2020年2月23日日曜日

【時事/歴史】文学と航空機! マクシム・ゴーリキーを想う

時事/文学史/航空史コラム


☆サイト『ヤフーニュース』 2020年1月30日の記事
「前澤友作氏“お見合い企画”が中止・・・」より


☝・・・元ZOZO社長の前澤さん。


このニュースサイトの情報によれば、前澤さんは番組の企画で3万人弱もの女性とお見合いをする予定だったものの、どういったわけかこの企画はボツになったようだ。


うーん! 集まった3万人弱もの女性、ってのがケタ違いで凄いですねえ @@


このニュースに触れて、わたしが思い出すのが「ゴーリキー」というワードだ。







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)


☆剛力彩芽さん『剛力彩芽』CDジャケットより


☝・・・わたしが先に挙げたワード・ゴーリキーの元となるのは、もちろんタレントで女優でもある剛力彩芽さんのことにほかならない。


けれども、わたしが本題としたいものが他にある。







☆ネット検索より、ゴーリキー


☝・・・それが、マクシム・ゴーリキーだ。


彼はロシア人で、今からおよそ100年前の、帝政ロシア時代からソビエト連邦時代を生きた作家/文学者だった。


ちなみに、彼の通称であるゴーリキーはペンネーム。 その意味するところはロシア語で「苦い」であり、転じて「苦しみ」や「辛苦」というものになるのだとか。









☝・・・それにしても、こんにちの日本においてロシアのメジャーな文学者といえば、「トルストイ」と「ドストエフスキー」の両文豪が双璧で、それに比べるとゴーリキーは知名度が圧倒的に低い。


とはいえ、彼・・・ゴーリキーは「プロレタリア文学の父」との評価が高く、文学を通して世の中に与えた影響は大きかった。


そう、プロレタリア文学の典型として、貧しい人々・・・社会の不条理によって貧しさにあえぐ人々の物語、あるいは何らかの理由で社会からはじき出された男の物語など、そういったテーマを「プロレタリアートもの」として、一つのジャンルとして確立させたのがこの人物・ゴーリキーだった。







☆『文豪とアルケミスト』より、キャラ化した小林多喜二


☝・・・つまり、ゴーリキーなくして魯迅の『阿Q正伝』はなく、また小林多喜二の『蟹工船』も生まれなかったことになる。 それほどまでにゴーリキーは、今からおよそ100年前の、世界的な人気作家であった。







なお、プロレタリア文学というと今日のわたしたちにはとっつきにくい印象であるけれども、そういったプロレタリアの影響を受けたコンテンツは、目立たないながらも今日でも様々な分野で脈々と受け継がれている。


☆YouTubeより、美輪明宏さん『ヨイトマケの唄』


☝・・・美輪明宏さんの『ヨイトマケの歌』や、日本映画『万引家族』、そして最近話題の韓国映画『パラサイト~半地下の家族』も、広い意味でゴーリキーが創始したプロレタリアの世界観を共有していると言えるだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、先ほどのマクシム・ゴーリキーは、ソビエト時代の戦艦にその名を冠したものがある。


☆『アビス・ホライズン』より、マクシム・ゴーリキー


☝・・・それというのは、ゴーリキー本人がソビエト連邦建国の父・レーニンと親交があり、そういった政治的な立場から、彼の名が栄誉として戦艦につけられたということだ。


しかし、その戦艦よりも、もっと興味深いものがある。









☝・・・それが巨人航空機と呼ばれた、マクシム・ゴーリキー号だ。



突然ですが、皆さんは「航空史」といったものに興味がおありでしょうか?


かくいう私も特別な興味はなく、またそういったことを滔々と述べる知識もないものの、この巨人機マクシム・ゴーリキー号にまつわる逸話は興味を掻き立てられる奇譚ともいうべきものなので、その概略を皆さんと共に追ってみよう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・その航空機が造られたのは1930年代のソ連。 「ANT-20」というモデルである。  なかでもマクシム・ゴーリキー号は、社会主義国家・ソビエト連邦の科学的・文化的優位性を世界に誇示するために造られた、当時最先端・最高品質、そして特別なサロンが付属された巨大航空機であった。







☆映画『風立ちぬ』より、ユンカースG38


☝・・・巨大航空機、とは言われても、航空史に詳しくない私たちにはマクシム・ゴーリキー号の大きさ・偉大さはピンとこない。


そこでイメージの物差しとなるものが、日本人の多くが知っているであろう映画・『風立ちぬ』の劇中で登場する巨大航空機・「ユンカースG38」だ。


「ユンカース博士の飛行機」ということで印象に残っている方も多いかもしれない。 この航空機の大きさ:全幅が44メートルという長さに対して、マクシム・ゴーリキー号の全幅は63メートルとおよそ1.5倍の大きさで、同機はまさしく当時世界最大の航空機だった。









☝・・・そんなマクシム・ゴーリキー号の主な任務とは、社会主義国家のリーダー・ソビエト連邦の優位性を世界に誇示するための宣伝活動・・・すなわちプロパガンダ活動だった。


そのために同機内部には、通常の航空機に設置される客室や機関室などのほかに、印刷機材を積み込んだ印刷室、撮影などを行うための撮影室、そしてそういったものを編集するための編集室、さらにはラジオ放送をするための放送室、そのうえにセレブレティ向けののサロンカフェ/サロンバーまでもがあったと言われているのだ。 極めつけは、一説にはビュッフェ食堂や図書室までもあったということだ。 どんだけー!


しかし、そんな豪華仕様で建造されたマクシム・ゴーリキー号は、予定されていた任務をほとんどこなさないうちに、予想だにしない意外な経緯を遂げることとなる。









☝・・・それは昭和10年(1935)5月、モスクワでのこと。 マクシム・ゴーリキー号は全世界に向けて公開され、初披露/プロパガンダということで記念飛行の式典が行われた。


なお、上記の写真は、その式典の際にモスクワの「赤の広場」で撮られた古写真ということだ。 空中を飛行するマクシム・ゴーリキー号の雄姿と、その左右に1つづつ護衛機がいることがわかるだろう。


その護衛機のうちの1機が、予定されていない宙返りといった曲芸飛行を突然始めだし、しかもなんと操作を誤ってマクシム・ゴーリキー号と激突するという事故を起こしてしまったのだ。


その結果、その2機はモスクワ郊外に墜落し、マクシム・ゴーリキー号は大破。 49名の死者を出すという大惨事となった。


このように、本来ならばソ連の優位性を示す、かっこうの宣伝となるはずのお披露目の場が、一転、お粗末な事故として全世界にニュースとして発信されてしまったのだ・・・!







なお、この出来事の一部始終を、一人のフランス人が目撃していた。




☝・・・そのフランス人とは、のちに文豪と呼ばれたサン=テグジュペリである。 彼はこの度の記念式典に招待されていて、なんと事故の前日にマクシム・ゴーリキー号の1回目のフライトに乗っていたのだ。


おそらく、テグジュペリはマクシム・ゴーリキー号の偉大さを西側に宣伝するための証人として、利用されたのだろう。


テグジュペリはこの事故の様子をこう書き記している。


❝世界最大の飛行機マクシム・ゴーリキー号が墜落した。 (中略) 戦闘機が時速400キロ以上の速さで追突したのである。 ある人は翼に衝突したのだといい、別の人は中央の発動機にぶつかったのだという。 がいずれにしても、仰向けになって落下しはじめたのをみんな見ていた。 つづいて翼、発動機、胴体が一種緩慢な動きをもって、真っ黒な花が開くように空中分解したのだ。❞


「真っ黒な花が開くように」とはまた文学的な表現だけれども、巨大航空機の事故という、ある種の残酷なショーとして、決定的なワンシーンをテグジュペリは今日の私たちに教えてくれている。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・このように、当時世界最大の航空機、マクシム・ゴーリキー号は事故のために鉄くずと化した。 当然、ソ連の秘密警察/当局がこの件を捜査し、しばらくして発表したことが以下だ。


・まず、事故を起こした護衛機のパイロットは、映画会社の関係者に曲芸飛行を頼まれていた。

・曲芸飛行をする理由は、記録映画で印象的なワンシーンを取るためである。

・護衛機のパイロットは、軍の上司の許可を取らずに曲芸飛行を勝手に了解・実行した。

・事故が起きたことはたまたま、偶然に運が悪くそうなってしまった。


☝・・・このようにソ連の当局は発表をし、それに対してソ連国内ではそのことに疑問を呈する者は表立って現れず、この発表がすべての事実であるとされた。 こうして、巨人機・マクシム・ゴーリキー号は悲劇の航空機として、航空史の1ページに記されたのである。







そうはいっても、先ほどの事故の真相はどうだったのだろう。 ソ連当局の発表したことがすべての事実であるとは、わたしはとうてい納得することはできない。 ましてや、社会主義国家の当局が動き、発表したものなのだから。


おそらく、「事実は小説よりも奇なり」の言葉通りに、この事故の背景には何かしらの陰謀や暗闘があり、それが西側VS東側の戦いであるのか、はたまたスターリン体制内での葛藤であるのかは定かではないけれども、きっとそういった相克があってこの惨事は起こったのだろう・・・と私は想像する。


とはいえ、証拠もなしにこれ以上推論を重ねても、それは徒労というか空論でもあるので、あまり深入りせずにこのあたりで引き上げることにしておこう。


いつだって、歴史の重要な真実は、操作されて粉飾されて、隠匿される傾向にある。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆晩年のゴーリキー


☝・・・今回のテーマである、マキシム・ゴーリキー。 彼の作品はロシア文学ということで、一般的にはとっつきにくい印象があるけれども、わたしがいくつか触れた限りでは、文庫版で短編が収められた『二十六人の男と一人の女』は訳文が平易で簡潔であるためか、比較的読みやすかった。


世界名作などといった、国を超えて長い間読み継がれる文学には、その文章のなかに心に残る一節であったり、普遍性のある真実の言葉と出会うことがある。


ゴーリキーの作品もまた、そういったキラリと光るものを含んでいると、私は思っていマス・・・!


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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