2017年9月20日水曜日

戦国ixa(63+64鯖):戦国ixaで絵師さんクエスト!~BANAMONS*さん編

ixaコラム:経験0からのIXA!




関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/09/ixa6364.html
武将育成集中講座、開催される!

http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/08/ixa6364_24.html
プラチナ極・宇喜多モニカさん、配布される!







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・先日配布されたプラチナ極カード、『紫電清霜』宇喜多モニカさん。 スキルレベル10での「単独出撃時に速度10倍」という特殊効果はものすごいですね!@@ 合戦中の陣張り時間が劇的に早くなって、うひょー!と、歓喜感激したプレイヤーは私だけではないでしょう。


今回は、このキャラ絵を描かれたということで、『ixa界』でにわかに注目を集めた絵師・BANAMONS*さんについて追ってみようじゃないか。







☆『千万の覇者』より、『妖艶遊戯』の円融院さん







☆『気骨の士』の松野重元さんと、『蒼刃ノ輔曳』の井伊直親さん。







☆『千万の覇者』より、『違い鎌』の古満姫さん







☆『千万の覇者』より、『長蛇の陣』の梅姫さん







☆『千万の覇者』より、『嬲討ち返し』の陽泰院さん



☝・・・う~ん。 『千万の覇者』の大きめな画像はやっぱりいいですね!


BANAMONS*さんは女性の絵師さんなのかな? 描かれた女性のキャラ絵は顔の表情はもちろんのこと、美しい衣装から伸びる腕や手、指などの仕草からふんわりとした、古風な女性らしさが表現されていますね!


と、いうことで、絵師・BANAMONS*さんはいろいろな姫のキャラ絵が印象的な絵師さんなのです。 (^ω^)b


これらの姫のなかでは、ほ、ほんの少しだけ、『紫電清霜』モニカさんのクオリティーがやや残念なようだけれど・・・、やっぱり別の絵師さんが描いたキャラを書き直すのは難しかったのかな? などと思ってしまったり・・・w
|ω・´)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


蛇足ですが、ここからは『戦国ixa』以外のBANAMONS*さんのキャラ絵をいくつか見ていくことにしましょう。


☆オンラインゲーム『ヘクサウォーズ』より、董卓







☆同タイトルより、ヴァルキリー







☆同タイトルより、呂布








☆トレーディングカードゲーム『ラピスクラスタ』シリーズより


☆時の扉


☆時導きの提督アレフレッド







☆トレカ『force of will』より







☆トレカ『ラストクロニクル』より、祈りの白亜神官、ティルダナの浮き島探し



☆オセロテの呪兵







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


・・・などと、BANAMONS*さんは現在各種オンゲやトレカといった分野でのお仕事をされているようだ。


個人的にはBANAMONS*さんの描かれるキャラ絵は素敵だと思うので、『ixa』での次回作に期待していまっす。 (^ω^)ノシ!


(つづく)






『戦国ixa』
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2017年9月17日日曜日

戦国ixa(63+64鯖):キャラ絵小話!~小田氏治さん編(6)

ixaコラム:経験0からのIXA!




関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/08/ixa6364_29.html
キャラ絵小話!小田氏治さん編(5)







☆『戦国姫譚Muramasa』より、小田氏治



(前回のあらすじ!)
長尾景虎は北条氏康に決戦を挑まんと、北条の勢力に侵入した。 しかし慎重な氏康は籠城の意思を固め、決戦を避けて小田原城に引きこもる。 大兵力をもって攻勢をかける景虎に対し、氏康は堅守に徹しつつ、外交で武田を動かして長尾氏の本拠地・春日山の後方攪乱の策を展開する。 両雄の戦いの行く末や、いかに!? (※なお、小田氏治さんは金魚のふんのように、まったり軍の後ろについて参戦中ですw)







永禄4年(1561年)3月のこと。 小田原城の包囲が始まって、約ひと月ばかりが過ぎた。




☝・・・11万余りという大軍勢を率い、北条軍を圧倒した景虎だったが、その実、ここにおいて大軍を動かすことの難しさに直面していた。 まず、膨大な兵や馬匹の糧秣の手配をどうするのか。 軍装は野戦の装備のままだが、城攻めの際の攻城兵器はどう調達するのか。 使って無くなった矢の補充や、傷ついた甲冑・刀剣の修繕はどこでするのか。 負傷兵の処置は。 越後と関東の将兵との間に溝があるが、それをどう調和させて、一個の軍として統率していけばいいのか。 ・・・景虎に、総大将という立場の重みがずしりと双肩にのしかかる。


小田原城攻めを難しくしている最大の問題は、この城が孤立した城ではないということだ。 そう、北条が南関東各地に持っている支城ネットワークはほぼ無傷で温存されて、連携が取れたものになっている。 それらの攻略をすっ飛ばして小田原城へ電撃的に軍をすすめたのは良かったものの、北条の持つすべての城が、まるで「スクルトを唱えたスライムつむりの群れ」のように、固く殻に籠ったのは想定外だった。


景虎は、あえて敵の本拠地・小田原城に電撃的に斬り込むことで、それを陽動とし、本城の救援に赴いた各支城の後詰部隊を野戦で撃破することを目論んでいた。 野戦において、景虎率いる越後兵とその戦術・車懸りの陣法に敵う軍隊はいまのところ関東には存在しない。


しかし、景虎のその思惑は完全に見破られていたようで、北条が各支城に置いた軍隊は息をひそめ、力を温存しつつ、軽々しく打って出ずに成り行きをじっと伺っている。 このために、長尾ー上杉軍が関東の本拠地と定めた上野の国・厩橋城からの補給線は、武蔵の国の松山からその先が繋がらない状態になってしまっていたのだった。 この戦国時代、敵の勢力下で補給用の荷駄が易々と通れるほど甘くはない。 長尾ー上杉軍にとって、これは実にまずいことだと言えた。


すなわち、小田原城を囲んで威圧しているはずが、逆にこちらが兵糧攻めにあったかのごとく、窮地に追い詰められる羽目になってしまったのだ。


(!)なお正確には、小田原に面した海が唯一の補給線となりえたが、やはり長尾ー上杉軍の主力は陸軍の槍兵であり、水軍の活用による補給は無かったことだろう。







(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)


☆『信長の野望』シリーズより、女性説の上杉謙信


☝・・・11万の大軍勢が1万足らずの小田原城を攻めあぐねて、なおかつ窮地に追いやられている現状は景虎にとって認めがたいことだったろう。


景虎は思う。 これ以上手をこまねいて無為に時を過ごしていては、士気が限りなく低いものとなってしまう。 ここは一度全力で戦い、北条に打撃を与えるべきだ・・・。


「ここはひとつ!」 景虎は諸将の前で低く唸るように声を上げる。

「氏康めに痛打をくらわしてやるとするか~!」


こうして景虎・気炎の下知が下り、小田原城・ふたたびの攻撃が行われたのだった。





(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)


☆『千万の覇者』より、長尾景虎

「よっこいしょういち!(死語)」


☝・・・長尾景虎は、この小田原城攻めで特異なエピソードを残している(細かなことについては諸説あり)。 それは、敵の鉄砲玉が届く最前線へおもむろに出向き、そこで床几(携帯用の折り畳み椅子)にどっかと座り足を組んで、具足を外しつつ食事をしたり、お茶を飲み始めた、というものだ。


小田原の城兵からすれば、なにやら変な奴が前線に出てきて座りだし、のんきに茶などを飲みだしている。 なので、 「しゃらくせえ! 撃て撃て!」 と銃撃を次々と浴びせかけた。 しかし、その弾は不思議とその人物には当たらないのだった。


やがて景虎の挙動に気づき、肝を冷やした長尾の将兵らが「キケンです! お下がりください! Σ( ゚Д゚) 」と、わらわら群がってくる。


「!?」 その様子の異様さに、小田原の鉄砲侍たちも座っている人物がただ者ではないことに薄々気づく。 どよめく城兵たち。 やがて景虎の姿を見知った者たちが、「景虎だー! 敵の総大将だ!!」 と声を上げる。


小田原の鉄砲侍たちの目の色は変わった。 そりゃあもう、大将首が射程圏にのこのこと入って来ているのだから。 討ち取れば大金星、間違いなし!である。


再び銃口が景虎に向けられ、弾雨となって激しく襲いかかる。 しかし、ここでも景虎は悠然と座り、茶を飲みながら休憩を続けていたのだった。 小田原の鉄砲侍のなかには、ここぞという時のための、ゲン担ぎの用の「特別製・金の玉(銃弾)」で狙撃に臨んだ者もいたが、それも空しく的を外したのだった。


「長尾景虎は軍神の加護を受けている、という噂はまことだったのか!?」Σ@@


長尾景虎が軍神の化身である、という噂はかねてより関東兵の間で流布され、それは北条の兵士たちも十分聞かされている。 そして今回まさに、これほどの銃撃をしても景虎に全くかすりもしないことに小田原の城兵たちは戦慄した。


戦国時代の当時は、戦で死んだり生き延びたりなど、戦場だけでなくおおよそ人生で起こりうるすべての幸運・不運は、すべて神仏の加護や、天の計らいであると解釈する一種の信仰があった。


景虎のこの大胆な行動のおかげで、グダグダと下がり気味だった長尾ー上杉軍の士気は大いに上がり、敵対する小田原の城兵たちの士気は下がった。 軍神が味方についていることは何よりも心強いことであるし、敵対する側の兵士にとっては、生身の人間が軍神と戦って、勝てる道理があろうか?と忌避する気持ちが沸いたのだった。


☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信

「軍神の加護があれば、鉄砲玉に当たることなどありえない! ・・・むしろ、玉が勝手に避けてくれるわー!」


☝・・・それにしても、長尾景虎があえて敵の銃撃の射程圏内に入り、危険極まりない冒険をしたのはいったい何のためだったのだろうか?


もちろん味方の士気を上げるためにあえて危険に身を晒したのだ、と解釈することは至極まっとうな意見だ。 しかし、もし銃撃をまともに当たりでもしたら、総大将の負傷ということで合戦の形勢は傾いてしまうだろうし、何よりも作り上げてきた軍神の神話が一気に崩壊してしまう。 士気を上げるというリターンに対し、あまりにもリスクが大きすぎるのだ。


当たらなかったから良かったものの、この危険な行為を豪胆・大胆不敵と解釈するのか、それとも自らを軍神と錯覚した誇大妄想的な行為だと解釈するのかは、意見が分かれるところだろう。 あるいはこの二通りの解釈は不可分なものであり、勇気と豪胆さ、そして毘沙門天などといった神仏への過度の信仰が混じり合って、彼独自の行動をとらせていたのかもしれない。 長尾景虎という人物の興味は尽きないね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、視点は北条方に変わります。




☝・・・グーグル画像検索より、格子堀のイメージとして。 戦国時代・永禄年間の小田原城はこのような堀と土塁に囲まれて守られていた。


戦国時代の城といえば、石垣を高く積み上げ、そこに高層の天守閣が乗っかったイメージが一般的で、北条氏康や武田信玄、長尾景虎といった武将たちの城も同じようなものだったと、戦国時代をテーマにしたゲームの多くがそう作られている。 ですが、そういった城は豊臣秀吉が天下統一を果たした前後から作られ始めたものであり、この頃、永禄年間の城とは異なっている。


石垣と天守閣でできた城が、地方政府(藩)の政庁として権威があるように作られたのに対し、この頃の時代の城とは、あくまで実戦のために作られた、粗野で飾り気の無いものだった。 「城」という漢字は「土へん」に「成る」を組み合わせでできているが、土づくりの堀と土塁に囲まれた小田原城は、まさに漢字の原意のとおりに作られた要塞都市だと言える。









☝・・・我らが『戦国ixa』より、北条家の嫡男である氏政。 固有スキル・『螺旋生死堀』とは、難攻不落の小田原城のイメージでそう名付けられたのでしょうか? この『螺旋生死堀』のネーミングはちょっとわざとらしい、仰々しい語感のスキル名ですが、実際のところ北条氏が代々本拠地にした小田原城の防御効果はかなり大きかった。


先ほどの格子堀というのは実にやっかいなもので、集団で寄せることができないのだ。 これは要するに、人数差の有利が働かないということだ。 寄せ手(長尾ー上杉方)からすれば、城の周囲、堀から土塁にかけては身の隠すことのできない裸地が広がり、格子堀のあぜ道をそろそろと進むところを、矢を射られ、鉄砲で撃たれてしまう。


長尾ー上杉方も弓隊を用意し、負けじと矢を放ち返して最前線の援護を試みる。 しかし、土塁の上高くに建設された櫓からの攻撃のためか、なかなか矢の反撃が届かない。 逆に、寄せ手の弓兵は守備側から狙い撃ちにされてズタボロとなってしまった。


櫓と平場、これらはせいぜい10メートルほどの高低差であったが、この高低差が守備側にとって絶妙に有利な弓の間合いを生み出していたのだった。 矢というものは、有効射程を超えると、惰性で飛び続けるだけの殺傷力に欠けるものとなってしまう。 まさにこの時、守備側の弓兵は「無敵タイム」となって寄せ手の兵士を一方的に射ちまくったのだった。







(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)


☆『戦国姫譚Muramasa』より、小田氏治

「うきょー! 今回の景虎様のお下知は、いつもより数倍ハードだ! orz」


☝・・・ここで小田氏治さんの登場w 長尾景虎の下知を受け、小田氏治をはじめ関東の諸将も必死の攻勢を繰り出していく。


その兵士たちは得物を長槍から掛矢(木製のハンマー。建物の破壊に使われたという)に持ち替えて、勇敢にも土塁上の塀を打ち壊さんと攻め寄せる。 しかし、その多くは矢や鉄砲に撃たれて負傷してしまい、なんとか目標にたどり着いた兵も、奥で待ち受けた守備兵らによって撃退される。 この攻撃は寄せ手にとって成果の上がることのない、むなしい攻撃だと言えた。 『ixa』で言えば損害8~10倍差で負けたようなもんだ。 orz


とはいえ、さすがに長尾ー上杉勢は大軍である。 一部区域においては火攻めを行った部隊があり、それなりに敵の建築物に損害を与えることに成功する。 とはいえ、小田原城の城域は広く、全体として見れば「損害は軽微」で、長尾ー上杉勢の攻撃は小田原城の防御力の前に跳ね返されたと言えた。




(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)


小田原城兵の頑強な抵抗を受け、長尾ー上杉勢の旗色が悪いことは明白だった。




☝・・・脱線ですが、この状況に、ふと「長尾ー上杉方も鉄砲で対抗すればよかったんじゃね?」などと思ってしまいます。 しかし、この時の戦いをはじめ、永禄年間のこの頃・この地域においては、城攻めのために鉄砲が使用されたという確かな記録は無いようだ。


景虎の軍にも少数の鉄砲侍はいたようだが、やはり、この頃の鉄砲とは貴重な兵器であり、自らはあまり動かずに、射程に入ってくる敵を撃退するための、きわめて守備的な武器として使われていたのだった。 この慣習・先入観は織田信長の「鉄砲隊運用の革命」まで続いていく・・・。







脱線から戻ります。


☆『千万の覇者』より、柿崎景家と斎藤朝信



☝・・・長尾ー上杉軍の苦境を目の当たりにし、長尾景虎の腹心ともいえる二人の将が、ここで揃って注進をするべく、陣幕の中に入ってくる。


「殿、これ以上の小田原城包囲は、わが軍に利はありません! 撤退しましょう!」

「武田が北信濃を荒らしているという報せも気がかりです。 ここは一度厩橋へ引き、そこで改めて方針を定めては・・・。」


あくまで直情的な物言いの柿崎景家と、それを中和するかのような斎藤朝信の声。 二人はどちらも越後の猛将でありながらも、その性格は好対照だといえた。


「両人の意見はもっともだ。 しかし、一月あまりでここを退けば、すなわちわが軍の敗北ということになる。 どうにかならないものか・・・。」 景虎の顔は曇る。







☆『千万の覇者』より、宇佐美定満


☝・・・そんなところを、景虎の陣幕にさらにもう一人の人物が入ってくる。 越後軍最高の知恵者と讃えられている、軍師の宇佐美定満だ。


「ご安心ください。 城攻めで勝てないところを、政略で勝ってみせましょう!」

「!?」







☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した宇佐美定満


☝・・・宇佐美定満が提案した策とは、以下のものだった。


長尾景虎は、上杉憲政から上杉の名字とその家職・関東管領職を譲り受ける旨を打診され、そのことについてはすでに受諾・合意していたが、それは個人間の合意であり、正式なものではなかった。 それを今まさに正式に受諾し、天下に向かって公表、関東管領職の就任を宣言せよというのだ。


「就任式は慣例に従い、鎌倉の鶴岡八幡宮で大々的に行うのがいいでしょう。 この遠征において殿が関東管領に就任したならば、それが立派な成果となります。 そのうえでいったん兵を引いたとしても、殿の名誉は傷つきますまい。」


「なるほど! 定満、よくぞ言ってくれた。 ・・・氏康めにもこのことを書状で知らせてやろう。 わたしの関東管領職就任に不服があれば軍を率いて寄せて来い、相手をする! とな! ・・・フフフ、奴め、打って出てくるだろうか。」 曇りがちだった景虎の目が一転、生き生きと輝いていた。




(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)




☝・・・現在の鎌倉・鶴岡八幡宮。


宇佐美の策は採用され、長尾景虎の関東管領職・就任式は鶴岡八幡宮で挙行された。 この時から長尾家は山内上杉家の系図を引き継ぎ、上杉の名字を名乗るようになる。 景虎はまた、前管領・上杉憲政の「政」の一字を拝領し、名を景虎から政虎へと改名した。 彼はやがて輝虎、謙信と更に名前を変えていきますが、当ブログでは便宜上、ここからは有名な謙信の名で呼ぶことにしたい。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、小田氏治

「長尾景虎様、改め、上杉謙信様かぁ~ @@」


☝・・・八幡宮の神前で上杉謙信の関東管領職・就任式は取り行われた。 小田氏治さんをはじめ、この戦役に参戦した関東の諸将らもずらりと整列して参加、厳かにセレモニーは続いていく。


それでは、ここでセレモニーに参加した、主な関東武将たちをキャラ絵で表示していこう。


☆『千万の覇者』より、太田資正


☝・・・いくつかの資料を見ていると、謙信の小田原合戦においては、太田資正が最も好戦的な関東武将であったようだ。 彼の特技は軍用犬の使役であるが、この度の出兵先でも伝令として活用していたのだろうか・・・?




☝・・・上野の国より、『上州の黄斑』とあだ名された猛将の長野業正と子の業盛。 彼らの旧主は上杉憲政ということで、上野における北条の勢力を押し返すために参戦していた。




☝・・・上総・安房の国より、大名の里見親子とその重臣・正木兄弟。 


信頼できる資料によると、里見軍は里見親子が水軍を、正木兄弟が陸軍を率いて、2軍団に分かれてこの戦役に参加していたようだ。 なお、一説では、彼らは房総地域の北条勢と戦っている最中であり、景虎の小田原城包囲にはセレモニーのみの参加だったと書かれた資料もあり、通説は確立されていない。




☝・・・北関東より、佐竹氏と宇都宮氏。 名前が記録として正式に残っているのは佐竹義重の父・義昭ですが、『ixa』シリーズでキャラ絵が無いことと、w、初陣を済ませた年齢であろうことから義重を掲示しました。 また宇都宮氏は、この頃佐竹氏の保護を受けていたので、ほぼその旗下としての参加だったように思われる。 広綱は病弱だったとも伝えられているが、彼はこの頃はまだ10代と若く病状もそれほど悪くなかったのだろう。 広綱のお嫁さんは義重の妹であり、彼らはほぼ同年代の義理の兄弟だった。




☝・・・『公方奏者』の簗田晴助。 事務屋的なイメージがある簗田氏ですが、この度の戦役では関東公方・足利藤氏の代理人として、〝一般武将”よりは重要なポジションに位置していた。


と、戦国ixaシリーズでキャラ絵があるのは大方これくらいであとは端折りますが、このように、この日の鶴岡八幡宮には関東の戦国時代を代表するような武将たちが一同に集っていたのだった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


この日の鶴岡八幡宮におけるセレモニーに参加していたのは、なにも武士たちばかりではない。 鎧を着こんだ集団の中に、公家の装束を纏った者が幾人か並んでいた。




☝・・・それが公家の近衛前久(このえ さきひさ)である。(このキャラ絵では戦闘チックな出で立ちですが・・・w)


前久は公家の世界において、最高の家格とされる近衛家の当主だった。 彼は戦国時代の気風に感化され、公家の当主としては異例なほどアクティブで武闘派だったと伝わっている。 彼がわざわざ関東の戦乱に首を突っ込んだのは、謙信の友人として公家の立場を活用し、京都方面の外交担当をするためにやって来たのだった。




☝・・・関連で脱線ですが、こちらは近衛前久の妹の絶姫(たえひめ)。 関東出兵の前年、上杉謙信は上洛して京の都に滞在しており、この時に謙信と近衛家は昵懇の仲となったのだった。 そのさい謙信に嫁に貰ってくれるようにと話が上がったのがこの姫である。


謙信は自らの信仰のため、嫁を貰うことは丁重に断ったのだったが、絶姫は謙信を慕うあまり兄・前久に同行してはるばる越後までやってきたのだという。 さらに伝説の中には、絶姫は謙信の関東出兵のときに秘かに男装して従軍し、謙信に仕えたというものまである。


男装をした絶姫に謙信は心を動かされたが、w、やはり女性と付き合うということを絶対のNGとしていた謙信である、やがて絶姫は関東の戦場から越後へ帰されたと言われている。 彼女は悲しみのあまり、およそ1年後に亡くなってしまった・・・。


☆『戦国炎舞』より、男装の絶姫


☝・・・公家とは朝廷に仕えるお貴族様のことであるけれど、戦国時代の公家とは、持っている領地(荘園)のほとんどを武士・土豪に横領されたという歴史的な流れがあり、収入が激減してしまっていた。


高位の公家である近衛家もそれなりの品位を保つため、その生活は決して楽ではなかったようだ。 彼ら公家はそれぞれ昵懇の戦国大名を作り、そのコネクションを活用することで生きるすべを模索していた。 絶姫と謙信の悲恋話、そして近衛前久のキャラクターは、戦国時代における公家と武家の関係を象徴するエピソードのように思う。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国姫譚Muramasa』より、小田氏治


「フフー! 大軍勢の一員というのも、意外と悪くないね!」


☝・・・鎌倉の地では北条方の襲撃に警戒しつつも、上杉謙信の関東管領就任を祝って宴が開かれていた。 季節は桜が咲き始めた頃である、そこで久しぶりに文化的な食事をし、歓談する武将たち。


この章の主人公・小田氏治さんにとっては、この戦役で功名を上げるような活躍はついにできなかったが、一流の戦国武将たちと交流を交わしたことはこの上ない、貴重な体験だと言えた。


「なんてゆうかね、時代がガチャリと変わった音がした気がするね!」 ・・・氏治の素直な感想である。


そう、関東における北条一強の時代は、上杉謙信の関東管領職就任をもって終止符が打たれたのだ。 北条軍は上杉軍とまともに戦うこともできず、臆病が過ぎるほど城に籠り続ける有様である。 関東の地は「義の人・上杉謙信」と彼が率いる「越後の義兵」の武威によっていずれ鎮まり、新たな秩序の下、平和を取り戻すであろう。


やがて謙信公は足利将軍・義輝を援けるために上洛の作戦を開始、関東の諸将もそれに従い転戦を続ける。 謙信公率いる東国連合は努力と苦難の末に京の都にたどり着いて、苦境の将軍を救出。 幕府はそこで再興され、新たな幕府の本拠地は東国・・・古河か厩橋、もしくは春日山で再び開かれる。 そして戦功を上げた諸将は幕府の要職に就き、煌びやかに天下の政(まつりごと)を取り仕切るのだ!


そんな美しい夢想がいっとき、彼ら関東と越後諸将との間で共有されたのだった。 しかし彼らはやがて思い知ることとなる、夢想はあくまでも夢想でしかないことに。


とはいえ、今は春風に翻る「毘」の旗の下、咲きほころぶ桜にも似た勢いの、上杉ー東国連合軍なのであった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


小田氏治さん劇場はまだまだ続きますが、今回は一旦このあたりでお開き。


どうなる?どうなる氏治さん。 それではまた~!^^ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。






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2017年9月5日火曜日

戦国ixa(63+64鯖):武将育成集中講座、開催される!(2017年8~9月度)

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(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・そういえば、先月の8月上旬から「あやめと!雪之丞の!武将育成集中講座」が開催され、先日終了しましたね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





☝・・・わたしは微課金のまったり派なのですが、城主レベルが低い時に「位階」のボーナス効果のために500円の課金をし、そして貯まった「金」をキャンペーン期間中のスキル追加合成・【カード2枚合成】の課金に利用するなどして、こういったキャンペーンに臨んでいます。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


それにしても、「金」100を使用したカード2枚によるスキル追加合成ですが、「チェックボックスにチェックを入れることで獲得スキルが選択できる」ようになったため、スキルの絞り込みがかなり楽になりましたよね。





☝・・・今回行ったスキル追加合成、チェックボックスによる絞り込みの例として。


このチェックボックスって、いつ登場したんでしたっけ?w 6月中とか、けっこう前のことだったように思いますが、わたしはごくごく最近まで、あいかわらず今までのやり方を惰性で続けていたのでした。 orz


ベースカードに「襲撃」、そして素材に「進撃」「堅守」のスキル追加合成という面倒な「下ごしらえ」・・・。 この作業の後に本番の合成をしていましたが、よくよく考えれば、この作業は仕様変更のため必ずしもやらなくてもOKになっていたのですね。 スキル追加テーブルの、A、B、C候補のいずれかを狙う場合は、いままで必要だった「下ごしらえ」を飛ばして、ダイレクトに狙えるのはかなりの作業負担・軽減デス!^^


とはいえ、たいていの素材はS1候補がスキル追加の本命候補となるでしょうし、「下ごしらえ」をすることで候補が打消し・繰り上げとなり、成功確率がそれなりに上昇するみたいなので、「襲撃」+「進撃」の下ごしらえ作業はこれからも行っていく必要がありそうなのです。 @@







と、ゆうことで、遅まきながらわたしも「チェックボックス」の活用を時に行いながらキャンペーンの恩恵を受けたのでしたw

























(^ω^)(^ω^)(^ω^)


と!ゆうことで、「あやめと!雪之丞の!武将育成集中講座(2017年8~9月度)」は、期間が長かったとゆうこともあって、わたし的には収穫があり、かなり有り難かったデスね!


これからもまったりと、匍匐前進的に、じわじわと強化していくのだっ!
(`・ω・´)ゞ


(つづく)





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