2017年3月28日火曜日

戦国ixa(63鯖):加勢専用部隊と甲斐姫さんについて! ~キャラ絵小話・甲斐姫さん編

ixaコラム:経験0からのIXA!




関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/03/ixa_20.html



そろそろワールドがいつ統合してもおかしくない頃合いの、63鯖。


そこでの合戦スケジュールは、少し変則的なパターンになっているのでしょうか? わたしの所属する勢力は、防衛戦が4連続で続いたかと思えば、近日対戦したばかりの勢力との再対戦があるなど、不規則でしっくりと心の落ち着かない合戦が続いています。









☝・・・さて、こちらの画像は、先日行われた合戦における、わたしの所属する同盟の出城群。 100名弱の同盟員がいるにもかかわらず、指定された砦に出城を作ってくれる仲間は16名と、ウチの同盟はやっぱりアクティブさが足りませんねぇ・・・@@;


この出城群が、









☝・・・お昼頃までには総なめw orz


平日なのに、敵さんアクティブ過ぎぃ~。 まぁ、相手は大人数の筆頭同盟でしたからね、やられてしまうのは仕方がありません。 とはいっても、10時台に8合流とか10合流を普通に放ってきていましたので、その気合の入れように圧倒されました。 @@;


高額課金のソロプレイヤーの攻撃も脅威ですが、こういった大人数による、統率のとれた合流攻撃もまた脅威ですよね。 わたしは味方に加勢専用部隊を送っていましたが、ひとつ程度の加勢では、まるで歯が立ちませんでしたぁ・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、





☝・・・こちらがわたしの加勢専用部隊。


しばらく前に、「八坂刀売神」の甲斐姫さんを取引所で落札して仲間に加えてから、わたしの加勢専用部隊はとりあえず完成となりました。


加勢専用部隊はデッキコストの心配をしなくていいですからね、3.5コストといった高コストの武将を並べるのがわたしのかねてからの希望だったのです。 とはいえ、玉鶴姫さんの「悲恋の懐剣」のスキル効果の大きさを無視することはできず、第一期的には、これにて加勢専用部隊は完成、とゆうことなのです。


来期の「巨星烙災」では、加勢専用部隊が2部隊編成できるようになるかわりに、仲間への加勢は一度に2部隊までと制限されるなど、けっこうなルール変更となるみたいですね。 来期での戦い方が気になります。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)






☝・・・甲斐姫さんの初期ステータスと、スキル「八坂刀売神」の内容。 甲斐姫さんは指揮兵数が3390と、かなりの兵力を持った良カードです。 しかも、兵科適性にマイナスのものがなく、固有スキルの「八坂~」はスキルレベル10で発動50%、効果が全防20%と万能性まで持っていて、おまけに兵士被害数減少効果までついてくるなどと、その他一般の防御カードと比べれば、かなりスペシャルなカードだといえますよね。
(^ω^)







とはいえ、ひとつだけ弱点とゆうか、不満な点があるとすれば、




☝・・・ゲームの公式によれば、




☝・・・甲斐姫さんのスキル・「八坂刀売神」は「重複不可スキル」とゆうことで、一度の戦闘でスキルが二つ以上発動することはない模様だ。 と、ゆうことは、同じ戦闘において誰かが「八坂~」を発動したら、自分にその防御効果は適応されないとゆうことになります。


まぁ、こうでもしないと攻防のバランスが悪くなると運営さんが判断してこのような重複不可となったのでしょう。 この点を理解して甲斐姫さんを使っていくしかありませんね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、最近まで気付かなかったのですが、




☝・・・「浪切」の甲斐姫さんも「八坂~」の甲斐姫さんと同一人物だったのですね!?
Σ(`・ω・´)


「浪切」の甲斐姫さんを持っていない自分にとっては捕らぬ狸の皮算用とゆうか、杞憂かもしれませんが、加勢専用部隊に「八坂~」の甲斐姫さんを入れて固定メンバーにしてしまうと、色々と不都合なことになってしまいそうです。


まぁ、その時はその時で、加勢専用部隊から「八坂~」の甲斐姫さんを外して自分の防衛隊に編成し直せばいいだけの話かな。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・気になったので、甲斐姫さんのことについてさらっと調べてみました。


「甲斐の姫」なんだから、武田家なんでしょ! とわたしは勝手に思っていたのですが、甲斐姫さんは武蔵の国は忍(おし)城、成田家のお姫様だったのですね。


甲斐姫さんが有名になったのは、石田三成が大将となって行った「忍城の水攻め」で、彼女が懸命に戦ったとゆうエピソードがあるためだ。 そのとき彼女は19歳であり、未婚だったという。


「忍城の水攻め」は映画『のぼうの城』のメインテーマとなっているので、そこから甲斐姫のことを知っている人も多いかもしれない。 ・・・わたしはその映画をテレビ放送で見たことはありましたが、そこでは野村萬斎さん演じる「のぼう様」が主人公だったし、そのうえ「ながら視聴」でチラ見していた程度だったので、そこでの甲斐姫はあまり印象には残りませんでした。 ちなみに、その映画では女優の榮倉奈々さんが甲斐姫を演じられたとのことです。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、ここからは固有スキル名の由来についての話題に移りましょう。




☝・・・「浪切」の甲斐姫さん。 絵師はミヤジマハルさんと、この方も『戦国ixa』における主要な絵師さんの一人ですね。


「浪切」は、甲斐姫のお家・成田家に伝わる名刀の銘であり、「忍城の水攻め」の合戦で彼女がその名刀を手に取り戦ったことにちなむようだ。 とはいえ、実際には甲斐姫は弓や薙刀を使って戦っていたようですが・・・。 日本刀は刃こぼれがしやすいので、そうそう家宝ともいうべき名刀は使っていられなかったのでしょうね。









☝・・・もう一方の、「八坂刀売神(読み方:やさかとめのかみ」の甲斐姫さん。


絵師は「碧風羽」さんと、この方もここ『戦国ixa』をはじめ、たくさんのオンゲにキャラ絵を提供されている有名な絵師さんです。


残念なことに、こちらのスキル名・「八坂刀売神」についての由来は、ネット上で既出の、甲斐姫についてのサイトでは触れられておらず、よく分かりませんでした。


固有スキル名は、その人物を代表・象徴するエピソードから採用されることが多く、そのため何らかの元ネタが存在するはずです。 そう思って「八坂~」をウィキペディアで検索してみると、「八坂刀売神(やさかとめのかみ)とは神道の女神で、各地の諏訪神社に祭られている」とあります。







疑問はいったん置いといて、ここでは甲斐姫さんの居た忍城を、現代の航空写真・グーグルマップで見てみましょう。




☝・・・忍城跡のある行田市です。 画像の中央に「行田市役所」があり、その左側にこんもりとした緑地があるのが分かるでしょうか。 そこが、本丸跡にあたる「行田市郷土博物館」と、その公園です。


こうした現代の写真でも、忍城を中心とした街並みや、町を取り囲むような川(あるいは用水路)の流れに、古くは戦国時代の忍城の痕跡がうかがえるようで、とても興味深いですね。 『ブラタモリ』で一度やってくれないかな。








先ほどの遠景からズームイン! してみれば、




☝・・・あ、ありました。「忍諏訪神社」。 ここに八坂刀売神が祭られているのは間違いないでしょう。 甲斐姫さんとの特別なエピソードがあるのかしら・・・。 戦国時代では、忍城は沼や池といった水に囲まれて守られており、諏訪神社のある場所も独立した郭・曲輪としてあったみたいなので、あるいはここが甲斐姫さんが担当した区間だったのかもしれない。


と、これ以上根拠のない推察をしていても詮無いことなので、「八坂刀売神」についてはこれくらいにしておきましょう。 暇なときに甲斐姫さんの書籍を読んでみたいなぁ。




☝・・・『天正年間 武蔵国 忍城の図』。 「浮き城」との異名をとったのも納得ですよね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、さっきから気になっているのですが、




☝・・・どうしてこちらの甲斐姫さんに、現実にはあり得ない、こうも妙ちくりんな柄物を持たせているのでしょう?


キャラ絵を描いたのは絵師の碧風羽さんですが、キャラ絵は実は、運営側から絵師さんに細かな注文・指示が伝えられ、その制作過程でチェックも受けるなど、キャラ絵とはいわば絵師と運営の共作とも言えるものなのです。 マンガにおける、作者と編集者といった関係と似ているかもしれません。







「ちょっと無理のある武器だよなぁ~。」 そう思っていたところ、このモヤモヤとした疑問はすぐに解決しました。




☝・・・『戦国無双』シリーズより、そこのゲームでの甲斐姫さん。 「刃物の付いた、蛇鞭みたいな武器」を使用しています。 @@


このように、蓋を開けれ見れば至極簡単。 単純に『戦国無双』の甲斐姫さんの武器をまんま持ってきただけだったんですね。 知らなかったぁ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さてここからは、各ゲームの甲斐姫さんのキャラ絵を見ていくことにしましょうか。







☆『戦国ixa 千万の覇者』













☆『戦国サーガ』









☆『ふるぼっこヒーローズ』







☆『戦国やらいでか』







☆『解離性ミリオンアーサー』









☆『戦国無双』シリーズ







☆『戦乱のサムライキングダム』







☆『戦国アスカZERO』


☝・・・「東日本を代表する戦乙女」。 いいっすねぇ!
(^ω^)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


甲斐姫のエピソードを続けようかな。


「忍城の水攻め」で懸命に防戦した甲斐姫でしたが、主城である小田原城が白旗を上げたのでやむを得ず忍城も開城、城は豊臣方に明け渡されて成田家は本拠を失い、城主一族はもとより、その家臣団は大量の浪人となって路頭をさまようこととなってしまった。


そんな折、秀吉が「忍城の水攻め」の報告で甲斐姫のことを耳にし、心を動かされた。 そして「関東の陣中で甲斐姫を召し出し、寵愛した」と記録にはある。


敗軍の姫となり、勝利者である秀吉に自分を戦利品のように扱われたことに、甲斐姫は屈辱を感じたかもしれない。 しかし、甲斐姫はこれを運命だと前向きに捉えたのだろう。 こうして甲斐姫は秀吉の側室の一人となり、天下人一族の一員として新しい人生が始まったのである。 そして、甲斐姫が豊臣家に入ることで実家の罪は許され、成田家はお家の再興を許されたという。 健気っすねぇ。







☆『戦魂~SENTAMA~』より



なお、甲斐姫の実在についてはかねてより疑問視する説もあるみたいですが、忍城の戦いでのエピソードに加え、秀吉の側室となって名前が記録に残り、秀吉と甲斐姫との関係から成田家が許されたとゆう、歴史上の自然な流れがあるので、甲斐姫はまず実在したと言っていいでしょう。


また、甲斐姫が「戦乙女」とはいっても、いかにもいかつい、ゴリラみたいな感じだったんでしょ? といった邪推も、秀吉が甲斐姫を寵愛し、そしてその関係を一時のこととせず、正式な側室として大坂に連れて帰ったことから、「東国無双の美女」の評判は大げさかもしれませんが、普通に美人さんで、なおかつ性格にも問題のない女性だったと思われます。










☝・・・甲斐姫が大坂に入ってからは、どのように暮らしていたのかはよく分かっていない。 おそらくは、個性の強い大坂城の女性陣に押されがちで、控え目にしていたのだろう。 一説に甲斐姫は、持ち前のその武術で奥の警護役も務めていたとゆう。


ただ一つだけ、足跡があるとすれば、桃山時代を代表する一大文化イベント・「醍醐の花見」にて、彼女の詠んだ歌が短冊として残っている。 (ただし、疑り深い歴史家は、その短冊の署名にある「かい」が成田家の甲斐姫だとは断定できない、としている。)









☝・・・脱線ですが、醍醐の花見での甲斐姫さんの短冊については、埼玉新聞の平成24年(2012年)8月の記事にてその内容が書かれている。 それによると、


「合おひ乃松毛としふり佐くら咲 花を深雪能山農のと気佐 ~可い」


・・・とある。 変体仮名で読みづらいところを直せば、


「相生の松も歳ふり桜咲く 花を深雪の山ののどけさ ~甲斐」


と、なるでしょうか。 秀吉・寧々夫婦を「相生の松」に見立てて、それを言祝ぐ内容となっている。 また、和歌のなかに”花を深雪”とあって、「みゆき」とは御幸・・・天皇などといった最上級の身分の者の外出イベント、にかかる言葉であり、「醍醐の花見」を御幸と表現するなど、その時の秀吉とその一門の絶大な権勢のほどが伺われる。


なお、この和歌の披露はかねてより予定されていたことなので、代行者(ゴーストライター)による作詩の可能性が指摘されている。 しかし、この和歌の内容を見るに、それなりに技巧的であるものの、詩の内容にそれほど深みを感じさせらないことから、甲斐姫本人が作ったものとして信じたい。 テレビ番組『プレバト!!』の夏木先生のような添削者はいたかもしれないけれど。







☆『戦国ixa』より、豊臣秀吉


☝・・・「醍醐の花見」を行い、軍事だけでなく文化的な領域においても秀吉は権勢を誇った訳であるが、彼はこの一大イベントの約5か月後、死去することになる。


夫・秀吉の死は甲斐姫にとって庇護者を失ったという”喪失”であったのだろうか。 あるいは、捕らわれた身からの”解放”だったのか。 甲斐姫の心情を察する手がかりは、どこにも見あたらない。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『のぶにゃがの野望』より


☝・・・秀吉の死後の、甲斐姫の人生はいまや歴史に埋もれてしまって全く分かっていない。 とゆうのは、豊臣家の資料はもとより、成田家の歴史書であり、甲斐姫についての重要な資料でもある『成田記』の最後の巻が欠損してしまっているからだ。 成田家は、江戸時代に入る頃にお家騒動を起こしてしまい、大名の身分をはく奪されてしまったのだ。


『のぶにゃがの野望』の甲斐姫のプロフのように、あるいは甲斐姫は秀頼の護衛として生涯仕え続けたという説もある。 しかしそれは説とゆうよりもむしろ想像・願望といった類だろう。 埋もれてしまった資料が発見され、研究が進むことを願うばかりだ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





と!ゆうことで、今回はこのあたりでお開き。


『戦国ixa』でも、いつか「浪切」の甲斐姫さんをゲットして戦っていきたいものデスね!
(^ω^)ノシ!


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。






『戦国ixa』
© 2010-2017 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.


記載されている会社名・製品名・システム名などは、
各社の商標、または登録商標です。

2017年3月20日月曜日

戦国ixa(63鯖):レアリティ・極、宇都宮さんをゲット!


ixaコラム:経験0からのIXA!




関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/03/ixa_7.html



シーズン終了が意識され、活況を呈しているカード取引所。 そこでの取引は、63鯖が始まって以来の高値がつづいている状況です。 今回はこの話を・・・。







そんな高値が続いているカード取引所ですが、そうはいっても、特定のカードがある日に集中して出品されると、競合が分散されるためでしょうか? その時ばかりは通常よりも相場が安くなる傾向になります。




☝・・・先日(と、いってもけっこう前ですが^^;)、出品されていた宇都宮成綱さんもそんなケースでした。 15万銅銭での出品が2件、そして10銅銭の捨て値出品が1件、計3点の出品でした。


「おおよそ、これくらい」といった、適正価格のカードが2点出品されている状況に、そのうえ捨て値での出品があると、大方の人は捨て値の方へ向かってしまうのでしょうか? 日付変更前後の時間帯では、15万銅銭で出品されていた宇都宮さんに入札は入っていませんでした。 なので、わたしはそちらの方を入札!


したところ、









☝・・・無事に落札! (^ω^)









☝・・・極・宇都宮さんといえば、兵法成長が2.5pと軍師の適性があり、そして兵科適性がオールA、そのうえ固有スキル・『錯乱』が全攻スキルと、万能性のあるカードなので、ゆくゆくはわが軍にも欲しいとわたしは思っていました。 なので、今回落札できてよかったぁ。


落札に使った銅銭は16万3000銅銭と、「高過ぎず、かといって安過ぎず、ちょうどいい価格」と思えた取引でした。 「戦チケ」で排出されない攻撃カードって、そもそも出品が少ないですからね。 重宝重宝~。 (^ω^)


わが軍では宇都宮さんをどう運用しようかしら。 …当面は兵科を固定せずに、フリーの攻撃軍師としての役割を担ってもらうかな。







(^ω^)(^ω^)(^ω^)


ところで、みなさんは「宇都宮成綱(うつのみやしげつな)」さんのことを知っていますか? わたしは名前程度は知っていたものの、残念ながらこの人物の戦国エピソードといったものはまるで知りませんでした。


『ixa』よりもメジャーな『信長の野望』シリーズにしても、この人物が登場していることを見たことがないので、全国的な知名度はほとんどないと言っていい武将でしょう。 こんな武将が、なぜレアリティ・極に・・・?










☝・・・そんな疑問を抱きつつ、『ixa』の紹介文を見てみれば、なんか強そうなことが書かれてあります。 でも、戦国時代の宇都宮家ってそんなに強かったかしら? むしろ、弱小大名として有名なんじゃ・・・?


そう思って宇都宮成綱さんのことについて調べてみたら、確かに「宇都宮家中興の祖」と称えられるなど、なかなか有能な武将であったようだ。 なお、生没年は、1468~1516年であり、戦国時代の初期に活躍した武将だったのですね。 同じ時代を生きた有名な人物としては、東国では北条早雲、太田道灌さんといった人物が挙げられるかな。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・このたび、落札して初めてじっくりと見た、宇都宮成綱さんのキャラ絵。 若い少年の姿として描かれていますね~。 絵師はBISAIさんと、ixaでもかなりのカード絵を手掛けられている、おなじみの絵師さんなのです。









☝・・・そういえば、少年キャラといえば、宇都宮広綱さんも少年としてキャラ絵を描かれていましたよね。 (こちらの絵師は七緒来夏さん。) 広綱さんは、幼いころ下剋上によって宇都宮城を追われ、その後再起を誓い、本城を奪還するとゆうストーリーがあるので、少年として描かれることになんら問題はありません。


じゃあ、極の宇都宮さんはどうなの? と思ったところ、「父が早くに亡くなったため、10歳前後で家督を継いだ」 とあるので、そこからの少年キャラなのかもしれない。







左:広綱さん 右:成綱さん


☝・・・それにしても、これらのキャラ絵は似ていますね。 絵師のBISAIさんは新しく極の宇都宮さんの絵を描くにあたって、既出である広綱さんのイメージをかぶせてきたのかな。


とはいえ、同じ苗字に似たキャラ絵であっても、広綱さんは成綱さんの血を引いている訳ではなかったみたいだ。 それこそが、スキル・『錯乱』のいわれにも関連する事件なのですが・・・。







(参考)


☝・・・サイト『ウィキペディア』より。


このように、宇都宮の嫡流は成綱の子、18代・忠綱のときに一度途絶え、成綱の弟の興綱が家督を継ぐ恰好となって系譜は続いていく。 







さて、スキル・『錯乱』の元ネタとなる事件を語る前に、宇都宮成綱さんの事績をいくつか語らないといけない。


成綱は10歳のときに家督を継いだと先ほど触れましたが、もちろん10歳とゆう若年で立派な政治が行えるはずもなく、実際の政務は家中の筆頭重臣である芳賀氏が補佐とゆう名目で担当していたようだ。


一度出来上がってしまった体制は、なかなか覆すことは難しい。 成綱が元服してからも、領内の政治は芳賀氏が引き続き大きな権力を握っていたという。 このように、成綱ははじめ傀儡といっていいような立場から出発したのであったのだが、徐々にそういったものからの脱却を果たしていく。


成綱が傀儡から脱却して「中興の祖」に至るまでの事績はいろいろとあるが、それらはあまりにもローカルな話になるのでここでは省略しましょう。 ざっくりといえば、近隣の領主との攻防で勝利し、さらには領内で宇都宮家(宗家)が絶対的であるように体制を整えるなど、武略・政略ともに優れていたとゆうことだ。 ・・・『ixa』で成綱さんがレアリティ・極としてリリースされたのはこういったところが理由なのかもしれない。


そんな成綱の集大成ともいうべき事績が以下である。




・ 


室町時代、関東には足利将軍家の分家が高貴な武家として、地方政府を組織して君臨していた。 それが「関東公方家(その他、本拠地によって呼び方が変わる)」である。


当時の公方家は古河を本拠地として館を構え、「古河公方」と呼ばれ関東を二分する権勢を誇っていた。 ちなみに、関東におけるもう一方の権勢の頂点は「関東管領家」の上杉氏である。


さて、当時の古河公方家はどういった訳か、当主の足利政氏とその子・高基が争いだし、お家騒動となって揉めていた。 高基は現在からみればれっきとした嫡男ではあるが、当時は跡継ぎ候補の一人であり、情勢は不安定だった。


そんな立場が不安定な高基を宇都宮成綱は領内の宇都宮に迎え入れ、娘と結婚させてその後ろ盾となり、高基が家督を継承できるよう、政治的・軍事的運動を始めたのだ。









☝・・・レアリティ・上の足利晴氏さん。 この人は実は、宇都宮成綱さんの孫(外孫)にあたる。


古河公方・足利家といえば、信長が登場する頃にはすでに衰退していて、晴氏さんのキャラ絵のごとく、うらぶれたイメージのとおりである。 『信長の野望』シリーズから戦国時代を知るようになった自分のイメージもまさしくそのとおりだった。 しかし、成綱さんの生きた時代においては、「関東武士の主は、将軍家の分家である関東公方家」とゆう認識が健在であり、まだまだ権威はあったのだ。







話を戻しますね。 公方家嫡男の足利高基が、なぜ本家を出て宇都宮を頼ったのか、そのことについてはっきりとした記録は無く、様々な説があるが、この事件によって関東の秩序は大きく乱れた。 関東の主たる家が分裂してしまったからだ。




☝・・・公方足利家の家系図。 公方足利家は「政氏」と「高基」の父子の対立に加え、さらには弟の「義明」も家督継承候補として準備を始めるなど、古河公方家の継承問題について3派が出現、互いに合い食むといった事態に陥る。


また、ここの系図では省かれてしまっていますが、当主・政氏には弟がおり、その弟が関東管領・山内上杉家の養子となって「顕実」と名乗り、その名跡の継承を主張するなど、そういったあたりにも政略上の遠謀がいくつも絡み合っている。


と、まあ、要するに、関東は「主人格の家がそれぞれ乱れて収拾がつかなくなってしまった」状態にあり、そのなかで活躍したのが北条早雲、太田道灌、そして宇都宮成綱といった武将たちだったのだ。









☝・・・脱線ですが、先ほど名前の挙がった小弓公方の足利義明といえば、「国府台合戦」に登場する大将として有名なので、知っている方も多いかもしれない。 気宇壮大、武勇抜群の勇将であったらしいね。 義明はそんな武人としての器量を見込まれて台頭したのでしょう。


足利義明は『戦国ixa』には登場しませんが、天・里見さんが担いだのもこの人で、この画像での「関東一副将軍」のセリフは、そういった背景を指している。 北条VS里見の戦いとは、古河公方家VS小弓公方家といった、足利公方家の内紛でもあったのだ。







脱線してしまいましたが、話題を戻しますね。


古河公方家の分裂にともなって、東国の各武家もまた分裂をした。 それぞれの陣営からの誘い・・・それも、硬軟織り交ぜた誘いが書状となって頻繁に舞い込んでいたのである。


宇都宮家中もその例外ではなかった。 当主の成綱が高基推しの筆頭であったのにもかかわらず、重臣の芳賀氏が当主に背いて足利政氏を支持したため、家中が事実上分裂した状態に陥ってしまったのだ。


なお、なぜ芳賀氏が主君に背いたかについての理由はいくつか説が挙げられているが、「政氏の最大の支援者であった小山氏と芳賀氏は領地を接していたため、その影響を受けた」とゆう説が有力視されているものの、直接的なその資料はないとされる。


個人的には、小山氏の影響を受けたとゆうよりは、芳賀氏が「自主独立」・・・あるいは「離反」といった意思を持って主家の方針に従わなかったのではないのか、と思ってしまします。 今となっては分からない複雑な事情があったのかもしれませんが、反抗心といったものが無ければ、穏便に当主に従っていたことでしょう。




☝・・・ざっくりとした、宇都宮、芳賀、小山、古河公方家の配置図。


宇都宮成綱の視点からものを見れば、主家(公方家)の分裂を治めるためにアクティブになっていたところ、あら不思議、自分の家中が分裂してしまったなり!・・・とは、いかにも笑えない、悪い冗談のような話ではあるが、これも歴史の教えてくれる皮肉である。


この家中の分裂を目の当たりにした成綱は、非情な手段を用いてしまう。 それが、芳賀家の当主・高勝の殺害である。 これにより、芳賀氏とその武士団が一斉に蜂起、大規模な内紛が勃発した。 その内紛はのちに「宇都宮錯乱」と呼ばれるようになる。







と、このように、『ixa』の宇都宮成綱さんのスキル・「錯乱」とは、足利公方家の家督相続問題を端緒とした、宇都宮家の内紛にちなんだスキル名だったのです。


(と、とてつもなく長い説明となってしまったぁ・・・@@;)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ちょっぴり「宇都宮錯乱」の経過と、その後日談を!









「宇都宮錯乱」では、蜂起した芳賀氏には公方政氏の支援者が、それに対して宇都宮には家督継承候補の高基の支援者の兵がそれぞれ関東・南奥の諸地域から加勢が入り、激しく戦った。 その時の戦いで宇都宮成綱は大いに活躍し、勝利に貢献したという。 『ixa』の紹介文にある、「北関東の覇権を賭けた戦い」とは、この一連の戦いのことを指していたのですね。


さて、「宇都宮錯乱」で鎮圧された芳賀氏とその武士団であるが、恨みも相当積もっていたためか、かの一族の血を引く者に家督を継がせることはあまりにも危険だと判断されて、芳賀氏の家督は成綱の弟・興綱が継ぐこととなった。 現代でいえば、親会社による、子会社の事実上の乗っ取りである。 そして成綱は内紛の落ち着いた頃、46歳で息を引き取った。







内紛を鎮め、古河公方家に影響力も発揮できて、これにて宇都宮家は大安泰、めでたしめでたし! ・・・と、そうは問屋が卸さず、ここからが第2ラウンド、新たな逆襲劇が始まるのですが・・・これはまた別の、長いお話。。。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





と! ゆうことで、今回はこのあたりでお開き。 わが軍に加入してくれた極・宇都宮さんですが、敵をどんどん錯乱させてほしいものですね。 願わくば、「宇都宮錯乱」のように、自分たちが錯乱することが無いように!


(つづく)


※この文章はブログ主個人の見解です。






『戦国ixa』
© 2010-2017 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.


記載されている会社名・製品名・システム名などは、
各社の商標、または登録商標です。