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関連する前回
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キャラ絵小話! 小田氏治さん編(9)
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治
☝・・・永禄4年(1561年)3月上旬のこと。 北条氏の本拠地・小田原城を正面に見据えて、小田氏治はそこに居た。
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☆『グーグルマップ』より、今日の小田原周辺
☝・・・小田原城のメインゲートは通称「蓮池門」と呼ばれ、そこは池といった水に囲まれて守られている。 だが、この時は、その門をすっぽりと覆い隠すように、真新しい「馬出し」の土塁が高々と築かれていた。
馬出しにの周囲には乱杭・逆茂木がずらりと並べられ、敵対する者の侵入を拒んでいる。 また、土塁の内部には大小無数の旗がはためいていて、そこには大勢の兵が詰めていることが伺われた。
これらは遠方からでも威容を感じさせる異様な光景となって目に映り、彼ら北条軍の戦意の高さが伝わってくるのだった。
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☆『千万の覇者』より、北条綱成(つなしげ)
☝・・・馬出しの土塁には巨大な一本の旗が風に靡いており、そこには「八幡」の二文字が太く墨書されている。 そう、それは北条軍の最精鋭とも言うべき「黄備え」の大将・綱成の旗印であり、彼の率いる玉縄衆が小田原城の最前線を固めて守っていたのだった。
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☆『鬼武者ソウル』より、小田氏治
氏治
「北条軍最強の将・北条綱成が小田原に入ったか・・・これは苦戦しそうだな。」
謎の老武者
「夜襲にお気をつけなされ! 氏治様。」
「わ、びっくりした! 菅谷(すげのや)のジイ、引退したはずなのにどうして?」
「乾坤一擲、北条の本拠地を狙うと聞いて血が騒ぎ、居てもたってもいられず・・・!」
それは、小田家の家老職を務める菅谷氏の先代・勝貞であった。 彼はすでに隠居の身分となっていたが、今回は高齢を押してまで小田原に駆けつけてきたのである。
菅谷勝貞
「こうして北条を囲む・・・。 なにやら川越合戦を思い出しますな。」
氏治
「川越夜戦! ・・・忘れるはずもない。」
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、「政治と氏治~親娘鳳」
☝・・・「川越城の戦い/川越夜戦」とは、氏治の父・政治(まさはる)がまだ現役当主の時代に起きた合戦で、新興勢力で成り上がろうとする北条家と、従来の権力者との間でその合戦は行われた。 そしてこれは氏治の初陣の戦いでもあった。
「小田家中興の祖」と讃えられた氏治の父・政治は、一説には「堀越公方(足利将軍家の分家)」からの養子だと言われており、出自の確定はしていない。 ・・・その説の真偽はさておき、そういった説が出るくらいに、小田家が従来から公方家とは親しい間柄であったことは確かなようだ。 そのような背景で、小田家は川越合戦のときも反北条軍として参戦していた。
このとき、小田家を含む反北条連合軍は兵数的に圧倒的に優勢で、北条氏の属城・川越城を落城寸前に追い詰めたにもかかわらず、ある一夜を境に形勢は大逆転されてしまう。
それは稀に見る逆転劇であった。 北条氏康がずる賢い謀略の下ごしらえを行ったうえで夜襲が敢行され、それに呼応した北条綱成の鬼神的武勇の追撃が加わって、名のある武将たちがイッキに次々と討ち取られてしまったという、氏治たち反北条の諸将にとっては拭うことのできない伝説級トラウマな一戦であった。 氏治の華麗な戦歴(?)も、ここから始まったのだ。 w
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改めて「川越合戦」の傷に触れた氏治の胸の内には、かつて大敗した敵への本能的な恐れと、それを克服しようと思う闘争心が相反し、次第に心が張り詰めていくのを感じていく。
☆『信長の野望』シリーズより、菅谷勝貞
「因縁の対決の行く末を見ずして、どうして死んでいけましょうや!」
☝・・・そう心情を吐露した勝貞の体はプルプルと震えていたが、それは決して年齢からくるものではなかっただろう。 氏治もまた、老武者の気合いを直に接して胸が熱くなったのである。
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さて、ここから少し脱線ですが、
☝・・・脱線ですが、先ほど話に出た、「馬出し」について示した簡単な図がこちらとなります。 このように、馬出しとは「馬が出てくる出入り口」のことを指した呼び名となっていますが、実際は門を守るための堡塁/バリケードとして機能していた。
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☆『戦国ixa』より、「丸馬出し」の内藤昌豊
☝・・・「馬出し」と聞くと、「丸馬出し」の内藤昌豊さんを思い出す「ixa民」の方も多いかもしれない。 資料によると、武田氏に属する城の馬出しが半円形の「丸馬出し」であったのに対し、北条氏はホッチキスの針の形をした「角馬出し」であったと述べられている。
丸だろうと角だろうと、両者に機能の差はあまり無いように思いますが、こういった細かな様式の違いによって、その城がどの大名の系統に属するのか判断する材料になるのだそうだ。 マニアックですねー。 @@
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☝・・・そんな馬出しは、破城槌や攻城櫓といった攻城兵器を門に近づけさせず、撃退するために設けられていた。 破城槌などといった鈍重な攻城兵器は、馬出しという障害物があることによって、ほとんど足止めをくらってしまうのだ。
日本では破城槌があまり普及・発展しませんでしたが、その理由も、馬出しの防御効果が優れていたことにあると言えるだろう。 危険を顧みず、重たい破城槌を引きずりながら門ににじり寄ってドゴン!ドゴン!と打撃を与えるよりも、遠距離から放つ火矢の延焼で門に一定のダメージを与えて、それから掛矢(木製のハンマー)や金棒を使い、焼け残りを打ち壊して突破した方がはるかに人的被害を抑えられたからだ。
以上が馬出しに関連した逸話でしたが、このように攻城戦とは、その準備や戦い方が野戦とはまるで違ったものであったことが解ってくる。
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脱線から戻ります。
☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した上杉謙信
「よっこいしょういち!(死語)」
☝・・・長尾景虎が自らの武運を試すような、危険な座り込みを行っていた時と同じくして、氏治たち関東の諸将も小田原城に攻めかかる。 氏治率いる小田軍が受け持ったのは、先ほどの蓮池門の馬出しからはやや西側に進んだ、2ノ丸の側面であった。
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☆『グーグル画像検索』より
☝・・・その2ノ丸の側面は、地形の関係で池ではなく空堀で守られていた。 この空堀は「格子堀」と呼ばれる特殊な堀で、小田軍を苦しめることになる。
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☆『千万の覇者』より
石垣と天守閣でできた城が、地方政府(藩)の政庁として権威があるように作られたのに対し、この頃の時代の城とは、あくまで実戦のために作られた、粗野で飾り気の無いものだった。 「城」という漢字は「土へん」に「成る」を組み合わせてできているが、土づくりの堀と土塁に囲まれた小田原城は、まさに漢字の原意のとおりに作られた要塞だと言える。
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先ほどの格子堀というのは実にやっかいなもので、集団で寄せることができないのだ。 これは要するに、人数差の有利が働かないということだ。 寄せ手(反北条軍)からすれば、城の周囲、堀から土塁にかけては身の隠すことのできない裸地が広がり、格子堀のあぜ道をそろそろと進むところを、矢を射られ、鉄砲で撃たれてしまう。
神奈川県に住む人にとってはごく普通の光景だが、このあたりの岡と谷が組み合わさった地形は複雑であり、高低差も大きい。 櫓と平場、これらはせいぜい10数メートルほどの高低差であったが、この高低差が守備側にとって絶妙に有利な弓の間合いを生み出していたのだった。 矢というものは、有効射程を超えると、惰性で飛び続けるだけの殺傷力に欠けるものとなってしまう。 まさにこの時、守備側の弓兵は「無敵タイム」となって寄せ手の兵士を一方的に射ちまくったのだった。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治
「うきょー! やっぱり北条軍は固いし強い! orz」
全力で側面攻撃を行った小田軍だったが、その多くは矢や鉄砲によって撃たれて負傷してしまい、なんとか奥にたどり着いた兵も、待ち受けた敵槍兵らによって撃退される。 この攻撃は寄せ手にとって成果の上がることのない、むなしい攻撃だと言えた。 (陽動や牽制といった役割は果たしたかもしれませんw)
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一方、メインの戦場である蓮池門とその馬出し周辺でも、寄せ手の苦戦は続いていた。
☆『戦国炎舞』より、北条綱成
「孫次郎の敵討ちじゃあ! 烏合の衆など恐れるなー!」
☝・・・そこでは猛将・北条綱成の采配がいつも以上5割増しに奮っていた。 孫次郎とは彼の次男で、上野の国・沼田城の守将としてそこで玉砕して討ち取られている。
この戦役で綱成は自分の持ち城・玉縄城を守っていたが、景虎が小田原にダイレクトアタックすることを察知すると、玉縄衆の最精鋭を引き連れて、反北条軍が小田原を包囲する直前に滑り込みで兵を入れ、自ら志願して最前線の死地の指揮を買って出たのである。
このように、寄せ手も守備側も、どちらも譲れない武士の意地があった。
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小田原城兵の頑強な抵抗を受け、長尾ー上杉勢の旗色が悪いことは明白だった。
☝・・・脱線ですが、この状況に、ふと「長尾ー上杉方も鉄砲で対抗すればよかったんじゃね?」などと思ってしまいます。 しかし、この時の戦いをはじめ、永禄年間のこの頃・この地域においては、城攻めのために鉄砲が使用されたという確かな記録は無いようだ。
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☆『信長の野望』シリーズより、女性説の上杉謙信
「・・・! 本日はここまでにするぞ! ・・・退き太鼓、鳴らせい!」
退き太鼓が相模・小田原の山野に響き渡ると、兵たちは続々と陣に撤収していく。 予想以上に戦意の高い小田原城兵の抵抗を受け、これより長尾ー上杉軍は周囲の補給路を抑え、同城の兵糧攻めをする方針となる・・・。
軍神と畏れられた景虎も、堅固な小田原城と、敵討ちに燃える地黄八幡・綱成の意地を前に、一歩下がって再び身構え直す。 そんな小田原攻城戦の緒戦であった。
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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