災の写真・映像を見た一部の人たちの中には「不謹慎ながらも美しい、絵になる」といった感想が複数あったようだ。


確かに言われてみれば、壮麗な建物の炎上は人の心に迫るものがあると思う。 フランスの人には申し訳ないけれども・・・また、人類の文化的損失といった観点は抜きにして。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【ここから日本史の話題】


戦国時代に親しんでいるわたしにとって、大炎上は歴史物語のクライマックスシーンだ。 ここからは、「炎上と政変」をテーマに駄弁りを展開していこう。







【本能寺の変】


☆『のぶニャがの野望』シリーズより、織田のぶニャが


☝・・・ベタであるけれども、「炎上と政変」といえば「本能寺の変」がその代表だろう。







☆『信長の野望』シリーズより


☝・・・「桶狭間の合戦」で華々しく全国デビューを果たし、戦国の世を駆け抜けていった織田信長。 「本能寺の変」とは、そんな時代を代表する英雄の、あまりにも鮮やかすぎる最期だと言えるだろう。 本能寺に立ち上った紅蓮の炎とは、彼の死を飾る花でもあった。


「もしも本能寺の変が無かったら」・・・そんな想いがロマンとなって尽きること無く、今日の私たちを惹きつけている。







☆『信長の野望』シリーズより、織田信長


☝・・・「もし、本能寺の変が無かったら・・・。」 信長が天下を統一していただろうという意見が多数の中、やっぱり信長は謀反を起こされて殺されていただろうといった意見も少なくない。


その代表として、羽柴秀吉が謀反を起こす可能性が指摘されている。 彼は信長に対して従順であるというイメージが強いけれども、そもそも、「本能寺の変」の黒幕は秀吉だという説も昔から根強い。 なぜなら秀吉は「本能寺の変」最大の受益者だからだ。


秀吉は「本能寺の変」の報告が届いてからすぐさま敵軍・毛利との和睦を成立させ、神速とも思える「中国大返し」、そして姫路城ですべての財産を部下に分け与えてからの「山崎の合戦」、そして勝利。 この一連のスマートでスムーズ過ぎる動きは、光秀の行動をあらかじめ把握していたからだ、と考えるのがより合理的だ。


また、信長死後1か月もたたない「清須会議」にて、秀吉は悪びれることなく三法師を傀儡として擁立、主家簒奪の着手を始めている。 信孝、勝家、信雄・・・。 秀吉は織田家中の有力者を次々と屈服させていった。 そこにかつての主・信長と織田家に対する敬意や遠慮といった意識は見当たらない。


そういった点からも、秀吉は「本能寺の変」が起こらなくても謀反を起こした可能性は高いと思われているのだ。







☆『のぶニャがの野望』より、織田のぶニャが


☝・・・さて、近年のゲームで信長は「火/炎の属性」として位置付けられることが多い。 それは多分に「本能寺の変」による炎上のイメージからであろう。


その一方で、わたしが思い出すのが「梅雨将軍」という信長の通り名だ。 これはマンガ『花の慶次』の劇中に出てくるワードで、そのあたりの文章を引用すると、


❝信長は別名梅雨将軍とも呼ばれ、大事な決戦では必ず雨が降ったという。 それは、あたかも摩利支天が信長に付き従う如きであった。❞


・・・とある。 確かにそう言われてみれば「桶狭間の戦い」では豪雨と暴風が、「刀根坂の戦い」も暴風雨に乗じた作戦行動をとっている。 あと小規模な合戦では、1554年に信長は暴風雨のさなか、船を出すように命じて海を渡り、城を落としたという「村木砦の戦い」も印象的だ。


このように考えると、信長の属性は風雨・・・すなわち水と風、あるいは雷だと言えるのかもしれない。


とはいえ「梅雨将軍」という通り名は、さきほどの作品以外ではついぞ聞いたことが無い。 『花の慶次』だから、作家の隆慶一郎さん説ですね。 一部ネット情報によれば、それを初めて言ったのは新田次郎さんである、そんな指摘もありましたが・・・その情報が正確であるかどうかは不明です。


それはさておき、歴史人物の属性を考えるということもなかなか面白い作業だよね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【永禄の変】


☆『千万の覇者』より、足利義輝


☝・・・「本能寺の変」に次ぐ有名な変事といえば、「永禄の変」だろう。 永禄の変とは、室町13代将軍・義輝が殺された事件のことだ。 この変事でも紅蓮の火の手が上がっている。







永禄8年(1565)5月のこと。 三好義継を大将として、松永久秀、三好長逸ら三好三人衆をはじめとした部将の率いる三好家の軍勢が1万の兵を引き連れて入京。 将軍義輝の二条御所に向けて進軍した。


はじめ、その軍勢は清水寺参詣、次いでは「訴訟」と称して京の町を進軍したらしい。 そのため京の町では特別な騒ぎとはならなかった。 軍勢を引き連れての「訴訟」だから、それは穏やかなことでは決して無い。 しかし、いかにも三好家のやりそうなことで、「訴訟」のぶん話し合いの余地があると思われて、それが義輝の油断を誘った。


義輝の御所は深い堀が巡らされ、さらに要所には高い土塁や石垣、城門が設けられた堅固な城郭であったらしい。 しかし、この時はたまたま城門の改修中であった。 そのような御所を、三好の軍勢が取り囲む。 そう、久秀や三好三人衆ら三好家は、密偵のもたらした情報・・・「二条御所、ただいま門の改修中にて守り弱し」 をもとに、今回のことを仕掛けてきたのだ。







☆『千万の覇者』より、足利義輝


☝・・・ここからが有名なシーンだ。 御所を囲んだ三好の軍勢は鉄砲を発射。 それを合図に兵が一斉に御所へとなだれ込む。


二条御所には護衛である御伴衆が数十人しかいなかったと言われている。 一万対百弱。 結果は目に見えていた。 数の暴力で彼らはなぎ倒され、ついには将軍義輝だけが取り残された。 「裸単騎」とは、まさにこういった状況か。


この時すでに建物には火が回りだしている。 火の粉が舞い、煙が立ち込めるなか、義輝は畳に秘蔵の名刀すべてを突き立てて、寄せてくる兵を斬り倒し、切れ味が悪くなるごとに刀を取り換えては敵を斬り倒す、これを繰り返した。


その無双ぶりに三好の兵は怖気づき、ついには名乗りを上げるものが居なくなった。 なので「池田丹後守の息子」という武将が現れ、義輝と対決する。 池田は長槍を手に取った。


「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」。 尋常な強さでない相手に、池田はまず義輝の足を払った。 よろめく義輝。 連携で、雑兵たちがここぞとばかりに障子・戸板といった類のものを投げつける。 完全に動きを封じられた義輝。 そこを池田の槍が襲い掛かり、ついに義輝はとどめを刺された。


こうして、剣豪将軍こと足利義輝は三好家の軍勢によって殺された。 京の町衆はこの事件について「ほんまにこの頃は・・・言葉にならへん」と言いあい、下剋上の風潮に眉をひそめ、頻繁に起こる兵乱に不安の気持ちを吐露している。 とにもかくにも、この政変によって下剋上の風潮はここに極まったのだ。







☆『のぶニャがの野望』より、まつニャが久秀


☝・・・以上が「永禄の変」の通説で、松永久秀による将軍弑逆事件として世に流布している。 しかし、まじめな歴史研究によれば、この変事に久秀の関与は無いらしい。


それによると、そもそも、「永禄の変」で久秀は出陣すらしていないらしい。 久秀の考えは「将軍は操り、利用するものであって、殺すものではない」というもののようで、これは亡くなった三好長慶の戦略を引き継いだものだった。


とはいえ、当時の世間は三好家を動かしていたのは久秀だと見做していた。 そんな三好家が将軍を襲撃・弑逆してしまったのだから、久秀が首謀と見做されてもそれは仕方のないことだったろう。


足利将軍家と三好家は長い間、明に暗に争いを続けてきた。 三好長慶の生存中に将軍弑逆事件が起きれば歴史としては分かりやすかったが、いかんせん長慶は「永禄の変」の前年に、42歳で病死してしまっている。


ここはやはり、「永禄の変」とは、三好家の成り上がり・下剋上の最終段階として、いずれは将軍家に牙をむく方針であったのだと解釈したい。 それが長慶の死という混乱によって、弑逆という過激な手段として現れてしまったのだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【大寧寺の変】


変事としての知名度は一段下がりますが、「大寧寺の変」も広く火の手が上がった政変として知られている。







☆『戦国姫MURAMASA』シリーズより、姫化した陶晴賢


☝・・・「大寧寺の変」とは、天文20年(1551)9月、大内家の重臣・陶隆房(のちの晴賢)が主家に対して反乱を起こし、傀儡を擁立して下剋上を果たした事件のことだ。 そのために大名の大内義隆は死亡して、「西ノ京」と讃えられた山口の町は戦火に晒された。


反乱がおきた時、陶隆房の兵がおよそ1万だったのに対して、主人の大内義隆が集めた兵は2000ほどだったと言われている。 しかも、義隆に付き従うのは穏健な文治派といった武将ばかりで、陶の率いる反乱軍とまともに戦うことはできなかった。 そのため義隆は長門の国・大寧寺にいったん逃れる。


しかし、その大寧寺も敵兵によって取り囲まれて、ここに大内義隆の進退は極まった。







☆『千万の覇者』より、大内義隆


討つ者も 討たるる者も諸ともに
如露亦如電(にょろやくにょーでん) 応作如是観(おうさにょぜかん)


大内義隆はこう辞世の句を詠んで自刃した。 この歌の内容についてですが、その中身に仏教・お経の一節が使われている為か、わたしなど一般人には甚だ難解だ。









☝・・・そこで岩波文庫の『般若心経 金剛般若経』をガイドに、わたし流の解釈をしてみよう。


まず、先ほどの「にょろやくにょーでん、おうさにょぜかん」というのは『金剛般若経』の核となる部分で、釈迦が語ったと言われているものだ。 その漢文を読み下したものを引用すると、


❝一切の有為法は、夢・幻・泡・影の如く
露の如く、また、電の如し。
まさにかくの如き観を作すべし。❞


・・・とある。 より噛み砕いてみれば、


目の前に現れるあらゆる事象は、夢や幻、泡や影のようなもので、
あるいは露(儚く消えてゆくもの)、または雷光(一瞬の輝き)といったものだ。
このようなものと見なしなさい。


・・・このように解釈できるだろう。 つまりは 「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞと常ならん」 ・・・無常の観念ということだ。


その節が「討つ者も、討たるる者も、諸ともに」にかかるのだから、


これも因果であろう。 わたしはすべてを受け入れて無常の境地へと至っており、今はすべての人が釈迦の教えに帰依すべきだという願いだけを持っている。


義隆辞世の句を私はこのように理解しましたが・・・。 こうしてみると、大内義隆という人物はすでに武将であることを辞めてしまっていて、限りなく出家に近い心境であったことが改めて解った気がします。







☆『信長の野望』シリーズより、陶晴賢


☝・・・さて、この「大寧寺の変」は、通説では陶晴賢が首謀者として反乱を主導したとされている。 確かにそれは間違ってはいないものの、その通説にはいくつか軽視されているものがあると思う。 それが大友家や毛利家といった、外部の大名の関与だ。


まず、大友義鎮は陶晴賢と綿密な連絡を取り合って、晴賢の反乱を容認。 晴英(義鎮の弟)を傀儡の当主として送り出すことに協力している。 その見返りは九州における大内領の受領だ。 また毛利元就は、晴賢の反乱とあからさまに呼応して軍事行動を行い(→ 佐東銀山城攻め)、安芸の国を平定すべく行動を開始している。


つまり毛利家独立の道とは、陶晴賢の謀反と起点を同じくしていたという事実だ。 これが下剋上に手を貸したと言わずして、なんと言おう。 やがて毛利元就は晴賢を謀反人呼ばわりして挑発し、彼をおびき寄せて「厳島の戦い」で討ち取り、さらには山口に攻め入って主家の大内家を滅ぼしている。


こうしてやや長尺の視点で推移を見ると、結局「大寧寺の変」で恩恵を受けたのは毛利家だったということになる。 陶が手を汚して果実を得たところを、その横から毛利が現れて果実を横取りしていったといった具合に。


毛利元就は稀代の謀略家だと言われている。 元就はいつからその❝絵を描いて❞いたのだろうか・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


「変事」に炎はつきものだ。 既存の構造物を焼き尽くす紅蓮の炎。 その際、灰燼に帰すのはなにも物理的なものばかりではない。 炎と共に滅んだ人物、その人物にまつわる組織だけでなく、時として政治体制、そして時代の空気といったようなものも、焼かれることでいったんリセットがなされる。


それはまるで、早春の野焼きによって野が焼かれ、そこから新しい息吹が芽生えることと似通っている。







令和元年のしょっぱなから炎上と政変の話題を展開するなど、時期にそぐわない気がしましたが・・・^^;


それも泰平の世の中にあって、一服の刺激を求めたのだと屁理屈を言いつつ、今回はこれにてお開きにしましょうか。
(`・ω・´)ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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