2018年5月6日日曜日

【日本史】キャラ絵小話!有馬晴信さん編(4)

ixaコラム:経験0からのIXA!





関連する前回
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キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(3)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より

「とうとう来なすったばい! はよう主(あるじ)に知らせるばってん!」


☝・・・ときに慶長13年(1609)。 ある夏の夕暮れ、一隻のポルトガル船が長崎に入港し、それから一晩が過ぎた。







夜が明けるにしたがい、長崎の港は刻々とその表情を変えていく。 薄暮の紫から、鮮やかな朱(あか)の朝焼けへと。 朱に染められた風景は、やがて立ち昇る陽によって本来の色へと鮮やかによみがえる。 穏やかな波音に、海鳥の声。 いつもと変わらない、豊かな風景がそこにあった。 ・・・ただ一つ、見慣れない異国の船が鎮座していることを除けば。


長崎の港、やや沖合に停泊したその巨船・・・「マードレ・デ・デウス号」は陽光を浴び、照り返しを放って湾内にその姿を誇示していた。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、有馬晴信


☝・・・ここで有馬晴信さんのご登場。


あの船に、暴徒鎮圧という名のもとで多くの日本人を殺害した、カピタン・モール(官職名。マカオ総監のこと)が座乗しているーーー。 晴信は居城・日野江から駆けつけると、見晴らしの良い丘に登り、腕組みをしながら、今回敵となるその船をまじまじと眺め佇んでいた。







☆『戦国ixa』より


☝・・・「カピタン・モール」。 ・・・この職官名をここでは「マカオ総督」などと便宜上そう呼んでいるが、それは正確ではない。


正しくは、「ポルトガル王国の属領マカオ、あるいはその周辺海域における船団の司令武官。 および外交権付き通商代表。 兼、任地における行政長官。」 ・・・と、このようにカピタン・モールが管轄する区域はマカオのみにとどまらず広範囲で、その職務は多岐にわたる。


つまりは「相当偉い人」という理解でOKなのですが、w、この概念が解りずらいのは、「海上帝国」という当時のポルトガルの国家の形態が、わたしたち日本人になじみがないからだろう。 







☆西洋船舶のイメージとして


☝・・・ここで有馬晴信が眺めていたポルトガル船・マードレ号について、より詳細に説明しよう。 この船は「ナウ」と呼ばれるポルトガルの帆船で、「キャラック船」の一種だ。


要は、多くの日本人がイメージする西洋の木造船舶でおおむね当たっているが、「ナウ船」はもっとずんぐりとしていて、「ガリオン船」ほどスマートではない。 そして、ずんぐりとしているぶんゆったりと広く、輸送性に富んでいた。 ずんぐりとした船体は船に安定をもたらしたが、そのぶん船足:スピードが犠牲になっていた。 つまりは鈍足の貨物船である。


マードレ号の貨物トン数は900トンだったと資料ではそう述べられている。 なぜそんなことが分かるのかというと、西洋世界で船にかかる税金はそのトン数で決まるから、記録を見ればわかるというのだ。 ちなみに、貨物トン数:900とは、樽(バレル)が900本積載できる船、という意味なのだそう。


そんな輸送船的な性格の強いマードレ号ですが、当然、武装もキチンとしています。 それは船首と船尾に備えられた砲台/砲列で、敵となって襲ってくるものには容赦なく火を噴いたのだ。 また、この船の甲板は広く、移動式の小砲(小型の大砲)も数門用意されており、正面と背後だけでなく、側面からの攻撃にも対応した、全方位攻撃可能な武装商船だった。


なお、マードレ号は日本側の資料で「黒船」と呼ばれたり、また「烏船(からすぶね)」などという名で絵図に描かれていたりする。 おそらく黒系/暗系の塗料がほどこされていたのだろう。 そういったことから、ここではマードレ号は「黒の巨船」として話を進めていきたい。







☆『のぶニャがの野望』より、ありミャー晴信


☝・・・有馬晴信の目には映る。 どっしりと巨(おお)きな体躯の、黒の南蛮船が。 今回はこの一隻のみが長崎の港に来ている訳だが、こういった船・・・それも、完全武装の戦艦が隊となって押し寄せてきた場合は、どのように戦えばいいのだろうか? おおよそ見当もつかない。 


晴信は、見晴らしの良い丘で思いを巡らせることにしばらく浸っていたが、それもいくばくなく、すぐさま現実へと引き戻される。


有馬晴信の家臣
「お殿様ー! 長崎奉行の長谷川様ば来たけん、お出迎えお願いします!」


・・・カピタン・モール捕縛の時は近づいていた。







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)


☆『戦国ixa』より


長崎の町は、ポルトガル船入港を受けてにわかに活況を呈していた。 彼らは不定期にやってくるのだから、一種の特需だと言えるだろう。 ポルトガル船の長崎入港は実に2年ぶりであった。


特需は大勢の人を長崎の町へと呼び込む。 ポルトガル船は大型船であり、もたらす/持ち出す交易品の積み荷の量もまた膨大だ。 それに関連した荷役仕事を請け負う男たち、ポルトガル船員へ生鮮・雑貨を売る女たち、そして遠方から交易商材を運んでくる商人たち。 彼らは一様にこの特需の利益を享受しようと、いきいきと長崎の町と港とを行きかっていた。


ポルトガルの交易品は数日をかけて陸に上げられ、なかでも貴重品は「商館」に集められて管理されるのが通例だ(もちろん、かさばる商品系などは船内に残されたまま保管される場合もあった)。 商館にはカピタンの公邸もしつらえられており、アンドレ・ペッソアもそこに宿泊するであろう。 彼を捕縛するとしたら、一連の仕事のドタバタの合間を伺い、無防備なところを狙って決行するだけだ・・・と、有馬晴信は長谷川左兵衛とあらかじめ打ち合わせをし、有馬家中から精鋭を選抜、「特命捕縛隊」を編成していた。







☆『戦魂』より、有馬晴信

「気合いだ! カピタンば捕縛すっとー!」
(`・ω・´)ノ


☝・・・しかし、今回のポルトガル人たちはいつもとは違う動きを見せた。 ペッソアは 「まずは、老皇帝(徳川家康のこと)に上申しなければならないことがある」 として、商売はおろか上陸もせず、自らはマードレ号に籠ったまま、駿府の家康に特使を派遣したのである。


この動きに、晴信と左兵衛は調子を外された。 晴信 「ちょー、どげなこと!? 商売第一で来とーんじゃなかと!?」 @@; と。


面食らう晴信・左兵衛を横目に、アンドレ・ペッソアの特使は、マードレ号が搭載する小型の快速船/短艇を用いてさっさと長崎を出発した。


ペッソアが母船に籠っている以上、それを捕縛するにはこちらも船を使って彼らの船に乗り込むしかない。 しかし、晴信率いる捕縛隊は彼らが陸に上がることを前提に準備をしていたため、結果としてペッソアの特使派遣を許してしまったのである。 


捕縛組は、「カピタンが大御所様に特使を遣わすという以上、それを邪魔するのは良くないことだ」 という理由をもって自らの正統性を確保した。 そして、引き続き事態が進展するのを見守ったのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康



☝・・・アンドレ・ペッソアの特使は駿府の大御所・家康と、それに続いて江戸の将軍・秀忠との謁見をした。 このとき特使が持参した献上品は‟莫大なもの”だったと記録では述べられている。


会見の場で特使が訴えたのは、「交易における、ポルトガルの利益をもっと尊重してほしい」 ということだった。







☆官公庁系のサイトより、生糸


☝・・・特使の訴えには「糸割符(いとわっぷ)の制度」が関わっていた。 糸割符制度は、教科書的には江戸幕府が慶長9年(1604)に始めたとされている。 しかし、そのモデルとなる制度/政策は秀吉時代にさかのぼるという。


日本史の授業などで取り扱うので知っている方も多いと思いますが、糸割符の制度とは、糸・・・すなわち「生糸(絹)」に関した交易のルールで、「幕府が指定した特定の商人が代表者となり、ポルトガルと商談をして、その商品を一括購入する」という制度だ。


これは要するに幕府(日本側)による官製談合である。 持ち込まれた交易品に対して買い手が一人だとすれば、値が競り上がるということは起こらない。 こうして幕府が安値で仕入れた交易品は、一定の利益をつけて糸割符仲間(御用商人)に払い下げられ、そこから一般の商人に卸される。 そうして生糸は全国各地の染色工房へと届けられ、加工される・・・といった流れで、「幕府が必ず儲かる仕組み」となっていた。


しかし、この制度は幕府(日本側)が儲かる一方で、ポルトガル側は相対的に薄利/損を強いられていると言っていいだろう。 今回のポルトガル、ペッソアの特使はこのことに意見具申を述べたという訳だ。 ・・・制度の見直しを要求された大御所の対応や、いかに。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ここで関連した脱線話を差し込みます。 


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化したザビエル


☝・・・糸割符という制度で有利な状況にあった日本の海外交易ですが、かつては、鉄砲伝来やザビエル来日の頃からの数十年間は、その値段の主導権は南蛮国(ポルトガル)側にあった。


それはまさに「濡れ手に粟」「ウハウハのぼろ儲け」状態であったらしく、南蛮国が持ち込む交易品は一般的に仕入れ値の10倍/10倍以上が売値の相場とされたという。 また、日本は銀といった貴金属の相場が安かったため、商品の利益に通貨の差益を加えた、二重の利益を南蛮国にもたらしていたのだ。


しかし、「あれから40年!」(きみまろ風) ・・・徳川家康が日本政治の主導権を握った頃には、交易における力関係はいつしか完全に逆転していた。







☆『戦国ixa』より、茶屋四朗次郎と呂宋助左衛門


☝・・・茶屋四朗次郎 「高値で買うんやったら、わてらで買い出しに行かはったらええおへんか。・・・太閤はんのおかげで平和にならはったさかいに」 と、その頃から、京や堺といった畿内の商人が中心となり海外との交易が始まっていたのだ。 また、同時にスペイン、オランダ、イギリスといった国々が日本交易にぞくぞくと参加を始めており、ポルトガルの日本交易独占/寡占は崩れてしまっていた。


これらの動きは経済の原則に則ったものであり、意図してポルトガルの排除を狙ったものではなかったが、ガリガリと同国の利益を削り奪っていったのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康


☝・・・ポルトガルの特使に糸割符制度の見直しを要求された大御所・家康である。


家康
「ハテ・・・ 貴国の通商代表はカピタンではなかったのかな? そのような大事な交渉事を、責任者抜きで安易に決めるわけにはいかんな。 とはいえ、ポルトガルのおかげで日本が生糸を充分に買える、このことはありがたいと思っているゆえ、決して悪いようにはせぬぞ。 安堵せよ」 と、家康はどちらでもないようなことを言い、彼らに言質を与えなかった。 この辺りは家康が「タヌキ」と言われるゆえんである。


それに対してペッソアの特使は強硬に食い下がった。 これは異例なことで、ポルトガルの対日交易不振はずいぶんと深刻だったのだろう。 それなので、相手の必死さに押された家康は、一定の妥協案を示し、それをもって今回の交渉を打ち切りとした。


・・・このとき、家康の内心はどう感じていたのだろう。 「こりゃあ、ナメられているな・・・」 そう思ったのではないだろうか。 そうでなければ、ポルトガル側がこの交渉を強硬に食い下がることもなかっただろうし、そもそも、今回の会見で「マカオ騒擾」の報告/言及が無いことがおかしい。 朱印船の主(あるじ)は、最終的には家康であるのに、である。 特使が下がったあと、ふつふつと怒りが沸いてきた家康は決意を新たにする。


家康
「改めて有馬氏に伝えよ。 カピタンへの報復を厳命する、とな!(怒)」


この件で、家康は2度激怒した。 怒りの心を静めるには「伽羅」の香木が有効だが、このとき家康の手元にそれは無い。 家康のタヌキ顔が、怒りで満ちていた。







☆『フルボッコヒーローズ』より、姫化した徳川家康







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と! いうことで、長くなってきたこともあり、今回はこの辺りでお開き。 次回はどのような展開となるのでしょうか? お楽しみにー。
(^ω^)ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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