2017年3月6日月曜日

魅惑の中国古陶磁を見てみよう! その2:中国出土の曜変天目について!



関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/02/blog-post.html
魅惑の中国古陶磁を見てみよう!


前回の続きです。


以前のブログ・「魅惑の中国古陶磁を見てみよう!」にてサラッと触れた、「中国で出土した曜変天目」。 このことについて興味があり調べてみたところ、中国のまとめサイト的なところにて、例の曜変天目の画像がたくさん掲載されていたので、それをもとに今回の話をはじめようかな。








☝・・・曜変天目茶碗はごく最近まで、現存するのは日本に伝わる3、または4点のみであり、中国原産だと思われるものの、だれがいつ、どのように生産したのか、そして中国本土ではどのように使われていたのか、などといったその詳細についてはよく分からず、謎とされてきた。










☝・・・ところが2009年、中国・浙江省の杭州で一つの茶碗が出土・発見され、話題を呼んだ。(公表されたのが2012年。) ・・・その茶碗はなんと曜変天目だったのだ! なんでも、工場跡地の土木工事を行っているときにそれは発見されたのだという。


竹のへらなどを使い、バームクーヘンの皮を一枚一枚剥いでいくかのごとく、細心・丁寧に地層の発掘をしていたのなら、その茶碗はあるいは無傷で出土したかもしれない。 しかし残念なことに、この碗が出土したときにはすでにひどく破損してしまっていた。 その場所に貴重な遺跡・文物が眠っているということを認識しておらず、工事現場だったことで重機が入ってしまっていたのだ。







(参考)


☝・・・南宋時代の勢力図。 当時、漢民族の南宋は、金や蒙古といった、北方の民族・国家に圧迫された状況下にあった。 また、さきほどの茶碗が発見された浙江省の杭州は、南宋時代には都であり、臨安と呼ばれ大いに栄えていた。










☝・・・曜変天目が出土した場所は、南宋の首都・臨安の「都亭駅」と呼ばれる、いわば宮廷付属の迎賓館跡地であったという。 都亭駅は王朝の宮城にほどちかく、「官衙」といった官の施設も付近に密集するなど、国家の中枢といったエリアでの出土だったのだ。







(参考)


☝・・・南宋の都・臨安の図。 立ち並ぶ甍、流れる運河に太鼓橋、街路樹の柳に松と、麗しい都だったのでしょうね。










☝・・・臨安の概略図。 下部に赤く大きな「皇城(宮城)」が確認できますが、ここの図からは「都亭駅」の場所は確認できませんでした。









話を戻しますね。


曜変天目とともに「都亭駅」で出土したのが、多数の陶片である。 それらのほとんどが宮中で用いられるような高級なものであったことから、曜変天目もまた、貴人に供される高級な陶磁器であったことが専門家によってほぼ確実視されている。


重機が入り、大きく破損してしまったのは本当に残念ですが、中国で2009年に出土した曜変天目とは、このようないきさつで破片となって発見されたのです。







(参考)


☝・・・古い時代の、中国の陶磁器の産地・建窯の窯跡。 中国の歴史は長大であり、また国土も広大であるね。 このようなものわらが遺跡となって原野に放棄されたまま、中国各地で眠っているのだそうだ。









☝・・・茶碗の「胴」の部分。 いかにも黒々とした、光沢と艶を持った黒地の胴に、とびとびと現れる、控えめな窯変の斑紋が見て取れる。 「見込み」が鮮烈な彩に満ちているのに対して「胴」はあくまでも静謐と、表と裏でまるで印象の違った、片身変わりといった感じであるね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ここで突然の脱線話ですが、「表裏比興の者」とは、戦国時代の英雄・真田昌幸の通り名として有名である。 「表裏比興」とは、今日の日本では、この人物を指した言葉としてしか使われなくなってしまっているけれど、もともとの意味は「表と裏を、比べ見て興ぶ(よろこぶ)」といった、この曜変天目のような、片身変わりのモノを形容する語であったのだ。




☝・・・オンラインゲーム『戦国ixa 千万の覇者』より、真田昌幸さん。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・さて、この曜変天目は現在のところ「古越会館」の所蔵となり、破片が組み合わされた状態になっていますが、そこへ落ち着くまでにその破片は何度も転売を重ね、そのたびに値は上がっていったみたいだ。 仮にもし、この茶碗がほぼ無傷であったとしたならば、いったいいくらの値が付いただろうか?


中国の法律で古美術品の国外への持ち出しは禁止されており、外国人の購入は非現実的であるけれども、ほぼ無傷であった場合は日本円で億単位であろうことは容易に想像されるね。 あ~ぁ、もったいない! (ノД`)








(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、ここからは出土した茶碗の「見込み」を覗いてみましょう。










☝・・・見込みを覗きこむと、破損の箇所が痛々しいものの、そこには鮮烈な曜変の彩りが見て取れる。










☝・・・鮮やかな瑠璃色! わが国に伝わり現存する曜変天目とは一味違う、そんな鮮やかな発色とグラデーションであるね。


・・・少し色が派手すぎて嫌いだ! そう思う人もいるかもしれないが、そういった人は「日本的な侘び寂び」を理解し、それを美の中心に据えている人だと言えるかもしれない。 しかし、素直な目で見れば、これはこれで美しいとわたしは感じる。






☝・・・「地、いかにも黒く、濃き瑠璃、薄き瑠璃の星、ひたとあり。また、黄色、白色、ごく薄き瑠璃などの色々交じりて、錦のようなる薬もあり・・・」 と、室町時代に足利将軍家の宝物について記された、『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』に曜変天目はその特徴をそう記されています。









☝・・・・中国で出土した曜変天目には以上のように、日本に現存する曜変天目にはない華やかで明るい瑠璃色の発色があり、『君台観左右帳記』の記述、「黄色、白色、ごく薄き瑠璃色などの色々交じりて、錦のよう」とゆう表現がまさに当てはまっているといえるでしょう。







そして、この事実は次なる示唆を与えてくれます。 それは、「織田信長が曜変天目を所持していて、本能寺の変とともに焼失した」と巷で言われている説・・・あくまでも仮説・噂話とされているものですが、これもにわかに信ぴょう性が増してきます。


と、ゆうのは、『君台観左右帳記』で曜変天目は10碗ほどあるとされ、その書物に記されている特徴が、現在わが国に現存する「稲葉天目」「藤田美術館蔵曜変天目」「大徳寺蔵曜変天目」の3碗の特徴とはやや異なるからだ。


そして現代に至り、「黄色、白色、ごく薄き瑠璃色などの色々交じりて、錦のよう」とゆう表現に近く当てはまる曜変天目が中国で出土した以上、『君台観左右帳記』で「無上なり」と最上級の賛辞でうたわれ記されたその曜変天目とは、中国で出土した天目茶碗にその特徴が近いものであり、今では失われてしまったものではないでしょうか?







(イメージ)








確たる証拠はないものの、やはり、信長は「稲葉天目」以上の曜変天目を持っていたように思う。 「茶の湯政道」、「名物狩り」により、最上級の茶道具はすべて自分の手に渡るよう、あらゆる強権を信長は行使していたといわれているし、 「名物狩り」において、『君台観左右帳記』で最上級の茶器として記されている、最も出来の良い曜変天目を信長がコレクションに加えず、放置していたとする方がよほど不自然でしょう。


なお、「名物狩り」はなにも信長の専売ではなく、管領の細川氏や松永弾正をはじめとした、主に畿内の大名が行ってきたことだ。







「名物狩り」・・・。 ここでいう「名物」とは、これはなにも品質・出来の良い茶道具とゆうことではなく、足利将軍家の「東山御物」のことを指すようだ。 なお、「東山御物」とは、東山文化を築いた主である、室町8代将軍・足利義政が収集し、彼とその取り巻きの数寄者たちが厳選した、由緒来歴の確かな折り紙付きの文物のことを指す。


本来、「東山御物」は足利将軍家が代々引き継ぐべきものであり、「将軍家のレガリア」ともゆうべき門外不出の宝物であったが、将軍家の窮乏とともに徐々に売り払い下げられ、やがてある事件をきっかけにそれらは決定的に散逸してしまう。 その事件とは、室町10代将軍・足利義稙の時代の話である。









☝・・・オンラインゲーム『戦国ixa 千万の覇者』より、足利義稙さん。


足利義材(のちに改名して義稙。以下、便宜上義稙と表記します)は、畠山氏の勢力を後ろ盾にして政権の座に就いていた。 そんななか、彼はある軍事行動中に、突如細川氏の軍勢に奇襲される。 細川氏は、畠山=足利義稙政権の打倒を狙っていたのだ。 いわゆる「明応の政変」である。


将軍と畠山氏の軍はあえなく敗北し、義稙は捕縛され、さらには幽閉されてしまう。 そしてその折、細川氏の強引な脅迫にあい、やむなく将軍職を従弟の義澄に譲り、また同時に「伝来の宝器など」も譲り渡した、と記録にあるのだ。 世はまさに下剋上、といった事件であるね。


その記録にある、「伝来の宝器」が具体的に何であるのか詳しく記述されていないものの、普通に考えて、それらは源氏重代の武具に加え、北山・東山文化の文物であろうことは容易に想像できる。 このようにして、東山御物は室町幕府の混迷・崩壊とともに、一気に散逸してしまったのではないでしょうか。


細川氏が行った一連のこの行為は、「史上最大の下剋上的、名物狩り」といえるでしょう。 ・・・強奪とゆう行為は決して褒められたことではないけれど、このことをきっかけに「名物」は徐々に市中に出回るようになり、それらは「村田珠光」、「竹野紹鴎」をはじめとした畿内の数寄者商人の手に渡って「茶の湯」が広まる下地となり、やがて「千利休」によって「侘茶」が大成されたのだから、歴史とは安易に良し悪しは語れない。


こういった一連の流れを俯瞰すれば、信長の行った「茶の湯政道・名物狩り」とは、散逸してしまった貴重な文化財の再収集・保護といった行為であったといえるでしょう。 とはいえ、いかんせん、本能寺の変で多くの茶道具が灰燼に帰してしまったのだから、「余計な事をやらかしてしまった」結果であったね。 失われてしまったであろう曜変天目が本当に残念でならない。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





と、ゆうことで、今回はこのあたりでお開き。 中国で出土した、幻の茶器・曜変天目茶碗と、それに関連した話でした!







最後に・・・




☝・・・最近話題の、『なんでも鑑定団』で出品された「例の曜変天目」。 こちらについてはつい最近、科学鑑定がされて「近年作られた模造品ではない」ことが証明されたみたいだ。 これを受けてネットニュースはもちろん、大手新聞社がその結果を社会面で報道するなど、世間の大きな注目・関心を集めている。


そしてこの件は今のところ、疑問を呈する立場の方が必死過ぎて、それがひと際目立っているといった段階に移行しているみたいだね。


一度出た科学鑑定の結果を覆すには、新たな科学鑑定によらなければ無理だと思うので、真贋についてはこれにて一件落着へと向かうことでしょう! 所有者の方も、その間いらぬ誹謗中傷を受けるなど、大変なご苦労をされたそうだ。 本当にお疲れ様でした、そしておめでとうございます。


最後に・・・この茶碗を「曜変天目」と分類するのか、それとも「天目茶碗の一種」とするのか、このことが残りの問題となってくると思いますが、個人的には・・・「曜変天目」とは呼べないと思いますが^^; どうでしょうね。


(つづく)


注:この文章はブログ主の意見・見解です。


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3 件のコメント:

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  2. 確かに茶溜まりまで瑠璃色が強く表れているのは、この割れた曜変天目のみだと思います。
    高台脇から垂れている具合から見ても釉の組成に対して高温で焼成したのでしょう。
    酸化焼成か還元焼成か明確には分かりませんが釉調から判断すると稲葉天目と同系統で、光の干渉による虹彩だと思います。
    素地の断面を見ると黒光りしている部分もあるので還元で炭化したのか、もしかしたら焼成段階で焼き割れして釉が少し乗ったのかもしれません。
    割れたタイミングや原因が何にせよ、完品で残っていたら中国で特級の国宝になっていたでしょう。
    それほど素晴らしい虹彩だと思います。

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  3. ご訪問、コメントありがとうございます! そしてコメントを返すのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 2年前のブログ記事でしたので、まさか反応があるとは思えず・・・^^;

    そういえば、ここ最近では「窯変天目」の展覧会が開かれているそうですね。 なんでも、3碗同時公開だとか・・・! 「大徳寺」はあまり公開されていないようですし、とっても貴重な機会だと思います。

    ミホミュージアムは滋賀県ですか・・・私の家からは遠いなあ^^; ご近所の方が羨ましいです。

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