2016年7月12日火曜日

宇都宮空襲を思う!(2)


http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2016/07/blog-post_11.html
(前回)


前回のつづきで、宇都宮空襲の話(2)となります。


宇都宮空襲とゆうと、全国的な知名度はありません。 いち地方都市の空襲であり、戦時中には東京、大阪、名古屋など大都市はもとより、それ以外にも多くの中小都市も空襲されたため、他県の人と空襲の話をすると、きまって「あぁ、宇都宮も空襲があったんですね・・・」的な反応が返ってきます。 とはいえ、わたしが(故郷以外で)他の地方都市の空襲をよく知らないように、それは仕方がないことなのでしょう。 


ですが、意外なことに宇都宮空襲はある有名人が遭遇・被災していて、その人物が空襲体験をして感じたこと、戦争についての思いが、多くの日本人に並々ならぬインパクトを与えていたのです。


その人物とは・・・













アニメ映画監督で巨匠と呼ばれる、スタジオジブリの宮崎駿さんです! Σ(・ω・)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)



宮崎監督は東京都生まれ。 太平洋戦争末期、東京が空襲で危ないとゆうので親戚のいる宇都宮に疎開した。 ちなみに宮崎監督の親戚とは、飛行機の機械部品を製造する工場の経営者であり、資産家だったそうだ。


疎開した先で空襲にあい、鮮烈な印象として残ったとゆうのも皮肉だが、この時の出来事は宮崎少年の心に深く刻み込まれた。


そう、宮崎監督のアニメに時々出てきた印象的なシーン、燃え盛る町の原イメージは宇都宮空襲だったのです。

















☝・・・代表的な例として、『風の谷のナウシカ』と『ハウルの動く城』より。 ハウルについては、反戦の臭いが強すぎて嫌いだとゆう人もいるが、わたしはこの映画が宮崎監督の作品の中で一番好きだ。 単なる反戦のメッセージとゆうよりも「人の業」について深く描かれているのだと思うし、なによりラストでは「人の世は醜いこともあるけど、それでもいいもんだよね」といったものを感じさせられるからだ。
 






(・ω・)(・ω・)(・ω・)



ちなみに、宮崎少年がどのような空襲体験をしたのか、その詳細についてはいくつかの書籍、またはサイトで触れられています。


サイト 「のまのしわざ」 2008年7月の記事

http://nomano.shiwaza.com/tnoma/blog/archives/006588.html




サイト 「住宅さんの子育て日記」 2014年12月の記事

http://shomeh.blog116.fc2.com/blog-entry-1309.html



☝・・・これらのサイトを見てみると、宇都宮大空襲の真っただ中、宮崎少年とその一家は叔父さんの小型トラックに乗り、鹿沼市(宇都宮の西)方面に逃げたとゆうことです。


焼夷弾が降り注ぐ町を疾駆する、少年とその一家を乗せた小型トラック。 これだけで映画の印象的なシーンになるような気がしますが、その前後には非常時ゆえの、なんとも言い難い悲しい出来事があった。 この件については元サイトをご覧になってください。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、宮崎少年とその一家が疎開していた住宅は、幸いなことに空襲で焼けることなく現存していました。 そして今日ではギャラリーとして運営されていたのです。


それが、ギャラリー絆和(はんな)







サイト 「トラベルjp」 2015年10月の記事

http://guide.travel.co.jp/article/13199/



☝・・・ここのサイトに掲載されている写真を見るとわかるように、この建物は宮崎監督の一部映画に出てくるような日本建築で、レトロな趣を十分に感じることができる素晴らしいものだ。 この建物に宮崎監督とその一家が一時的とはいえ暮らしていたことも加えると、ジブリフリークはさぞ感慨深いことでしょう^^




☝・・・同サイトより、美しい古民家の内装。


余談ですが、自分、宇都宮市松が峰にある、この絆和とゆうギャラリーの存在はまったく知りませんでした。 (;´д`) 友人宅が近くにあり、ニアミスはしていたのですが・・・。 それもそのはず、宇都宮市中の細い生活道路、住宅の立ち並ぶ区画の奥にひっそりとあったのだから。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と!ゆうことで、以上が宇都宮空襲に遭遇した著名人、宮崎駿監督についてのあれこれでした。


宮崎監督と言えば、素晴らしい映画監督として国内・海外を問わず圧倒的な評価を受け、アニメ史において前人未到の境地に達していると言っていい巨匠である。 その一方、宮崎監督個人の反戦への思いだとか、軍国主義時代の日本の戦争責任についての考えはいわゆる「左寄り」であり、一部サイトで物議を醸した。


とはいえ、宮崎監督の空襲体験のあれこれを知ると、監督が反戦への思いを強く持つに至ったことは十分に理解できるなぁ、と思ったのです。







なお、この文章を書いているときに知ったギャラリー絆和については自分、興味をかきたてられたので、機会があれば必ず行ってみたいと思う。


都心で暮らす方も、餃子の食とギャラリー絆和の古民家を見に宇都宮を訪れてほしいものです。 東武鉄道・宇都宮線がすぐ側を通っていて駅からも比較的近いとゆうことで、東武鉄道を利用するのもGoodでしょう。 (^ω^)



(つづく)

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