2017年12月13日水曜日

戦国ixa(63+64鯖):キャラ絵小話! 小田氏治さん編(9)

ixaコラム:経験0からのIXA!





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関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/12/ixa6364_4.html
キャラ絵小話! 小田氏治さん編(8)


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した上杉謙信


☝・・・永禄4年(1561年)3月上旬のこと。 長尾景虎率いる軍勢は北条氏康が籠る小田原城に殺到、やや遠巻きに同城の包囲を開始した。


この時点で景虎が率いていたのは越後兵8000を中核とした連合軍で、主に北関東の反北条の大名たちが集まって成立していた。 彼らは通説によれば総勢7~11万という大人数へと膨れ上がり、各地から北条氏の領地へと攻めかかっていたのだった。


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☆『戦魂~SENTAMA~』より、小田氏治

「打倒・北条一強!!」


☝・・・そんななか、このコラムの主人公であり、「小田三千騎」と言われた常陸の国・小田家当主の氏治も、この戦役に数千の兵を率いて参加していたのだった。


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さて、このシリーズ・「長尾景虎の小田原戦役」の書き直しをしていることは以前にお断りを入れた通りなのですが、その最大の理由であり原因が以下となります。


それは、「景虎が攻めた小田原城は、総構えの城ではなかった」ということだ。


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「な・なんだってー! Σ@@」


☝・・・小田原城はゲームなど歴史系エンタメで「総構えの城」として扱われてあまりにも有名ですが、景虎が攻め込んだ永禄年間においては、町一つを囲んでいたという総構え/総曲輪の大外郭はまだ未建設であり、「堅城であるものの、飛びぬけた特徴のない普通の城」だったようだ。


わたしは書籍の資料を読むことでこのことを正確に知り、目から鱗の思いをしましたが、よくよく思い出してみれば、コーエー社のゲーム『信長の野望』などにおいて、ゲーム中に堅城として登場する小田原城が本来の姿とは異なっている、うんぬん、といった雑談をどこかで聞いたことがありましたが、このことを言っていたんですね。 @@;


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☆『グーグルマップ』より、今日の小田原城付近


☝・・・それでは現在の小田原城の姿をもとに、永禄年間の小田原城をイメージしてみよう。 資料によれば、当時の小田原城は「現在残っている近世城郭」とは異なり、「八幡山古郭を中心とした〝本丸”」と「現在の本丸周辺を敷地とした〝二の丸”」を主要な防御施設として成り立った、連郭式の平山城であったらしい。


そんな小田原城のメインゲートは「蓮池門」と呼ばれていたらしく、そこは蓮池の名が示すように、周囲は池といった水に囲まれて守られていたようだ。 今回の景虎の小田原攻めでは、ここ蓮池門周辺が最大の激戦区域となっていく・・・。


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☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信


「・・・まずは堅固な本陣を築くぞ! 邪魔な城下町から材を取れ!」


☝・・・景虎は周辺の地形を確認すると、すかさず陣取りの場所について下知を飛ばす。 想定する戦場との距離や敵との力量差を考慮しつつ、さらには地形のメリット・デメリットなども踏まえながら本陣の場所は決められるのである。 もっと言えば、合理的な判断のほかにも、「易:方位占い」の結果によっても陣の場所は左右されていたことが知られている。


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治


「小田原の民家、ぶっ壊死!」


☝・・・景虎の命を受けた氏治ら諸将は配下を引き連れ、小田原城下町の建物を打ち壊していく。 小田原城の総構えはこの時点ではまだ建設されておらず、城下町は無防備な状態となっていた。




☝・・・彼ら長尾ー上杉軍の兵士はてきぱきと梁や柱、戸板などといった建築材をはぎ取っていったのだが、それもそのはず、当時の一般庶民の家屋は背の低い簡素な平屋で、屋根は板葺きが主流だった。


こうして解体された民家は築陣用の材や、野営の際の暖を取る燃料として使用されたのである。 その後、取るものを取った建物の残骸には火がつけられ、小田原城下は焼け野が原となったのだった。


景虎 「うむ。 これで見通しが良くなったな!」


・・・現在の価値観からすれば、武家同士の争いにおいて一般民衆の家屋を焼くことは非道な行いだと言えるが、殺すか殺されるかといった戦国の世においては、こういった行為は「ごく普通の行い」だと言えた。


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さて、


☆『グーグルマップ』より


☝・・・さて一方で、景虎が小田原城の包囲を始めたころ、反北条の東部戦線では里見・正木・佐竹氏らが共同して北条の属城である葛西城を攻め落とすなど、快進撃が続いていた。 彼らは景虎の指揮に入らない別動隊であり、房総半島と常陸の国の反北条勢力の経路を結ぶために戦っていたのである。


景虎は馬周り衆を通じて里見たち別動隊と連絡を取り、彼らに小田原への後詰を要請する。 こうすることによって、小田原城攻めの態勢はあらかた整ったように思えた。


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☆『戦国サーガ』より、長尾景虎

「懸り乱れ龍の旗、立てい! 攻撃態勢に移れ!」


☝・・・懸り乱れ龍の旗が高々とはためき、出撃のほら貝が鳴り響くと、戦士たちは武者震いをしながら攻撃目標へ続々と向かっていく。 こうして、景虎の小田原城攻めが開始されたのである。 


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さて、


☆『千万の覇者』より、長尾景虎

「よっこいしょういち!(死語)」


☝・・・さて、長尾景虎はこの小田原城攻めで特異なエピソードを残している(細かなことについては諸説あり)。 それは、敵の鉄砲玉が届く最前線へおもむろに出向き、そこで床几(携帯用の折り畳み椅子)にどっかと座り足を組んで、具足を外しつつ食事をしたり、お茶を飲み始めた、というものだ。


小田原の城兵からすれば、なにやら変な奴が前線に出てきて座りだし、のんきに茶などを飲みだしている。 なので、 「しゃらくせえ! 撃て撃て!」 と銃撃を次々と浴びせかけた。 しかし、その弾は不思議とその人物には当たらないのだった。


やがて景虎の挙動に気づき、肝を冷やした長尾の将兵らが「キケンです! お下がりください! Σ( ゚Д゚) 」と、わらわら群がってくる。


「!?」 その様子の異様さに、小田原の鉄砲侍たちも座っている人物がただ者ではないことに薄々気づく。 どよめく城兵たち。 やがて景虎の姿を見知った者たちが、「景虎だー! 敵の総大将だ!!」 と声を上げる。


小田原の鉄砲侍たちの目の色は変わった。 そりゃあもう、大将首が射程圏にのこのこと入って来ているのだから。 討ち取れば大金星、間違いなし!である。


再び銃口が景虎に向けられ、弾雨となって激しく襲いかかる。 しかし、ここでも景虎は悠然と座り、茶を飲みながら休憩を続けていたのだった。 小田原の鉄砲侍のなかには、ここぞという時のための、ゲン担ぎの用の「特別製・金の玉(銃弾)」で狙撃に臨んだ者もいたが、それも空しく的を外したのだった。


「長尾景虎は軍神の加護を受けている、という噂はまことだったのか!?」Σ@@


長尾景虎が軍神の化身である、という噂はかねてより関東兵の間で流布され、それは北条の兵士たちも十分聞かされている。 そして今回まさに、これほどの銃撃をしても景虎に全くかすりもしないことに小田原の城兵たちは戦慄した。


戦国時代の当時は、戦で死んだり生き延びたりなど、戦場だけでなくおおよそ人生で起こりうるすべての幸運・不運は、すべて神仏の加護や、天の計らいであると解釈する一種の信仰があった。


景虎のこの大胆な行動のおかげで、長尾ー上杉軍の士気は大いに上がり、敵対する小田原の城兵たちの士気は下がった。 軍神が味方についていることは何よりも心強いことであるし、敵対する側の兵士にとっては、生身の人間が軍神と戦って、勝てる道理があろうか?と忌避する気持ちが沸いたのだった。


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☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信

「軍神の加護があれば、鉄砲玉に当たることなどありえない! ・・・むしろ、玉が勝手に避けてくれるわー!」


☝・・・それにしても、長尾景虎があえて敵の銃撃の射程圏内に入り、危険極まりない冒険をしたのはいったい何のためだったのだろうか?


もちろん味方の士気を上げるためにあえて危険に身を晒したのだ、と解釈することは至極まっとうな意見だ。 しかし、もし銃撃をまともに当たりでもしたら、総大将の負傷ということで合戦の形勢は傾いてしまうだろうし、何よりも作り上げてきた軍神の神話が一気に崩壊してしまう。 士気を上げるというリターンに対し、あまりにもリスクが大きすぎるのだ。


当たらなかったから良かったものの、この危険な行為を豪胆・大胆不敵と解釈するのか、それとも自らを軍神と錯覚した誇大妄想的な行為だと解釈するのかは、意見が分かれるところだろう。 あるいはこの二通りの解釈は不可分なものであり、勇気と豪胆さ、そして毘沙門天などといった神仏への過度の信仰が混じり合って、彼独自の行動をとらせていたのかもしれない。 長尾景虎という人物の興味は尽きないね。


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ところで、先ほどに関連した脱線ですが、長尾景虎の宗教観だとか信仰心といったものを考察するうえで、注目される人物がいます。 それが、細川政元という武将である・・・!


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した細川政元


☝・・・なんとまぁ、この人物までもが姫化/キャラ化していたのかー! @@; とわたしは笑いながら半ば呆れてしまいましたが、この人物の残したエピソードは第一級の、かなり濃ゆい武将です。


「だれ? この武将・・・」と思う人もいるかもしれませんが、細川政元は、長尾景虎よりもおよそ70年ほど前に生まれた人物で、「応仁の乱」のメインキャストである細川勝元の嫡男で管領職を継ぎ、「半将軍」の通り名を持ったほどの人物だった。 そしてこの人物の最大の事績は、


①信長に先駆けて、比叡山を焼き討ちしたこと

②現役の将軍を襲撃して幽閉、強制的に退位させて傀儡を擁立したこと


・・・この二つの事績がよく知られている。


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☆『戦国ixa』より、「流れ公方」の足利義稙(よしたね)


☝・・・「ixa民」の人に分かりやすく紹介するならば、将軍・足利義稙の敵となって、「流れ公方」となる原因を作った人物が細川政元ということになる。


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それで、細川政元という武将と長尾景虎/上杉謙信がどう関連して注目されるのかというと、「宗教に傾倒して、独自の生活スタイルを行っていたこと」が共通しているからだ。 その生活スタイルをあけすけにいうと、「女性と一切交際しない」という一言に尽きる。


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した細川政元


☝・・・この人物は、曲がりなりにも当時、近畿地方の現職で最高実力者であったにもかかわらず、「愛宕(あたご)・飯綱(いづな)の法(修験道の一種で、法術/魔術のようです)」に傾倒し、姿形も山伏風となって「修行」と称して突然の出奔をしたり、さらには女性を近づけず、武家の不文律の義務である「ふつうに結婚して子孫を残すこと」を行わなかった奇行の人物として知られている。


当時の武家の結婚はすべて政略結婚で、念入りかつ用意周到に進められるものであり、男女ともに第二次性徴が終わって元服/髪結いしたら即結婚、という流れが当たり前の時代だといえた。 そんな時代に逆らって、脳みそまっさらな若き政元が結婚を拒否、政務もそこそこ、法術の体得に熱を上げていたというのだから、政元本人の責任というよりは周囲の監督不行き届きのように感じてしまいます・・・。


とにかく、政元の信仰した「飯綱の法」の飯綱の神とは「飛行天=烏天狗」のことであり、一心に信仰して修行を積めば空を飛ぶことができる、と信じられていたようだ。 そして、その法力を得るためには「女性と付き合うことは厳禁」なのだという。 これが飯綱信仰の最大の特徴で、当時その他の日本仏教であるならば、僧侶/信徒が妻帯しても全く問題は無かった。


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☆『戦国サーガ』より、上杉謙信


☝・・・そんな怪しい術に傾倒した細川政元と同じように、長尾景虎も生涯女性を近づけず、また信仰した神仏のなかに飯綱の神も入っていた。


上のキャラ絵の、謙信の兜の前立てをご覧になってほしい。


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☝・・・こちらは景虎の兜として有名な中の一つの写真ですが、この兜に付いている金色の像が飯綱の神のシンボルと言われている。 景虎に限らず、武将の兜の前立てというものは、ただ何となく好みのデザイン/シンボルが飾られているというよりは、自らが深く信仰する神を表明してその加護を期待する、といったゲン担ぎや呪術的な意味合いが込められた、とにかくメッセージ性が強いものだった。


兜に飾られたこの神・飯綱権現については、残念なことに表面的なこと以外の詳しいことはあまりよく分かっていない。 その法術の奥義は、師から弟子に口伝という方法で伝えられていたらしいが、どこかの時点で廃れて跡形も無く消え去ってしまった。 もしかしたら今日の修験道のどこかで飯綱の法について伝承している所があるかもしれないが、それはロマンの領域と言えるだろう。


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☆『関ケ原演義』より、姫化した上杉謙信

「・・・女性はお断りだ! (`・ω・´) キリッ! 」


☝・・・このように、細川政元と長尾景虎は宗教に傾倒して女性を近づけなかったという生き方が共通しているので、両者の共通点となる「飯綱信仰」が注目されている、という訳なのだ。


景虎が飛行術を体得するために修行を行っていたという記録・伝承は見当たらないが、景虎が戦場において大胆不敵な用兵を行ったり、あえて危険に身を晒す行為をしばしば行ったのは、そういった行動を通して、毘沙門天や飯縄権現と言った神仏からある種の神託を伺うといった意味が込められていたのかもしれない。


やはり、景虎という武将の行動理念は、「理知的・合理的」というよりは、「直感的・神がかり的」だと言えるだろう。


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治

「うーん! 景虎様って、謎が多くてホント不思議なお方だ・・・」


☝・・・独特すぎる景虎の用兵や行動に、ちょっと・・・いや、かなり疲れを感じる氏治なのであった。w


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。





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2017年12月12日火曜日

戦国ixa(63+64鯖):高額入札を見てみよう! ~師走の大行商、始まる!

ixaコラム:経験0からのIXA!




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関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/11/ixa6364_26.html
千万の覇者コラボ、開催される!


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☝・・・そういえば、「戦国IXA 師走の大行商!」というイベントが始まっていますね! @@


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☝・・・このイベントは、通常ならカード取引所に並ぶことのないレアリティ・童が、運営によって特別に出品されるというものですが・・・わたしも頑張って一応の入札をしましたが、その結果は、単なる記念入札に過ぎませんでしたねw orz


てゆうか、この時の入札上限額は1000万銅銭!? ・・・まさか、童カードに数百万銅銭もの値段はつかないように思いますが、いったいどれほどの値がついたのでしょうね。


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と、いうことで、ここからは先ほどの話に関連して、63+64鯖のカード取引所における高額出品&入札の数々を見ていこうじゃないか。


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☝・・・レアリティ・天、三好さん! 三好さんはカードNo.1066と、決して新しいカードではありませんが、固有スキルの『天哭傀儡』の特殊効果が他には無いオリジナルなためか、確認した限りでは上限の500万銅銭で5件の入札が入っていました。


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☝・・・レアリティ・極、『普請』の藤堂高虎さん! なんだかんだ言って、銅銭武将というのは良いもんですよねぇ。 確認した時では500万の出品に対して3件の入札が。


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☝・・・レアリティ・天、『蛟神銃槍兵』の斉藤道三さん! 入札最高限度にて、4件の入札。 スペシャルなことに、このカードは追加スキルが素敵なことになっていますねー。 Σ@@


『天虎相剋』と『天穿神滅』は、レアリティ・天を素材にしないと普通は獲得できませんから・・・。 ってことはだ、この1枚を完成させるために、どんだけの豪華素材が消えていったんだ!?


こんなスペシャルなカードを手放すなんて、出品者の方は引退されるんだろうか。 それとも、ただ単に不要だったから出品したのだろうか・・・? 私には謎過ぎますね。


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☝・・・最新の天・朝倉Gさん! 固有スキルの『冥神静謐』は、スキルレベルを10まで上げれば、コストがマイナス2と処理されて使えるんでしたっけ。


このカードは人気が高いようで、これ以外にも2~3回、500万銅銭での出品&入札が確認されました。


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☝・・・シークレット極・『侘茶』の千利休さん!


このカードの固有スキル・『侘茶』は、カードのキャラ絵とも相まって、いやらしい印象が強調されていますw ・・・それにしても500万銅銭っていう値段は、ちょっと高すぎやしないかい!? @@


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と、ゆうことで今回はこのあたりでお開き。 さすがに500万銅銭もの値を付けるカードたちを一堂に見ると、改めてため息が出てしまいますねー。


わたしは一般人なので、当然500万銅銭なんて大金は貯められないのだけれど、ゲーム中においては「戦くじ」から激レアカード・「岡左内さん」などが狙えるといった微粒子レベルのチャンスがあるようなので(※現在「幻の武将、復活の宴」が開催されているため)、そういった夢を糧に、これからもixa世界を過ごしていこう!と、改めて思ったのです。

(`・ω・´)ノ ファイ!


(つづく)






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2017年12月4日月曜日

戦国ixa(63+64鯖):キャラ絵小話! 小田氏治さん編(8)

ixaコラム:経験0からのIXA!





関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/12/blog-post.html
キャラ絵小話! 小田氏治さん編(7)

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☆『千万の覇者』より、長尾景虎


永禄4年(1561年)の2月下旬のことーーー北条属・武蔵国の松山城を落とした長尾景虎は、その日のうちから次に指すべき一手を思案していた。


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☆『グーグルアース』より



松山城を奪った翌朝・払暁ーーー。 日の出前に目を覚ました長尾景虎の眼前には、北条氏が支配する南関東平野がどこまでも広がっていた。 2月の下旬ということで冷え込みもまだきつい。 白い息を吐きながら、立ち昇る朝日に染められて、地上も空もオレンジ色となった景色を景虎は目を細めて眺めていた。


広大な関東平野の要地には北条の支城がそれぞれ配置され、本領・小田原を守っている。 それはまさしく十重二十重とめぐらされた防御線であり、その重厚な守りの最奥に小田原城は鎮座しているように思えた。


「この先、どう北条と戦っていったらいいものかーーー。」


景虎は城内の小堂に入って護摩を焚き、毘沙門天に祈りを捧げながら瞑目、数珠をつまぐりながら黙考する。 祈りが終わり、景虎がおもむろに眼を開いたときには、すでに日は勢いよく昇りだしていた。 景虎は諸将を集め、その方針を告げる。


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☆『信長の野望』シリーズより、長尾景虎


「皆、直ちに北条氏康の追撃に移れ。 長駆、敵の本領・小田原に向かって電撃的に軍勢を進めるのだ!」 ーーーこれは実に驚嘆する作戦だと言えた。


「桶狭間の合戦」や「厳島の合戦」など、たとえ大軍であっても敵の勢力下に軍を進めた場合、本陣が敵の少数精鋭の奇襲にあい、総崩れになった戦いの例は数多い。 景虎の方針は超・攻撃的であると同時に、一気に敗北する危うさをはらんでいた。


景虎があえて危うい行軍の指示をしたのは、野戦を避ける姿勢を見せた北条軍に対する挑発といった意味があったのだろうか。 あるいは自らが大軍ということで、仮に奇襲を受けても動じないという、威厳と余裕のある姿勢を見せつけたかったのか。 戦国時代・最高の戦術家と称えられる景虎の心中はわたしには計り知りえないが、こういった「大胆不敵な、敵中行軍の用兵」が景虎の凄みと言えた。


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☆『鬼武者ソウル』より、小田氏治

「うわぁ・・・なんちゅうダイレクトアタックだ!? @@;」


景虎の方針を聞いた小田氏治の率直な感想であるが、それももっともである。 「越後の衆は、北条軍の堅さ、粘り強さを知らないのか・・・?」 関東の武将たちは一様に顔を見合わせ、「どよ・・・」 とどよめき、困惑の色を隠さなかったのだった。


そこをすかさず、


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☆『信長の野望』シリーズより、鬼小島弥太郎

「大殿の下知は、すなわち軍神の下知じゃあ! みな臆するなぁ!」


☝・・・すかさず、陣中に怒号が鳴り響く。 ざわついていた武将たちはハッと我に返り、口々に「応!」と叫んで答える。 彼らの発声はいつしか「エイ、エイ、応」の鬨の声となって気炎を上げていた。


そう、彼らは武士/武人である。 ひとたび戦場に出れば大将の下知に従い、命をいったん捨ててひたすらに戦うことが本分だ。 味方でさえ驚くこの作戦は、敵方にとってどれほどの衝撃となるだろう? ・・・そう思うと、この作戦は悪くない、そう思えてくるのだった。


こうして、長尾ー上杉軍旗下の諸将は景虎の苛烈な作戦に震撼しつつも、持てる最大の機動力で小田原に向けて進撃したのである。


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☆『戦国サーガ』より、上杉謙信


☝・・・この時の景虎たちが小田原へと向かった進撃ルートは、ある記録によっておおよそ分かってきている。 その記録とは、「制札/禁制」の文書である。


なお「制札/禁制」とは、軍の大将が自分の将兵に対して、「この地区では、一切の乱暴狼藉はしてはならない」と命令したお触れ書きのことだ。




戦国時代の農村や寺社の中には、他国の兵士による略奪・放火などといった不法行為を未然に防ぐため、あえて敵軍の大将に金銭を支払ってそれを免れようとした所もあったようだ。 村々や寺社が支払った保障金は決して安いものではなかっただろうが、大勢の死者を出したり、建物がまるごと灰燼に帰すよりはなんぼかマシだと、断腸の思いで損切りをしたのだろう。 戦国の世とは、非戦闘員にとってはどこまでも過酷な時代だったと、改めて感じてしまいます・・・。


と、いうことで、景虎が発給した制札の文書が断片的に残されているのものを、現代の研究者たちが丁寧にまとめてくれたおかげで、景虎たちの取った進撃ルートがおおよそ分かるようになった、ということなのだ。


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では、せっかくなので、景虎率いる反北条連合の取った行軍ルートを、当ブログでも辿っていくことにしよう。


☆『グーグルアース』より、(注)長尾氏視点のため、南北逆転の地図


☝・・・松山を出発した景虎軍は北条方の川越を避け、入間へと向かう。 川越城を守備していたのは、北条氏堯という一門の武将に加え、優れた行政官として知られた大道寺政繁だと言われている。 大道寺政繁は防御スキルの「暁雲黎明」を持つレアリティ・極のカードとして、『ixa』民にはおなじみの武将だ。


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☝・・・入間からは八王子へと軍は進んでいく。 深い森は避け、自然地形に沿って行軍していったのだろう。 森といえば、当時の関東平野は開発の遅れた後進地域だったので、一部の低湿地を除けば広葉樹の雑木林がやたらと広がっていたはずだ。


今日でも関東の一部地域には平地林が残っており、そこでは戦国時代当時の鬱蒼と広がる森の雰囲気をわずかながら味わうことができる。 しかし、その平地林もここ10年内に始まったソーラー発電の開発によって急速に失われつつあり、より貴重な存在となってきている。


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☝・・・八王子に到着した景虎の軍は、「八王子筋」を抜けて相模の国へと侵入し、厚木方面へと向かったようだ。


なお、八王子は北条方の城である「八王子城」が有名であるが、景虎の軍はその城をどのように対処したのだろうか? ・・・そう思ってみたものの、北条氏の八王子城は、永禄年間のこの頃にはまだ築城されていなかったようだ。 ちなみに、八王子城は北条氏照によって天正年間に完成したといわれている。


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☝・・・先ほどの地図から「八王子筋」付近をアップしたもの。 画面の下が武蔵の国であり、中央の森林帯を挟んで画面上が相模の国となっている。


興味深いことに、今日の航空写真においても、森林帯にはハッキリといくつか「筋」が見て取れる。 景虎の通った「筋」がどこなのかは定かではないが、中世の交通史的には、八王子筋とは重要な街道であったようだ。


この八王子筋を景虎の軍が通過する時、武田信玄もヒヤリとしたはずだったろう。 それもそのはず、八王子筋は相模、武蔵、そして甲斐の国の3国へと通じていたからだ。 しかし、そんな信玄の心配をよそに、景虎が向かったのはあくまでも北条氏の本国・相模であった。


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☝・・・相模の国に侵入し、厚木周辺の平野へと到達した景虎軍は、そろそろ北条軍との決戦があると想定して疑わなかったろう。 なんせここは、敵の本拠地の、海と山に囲まれた、敵中深すぎる平野のど真ん中である・・・!


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治

「うー! 景虎様のお下知は、とんでもなくハードだぁ。」


いつ奇襲とともに総攻撃があってもおかしくないこの状況は、並みの神経の者である一般将兵にとっては、とても平常心ではいられなかっただろう。 しかし、この軍を率いる大将は軍神の化身とも言われた長尾景虎である。 それだけが全軍の心の支えだった。


景虎軍の将兵の多くが北条の精鋭部隊の影にガクブルとしていた中、しかし実際に起きたのは、北条方の地方指揮官が独断で派遣した小隊との遭遇戦/小競り合いばかりで、北条が誇る精鋭の大軍はいっこうに姿を現さなかった。


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した上杉謙信

「まさか!?・・・相模の獅子がここまで臆するとは、見下げたものだな!」


相模平野で斥候を放ち、小田原城の様子の報告を受けた景虎は、武蔵松山城に続いて調子を外された格好となった。ーーーそう、小田原城では敵の襲来に備えて、籠城の準備を着々と行っていることが報告されたのだ。


「まともな一戦も交えず、防衛ラインをあっさりと放棄するとは拍子抜けだな。 ・・・かかるうえは、小田原へ堂々と向かうぞ!  氏康の心胆を寒からしめん!」


景虎の気炎の下知が下り、反北条連合軍の行軍が再開される。 彼らはおおむね相模川に沿って河口まで進み、そこから海岸伝いに小田原方面へと進撃していく。 このようにして景虎軍は、戦国時代稀に見る、長距離からの敵・本拠地ダイレクトアタックを敢行することになったのだった。


「氏康め! 首を洗って待っていろ!」


越後の龍の鋭い牙が、相模の獅子ののど元へと食らいつかんとする、まさにその直前のことであった。


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。






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2017年12月1日金曜日

戦国ixa(63+64鯖):キャラ絵小話! 小田氏治さん編(7)

ixaコラム:経験0からのIXA!




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関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/09/ixa6364_17.html
キャラ絵小話! 小田氏治さん編(6)


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治



☝・・・ブログ主の個人的な興味から始まった、「キャラ絵小話~小田氏治さん編~」。 ですが、書籍による資料をいくつか読み進めているうちに、長尾景虎の小田原攻撃について、修正すべき点がいくつも出てきてしまいました。


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「や、やり直し!? め・・・面倒くさーい・・・ (-_-)」


☝・・・といったテンションにわたしは陥ってしまい、そのためにこのシリーズはしばらく筆が止まってしまったのです。


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☝・・・この後の展開を、「小田氏治さんの戦いはこれからだ!」的なラストに導いてもよかったのですが、w、間違ったことをお伝えすることは不本意であり、小田氏治さんに対する個人的興味もまだ残っていますので、引き続きこれからもよろしくお付き合いくださいませ。


なお、過去の記事と重複する箇所が出てくるかもしれませんが、その時は飛ばして読んでいただくようにお願いします。
m(__)m


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☆『戦国サーガ』より、上杉謙信


☝・・・さて、このシリーズにおいて、書き直すべき箇所の一つは、永禄3~4年(1560~61年)に行われた景虎の関東出兵に際した、反北条の有力諸将の動向だ。


わたしは彼らが景虎の指揮の下、比較的組織的に行動をしていたのでは?と思って話を進めてしまいましたが、それはけっこうな間違いでした。


彼ら反北条の諸将は、全軍が足並みを揃えて行動したのではなく、いくつかの軍団に分かれ、それぞれが三々五々と動き回って、最終的には小田原城/もしくは鎌倉に集合した、というのが本当のことみたいだ。


たとえば、


☆『戦国ixa』より、里見義堯(よしたか)


☝・・・たとえば里見義堯/義弘親子は、本拠地・久留里城を北条軍に包囲されて苦戦が続いていた。 そんな絶体絶命のピンチの際に、友軍である長尾軍が関東に侵入、それを受けて北条軍は包囲を解いており、彼らは命拾いをしている。


その後、里見領にいた北条軍の精鋭は長尾軍に備えるために北関東方面へと向かっており、手薄になった房総地域を、里見親子は絶好の好機とばかりに攻め返している。


里見親子の軍団が小田原城・包囲攻城戦の戦列に加わることは無く、その後の鎌倉・鶴岡八幡宮における長尾景虎の関東管領就任式にのみ出席した模様だ。 一説には、就任式に関しても代理人による参加だと言われており、この戦役における里見軍の動向は、いまだ研究の途上だ。


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した正木時茂


☝・・・「槍大膳」の通り名を持つ、正木時茂。 彼はこんにちのゲーム全般においては里見の配下とされていますが、実際は外房地域(房総半島の太平洋沿岸)を支配する独立した勢力であったようだ。


彼はこの戦役に際して、長尾景虎との取り次ぎ役を務めた。 つまり、景虎の関東出兵はこの人物の外交交渉・折衝なしには行われなかったのだ。 このことは、正木氏が長尾氏と同格であるという格式の高さ・影響力の大きさを物語っている。


北条軍が房総地域から撤収した際、時茂は本領である小田喜(のちの大多喜)城から出撃、房総地域を舞台にして、北条旗下の原・千葉氏などを相手に戦いを繰り広げていたようだ。 彼もまた小田原城・包囲攻城戦の戦列には加わらなかった。


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☆『戦国大戦』シリーズより、太田資正


☝・・・この戦役のキーマンの一人である太田資正も、景虎の出兵のタイミングと合わせて独自の軍事行動を開始している。


研究によれば、このとき資正は武蔵国南部の広い地域にわたってゲリラ活動を行ったようだ。 この行動はよく言えば後方攪乱、悪く言えば後方攪乱を名目とした火事場泥棒だと言えるだろう。


と、いうことで、資正が景虎の指揮下に入るのは小田原城に到着してから、ということになる。


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☆『鬼武者ソウル』より、佐竹義重


☝・・・この戦役には常陸太田の佐竹氏も参加したことが知られている。 しかし、本当に小田原まではせ参じていたのか? と言われれば、そこには疑問符が付く。


一部資料によれば、佐竹軍はこのタイミングで上総の国・佐倉の一帯(正木時茂が攻めた地域とほぼ同じ場所)を攻めていたと書かれており、そうなると、景虎の指揮下には入らなかったということになる。


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(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、長尾景虎


☝・・・と、いった具合で、景虎が永禄3~4年に行った関東戦役で、およそ11万という未曾有の大軍団を率いて攻め寄せたという通説は、いささかの誇張というか、むしろ誤りであったようだ。


戦国時代の最も華々しい時期において、景虎をはじめとする関東の名将たちが一同に肩を並べて、鉄壁の小田原城に籠る北条氏康に攻めかかるーーー、これはストーリーとしてとても面白いものだと断言できるが、そこには若干の脚色があったということなんですね。


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治


☝・・・関東の有力な諸将がおおよそバラバラに行動していたとなると、このテーマの主人公である小田氏治さんも、実際は本領・小田周辺の北条方と戦い続けていただけであり、小田原には参戦しなかったのでは?といった疑問が頭をもたげてくる。


しかし、この疑問を肯定する資料は見当たらず、また否定する資料も見当たらない。 ただただ、『関東幕注文』という長尾上杉氏側の文書によれば、景虎に味方した常陸の国の武将として、小田氏治はその名を残している。


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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治

「もちのロン! 小田原まで出張っていたYO~!」


☝・・・と、氏治さんも主張していることのなので、w、当ブログではそういった疑問に触れつつも、ストーリーとして氏治は小田原まで参戦していたものとして、引き続き話を進めていきたい。


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。





『戦国ixa』
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