関連する前回
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☝・・・キャラ絵小話! 蘆名家&れんみつ編(12)
https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/05/ixa.html
☝・・・シリーズ第一回はこちら
☝・・・キャラ絵小話! 蘆名家&れんみつ姫編、第13回目となります。 今回は、蘆名家の当主未亡人・彦姫の新たな婿として、二階堂家の人質・次郎が指名されたところからスタートしよう。
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☆『千万の覇者』より、蘆名止々斎
☝・・・天正2年(1574)、あるいはその翌年のこと。 会津の隠居・蘆名盛氏は、嫡男・盛興の死を受けて苦心の末、蘆名家長久の策を定めた。 その骨子が、
・蘆名の嫡統は盛興の忘れ形見・れんみつとし、彼女が成長したのちに女子相続させる。
・当主未亡人・彦姫は盛氏の養女となり、家中では盛氏に次ぐ地位とする。
・彦姫には婿を迎え、その者に「陣代」、当主の務めを代行させる。
☝・・・この3点である。 これは盛氏が蘆名家の中枢、重臣のみに打ち明けた方針であった。
なお、これは通説とは異なる見解が含まれているのでご批判を受けるかもしれない。 ただ、その根っことなるのは、「(女系とはいえ)自らの直系、孫が可愛かった」という、盛氏の人としてあまりにも自然な感情があったのではないかという推測に基づいている。 今後はこの仮説に従ってお話を進めていきたい。
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【れんみつ姫出生の謎】~蘆名家マニアックス~
☝・・・れんみつ姫の出生には謎が多い。 なお、謎と言ってもそれはミステリーという意味ではなく、ミッシングといった部類だ。
まず、れんみつ姫の両親はだれか? というそもそもの前提が確定していない。 彼女の父については蘆名盛興で、やがて二階堂次郎(のちの蘆名盛隆)の養女になったという説が有力だ。 また、異説もあるにはあるようだ。
そんなところ、中学教諭で郷土史家の林哲先生が昭和50年代に書かれた書籍によると、そこにはれんみつ姫の享年が載っており、逆算をするとれんみつ姫の生年は天正4年(1576)となり、父が盛興であるという説が微妙になってしまう。 そう、盛興は天正2年、あるいはその翌年に亡くなったとされているからだ。
ただ、れんみつ姫が天正4年(1576)に生まれたのが真実だとして、盛興の死去が天正3年中、そして亡くなる直前のタイミングで彦姫が子種を宿したとすれば、ギリギリセーフで仮説の整合性が取れる。 こういったことも、失われた物語としてあったかもしれませんね。 (ただし、「数え年」ならアウトになってしまいます)
また、れんみつ姫の母についても、「その母は誰々だ」とハッキリ明言した史料が見当たらないことから、これも彦姫だと断言することはできない。 盛興が彦姫と結婚したのは20歳を過ぎて数年が経った頃で、その時に盛興には側女・妾といった女性がいた可能性があり、そういった女性がれんみつを生んだかもしれないからだ。
と、このように疑いだしたらキリが無いのですが、れんみつ姫の両親が盛興ー彦姫であることを積極的に否定する資料もまた見当たらないことから、ここは穏当に通説に従うことにしよう。
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さて、お話しは元に戻り・・・。
☆『信長の野望』シリーズより、二階堂盛義
二階堂盛義 「ひょえー! ワシの嫡男が、蘆名の御台様の後釜の婿になる、だとぅ・・・!?」
蘆名当主の未亡人・彦姫の新たな婿に二階堂家の嫡男・人質の次郎が指名されたという事実は、晴天の霹靂、それも巨雷が落ちたかのように会津盆地に轟き、瞬く間に周辺へとその風聞は広まっていった。
このことは傍目には、蘆名家の嫡統が二階堂家に移ったと見えることから、蘆名盛氏の長久の計画を知らぬ人々はこの決定に、「とうとう盛氏公は耄碌なさったか、嫡庶の順、血の濃い薄いも分からなくなってしまったとは・・・」などと悪しざまな噂をした。
その悪しざまな噂は批判の風聞となって、蘆名の家中・洞中、そして周囲の大名の今後の動向に影を落とすことになるのである・・・。
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☆『戦国サーガ』より、姫化した二階堂盛隆
☝・・・次郎と称する二階堂家の男子が、蘆名家に人質として預けられたのは永禄9年(1566)、蘆名と伊達との戦いーーー須賀川戦役終結以来のことである。 そんな次郎には生年の説が二つあり、それぞれの説によれば10年ほど年齢の幅が出てしまうことは以前にお伝えした通りだ。
そしてこのブログでは、いろいろな観点から次郎の生年は永禄4年、そしてその母は二階堂盛義の後室・阿南姫(おなみひめ)という仮説のもとにお話を進めている。 仮説ばかりで申し訳ありませんが、蘆名家ならびに東北の小大名の歴史とは、仮説を立てずしてそのお話をすることは不可能だ。 そうでもないと、断片的な事実の羅列に終始してしまうだろう。
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☆『信長の野望』シリーズより、蘆名盛隆
☝・・・そんなこんなで、二階堂の次郎は、幼少の頃から蘆名家の黒川城で人質として過ごしていた。 人質に出されていたということは、人質になるだけの価値があるということで、彼はまぎれもなく二階堂家の嫡男であった。
そして、成長するにしたがって彼は「剛毅な武将の片鱗」を周囲に見せていったと言われている。 蘆名家は方々から人質を取っていたハズなので、その大勢いた人質の中からどのようにして次郎が注目されるようになったのかは、これも「失われた物語」で今となっては定かではない。 しかし、何かしら注目されるような出来事があり、そこから蘆名盛氏の目に留まるようになったのだろう。
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☆『戦国サーガ』より、姫化した蘆名盛隆
☝・・・目に留まる、といえば、次郎(のちの蘆名盛隆)は美少年であったと方々の伝承でそういわれている。 その祖母が「東北無双の美人」と讃えられた久保姫であったから、その血が濃くこの少年に表れたのかもしれない。
(なお、蘆名盛隆のゲームのキャラ絵をいろいろと見てみましたが、姫化したキャラ絵ばかりで、どうも美少年のキャラ絵というのは見当たりませんでした。 需要が少ないのかしら・・・w)
それはさておき。
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☆『千万の覇者』より、蘆名盛氏
盛氏 「次郎よ。 そなたには余人に代えがたい剛毅さが備わっておる。 その剛毅さ、武勇を見込んでの婿の指名だ」
このように、二階堂の次郎は蘆名家の未亡人・彦姫の婿として、蘆名盛氏の鶴の一声できまったのである。
盛氏 「そなたの諱(いみな)を考えてきたぞ。 盛隆、である」
次郎 「もりたか、ですかーーー確かそれは・・・?」
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【盛隆の諱(いみな)考】
さて、どうして次郎は盛隆の名に引っかかったのだろうか。
確証はありませんが、どうも「もりたか」とは、蘆名盛氏の祖父で、戦国時代の初期に活躍をし、戦国大名としての蘆名家の基盤を整えたとされる「13代・盛高」の名にあやかったと思われるのだ。
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☆『千万の覇者』より、伊達政宗
☝・・・「先祖の名前にあやかる」ということは、武家社会では時おり見られる事例だ。 その中で最も有名なのが「伊達の政宗」だろう。
戦国時代、伊達氏は代々足利将軍の偏諱を賜っており、両家の結びつきは強かった。 伊達家当主の諱は直近で「稙宗」「晴宗」「輝宗」と続いており、足利将軍家が盤石であったなら政宗は「昭宗」とでも名乗ったのだろうか。 しかし、当の足利将軍家が没落してしまったために、父である輝宗は期待も込めて偉大な先祖・8世政宗の名にちなんでその諱を決めたという訳だ。
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盛氏 「そう、「もりたか」とはわたしの祖父の名だ。 さすがに同じ字は憚られたが、その名を背負って、これからの蘆名家を引っ張っていってくれ」
次郎 「盛隆ーーー勿体なく存じます!」
蘆名家の「盛隆/盛高/もりたか」も、偶然に読みが同じとなったのではなく、明らかに意識をしてその諱を決めたのだろう。 こういったことからも、蘆名盛氏が盛隆に対して並々ならぬ期待をしていたことが伺える。
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☆『千万の覇者』より、蘆名盛隆
☝・・・こうして、蘆名盛興が亡くなってから1年ほど経ったのちに二階堂の次郎は元服、「平四郎(へいしろう)・盛隆」を名乗る。 また、ほぼ同時期に彦姫との婚儀が執り行われ、彼は婿として蘆名の家に入った。
このとき盛隆は15歳、彦姫は20代前半だと思われる。 複雑な事情のもとに成り立った、姉さん女房な夫婦だった。
彦姫 「次郎様・・・不思議な成り行きですが、どうか宜しくお願いします」
盛隆 「御台様。 母も驚いておりました・・・えー、今後名前は何とお呼びすればw」
れんみつ「ダー! (赤子のれんみつは笑っているようだ)」
盛氏 「うむうむ、亡き盛興に代わり、立派に務めを果たしてくれよ・・・」
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このように、天正4年(1576)の頃、蘆名家は二階堂家の嫡子・盛隆を婿として迎え入れた。 盛隆は元服後間もない、初々しい若武者である。
盛隆は、蘆名家の婿に入ることで周囲の強敵と戦う宿命を背負った。 いや、背負わされた。 蘆名盛氏に将来の大器を見込まれたとはいえ、経験の乏しい10代半ばの若者に蘆名の家を守ることができるのだろうか?
戦国の世は「待った」をかけても優しく応じてはくれない。 悲しいかな、このとき、頼りにするべき会津の大磐石・盛氏の命の蝋燭は、残りわずかとなっていたのである。
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
と!いうことで、今回はこの辺りでお開き。 次回は盛隆の統率する、新生蘆名家について追っていきましょう。
をお楽しみにー。
(`・ω・´)ノシ
(つづく)
と!いうことで、今回はこの辺りでお開き。 次回は盛隆の統率する、新生蘆名家について追っていきましょう。
をお楽しみにー。
(`・ω・´)ノシ
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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