2019年7月26日金曜日

【ixa/日本史】蘆名家&れんみつ姫編(16)~キャラ絵小話!シリーズ~

ixa/日本史コラム


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☝・・・キャラ絵小話! 蘆名家&れんみつ編(15)

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☝・・・シリーズ第一回はこちら




☝・・・キャラ絵小話! 蘆名家&れんみつ姫編、今回は16回目ということで、今回もお話を粛々と進めていこう。







(前回のあらすじ)
蘆名家と佐竹家は親子2代にわたって戦いを続けていた。 そんな不倶戴天の敵ともいえる両家であったが、なんと戦いのさなか、佐竹の当主・義重が敵方の大将・蘆名盛隆に惚れてしまうという出来事が起こる。 義重は盛隆に宛てて恋文を書き、やがて彼らは「特別な仲」となったため、険悪であった両家の関係は急速に和解に向けて動き出した。 アッー! (前回のあらすじ、ここまで)







☆官公庁のサイトより


☝・・・天正5年(1577)のこと。 蘆名と佐竹が和睦(一時停戦)の約定を結び、両氏が友好な関係へと向かうなか、梯子を外されたのが田村氏である。 田村氏がつい先日まで蘆名氏と組んで佐竹氏と戦っていたことは、以前にお伝えした通りだ。


北関東から南奥にかけての地が、佐竹氏主導によって一つの大きな纏まりができつつあるなか、田村氏はそれに同調することを是としなかった。 その背景が以下である。


佐竹氏の当主・義重は「鬼」という言葉を冠して呼ばれたように、非常に好戦的な武将である。 その旗下に入ることで課される軍役の負担はあまりにも重かった。 それ以上に、田村氏が佐竹氏を拒絶する決定的な理由となったのが、同家の家督問題であった。


・・・そう、このとき田村の現当主・清顕には男子が無く、かわりに娘が一人いるといった状況で、佐竹氏はそこに付け込んで、田村氏の家督相続問題についてあれやこれと高圧的な要求をしてきたのである。 仮にこの要求を受け入れるとすれば、田村氏の主権を佐竹氏に譲り渡すようなものであった。







☆『信長の野望』シリーズより、田村顕頼(月斎)


☝・・・断じてこのような男を主(あるじ)として仰ぐことはできない・・・。 田村月斎(げっさい)を首脳とした田村氏は、このような理由で反佐竹の立場を貫くことを決定した。 また田村氏は、佐竹氏に傾斜する姿勢を見せた蘆名氏とも敵対する方針も重ねて決定したのである。


その際、月斎は佐竹氏との戦いで勝ち抜くため、奥羽の一大勢力・伊達氏を後ろ盾に頼むことを画策する。 当時の伊達氏当主は輝宗であり、その人物の癖のなさは佐竹義重の比ではなかった。


先ほど、田村氏の当主・清顕には嫁入りを控えた娘が一人いるということは述べましたが、対する伊達氏にも元服前の男子がいたということで、月斎はその子供たちを結婚させ、婚姻同盟を結ぼうと考えたのである。







☆『戦国やらいでか』より、伊達輝宗


☝・・・こういった田村氏の申し出に対して、伊達氏は考えを巡らせる。 このとき、伊達氏の当面の敵は第一に東方の相馬氏、次いで北方の大崎・最上の三氏であった。 そのため伊達氏の備えは東方と北方の二方面を重点化しており、そのぶん南方の守りは蘆名氏と友好関係を結んでいたこともあって、そのガードは薄かったのだ。


そんなところ、南奥の地が佐竹氏によって席巻される状況下で、南奥のほぼ中央に位置する田村氏が伊達氏を頼ってくるという事は、伊達氏にとって悪い話ではなかった。 すなわち、伊達氏は田村氏を利用して、田村領国を対佐竹氏との緩衝地帯、あるいは防波堤にすることができるからだ。


また、田村清顕の妻は相馬氏出身の娘という血縁関係もあり、田村ー相馬の絆を絶つ意味も込めて、伊達輝宗は田村氏との婚姻同盟を了承した。







☆『戦国サーガ』より、田村御前


☝・・・こうして天正5年(1577)、伊達輝宗の長男・梵天丸(のちの政宗)と田村氏の娘・愛姫(めごひめ)との婚姻が内定したのであった。


本来、伊達氏と田村氏の家格は釣り合わず、格式にこだわればこの婚姻の成立は困難だと思われたが、格式にこだわらない柔軟な考えの当主・輝宗のもと、田村氏との外交戦略が一致してこの婚姻は成立したのである。


なお、天正5年の時点で梵天丸は11歳、妻になる愛姫は10歳と、まだ結婚には早い年齢であったことから、彼らの婚姻はこの時は婚約だけに留まり、数年後改めてその婚儀が行われることとなる。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


一方、


伊達ー田村の婚姻が内定したその前後の頃、蘆名の隠居・盛氏もまた伊達氏に対して婚姻の打診を行っていた。







☆『千万の覇者』より、蘆名盛氏


盛氏 「蘆名家の嫡統は、亡き盛興の子・れんみつに継がせます。 そのために、輝宗どのの妹・彦姫をわたしの養女として正式に定めたのです。 輝宗どの、なにとぞ次男・竺丸(じくまる)を婿として当家に下さいますよう・・・」


このとき、蘆名盛氏は伊達輝宗に宛てた書状で懇願するように養子縁組の要請を行っている。 それによると、伊達輝宗の次男・竺丸(のちの小次郎政道)を婿養子として迎え入れたいとの内容だ。


しかし、伊達氏にとって洞(うつろ)勢力を拡大する絶好の機会であったこの申し出を、どういう訳か伊達氏は承諾することなく、うやむやのうちに立ち消えにさせてしまっている。







☆『戦国大戦』シリーズより、義姫


☝・・・蘆名家に養子を送り込む絶好の機会にもかかわらず、伊達氏がそれを実行できなかった理由は、烈婦といわれた伊達御台・義姫の影響力があったためだろうか。


このころの伊達家中では、長男・梵天丸と次男・竺丸の家督を巡る暗闘ががあったといわれている。 いわゆる、義姫の竺丸偏愛に関するエピソードだ。 義姫からすれば、竺丸を他家に養子に出すことなど言語道断であった。


もちろん、後世のわたしたちはやがて伊達を継ぐのは政宗であることを知っており、この争いは大したものではないという認識にある。 けれども、天文5年(1577)前後の時点では、梵天丸と竺丸のどちらが家督を継いでもおかしくはない状況であった。 なぜなら、現伊達当主・輝宗も次期跡継ぎについて周囲に意見を求め、家中の意向を探っていたからだ。







☆『千万の覇者』より、梵天丸


☝・・・伊達輝宗が次男・竺丸を蘆名家の養子に送り込まなかったのは、長男の梵天丸、ひいては伊達家の将来に配慮したという側面もあっただろう。


家督を巡る暗闘がある中、梵天丸ー愛姫の婚姻が決まった直後に竺丸を他家に養子に出すことは、「厄介払いをした」との印象が際立ってしまう。 それが反発となって帰ってくるのは必定だ。 烈婦と呼ばれた義姫の反発は怖い。


さらに言えば、伊達の次期家督として梵天丸が固まっていないこのタイミングで竺丸を養子に出すことは、伊達ー田村ー蘆名の三大名の関係に、新たに梵天丸VS竺丸という伊達家督を巡る争いの種を蒔くという事でもある。 そのような愚は冒すべきではなかった。


このように、伊達氏には様々な内憂や葛藤があり、伊達輝宗の慎重で高度な政治判断の下、蘆名盛氏の嫡孫・れんみつ将来の婿として、輝宗次男の竺丸が選ばれる話は流れてしまったのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、話を大きく変えよう。


☆『戦国大河』より、上杉謙信


☝・・・天正5年(1577)9月、上杉謙信は「手取川の合戦」で織田軍を撃破、北陸地方における上杉軍優位の状況を作り上げた。


その謙信は関東管領という職も兼ねている。 謙信は今度は関東に転進し、年明けにも常陸の佐竹氏と共に、北条氏を大規模に攻める計画を練り上げた。


その際、謙信は佐竹義重から、佐竹ー蘆名の正式な同盟を結ぶための中人(仲介者)を依頼された。 そう、蘆名ー佐竹の間で和睦(一時停戦)が成ったことはすでに述べてある通りですが、その和睦をより発展させて恒久的な同盟にしようという義重の意向である。


北関東から南奥にかけての国衆が佐竹氏を中心として纏まり、勢力として安定することは関東管領職の謙信にとっても歓迎すべきことである。 こうして謙信が動き、蘆名ー佐竹の同盟が成立した。 両家の関係は、一年前はバリバリの敵対関係であったところを、今年に入ってからは和睦、同盟へと大きく改善されたのである。





 

☆『千万の覇者』より、蘆名止々斎


盛氏 「平四郎(盛隆)のやつめ、やけに佐竹と親しいわい。 当家の同盟の軸は伊達家だというのに・・・。 まぁ良い、今や表向きのことはあやつに任せているゆえ」


ここで蘆名の隠居・盛氏と陣代・盛隆の間に若干の齟齬が生じはじめていることを、盛氏ならびに蘆名家中の者たちは気づいていただろうか? それははじめ小さな隔たりであったが、やがてそれは亀裂となって広がり、埋められぬ溝となって現れることとなる。


天正5年(1577)。 蘆名ー伊達ー佐竹の三家の関係は、この年に大きく舵が切られ、今後の行く末を決定づけるのである。







さてさてどうなる蘆名の行く末。 今回はこのあたりでお開き、次回をお楽しみにー。
(`・ω・´)ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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