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関連する前回
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キャラ絵小話! 小田氏治さん編(10)
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☆『千万の覇者』より、上杉謙信
大軍勢を率い、北条氏の本拠地を包囲して敵を沈黙させた長尾景虎だったが、その実、ここにおいて大軍を動かすことの難しさに直面していた。 まず、膨大な兵や馬匹の糧秣の手配をどうするのか。 使って無くなった矢の補充や、傷ついた甲冑・刀槍の修繕はどこでするのか。 負傷兵の処置は。 越後と関東の将兵との間に溝があるが、それをどう調和させて、一個の軍として統率していけばいいのか。 ・・・景虎に、総大将という立場の重みがずしりと双肩にのしかかる。
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☆『グーグルマップ』より
☝・・・小田原城攻めを難しくしている最大の問題は、この城が孤立した城ではないということだ。 そう、北条が南関東各地に持っている支城ネットワークはほぼ無傷で温存されて、連携が取れたものになっている。 それらの攻略をすっ飛ばして小田原城へ電撃的に軍をすすめたのは良かったものの、北条に属するすべての城が、まるで「スクルトを唱えたスライムつむりの群れ」のように、固く殻に籠ったのは想定外だった。
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☆『千万の覇者』より、上杉謙信
☝・・・奇妙なことかもしれないが、小田原城へ電撃的にダイレクトアタックするという作戦は、実は景虎自身にも思いもよらない奇策であった。 その奇策は、松山城内の祠にて護摩を焚き、数珠をつまぐりながら瞑目、神仏に祈りを捧げていたその時に、ある種の天啓となって景虎に降って湧いたのだった。
合理的ではないが、冒険に満ちた魅力的な案。 準備や前後関係を無視して、「敵をこう追い詰めれば凄いハズだ!」といった唐突なビジョン。 他者に言葉で説明することが難しい、一種の閃き・・・。 そんな策や閃きを景虎は、自身の用兵において一番大切にしていた。
何よりも景虎が非凡で凄いところは、降って湧いたような閃きの、荒唐無稽でまだ作戦とも呼べないような案に血を通わせ、万を超える軍の統率者としてそれを現実に実行し得る所にあると言えるだろう。 それも即興で。
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☆『戦国大戦』より、女性説の上杉謙信
☝・・・景虎はこう考える。 天啓に従うのは端緒を開く時だけで、ひとたび軍を動かしてしまえば、後は時々の状況に応じて適切・合理的に対応するものだ・・・と。
景虎は、あえて敵の本拠地・小田原城に電撃的に斬り込むことで、それを陽動とし、相模平野/相模原台地の周辺にて北条との決戦を望んでいた。 野戦において、景虎率いる越後兵とその戦術・「車懸りの陣法」に敵う軍隊はいまのところ関東には存在しない。
しかし、景虎のその思惑は完全に見破られていたようで、北条軍は城に籠り、堅く守られて合戦は膠着状態に陥ってしまった。
今や北条が各支城に置いた軍隊は息をひそめ、力を温存しつつ、軽々しく打って出ずに成り行きをじっと伺っている。 このために長尾ー上杉軍は無理な力攻めをすることも躊躇われ、また、その補給線は武蔵の国の松山からその先が繋がりにくくなってしまっていた。 この戦国時代、敵の勢力下で補給用の荷駄が易々と通れるほどそう甘くはない。 長尾ー上杉軍にとって、これは実にまずいことだと言えた。
すなわち、小田原城を囲んで威圧しているはずが、逆にこちらが兵糧攻めにあったかのごとく、窮地に追い詰められる羽目になってしまったのだ。
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☆『千万の覇者』より、太田資正
「・・・了解、食いもんの買い出しに行ってきま! ('◇')ゞ」
☝・・・この時代・永禄年間の食糧事情は分からないことだらけだ。 一説には「永禄の飢饉」があったとされ、関東を含む日本中が慢性的な食糧不足の状態であったと言われている。 しかし一方で、「有るところには有る」という言葉があるように、穀物がそれなりに流通していたこともまた事実のようだ。
太田資正は長尾景虎に命じられ、小田原城の包囲が行われる直前に武蔵の国・品川にて食糧の買い付けを行っている。 品川は武蔵の国を代表する湊であり、上方(近畿地方)からの船が多数出入りしていて富裕な商人もいたらしい。 太田氏は武蔵に根を張る有力な武家ということで、彼らに顔が利いたのだ。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した太田資正
「犬もたくさん飼うと、その食費がホント大変・・・ (-_-)」
☝・・・脱線ですが、わたしも好きなマンガである『ゴールデンカムイ』にて最近、「犬のために貧乏をする」のエピソードが出てきましたが、たくさんの軍用犬を飼っていたとされる太田資正も犬貧乏をしていたかもしれない。 w
それはさておき、資正が品川で必死に穀物を買い集めても、数万人の胃袋を満たす分量ともなると、さすがにそれは焼け石に水だと言えた。
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☆『千万の覇者』より、北条(きたじょう)高広
「やべえっす・・・。 味方からクレームガンガンっす! @@;」
☝・・・この時、軍の食糧管理を任されていた長尾配下・北条高広のメンタルは、ストレスメーターの針が振り切れてしまっていた。
戦国時代、兵糧はふつう主(あるじ)または軍団の大将が負担するものだと言われている。 しかし、この戦役における反北条連合軍の総大将は事実上長尾景虎であったものの、名目上は有志による連合であり、そこに明確な主従の関係は無かった。
そのため、兵糧の調達は原則的にそれぞれの大名が独自に行わなければならなかったのだ。 しかし先に触れたように、景虎の作戦によって反北条軍は敵中深くに軍を進めてしまっており、諸将の食糧補給は困難を極めた。
北条高広
「やべえよやべえよ!」(出川風)
下手なモノマネをしてみせて、怒りの火に油を注ぐ北条高広なのであった。 w
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そんな中、
☝・・・小田原城・包囲戦の状況が膠着し、反北条軍の将兵たちの不満が高まり続けるそんな中、追い討ちをかけるように、関東の兵たちの間である噂が広まりつつあった。
「おい・・・ちょっと小耳に挟んだんだけどよ、長尾の殿様は戦功を立てても褒美を与えるってことをしないんだって?」
「ええ!? そんなはずがないだろう?」
「いいや、越後の衆らがボヤいていたよ。 本領の安堵状は出してくれるらしいが・・・」
「マジかい!? そんなら本腰入れて戦う必要あんめえ! 死に損、傷負い損などまっぴらごめんだぜ!」
「ここだけの話よ、雪国の連中は人使いが荒くてかなわねえな!」
☝・・・口さがない兵士たちはこのように、あからさまに不平不満をぶちまけていたのだった。
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☆『千万の覇者』より、風魔小太郎
☝・・・実は先ほどの兵たちの会話は、北条氏康が忍者の風魔党に命じた「流言飛語の計略」がその発端となっていて、長尾ー上杉軍の士気低下を狙ってこの流言は行われた。 なお、これにはかなりの部分で真実が含まれていて、長尾景虎にとっては〝痛いところを突かれた”結果となったのだった。
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☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信
☝・・・先ほど関東兵からボロクソに言われていた景虎であったが、果たして戦功を立てても褒美を与ることをしない、ケチな殿様だったのだろうか?
こんにち、長尾景虎/上杉謙信がケチであるというイメージはあまりない。 むしろ、清廉で金銭に無頓着なイメージすら景虎にはある。 しかし、同時代の逸話と照らし合わせて見てみれば、景虎はまぎれもなく褒美を与えない部類・・・すなわちケチな殿様であった。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した安田長秀
「感状、メッチャうれC!」
☝・・・長尾景虎の金銭や経済といった感覚・観念を伺うことのできるエピソードはいくつか知られていますが、それに関連して、景虎の褒美に関するエピソードでは、「血染めの感状」の件が特に印象的だ。
なお、「感状」とはいわゆる感謝状/賞状のことで、「血染めの感状」となると、武士が合戦で戦功を立てて、なおかつ戦死した場合に出される感謝状のことを指す。
現代の価値観からすれば本当に奇妙で割に合わないことだと思いますが、武士が命を失うほどの働きをしたのに対して、それに支払われる対価が賞状・・・つまりは紙切れだというのだ。
Σ( ゚Д゚)
もちろん、これは価値観の違いの問題で、ケチとか太っ腹だといった問題ではない、という意見もあるかもしれない。 そもそも、武士とは何よりも名誉を重んじるものであり、ここで与えられる感状とは金銭に替えることのできない貴重な星・勲章とも位置づけられ、長尾家中の序列にも影響を与えるほどの栄誉だとも言われている。 なかには、この感状を貰うことで感激のあまり、むせび泣く武士もいたほどだという。
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☆『千万の覇者』より、武田晴信
☝・・・しかし、翻ってみれば、景虎と同時代の有名な大名たちは、手柄を立てた家臣に対して金銀といった金銭、または換金性のある品物を褒美として与えている。
たとえば、景虎最大のライバル・武田信玄などは、「碁石金」が入った革袋を自ら手に取り、一掴みしてはジャバラー! 二掴みしてはジャバラー! と、手柄を立てた者に豪快に褒美を与えていたりしていて、景虎の感状授与とは対照的だ。
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☆官公庁系のサイトより、碁石金
☝・・・金銭と感状、どちらが貰って嬉しいのかという問いは、褒美を貰った当人の心次第だとも言えますが、とはいえ、どちらかと言えば金銭の方が貰って嬉しいと感じる者が多いハズだろう。 やはりどこか長尾/上杉家とは、他所とは一風変わった価値観を持った大名家だと感じてしまいますね。 w
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☝・・・そんな訳で、長尾家中の価値観になじまない関東の一般将兵にとっては、金銭に替えられる褒美を出さない景虎のことをケチだと思うことは、致し方のないことであった。
こうして「義の人」と呼ばれ軍神の化身とも言われた景虎も、他郷の下々の兵までその人心を掌握することはできず、兵の不平はやがて将の身分の者たちの不満へと繋がり、反北条軍中に暗く渦巻いていくのだった。
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さて、
☆『千万の覇者』より、北条氏康
☝・・・さて、この戦役において、ほぼ一貫して後手を踏まされた北条氏康とその軍であったが、小田原の籠城戦で意地を見せ、なおかつ流言の策が成功したこの辺りから、徐々に態勢を立て直しつつあった。
☝・・・この時の北条氏の大ピンチにうまく機能したのが「甲駿相、三国同盟」である。 北条氏は持てる外交力のすべてを絞り出して、盟友である今川、武田氏と交渉を行い、後詰(援軍)と側面支援となる軍事行動の約束を取り付けたのだった。
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☆『鬼武者ソウル』より、今川氏真
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☆『鬼武者ソウル』より、今川氏真
☝・・・まず今川氏であるけれども、ある資料によれば、このとき数千人規模の兵士が北条氏へ援軍として送られたらしい。
なお、これはよくよく考えれば凄いことである。 今川家はつい前年、「桶狭間の戦い」で当主・今川義元が討たれる大敗北を喫し、家中が大揺れしているとゆうさなかであったからだ。
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☆『戦国ixa』より、早川殿
☝・・・本来ならあり得ない大規模派兵を実現させた最大の立役者は、北条氏康の娘で今川氏真の正室となった早川殿であったかもしれない。 彼女の「お願い」により夫・氏真は大軍の援兵を決意し、それは北条氏にとって心強い援軍となったのだった。
これは早川殿の実家を思う里心と、それを了承した氏真の優しさが際立つエピソードだと言えるだろう。 しかし、なんということか、これによって斜陽の今川家がさらに傾き、やがて滅亡へと至る悪手となってしまう。
三河の国の松平元康が、この派兵によってさらに手薄になった今川領内の状況を見逃さず、独立の戦いを開始したのだ。
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☆『千と千尋の神隠し』より
☝・・・本来、優しさと愚かさが同じであるハズがない。 しかし、その人の立場の重さによって優しさは、コインの表が裏になるように、愚かさに変わってしまうこともまた真実だ。
こんにち愚将として扱われることの多い今川氏真にも、言い訳を言う機会があってもいいだろう。 「わたしの愚かさは、優しさの裏返しなのだ」と。
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今川家につづいて、
☆『戦国サーガ』より、姫化した武田信玄
☝・・・今川氏につづいてもう一方の武田氏ですが、北条氏の要請に対して、このとき武田は小田原城に援兵はごくわずかしか送らなかった。 一説にそれは兵300ぽっちと伝わっていて、これは今川家とは対照的であるね。なお、これはよくよく考えれば凄いことである。 今川家はつい前年、「桶狭間の戦い」で当主・今川義元が討たれる大敗北を喫し、家中が大揺れしているとゆうさなかであったからだ。
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☆『戦国ixa』より、早川殿
☝・・・本来ならあり得ない大規模派兵を実現させた最大の立役者は、北条氏康の娘で今川氏真の正室となった早川殿であったかもしれない。 彼女の「お願い」により夫・氏真は大軍の援兵を決意し、それは北条氏にとって心強い援軍となったのだった。
これは早川殿の実家を思う里心と、それを了承した氏真の優しさが際立つエピソードだと言えるだろう。 しかし、なんということか、これによって斜陽の今川家がさらに傾き、やがて滅亡へと至る悪手となってしまう。
三河の国の松平元康が、この派兵によってさらに手薄になった今川領内の状況を見逃さず、独立の戦いを開始したのだ。
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☆『千と千尋の神隠し』より
「龍は優しいよ。 優しくて愚かだ」
☝・・・本来、優しさと愚かさが同じであるハズがない。 しかし、その人の立場の重さによって優しさは、コインの表が裏になるように、愚かさに変わってしまうこともまた真実だ。
こんにち愚将として扱われることの多い今川氏真にも、言い訳を言う機会があってもいいだろう。 「わたしの愚かさは、優しさの裏返しなのだ」と。
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今川家につづいて、
☆『戦国サーガ』より、姫化した武田信玄
そのかわり、機略に富んだ武田信玄は、このとき「待っていました!」と言わんばかりに信濃の国・川中島方面へ出兵し、手薄になっていた長尾氏の属城を攻め落とす。 さらには国衆の調略や新たな砦(のちの海津城となる)の建設など、長尾氏が嫌うあらゆることを北信濃で行い、横やりを入れたのだった。
これら武田の一連の嫌がらせは的確で、これによって長尾景虎は心底はらわたを煮え返したらしく、このことはやがて訪れる約4か月後、同年8月の「川中島、ガチの戦い」へと繋がっていくが、これはまた別のお話・・・。
ともあれ、このとき自ら大軍の矢面に立たず、北条氏にも恩を売って有利に戦略を進める信玄は、さすがは戦国時代最高ランクの謀将といったところだろう。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した北条氏康
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した北条氏康
☝・・・外交によって武田が動き、北信濃の長尾の勢力に揺さぶりをかけることができた時点で北条氏康は確かに感じただろう、「これで流れが変わった」と。 北信濃へ揺さぶりをかけるということは、長尾氏の本拠地・上越地方の春日山城が揺れることとほぼ同じ意味を持っていた。
とはいえ、小田原城の目の前に陣取る長尾景虎には、いまのところ動揺するそぶりはまるで見せていない。 小田原城の合戦は、ここにきてある種チキンレースの様相を呈し始めてきた。
北条氏の小田原城が落ちるのが先か、それとも北信濃の状況悪化に我慢ができなくなった長尾氏が撤退するのが先か。 北条氏 VS 長尾ー上杉方の戦いの行方は、いまだ決せず揺らいでいたのだった。
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そんな、両雄にわかに緊迫した状況において・・・
☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治
「城を包囲するだけの、簡単なお仕事!」
☝・・・蛇足気味ですが、ここでようやく小田氏治さんのご登場w
「疲れたから、家に帰って寝たい・・・ (-_-) 」
「簡単なお仕事」に飽きを感じ、とたんにテンションダウンする氏治なのであった。 w
(つづく)
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