2016年7月11日月曜日

宇都宮空襲を思う! (1)



突然ですが、わたしの出身地は北関東に位置し、餃子の生産を主要な産業として成り立っている都市、宇都宮です。 (`・ω・´)


そして、その宇都宮は戦争が終わる年の7月12日深夜、米軍から大規模に空襲され、壊滅した。 ・・・いわゆる「宇都宮大空襲」と呼ばれる事件である。 今回はこの7月12日とゆう日にちなんで文章を書いてみようと思う。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)



空襲に遭遇したのはわたしの祖母と、生まれたばかりで乳飲み子の父である。 ちなみに祖父はそのとき戦時徴用で他県に出向いており、家を留守にしていたそうだ。


祖父母はもう鬼籍の人となってしまったので、空襲の時の詳細を聞くことはできず、よくわからない。 今となっては一度くらいはきちんと話を聞いておくべきだったと悔やまれるが、時すでにお寿司である。


それはさておき、空襲は71年前の7月12日、雨の降る深夜に突然やってきた。 そして、焼夷弾の炎で昼間のような明るさのなか、祖母は乳飲み子の父を背負い、元石町(もとこくちょう)の自宅から八幡山に逃げ、なんとか生き延びたとゆう話を伝え聞くのみである。


なお空襲の際、市民の多くは誰が言うでもなく八幡山に向かったとゆう。 猛火に染まる町、泣き叫びながら殺到する人の群れはまさに阿鼻叫喚の地獄だった・・・と官公庁の資料にはある。


余談ですが、あなたは火事に立ち会ったことがあるだろうか? たった一軒の火事でもその炎の熱と煙はすさまじいものがある。 ましてや、都市ひとつを焼き尽くす空襲なんてとてもじゃないけど想像できない。 本当に恐ろしい出来事だったと思う。 (-_-)





☝・・・現在の宇都宮の地形。 宇都宮二荒山神社を通じ、その後ろに祖母が逃げたとゆう八幡山公園があります。

このように、宇都宮は都市の中心部近くまで丘陵地が「Vの字」のように食い込んでおり、当時は都市化もされていなかったので丘陵地のほとんどは山林、または一部農家に開拓されて田畑だった。









☝・・・米軍資料による、宇都宮空襲作戦図。 (総務省サイトより、一部画像加工。)

米軍の焼夷弾空襲は「囲」の漢字のとおり、炎で囲いを作って逃げ場をなくしておいてから絨毯爆撃するとゆう、まさに「全力で殺しに行く」とゆう言葉どおりのものだったらしい。 それが、町の中心地が山に通じていたため、人々は「完全包囲」から逃れることができたのです。

この空襲による死者は(資料により差はあるが)500~600人台だったようですが、先ほどの避難地がなければ死者数はもっと増えていたでしょう。









☝・・・太古の昔、八幡山のすそ野に建てられたお宮の門前として発展してきた町・宇都宮。 主祭神は「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」と、この地を開拓された神様である。

それから1000年以上の時が経ち、戦争で空襲があったとき、神社の森が人々の逃げ場となり、多くの命を救ったとゆう事実に感慨を覚えるのです。



(つづく)



※単なる地元ネタの今回でしたが、次回、絵師に関連した意外な人物へと話はつづきます・・・!


http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2016/07/blog-post_12.html
☝・・・(2)へつづく

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