2018年2月22日木曜日

戦国ixa(57-64鯖):キャラ絵小話!小田氏治さん編(13)

ixaコラム:経験0からのIXA!









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キャラ絵小話! 小田氏治さん編(12)


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化した小田氏治

「祝! 謙信公を中心とした、東国新政権の発足じゃあ!」


☝・・・永禄4年(1561年)、閏3月のこと。 関東に攻め入った長尾景虎は、いろいろな経緯ののち関東管領職に就任し、名を上杉政虎(謙信)と改めた。


それに伴い、謙信は関東の諸将たちに「誓紙」を差し出させ、上杉家に臣従することを誓わせたのだった。 これは八幡宮の神前で行われ、この誓いを破ることは軍神に叛くことであり、許されないことだとされた。







☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化した小田氏治

「・・・ま、これは暫定的なものということで!」


☝・・・長尾上杉家に臣従の誓紙を差し出したことについて、小田氏治の考えは甘かったが、これは彼個人の責任ではなかった。 関東の諸将は、一致協力して北条氏と戦っていく手前、とりあえずはカリスマ性のある総大将を必要としていたのだ。 こういった考えが根っこにあり、関東の小大名たちは今後、時には上杉家(謙信)に従い、時には叛くといった寝返りを繰り返すことになる。


小田家もそれは例外ではなく、このことが原因となって軍神・上杉謙信の怒りを買い、やがて小田家始まって以来最大の激戦を招くこととなるのだが、これはもう少し先のお話・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、


☆『グーグルマップ』より


☝・・・さて、鶴岡八幡宮における上杉謙信・関東管領職就任のセレモニーは、宴を含めて一日で終わった。 しかし、そこで「ハイ、これにて今回の戦役は終了、速やかに解散!」 とはいかなかった。


なによりもこの地は北条氏が支配する敵中のど真ん中であったし、上杉勢にはまだまだ決めるべきことがたくさんあったのだ。


なので、謙信をはじめとした主だった諸将は八幡宮にほど近い、鎌倉・山ノ内にある上杉屋敷に集まり、そこで”謙信を中心とした東国軍事政権”の戦略と政略が話し合われたのだった。 (てゆうか、敵中で悠長に重要な作戦会議をやらないでよ! とツッコミを入れたいw)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


謙信の思い描いた、新しい秩序体制とはどのようなものだったのだろう。


☆『戦魂~SENTAMA~』より、足利義輝


☝・・・謙信は、有名無実化してしまった室町幕府体制の支持者だったと言われている。 これは実に不思議なことで、彼の父・長尾為景は旧来の権威・権力に徹底的に反抗して、下剋上を体現したような人物だった。 それだというのに、やがて当主を受け継いだ謙信は、父が逆らい続けた旧来の体制に忠誠を誓っていた。


・・・いや、謙信が忠誠を誓っていたのは幕府という体制ではなく、傑出した武技を体得したと言われる将軍・義輝個人であったのだろうか。 関東管領就任のおよそ1年後、彼は山内上杉家の通字である「政」の字をあっさりと捨て、将軍・足利義輝の「輝」の字を選択し、政虎から輝虎へとその名を変えている。


上杉謙信の思い描いた秩序体制とは、足利将軍を主(あるじ)として戴きつつ、自らは「関東管領」という抜きん出た肩書きを持ち、関東/東国の武家を束ねて軍を統括しながら、”謙信なりの正義”を実現していこうというものだった。







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上杉謙信が足利将軍・義輝に忠誠を誓う一方で、小田家をはじめとした関東の武家は関東公方家を主(あるじ)として支持していた。


と、いうのは、関東の地は室町開府以来、「関東公方」と「関東管領家」が主となり、この両者が並んで治める地域であったからだ。


☆『戦魂~SENTAMA~』より、足利藤氏(ふじうじ)


☝・・・上杉謙信が北条氏を圧倒して関東管領職に就任したこの時、新たな関東公方が同時に擁立された。 それが足利藤氏という人物である。


この話はどうでもいいように聞こえるかもしれないが、小田氏治という武将を考察する上で、このことは重要な話である。 藤氏は前古河公方・晴氏の長男で正統な後継者であったが、公方の座は異母兄弟で北条氏の血を引く「義氏」に奪われてしまっていた。


このコラムの主人公・小田家をはじめとした関東の多くの武家は、この出来事を「関東公方家が傀儡と化してしまった」と捉えて、成り上がり者の北条氏によって秩序を乱されたことに怒りを覚えていた。 


北条氏に反感を抱いた大名は多かったが、北条氏を叩こうにも、この時点ですでに北条は強大になり過ぎてしまっていた。 それなので、本来は関係の無かった越後の謙信に救援要請が行われて、それで謙信は”義のために”関東に出兵するようになったという訳だ。


戦国時代・・・享徳の乱、応仁・文明の乱以降の関東における戦いの歴史とは、関東公方が神輿となり、その正統性を担保しながら行われたと言えるだろう。 足利藤氏の公方就任は謙信にとってあまり得策ではなかったが、”関東の諸将への配慮”という政治的な都合で実現したと言える。







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関東勢と越後勢、それぞれの立場は違えども、それらは覆い隠され、考えの隔たりは表面化することはなく評定(会議)は続いていく。 そんななか、総大将の謙信がおもむろに声を発する。







☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信

「重要事項を発表するぞ! わたしの関東陣代を指名する!」







☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化した太田資正

「Σ@@ ・・・望外の喜び! 粉骨砕身、努めまするー。 m(__)m」


☝・・・諸将がざわめくなか、謙信が「関東陣代」に指名したのは武蔵の国・岩付の太田資正だった。 ちなみに関東陣代とは、謙信が関東に不在の場合、一切の総指揮を執る役職のことで、謙信の副将ともいえた。


資正は陣代として軍事的な権限を与えられたと同時に、そればかりか、武蔵・上総・下総といった南関東の領地の切り取り・配分についての裁量権も与えられた。 これによって資正は名実ともに一躍、上杉旗下における関東武将の上に立ったのだった。







☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化した小田氏治

「うわぁ…太田殿が上長か! なんか微妙であるねー。」


☝・・・氏治をはじめ、関東の諸将はこの人事に微妙なものを感じた。 武将の器量としては里見氏が、軍隊の規模や強さでいえば佐竹氏がふさわしいと思われたからだ。 しかし、真っ向から反対する理由も無く、謙信の鶴の一声で副将は太田氏と決まったのだ。







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☆『戦国大戦』シリーズより、成田長泰(ながやす)


☝・・・政治とは難しいもので、このとき、北条氏の支配が嫌で反北条軍に参加したというのに、太田氏の差配を受けるのも嫌だという武将が現れた。w それが武蔵の国は忍(おし)の領主、成田長泰である。


伝承では、長泰は謙信の関東管領就任式のときに「馬上礼」を行って謙信の怒りを買い、そこで殴られる・殴り返すといった騒動を起こしたのちに出奔したと言われている。w


ですが、それはあくまでも講談師による誇張されたエピソードであって、事実は謙信や太田資正による関東支配体制に不満があり離反したと解釈するのが妥当だ。


☆『戦国ixa』より、甲斐姫


☝・・・成田長泰の馬上礼のエピソードはオーバーな印象を受けますが、当時の関東武者の頑迷さ、他家に簡単には靡かないぞといった、独立独歩の気風が充分に感じられる。 この気風は2世代後にも引き継がれ、やがて甲斐姫のエピソードへと至る・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、


☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信

「気を抜くな! 家に帰るまでが遠征だー!」


☝・・・鎌倉ですったもんだの大会議の末、上杉謙信とその軍は本国・越後へと帰還していく。 謙信は軍を前軍・中軍・後軍の3つに振り分け、自らは危険を顧みず後軍に留まり、背後に睨みをきかせながら退却の作戦を進めさせた。


長蛇の列となり、相模から武蔵へと退く上杉旗下の将兵たち。 時刻は夕暮れ、平野のはるか西には富士の山が盛り砂のように三角の影となって目に映る。


謙信
「富士の山も今回はこれで見納めか。 次こそは小田原城を落とし、必ずや伊勢めを滅ぼしてくれん・・・!」


ここで謙信の言う伊勢とは、北条氏のことである。 謙信が上杉氏の名跡を継いだことは当然北条氏にも伝わっていたが、北条氏はそれを認めず、かつての名字・長尾で謙信を呼び続けて侮辱をした。 それに対し、謙信は北条氏のかつての名字・伊勢を持ち出してこの言葉遊びに応じたのだった。


・・・このように、謙信は闘志の残り火を胸に残しつつも、敵の総大将・北条氏康の籠る小田原城を背にしたのである。







☆『御城プロジェクト』より、小田原城


一歩ごとに遠ざかっていく小田原城。 越後の軍神と関東連合軍を退けたこの堅城は、やがて甲斐の猛虎・武田信玄をも退けたのち、さらにその堅牢さを極めるべく、未曾有の大改修がほどこされることとなる。


北条氏康の遺命で本格的に始まったこの工事は、多大な金銭と労力を費やしながら徐々に進められ、ついには日の本一の規模(敷地・城域)を誇る巨城となってその姿を露わにする。


一般的に、増改築を重ねた巨大建築物の構造は複雑怪奇であり、グロテスク、かつ威容を感じさせる姿・外見となって現れることが多い。 たとえば、かつての香港・九龍城やオウム真理教のサティアンの名を挙げれば解ってもらえるだろうか。 小田原巨城についてはきわめて興味深いテーマであるけれども、今回の小田氏治さんシリーズとは重なることのない、別のお話・・・。







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さて、こちらは北条陣営の話である。


☆『千万の覇者』より、北条氏康と北条綱成

綱成
「よいのですか? このまますんなり帰らせて・・・」

氏康
「一般的に、敵を叩くにはもってこいの状況ではあるな。 しかし後軍を見てみよ、景虎(謙信)め、そこに居座りおった」

綱成
「景虎は我らを誘っていると・・・」

氏康
「打って出れば、必ずや相当の首を上げることができるだろう。 しかし、こちらも相当の損害を覚悟せねばならない。 景虎とは、そういう武将だ」


絶好の追撃のチャンスに、北条勢がみすみす敵を見逃したのは、謙信率いる越後軍の戦力を警戒したことに他ならなかった。 だが、それ以外にも、氏康には戦略的な思惑があった。


氏康
「風魔党の報せによれば、彼らは一路、越後・春日山へと帰り、すぐさま北信濃・川中島まで出陣するのが確実とのことだ」

綱成
「我らとの戦いのすぐ後、今度は武田と対陣するのですか? 全くご苦労様なことで・・・」


綱成は越後軍の大車輪ぶりに舌を巻いたが、氏康はニヤリと笑っていた。 氏康の考えはこうだ。 越後軍はこの後、川中島に向かって出陣する。 で、あれば、我らがここで死力を尽くして戦えば、利するのは武田だ。


武田はこの度、我らにろくな援軍を送らなかった。 そして北信濃にてまんまと勢力を拡大することに成功したのだという。 そんな小狡い武田のために、どうして我らが犠牲を払って戦わねばならないのだ? まったく馬鹿らしい。


・・・苦笑しながら思案を巡らせている氏康の顔を見て、ここで綱成にも氏康の戦略が薄々とだが見えてくる。


綱成
「我らが本気で戦うのは、景虎が関東に不在の時! ・・・それも、信濃で武田と長尾がぶつかり合い、共に傷ついてくれればなおのこと、都合がいい!」

氏康
「そういうことだ」


越後、相模、そして甲斐の首脳たちの思惑は水面下に沈みつつ、交差する。 取れる選択肢や進める道は余多あるが、軌跡となって現れる道はただ一つだ。


・・・このように、四方の状況を反映させながら北条氏康は戦略を組み立て、この度はあえて追撃の采配を振るわなかったのである。


☆『信長の野望』シリーズより、北条氏康







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


そして、このシリーズの主人公・小田さんはというと・・・。


☆『鬼武者ソウル』より、小田氏治


小田氏治
「ようやく終わったか! ・・・得るものは全くと言っていいほど無かった戦役だったな!」

菅谷政貞
「何をおっしゃいます? この戦役で小田家は結城に奪われた領地をほぼ取り戻したではないですか。 それに戦いは束の間の休息でしょう!」

菅谷勝貞
「左様・・・。 何より武士とは、必ずしも得るもののためだけに戦うものではありますまい。」

氏治
「・・・で、あったな! @@;」


小田家の家老・菅谷親子を相手に、いつもの調子で漫才をする氏治であった。w








どうなる? どうなる氏治さん。 物語は中間地点を超え、「起承転結」の「転結」へと続いていきマス!
('◇')ゞ


(つづく)


注:この文章はブログ主の見解です。





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