2019年10月16日水曜日

【日本史】本多正純公シンポジウム、開催される!

日本史コラム




☝・・・先日、「最初で最後の小山藩主 本多正純公 顕彰シンポジウム」なるイベントが開催されることを知り、わたしの日本史センサーが大きく反応したので行ってきました。 今回はこの話をー。







そもそものきっかけを言うと、わたしはかつて肥前の大名・有馬晴信について話題を提供したことがあったのですが、有馬氏と深くかかわっていると思われたのが、徳川家康に側近として仕えていた本多正純という吏僚で・・・。


しかも、この本多正純という人物は、のちに突然の更迭劇・・・いわゆる「宇都宮釣天井事件」を起こして失脚するという、なんともスッキリとしない晩年の終わり方をしているので、それ以来、わたしは江戸幕府草創期の政治に深く関与した重要人物・本多正純という武将の詳細が知りたいなぁ、と関心を寄せるようになったのです。









わたしの想いはさておき・・・


この「本多正純公シンポジウム」の構成は、


(1)主催者である小山市長、ならびに関係者のあいさつ(約30分)
(2)東京大学史料編纂所教授・山本博文先生の講演(約40分)
(3)本多正純のご子孫・木村敦明さんの講演(約40分)
(4)歴ドル・小日向えりさんを交えたトークセッション(約20分)


・・・といった内容だ。 以下、それぞれの概要と感想を述べてみよう。







(1)小山市長・・・結城紬の和服姿で登壇、郷土愛を体現なされていました。


小山市は関ケ原合戦に関連した「小山評定」が行われた土地ということから、「開運のまち」をキャッチフレーズとしていて、歴史を感じさせる街づくりを目指しているのだとか。


その旗振り役となっているのが現小山市長・大久保氏で、今回のシンポジウムもそれと連動して、市長の意向を大きく反映して行われたものと思われる。 このように、小山市長の大久保氏は「歴史好き」からすれば好ましい市長だと言えるかな。







(2)山本博文先生・・・「角川 漫画日本の歴史」を監修された東大の先生です(ざっくりと)。 個人的には、「角川」ではなく「学研」の方のマンガ日本の歴史シリーズを読み慣れ親しんできたので、このたび話を絡めることができずに残念な気持ちでいっぱいだ。


さて、山本先生は本多正純の生涯についてレジュメを作成、それをもとに解説をされていました。 そのタイトルは「最初で最後の小山藩主本多正純公と二代将軍徳川秀忠公」。 正純が失脚に至った主な原因について、二代将軍秀忠との関係を重視した内容となっておりました。


このときの印象ですが、山本先生の語りはどっしりとした落ち着きがあり、しかも柔和、そのうえで知性を端々に感じさせるといったもので、「さっすが東大の先生!」 と感服しましたねー。







(3)木村さん(本多正信・正純のご子孫)・・・木村さんの講演内容は、家伝とそれにまつわる遺物の紹介、そして本多弥八郎家のご子孫としての活動報告を中心としたものでした。


配られたレジュメのタイトルは「本多家の小山藩政と正純の理」。 その中には正純の年表が入っており、しかもかなり詳細なものとなっている。 これは正純に関心がある人からすれば、重宝する資料となることでしょう。


それにしても木村さん、30代かな? お若い印象でしたね! そして自家の歴史にとても研究意欲のある方なんです・・・ いつか、それらをまとめたものが書籍化されることを期待します。 本多正信・正純とそれにまつわる家伝を知り得るのは、ご子孫くらいしかいないでしょうから・・・!


また、木村さんの語り口は、令和を生きる現代人の感性が十分に反映されていて、そういった辺りも刺激的でした・・・今回の講演では時間が詰まっている都合で早口となっていらっしゃいましたが、w、そういった早口でも歴史用語を噛むことなく滔々と語られており、流麗な弁舌とそれを可能たらしめる頭脳の回転は、「さっすが本多正信・正純父子の血を受け継いでいらっしゃる!」と感じましたね。


なお、木村さんが「本多」という名字でない理由は、江戸時代では「本多姓を名乗り、本多正純の子孫であることを称することを憚ったため(ざっくりと)」だそうです。







(4)歴ドル・小日向さん・・・さすがアイドルだけあって美人さん、会場に花を添えていただきました! ・・・こういった歴史シンポジウムって、参加者の過半数がシルバー世代であることが一般的で、会場はやや枯れた雰囲気になりますからね・・・それを見越してなのか、小日向さんを招いて会場を明るくしたプランナーの方、慧眼です! w


さて、小日向さんは「真田萌え」だそうで、そういった理由から「本多正純は敵方!(大阪城の外堀・内堀を正純が埋めたため)」と本多正純のご子孫・木村さんに話を振り、笑いを取っていらっしゃいました。


などなど、楽しい雰囲気のトークでしたね!







☆『信長の野望』シリーズより、本多正純







と、以上が「本多正純公シンポジウム」の各講演者の概要と、それについての個人的な感想でした!


総じて、なかなか良いシンポジウムでしたね。 特に、本多正純のご子孫でいらっしゃる木村さんの正純についての知見が、本で知ることのできる正純像とはまた違っていて、そういったあたりが興味深かったり・・・。


ただ、個人的に突っ込んで知りたいと思っていた件・・・「岡本大八事件と本多正純、それと大久保忠憐との政権内部抗争」に関することは今回では触れられず、その点では残念でした。


とはいえ、会場では結びに「本多正純公について、これからも学んでいこうという機運を高めていきたい」という宣言が小山市長からなされ、次なる本多氏関連のイベント開催の可能性も言及されたことから、今後も期待大、ですね・・・!
(^ω^)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・さて、「本多正純公シンポジウム」が行われた当日は、台風一過の翌日ということで、開催が非常に危ぶまれていました。 ただ幸いなことに、栃木県小山市には深刻な被害は無かったようで、本シンポジウムも無事開催できたという訳なのです。 それにしても、講演者の方たちはどう集合したのでしょうね? この日の新幹線って午前中運転していたのかしら。


それはそうと、会場となった小山市文化ホールのすぐ西側は崖地となっており、そのすぐ側を一級河川の思川(渡良瀬川支流)が流れている。 シンポジウムが終わった後、気になったわたしは川の様子を見に行き。









☝・・・ま、眩しいー。 台風一過の清々しい空には、西日が煌々と辺りを照らしていた。


13日の夕刻ともなると、川の増水はだいぶ収まっている模様。









☝・・・ポツリポツリと市民が散歩をしがてら、川の様子を見に来ているのが散見されましたねえ。









☝・・・遠景から。 減水してこれだから、やっぱり、今回の豪雨は並みのものではなかったようですね・・・!


改めて、今回の台風・・・令和元年の台風19号は、記録的な雨台風だったと言えるだろう。


深刻な被害に遭われた方に対して、謹んでお見舞いを申し上げます。


(つづく)




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('◇')ゞ



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