2019年10月1日火曜日

【日本史】鉄砲伝来について!~手火矢、石火矢とは何なのか?~(キャラ絵小話!シリーズ)

日本史コラム




☝・・・前回のブログで話題にした円信院殿さんと津田監物さん。 この二つのキャラ絵は、ともに鉄砲がテーマとなって描かれていますよね! と、いうことで、今回は「鉄砲」をテーマに話を展開していこう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、雑賀孫六


☝・・・鉄砲。 その伝来はといえば、日本史の授業で「以後予算(1543)が増える 鉄砲の伝来」という語呂合わせとともに、ポルトガルの商人によって伝えられたと覚えた方も多いかと思う。


しかし、国内外の一部研究によれば、「日本の鉄砲伝来にまつわる通説は、真実からは少し遠いのではないか?」といった疑問が投げかけられることがあり、わたしもそういった主張・意見に共感している。







【❝鉄砲❞はいつ伝来したのか?】


☆『千万の覇者』より、種子島久時


☝・・・日本史の教科書では、鉄砲の伝来は1543年だと決まっている。


というのは、種子島の領主・種子島久時が僧の南浦文之(なんぽぶんし)に編纂させた書物・『鉄炮記』の記述、天文12年8月を根拠としているからだ。 なお、この書物が成立したのは慶長11年(1606)、江戸時代初期だとされている。 みなが良く知っている、ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着して、云々、といった伝承だ。


しかし、戦国時代のいくつかの史料では、鉄砲伝来は1543年ではないと主張するものが散見される。







☆『千万の覇者』より、武田信虎


☝・・・たとえば、武田氏の歴史について書かれた『甲陽軍鑑』では、「鉄砲は信虎の時代、大永5年(1525)に伝来した」と書かれている。 また、北条氏の史書『北条五代記』の記述では、「北条早雲は永正7年(1510)に中国の僧侶から鉄砲を入手した」とある。


つまり、これらの箇所を信じるならば、鉄砲伝来は通説よりも20年以上もさかのぼることになる。 『甲陽軍鑑』と『北条五代記』は、ともに史料として第一級だとはいえないものの、かといって全くののデタラメであるとはみなされていない。 つまり、一定の事実を反映しているのではないかといった疑問だ。







☆映画『もののけ姫』より


☝・・・鉄砲伝来に異説があることを紹介したうえで、こちらの画像をご覧ください。 日本人のほとんどが知っているであろう、ジブリ社の映画『もののけ姫』のワンシーンだ。


(なにも私は「ジブリの映画がソースだ!」などと言うつもりはありませんよ! w)


画像の兵士たちが携えているのは劇中で「石火矢(いしびや)」と呼ばれるものですが、「変わった鉄砲だなぁ」ということで印象に残っている人も多いだろう。 なお、兵士たちを束ねるエボシが所持していたのは、石火矢ではなく銃だ。 少なくとも、この劇中で登場する石火矢とは、私たちのイメージする鉄砲とは違っているといえるだろう。


実は、こういった「石火矢」・・・正確に言えば「『もののけ姫』で登場する石火矢と呼ばれた火器、あるいはそれに準じた火器」こそが、日本にはじめて伝来した鉄砲だと思われるのだ。







☆『戦国IXA』より、山科勝成


☝・・・いったん『もののけ姫』から離れてみよう。


そもそも、先ほど出てきたワード・石火矢とは、こんにちの日本史の解釈では大砲(たいほう/おおづつ)のことだと見なされている。 そして、その大筒が登場するのは戦国時代の後期・天正年間からであり、しかも西洋諸国からの輸入品であるのは明らかだ。 それなので、「『もののけ姫』の劇中に登場する石火矢と呼ばれた火器」はフィクションの産物ということになる。







その一方で、わたしが思い出すのが「手火矢(てびや)」と呼ばれる武器だ。 この武器は天正年間以前に、それも西日本を中心とする地域で史料に登場している。 この手火矢は、「火縄銃の別称/方言である」という安易な解釈で片づけられているが、果たしてそうだろうか・・・?


たとえば、こんにち私たちが一般的に呼びならわす「刀(かたな)/日本刀」も、戦国日本では「太刀」「脇差」「打ち刀」など、細かな特徴・用途の違いで呼び分けられていた。 そんな武器の呼び名に細かい当時の日本人のことだから、手火矢とは火縄銃とはまた異なった構造の火器であった可能性が高い。







個人的には、この「手火矢」こそが、「『もののけ姫』に登場した石火矢的な火器」ではないかと想像する。 米国の歴史学博士トマス・D・コンラン氏の著書によると、


❝16世紀の軍忠状をみると、石による負傷が突然増えていて興味深い。 特に西国が顕著で、このような武器がどのように広がっていったかをうかがわせる。 ・・・云々❞


・・・とあり、石を飛ばす原始的な火器が戦国日本で使われていたのではないかといった指摘をしている。







こういった、「ひとりで扱える、石を飛ばす」系の火器は、13世紀・中国の宋の時代に登場して「火槍(かそう)」と呼ばれ、それが朝鮮・琉球・日本と、少しづつ東アジアの各地に広まっていったと推定されるのだ。


この、中国で火槍と呼ばれた火器の構造はいまひとつハッキリとしないが、青銅製の円筒であり、その口径は火縄銃よりひとまわり以上も太いとされている。 そして「槍」という名のとおり、木の長柄に取り付けられていたと言うではないか。 ・・・あれ、これって「『もののけ姫』に登場する石火矢」そのものではないですか! @@


宮崎駿監督は中国発祥の火槍こそが、「日本でもともと石火矢と呼ばれていた火器」ではないのかと考えたのですね。 もしこの推測が正しければ、戦国日本には西洋由来の火縄銃と、中国由来の火槍をルーツとする、2系統の火器があったことになる。


このように、ジブリ社の映画『もののけ姫』はフィクションであるものの、その原作者である宮崎監督の軍事や武器、それらにまつわる歴史の考察は鋭く、注目に値すると言えるだろう。







☆『千万の覇者』より、北条早雲


☝・・・長くなるので端折りますが、武田信虎、北条早雲が手に入れたとされる鉄砲とは、こういった中国由来の火器であったとするならば、なにも通説と矛盾することはない。 そもそも、北条早雲は「中国の僧から鉄砲を入手した」というのだから。


そのほかに、火縄銃でない火器に関する記録は、古くは平安~鎌倉時代にかけて成立した『玉葉(ぎょくよう)』や、室町時代・文正年間の史料『蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』などに記載されているようだ。 あと、忘れてはいけないのが『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』ですね。


ただし、それらの書では日本人が火器を使用したという内容ではない。 また、肝心の火槍をルーツとした火器がこんにちの日本で現存していないことから、「手火矢、石火矢は火槍系の火器であった」とも断言できない。


いずれにしても、通説を金科玉条とせずに、疑問と好奇心をもって研究を進めていけば、日本における火器と火薬の歴史はより判明していくことだろう。







☆『千万の覇者』より、花舜夫人


☝・・・と!いうことで、まだまだ鉄砲伝来にまつわる通説への疑問は尽きないものの、今回はこのあたりでいったんお開きにしましょう。 それではまた。
(`・ω・´)ノシ


(※)この文章は、ブログ主の見解です。


(つづく)




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