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関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/09/ixa6364_17.html
キャラ絵小話! 小田氏治さん編(6)
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治
☝・・・ブログ主の個人的な興味から始まった、「キャラ絵小話~小田氏治さん編~」。 ですが、書籍による資料をいくつか読み進めているうちに、長尾景虎の小田原攻撃について、修正すべき点がいくつも出てきてしまいました。
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「や、やり直し!? め・・・面倒くさーい・・・ (-_-)」
☝・・・といったテンションにわたしは陥ってしまい、そのためにこのシリーズはしばらく筆が止まってしまったのです。
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☝・・・この後の展開を、「小田氏治さんの戦いはこれからだ!」的なラストに導いてもよかったのですが、w、間違ったことをお伝えすることは不本意であり、小田氏治さんに対する個人的興味もまだ残っていますので、引き続きこれからもよろしくお付き合いくださいませ。
なお、過去の記事と重複する箇所が出てくるかもしれませんが、その時は飛ばして読んでいただくようにお願いします。
m(__)m
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☆『戦国サーガ』より、上杉謙信
☝・・・さて、このシリーズにおいて、書き直すべき箇所の一つは、永禄3~4年(1560~61年)に行われた景虎の関東出兵に際した、反北条の有力諸将の動向だ。
わたしは彼らが景虎の指揮の下、比較的組織的に行動をしていたのでは?と思って話を進めてしまいましたが、それはけっこうな間違いでした。
彼ら反北条の諸将は、全軍が足並みを揃えて行動したのではなく、いくつかの軍団に分かれ、それぞれが三々五々と動き回って、最終的には小田原城/もしくは鎌倉に集合した、というのが本当のことみたいだ。
たとえば、
☆『戦国ixa』より、里見義堯(よしたか)
☝・・・たとえば里見義堯/義弘親子は、本拠地・久留里城を北条軍に包囲されて苦戦が続いていた。 そんな絶体絶命のピンチの際に、友軍である長尾軍が関東に侵入、それを受けて北条軍は包囲を解いており、彼らは命拾いをしている。
その後、里見領にいた北条軍の精鋭は長尾軍に備えるために北関東方面へと向かっており、手薄になった房総地域を、里見親子は絶好の好機とばかりに攻め返している。
里見親子の軍団が小田原城・包囲攻城戦の戦列に加わることは無く、その後の鎌倉・鶴岡八幡宮における長尾景虎の関東管領就任式にのみ出席した模様だ。 一説には、就任式に関しても代理人による参加だと言われており、この戦役における里見軍の動向は、いまだ研究の途上だ。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した正木時茂
☝・・・「槍大膳」の通り名を持つ、正木時茂。 彼はこんにちのゲーム全般においては里見の配下とされていますが、実際は外房地域(房総半島の太平洋沿岸)を支配する独立した勢力であったようだ。
彼はこの戦役に際して、長尾景虎との取り次ぎ役を務めた。 つまり、景虎の関東出兵はこの人物の外交交渉・折衝なしには行われなかったのだ。 このことは、正木氏が長尾氏と同格であるという格式の高さ・影響力の大きさを物語っている。
北条軍が房総地域から撤収した際、時茂は本領である小田喜(のちの大多喜)城から出撃、房総地域を舞台にして、北条旗下の原・千葉氏などを相手に戦いを繰り広げていたようだ。 彼もまた小田原城・包囲攻城戦の戦列には加わらなかった。
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☆『戦国大戦』シリーズより、太田資正
☝・・・この戦役のキーマンの一人である太田資正も、景虎の出兵のタイミングと合わせて独自の軍事行動を開始している。
研究によれば、このとき資正は武蔵国南部の広い地域にわたってゲリラ活動を行ったようだ。 この行動はよく言えば後方攪乱、悪く言えば後方攪乱を名目とした火事場泥棒だと言えるだろう。
と、いうことで、資正が景虎の指揮下に入るのは小田原城に到着してから、ということになる。
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☆『鬼武者ソウル』より、佐竹義重
☝・・・この戦役には常陸太田の佐竹氏も参加したことが知られている。 しかし、本当に小田原まではせ参じていたのか? と言われれば、そこには疑問符が付く。
一部資料によれば、佐竹軍はこのタイミングで上総の国・佐倉の一帯(正木時茂が攻めた地域とほぼ同じ場所)を攻めていたと書かれており、そうなると、景虎の指揮下には入らなかったということになる。
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☆『千万の覇者』より、長尾景虎
☝・・・と、いった具合で、景虎が永禄3~4年に行った関東戦役で、およそ11万という未曾有の大軍団を率いて攻め寄せたという通説は、いささかの誇張というか、むしろ誤りであったようだ。
戦国時代の最も華々しい時期において、景虎をはじめとする関東の名将たちが一同に肩を並べて、鉄壁の小田原城に籠る北条氏康に攻めかかるーーー、これはストーリーとしてとても面白いものだと断言できるが、そこには若干の脚色があったということなんですね。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治
☝・・・関東の有力な諸将がおおよそバラバラに行動していたとなると、このテーマの主人公である小田氏治さんも、実際は本領・小田周辺の北条方と戦い続けていただけであり、小田原には参戦しなかったのでは?といった疑問が頭をもたげてくる。
しかし、この疑問を肯定する資料は見当たらず、また否定する資料も見当たらない。 ただただ、『関東幕注文』という長尾上杉氏側の文書によれば、景虎に味方した常陸の国の武将として、小田氏治はその名を残している。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治
「もちのロン! 小田原まで出張っていたYO~!」
☝・・・と、氏治さんも主張していることのなので、w、当ブログではそういった疑問に触れつつも、ストーリーとして氏治は小田原まで参戦していたものとして、引き続き話を進めていきたい。
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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