2018年4月2日月曜日

【日本史】キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(2)

ixaコラム:経験0からのIXA!









関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2018/03/ixa57-64_19.html
シクレ特・有馬晴信さん、メッチャ便利で感激する!~キャラ絵小話・有馬晴信さん編(1)~


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康


「機を見てポルトガルに報復せよ!」


☝・・・大御所・徳川家康は「マカオ騒擾」の事件を受け、有馬晴信にポルトガルへの報復を厳命した。


大御所・家康の声は威厳があり、平伏する晴信の全身に重圧となってのしかかる。 晴信はとっさに承諾の返事はしたものの、大汗をかき、平伏したそのまま固まってしまっていた。


それもそのはず、いち地方の領主という身分である以上、大御所の下命に異議を挟むことなどまず考えられない。 ・・・しかし晴信は考える。 簡単に報復せよなどと言ってくれるが、いったいどうやってポルトガルに報復せよというのか?


そう思っているところに、「では、下がれ」と促され、ハッと我に返って会見の間から退室する晴信。 その様子は心ここにあらずといった様子だ。 そんな晴信に家康は重ねて何も語らず、ただただ不動の威圧オーラを放っていたのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




と、ここで、


話は前後してしまいますが、有馬晴信という武将を語るうえで、生い立ちなどといった彼の取り巻いた環境を、皆さんといっしょに振り返ってみたい。







☆『グーグルマップ』より


☝・・・有馬晴信が生まれた有馬家は、肥前の国・島原半島の日野江がその本拠地だ。
(追記)以前、口之津が有馬氏の本拠とお伝えしてしまいましたが、これは誤りでした。経済的な中心地が口之津で、城といった本拠地は日野江ということのようです。m(__)m


有馬家はコーエー社の人気ゲーム・『信長の野望』シリーズで長崎県を代表する勢力として登場することもあるので、わたしを含めて知っている人は多いかと思う。


なお、『のぶやぼ』ゲーム中に登場する有馬家の本拠は日野江ではなく、大村氏の領する「大村城」がその中心地として設定されているなど、事実とは異なっていて、ちょっとした誤解を招いている。 わたしも詳しくは知りませんでしたYo!
(´・ω・`)


それはさておき、戦国時代のメルクマール・織田信長の生きた時代では、現・長崎県の地域は平戸の松浦家、大村の大村家、そして日野江の有馬家の三家が有力な大名としてそれぞれの地を割拠していた。







☆『信長の野望』シリーズより


☝・・・そんな群雄割拠の肥前国で頭一つ分をもたげたのが、日野江を本拠にしていた有馬家だった。 そして、上の画像は有馬晴信の祖父にあたる有馬晴純です。


仙巌(せんがん)という号でも知られる有馬晴純は、軍事、政略共に積極的に攻勢をかけて、この地域における有馬家の名声を大いに高めていた。 しかし、そんな有馬家の隆盛も、晴純が隠居して第一線から退いた永禄年間(1558~)ごろからは徐々にその勢いを失っていく。







☆『戦国ixa』より、龍造寺隆信

「分別(ふんべつ)も久しゅうすればねまる。」


☝・・・そう、その頃の肥前の国は、即断即決、電光石火をモットーにした「肥前の熊」こと龍造寺隆信が、「これからは俺がこの地域をシメるぜえ!」と言わんばかりに活発な活動を開始していたのだ。


今回の主人公・有馬晴信は、祖父の晴純が亡くなるのと入れ替わるように永禄10年(1567)に生まれている。 やがて晴信は、父の病弱、兄の早世、他勢力の圧迫など、諸般の事情によってわずか5歳で家督を継ぐこととなった。


こうして、幼くとも当主となった晴信は、人生の大切な時期である幼少期~青年期を、龍造寺隆信という油断のできない強敵と向かい合うことを強いられることとなる・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


晴信の生い立ちについてはここでいったん置いておいて、ここからは有馬晴信という武将の大切な要素である、キリシタンのことについて触れていきたい。


☆『千万の覇者』より、大友宗麟


☝・・・キリシタン大名といえば、大友宗麟がその代表といった感じだろうか?


本来はキリスト教にそれほど関心の無かった九州の大名たちですが、キリシタンの宣教師とセットで現れる南蛮商人が持ち込む交易品、そこからもたらされる利益に目がくらんでキリスト教を保護していた。 そういった背景のもと、北九州の各地では南蛮港が開かれ、教会をはじめとしたキリシタンの拠点が作られることになる。







☆『戦国サーガ』より、姫化したコスメ・デ・トーレス


☝・・・九州の大名たちをキリシタンへといざなったのは、何も交易品のもたらす金銭的利益ばかりではない。


九州ではコスメ・デ・トーレスを長とした、人間的魅力のあふれる宣教師たちが、文字通り、”骨を埋める覚悟で”熱心に宣教活動を行っていたのだ。


ちなみにトーレスという人物は、ザビエルと共に日本を訪れた宣教師であり、ザビエルが日本を去ったあとその役職を引き継ぎ、イエズス会の日本布教長を務めた重鎮といえる人物だ。 なお、この人物の性格は温和で、愛情にあふれる極めて人格者であったと伝わっている。


そういった人格者の宣教師たちと直に接することで、かたくなな仏教徒/神道信者であった九州の大名たちもキリスト教に関心を持ち、次第に心を許していくこととなる・・・。







そして有馬家とキリシタンの関係はというと、


☆『信長の野望』シリーズより、有馬義貞


☝・・・こちらが有馬晴信の父・義貞。 能力値をご覧になっていただければわかるように、この人物は戦国大名としてはおおよそ不向きな、軍事行動はさっぱりダメといった、和歌や書といった芸道をもっぱら好んだ温和な文化人だった。


そんな温和な領主・有馬義貞も、先ほどの宣教師・トーレスの感化を受けてキリシタンになった武将の一人であった。(洗礼については、別の宣教師が行ったと述べられている。) つまり、有馬家のキリシタン化はこの人物の代からということになる。







☆『千万の覇者』より、有馬晴信


☝・・・このように、有馬晴信が物心ついた前後のころから、彼がキリシタンになる環境は整えられていたという訳だ。 父も母も、そして叔父といった親戚もキリシタンが多かったのだから、自分がやがてキリシタンになるということに違和感を感じるといったことも無かったハズだ。 晴信はやがて10代へと成長したのち、正式に受洗をしてキリシタンとなっている。







☆『戦国ixa』より、大村純忠


☝・・・有馬晴信のキリシタン入信に伴って、彼の結婚式もほぼ同時に行われた。 晴信のお嫁さんとして選ばれたのは、近隣の領主・大村純忠の娘、ドナ・ルシアだと伝わっている。 大村純忠は日本最初のキリシタン大名として知られ、晴信とは伯父・甥の関係だった。


有馬晴信と大村純忠が伯父・甥の関係にあるので、ドナ・ルシアと晴信はいとこ同士ということになる。 現代の日本では避ける傾向にあるいとこ婚ですが、当時の武家は「重縁を結ぶ」という価値観があったために、何の差しさわりも無かった。 むしろ、キリシタン同士の結婚ということでスムーズに事は進んだのだ。







☆『戦国ixa』より、有馬晴信と伊東マンショ


☝・・・こうして受洗・結婚以来の晴信は、自らの名代として「天正遣欧少年使節」を大友宗麟、大村純忠と共同してローマに派遣するなど、その熱心なキリシタン大名ぶりが知られている。 しかしその一方で、一説には、時期によっては領内のキリシタンを弾圧したこともあったとも言われていて、いっとき棄教していたのかどうか、そのあたりは判然としない。 とはいえ、晴信がおおむねキリシタンとして生涯を過ごしたことは間違いないだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


有馬晴信とキリスト教に関する話題はこれくらいにしておいて、話は彼の半生に戻ります。


☆『のぶニャがの野望』より、ありミャー晴信


☝・・・有馬家は晴信が家督を継いだしばらくのち、龍造寺隆信に圧迫されて不本意な臣従を余儀なくされていた。 そんな有馬家に一大転機が訪れる。


ときは天正12年(1584)。 このころ破竹の勢いで南九州を制圧した薩摩の島津四兄弟は、さらに勢力を伸ばすべく肥後北部へとその触手を伸ばした。 その行動は龍造寺隆信を大いに刺激したのである。


すぐさま軍事的緊張が島津・龍造寺間で張り詰める。 そのとき、島津勢は兵数的に圧倒的に不利であった。 そこで状況を打開するために、島津勢は龍造寺家中の不満分子を味方につけるべく水面下で動いた。 いわゆる調略というやつだ。 その相手とは、島原半島の若き領主・有馬晴信であり、そうしたきっかけで「沖田畷の合戦」が勃発することになるのだが・・・。







☆『千万の覇者』より、島津家久と島津豊久


☝・・・今回は「マカオ騒擾」がテーマなので、「沖田畷の戦い」について詳しく述べることはなるべく避けたい。 ただ、島津家久父子が率いる島津軍ばかりが活躍したような印象であるこの戦いは、地味であるものの、有馬晴信も確かに出陣していて、島津と共に死力を尽くして決戦は行われた。







☆オンラインゲーム『War Thunder』より


☝・・・特筆すべきなのは、この戦いに有馬氏の船2艘が参加し、有明海から敵に向かって砲撃を加えた、ということがフロイスの著書から知られている。 つまりは艦砲による援護射撃だ。 どうやらこの船はイエズス会がらみの外国船だと推定されるものの、この時点で大砲を動員できる大名はそうそうなく、このことで有馬氏は名声を轟かせることとなった。


・・・ここでひとつ気づいたことがあります。 それは、有馬氏が外国船を動員していたとなると、要請だとかいった事前の打ち合わせや準備を念入りにしていた結果である、ということだ。 いきなり「ここに行ってこう戦ってくれ」と言われて引き受ける重武装の外国船が、都合良くあるとはふつう考えにくい。


このように、この戦いにはイエズス会の影がチラホラ見え隠れしている。







☆『グーグルマップ』より、沖田畷古戦場跡


☆『千万の覇者』より、龍造寺隆信


☝・・・さらに想像力をたくましくすれば、この戦いで龍造寺隆信が討ち取られたのも、有馬氏の要請を受けた戦艦が突如としてあらわれ、龍造寺軍の布陣・後方の退路を断つように猛烈な艦砲射撃を始めた。 そのために龍造寺軍は動揺し、混乱のさなか無謀な突進行動となって、畷道の周囲にあるぬかるみに嵌って進退窮まり、最終的には島津の鉄砲隊の餌食となって総大将が討ち取られてしまったーーーという結果も筋が通って聞こえてくる。


このように、有馬氏視点からこの戦いを見ると、通説とは違った「沖田畷の戦い」が見えてくる。 そしてそれはとても興味深いところだ。


この戦いで破格の勝利を手にして以降、有馬家は島津家に従うことになる。 龍造寺家を撃破した島津四兄弟は勢い、今度は大友家に攻めかかるのだが・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、豊臣秀吉と黒田官兵衛


☝・・・ときに天正14年(1586)7月。 島津氏の大友攻めは、中央政権である羽柴氏(豊臣氏)の介入を招く結果となった。


このとき、「沖田畷の戦い」で共に修羅場をくぐり抜け、熱い友情を育んだかのように思えた有馬=島津の同盟関係だったが、有馬晴信は割とあっさり島津から離反して、羽柴方に寝返っている。 @@;


秀吉の九州戦役については、「戸次川の戦い」で島津勢は意地を見せたものの、それ以外の戦いでは精彩さを欠き、やがて戦意を喪失した島津軍は全面降伏。 この戦いは1年とたたずに終戦となった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、「武装商船」の小西行長


☝・・・有馬晴信は豊臣政権下でも活躍した。 晴信は依然と島原半島を領有しながら、こんどは肥後半国(南半分)の領主・小西行長の組下となったのだ。 なお、小西行長も晴信と同じくキリシタン武将として有名だ。


小西行長は豊臣政権下では「舟奉行」を務めている。 そんな小西家の組下に入れられた有馬家は、やはり船関係での活躍が期待されていたに違いない。 やがて晴信は、小西行長の与力として「文禄・慶長の役」(1592-1598)に参戦、おもに朝鮮の地で過ごした。


「文禄・慶長の役」については皆さんご存じ、日本は結果的に朝鮮半島から総撤退・・・つまりは敗北することとなる。 この戦役のネックは海戦で、船による補給線が断たれたことが大きな敗北要因だった。 シビアに言えば、舟奉行の関係者である有馬晴信は、この戦いにおいて期待通りの活躍ができず、勝利に貢献できなかったとも言える・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、徳川家康と石田三成


☝・・・時は流れて慶長5年(1600)9月。 こんどは「関ケ原の合戦」だ。


日本の大名が東西いずれかの陣営に分かれて戦ったこの戦役で、有馬晴信は国元・島原半島にいて西軍の旗を掲げた。 ところが、東軍が勝ったとなるとすぐさま勝ち馬に乗り換え、上司であった小西行長の国元・肥後国を攻めている。 (`・ω・´;)


なお、小西氏は西軍の主力の一つとして関ケ原に出張しており、晴信はやすやすと肥後で戦功を立てることができた。


このように晴信は肥後で戦功を立てたため、当初西軍に味方したことを罪に問われず、めでたく戦国期~豊臣政権~徳川政権へと、乱世の荒波をくぐって泳ぎきり、生き残ることができたのだ。







前置きとしてはとてつもなく長くなってしまいましたが、w、結論を言うと、有馬晴信という武将はキリシタン大名としてイエズス会と何やら太い繋がりを持ち、そのうえで「沖田畷の戦い」のような場合は腹をくくって戦い、「秀吉の九州平定」や「関ケ原の戦い」においてはより強い上級権力に逆らわずに寝返るといった政治的狡猾さ/賢明さを持ちあわせた武将であると言えるだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


お話はここでようやく「マカオ騒擾」へと戻るーーー。








「報復つーゆうても、いったいどげんすればよかとーと!
 まさか、マカオまで殴り込みばかけろと!? せからしかー!」
( ゚Д゚)


☝・・・駿府城にて、大御所・徳川家康と面会したばかりの有馬晴信である。 w


このように、大きな声で叫び出したい晴信であったが、もちろん駿府城内でそのような振る舞いができるハズがない。


そんな晴信は小姓に呼び止められ、近くの別室へと案内された。 そして、その部屋で待ち受けていたのは・・・。







☆『千万の覇者』より、本多正純


☝・・・通された部屋に待ち受けていたのは、家康の側近である本多正純だった。 なお本多正純とは、家康に「友」とまで言わしめた謀臣・本多佐渡守正信の嫡男だ。







☆『戦国ixa』より、南光防天海と以心崇伝


☝・・・余談ですが、このころ将軍職を辞して駿府で大御所政治を行っていた家康には「3本の懐刀」があった。 「黒衣の宰相」と呼ばれた僧の天海と崇伝、そして本多正純の3人だ。


正純は「3本の懐刀」のなかでは若年であったが、父・本多正信ゆずりの頭脳のキレとその忠勤ぶりで、正純はこのころ家康の「側近中の側近」として広く内外でその名を知られていた。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、有馬晴信と本多正純


☝・・・(この人物が本多正純殿か・・・。)


部屋で向かい合う、初対面の有馬晴信と本多正純。 目の前に座ったこの人物からは武の臭いがまるでしない。 そのかわり、墨と硯から成る、文具の臭いを晴信はそこはかと感じていた。


ちなみに正純は永禄8年(1565)の生まれで、晴信とは2歳差のほぼ同年代だ。 彼らの間に主従関係はないものの、とはいえ、片や政権の中枢に位置する者であり、もう片方は一地方の領主と、彼らの間には厳然とした分限/身分の差が広がっている。


予想に反して、本多正純は身分を笠に着ることなく丁寧に話しはじめた。


正純
「有馬殿。 このたび大御所様のご下命ですが、実際どうしたらいいのか分からないでしょう」 ・・・先ほど家康の前でかいた大汗をぬぐいながら、問いに肯く晴信。

正純
「実は、我々はいくつかの筋から、今回の当事者、マカオ総監・アンドレ=ペッソアが近いうち長崎に来航する、その情報を掴んでいるのですが・・・」

「!?」 いぶかしがる晴信。 なぜ本多殿はそれを知っているのか。

正純
「彼らの来航の主な目的は、生糸の交易。 要は商売のためにやって来るのです」

「はぁ・・・」 なおも状況がつかめない晴信。

正純
「・・・そこで我々は、何だかんだと用件を作って彼らの注意をひきつけ、動きを封じます。 その間に有馬殿は兵を使い、機を見てペッソアめを捕縛するのです」

「なんと!」

正純
「よいですかな、有馬殿。 これはあくまでも有馬殿による敵討ち。 徳川政権が関与したと相手方に知られては、いろいろ面倒なことになるのです」


・・・正純は終始丁寧な話し方をしていたが、この部分だけが”念が入った”口調となり、ここが会話の核心であることを晴信に伝えていた。


「・・・!」


なんということか。 驚いたことに、すでにポルトガルへの報復の筋書きが用意されていたのだ。 どうやらこの一件には、自分の見えぬところで何か大きな流れが渦巻いている。 いつのまにか我が身は、目隠しをされたまま流れの速い海に放り込まれてしまったかのようだ。


ーーーかくなる上はままよ、行く着く末がどこになるのかは分からないけれども、向こう岸まで泳ぎ切ってやろうじゃないの! 火の国を二つに隔てる有明の海を。


・・・いさぎよく、腹を据えた有馬晴信なのであった。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した有馬晴信


☝・・・と、いうことで、ストーリー的に前回からはほどんど進んでいませんが、orz、今回はこの辺りで次回につづくー!
(・ω・)ノシ


※この文章はブログ主の見解です。




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2018年3月19日月曜日

【戦国ixa】シクレ特・有馬晴信さん、メッチャ便利で感激する!(57-64鯖)~キャラ絵小話・有馬晴信さん編~

ixaコラム:経験0からのIXA!







関連する前回
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引退セールを見てみよう!~ダブルモノマネ大内さん、投げ売りされる!~


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


どうもー! 「戦国異伝」に突入してからは、無課金で『ixa』を遊んでいるブログ主です。













☝・・・そんな無課金なわたしにとって、運よくゲットできたシクレ特・有馬さんの特殊効果:消費名声ー20がメチャ便利で、感激しっぱなしです。


今回は、この話題を・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


先日の攻撃戦のときです。





☝・・・フフー! お手軽なお相手、発見! このお相手に、有馬さん入りの同時攻撃をぶつけてみましょう。


それでは、出撃ー! (^ω^)つ ポチ!



















☝・・・むむー。 わたしの攻撃力の低さは触れないでおくとして、w、お相手の方はほとんど防衛隊の育成をされていない方だったようですね。 ・・・てゆうか、攻撃武将の防御転用ですかー!
@@;


なお、わたしの攻撃部隊のコストは13.5と14.5なので、


13.5+14.5=28

28-20=8


・・・2部隊同時攻撃で、通常なら名声が28が減るところを、有馬さんのスキル効果で8に抑えられています。 こいつぁありがてえ!







それでは、兵を補充するなどして、先ほどの追撃といきますかー。











☝・・・軽微→落寸!


・・・有馬さん入りの同時攻撃・追撃ですが、初弾とは編成を変えているのが分かるでしょうか?


追撃では、2部隊のうちの1部隊の人数を減らして、総コストを21に減らしています。 これで同時攻撃での消費名声が、わずか1に!
(^ω^)


本攻撃の後の追撃は、2部隊同時攻撃するかどうか判断に迷うことがよくあります。 けっこう兵が残っている場合がありますからねー。 ですが、このように有馬さんの特殊効果:名声消費ー20を意識して編成を変えれば、名声をほとんど消費せずに戦力アップが可能となるのです。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




さらに言えば、



☝・・・さこの方さん、深芳野さんなどといった、低コストの弓系カード部隊を本隊の支援に回します。 それで総コストを上手いこと20以内に収め、ふだんから名声を消費せずに同時攻撃をすることも可能ですし、



☝・・・槍を使いたいなら丹羽長重さん、山崎さんなんかもイイかなぁ。 「筋違い角」といった比較的新しい自己合流系スキルとの相性もバッチグーだ。



☝・・・馬を使うならこの2名が候補ですかね。 極・井伊直虎さんは「虎拳」が強力だけれども、兵数が少ないのが思案のしどころ。



☝・・・砲兵科は・・・。 うーん。この組み合わせはナイかな、それなりに攻撃力はあると思われるものの、せっかくの砲兵科が「避雷針効果」で残念なことになってしまいます。 @@;




☝・・・てゆうか、低コストの砲武将を使うのであれば、2016年に配布されたレアリティ天・真田さんなんかが一番使い勝手いいんでしょうねぇ。 わたし的に持っていませんがぁ・・・。 残念っ! (-_-)







などなど、夢が広がるシクレ特・有馬晴信さんによる「消費名声0での2部隊同時攻撃運用」なのでした。


ただし、そのためには新たな育成コストがかかりますし、そもそも、一定の強さを持つ相手に「低コストカードによる2部隊同時攻撃」は通用しないように思われますからねw ロマンは十分に感じられるものの、わたしは手をつけられないかなぁ・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・ところで、このシクレ特の有馬さんの固有スキルは「澳門騒擾(読み:マカオそうじょう)」とあります。 これって何のことでしょう? ・。・


「いくさぶる解説文」によれば、有馬晴信さんはマカオと関係したエピソードを残しているみたいですが・・・。




そう思って書籍もあわせて調べてみたところ、なんとこの人物は、日本ーポルトガルという、2か国間の外交を左右するほどの派手な事件の当事者となっていたのです。







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)


時は慶長12年(1608年)。 当時、ポルトガル領のマカオにおいて、日本人の船員が多数殺害されるという事件が起きた。 「マカオ騒擾」とは、このことに端を発した一連の事件のことをいう。 名称としては、これ以外には「マードレ・デ・デウス号事件」、「ノサ・セノーラ・ダ・グラサ号事件」とも呼ばれていて、通称は定まっていないようだ。







☆『千万の覇者』より、徳川家康と徳川秀忠


☝・・・ちなみに慶長12年(1608年)とは、「関ケ原の合戦」と「大坂の陣」とのほぼ中間の時点である。 このころ、日本政治のリーダー・徳川家康は将軍職をすでに息子の秀忠に譲っており、駿府にて大御所政治を始めていた。


「マカオ騒擾」とは、実は、大御所・家康が深く関与することとなるのだが・・・。







☆官公庁系のサイトより、「16世紀頃の東南アジアと朱印船の航路」


☝・・・話を戻します。 それで、どうして日本人がポルトガル領マカオに多数いて事件に巻き込まれたのかというと、彼らは「朱印船貿易」で海外に出かけていたからだ。 かつては、船の技術が未熟で外洋への長期航海が難しかった日本だったが、江戸初期のこの頃には西洋船舶の技術を学んで/真似して、それが可能になっていた。


そして、マカオでなぜ日本人が殺されたのかというと、ポルトガルの主張によれば「日本人船員が荒くれ者で、町の治安を乱したのでやむなく鎮圧した」ということらしい。


詳しく述べると、日本人は武装してマカオに上陸し、海賊まがいの行為を行ったのだという。 それなので、カピタン・モール(注:官職名。マカオ総司令官のこと)が直々に兵を率いて制圧したという訳だ。 しかし、これは事件当事者の一方で、なおかつ権力側の言い分だから、どこまで本当なのかはわからない。


事実、その事件の生き残りが命からがら日本にたどり着き、そこで訴えたのは、「ポルトガル商人と商談をしているうちにもめてしまったところ、一方的に攻撃をされて殺害・捕縛され、船もろとも一切の財貨を没収されてしまった」という、相手側の主張とはほど遠いものだった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、増田長盛と豊臣秀吉


☝・・・船の積み荷を一方的に没収する・・・。 このことについて、日本側には思いあたる節があった。 それが10年ほど前に起こった「サン・フェリペ号事件」である。


サン・フェリペ号事件とは、豊臣政権時代の文禄5年(1596)10月に起きた一連の事件だ。 発端は、スペインの船が難破して土佐に漂着したという事故があったのだが、その際の調査で「スペインが国を挙げて世界征服の事業を行っていること」、「世界征服の下ごしらえとしてキリスト教の布教活動を行っていること」を日本当局はハッキリと知ることになったのだ。


この調査は能吏・増田長盛が担当をし、ただちに豊臣秀吉へと報告された。 秀吉はそれを受けてすぐさまキリスト教の禁教令を発令、命令に服しなかった宣教師らを処刑している。 そして、漂着したサン・フェリペ号の積み荷の一切を日本側は没収したのだった。


もちろん、こんな一方的な措置を行ったので、この事件は日本ースペイン間の外交問題となっている。 スペインはそのころ、先年の「アルマダの海戦」で敗れて権威は失墜したものの、依然として世界各地で植民地を経営する「日の沈まぬ国」であった。 余談ですが、「マカオ騒擾」の相手国であるポルトガル王国も、この頃すでに「同君連合」としてスペインの帝国傘下に入っている。 (このあたりを含めたスペイン帝国史は複雑で難解です・・・@@;)


しかし、スペインは世界の大国といえども、日本には戦国時代を乗り切った精強な軍事力があり、またスペイン本国からははるか遠方の地であるなど、色々な要因が重なってスペインはあえて報復をしなかったのだ。 この事件はやがて放置され、忘却という名の処理をされたのだったが、日本と南蛮国(スペイン・ポルトガル)との外交関係にシコリを残したのだった・・・。


このように、「マカオ騒擾」は「サン・フェリペ号事件」を彷彿とさせ、南蛮国によるかつての意趣返しのように思われたのだ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・ここで有馬晴信さんのご登場。 彼は肥前の国・島原半島は日野江の領主である。 彼の生年は永禄10年(1567)とあるので、キャラ絵のイメージとはやや違い、この頃は40代前半の壮年となっていたハズだ。


マカオの事件を生き延びた者たちは、有馬晴信の下に行って報告を行った。 なぜなら、事件に巻き込まれた貿易船は有馬晴信の船であったからだ。 当然その船には有馬家の役人が乗り込んでいて、有馬家は人的、金銭的ともに大きなダメージを負っている。


有馬晴信は生き延びた者たちの話を聞いて逡巡した。 貿易に伴う船のトラブルにはさまざまなものがあるが、今回の相手はマカオの当局であり、その背後にはポルトガル王国が控え、さらにはスペイン帝国の影がちらついて見える。 そうなると、到底この件は晴信の手に負えるものではなかった。


悩んだ晴信は江戸幕府の直轄領である長崎に出向き、その出先機関の役人である「長崎奉行」、「長崎代官」らに相談を持ち掛け、やがて家康と面会して直に決裁を仰ぐという運びとなる・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康


☝・・・有馬晴信は駿府に出向き、ことの詳細を大御所・徳川家康に報告した。


有馬氏は家康・・・ひいては幕府から許しを受けて貿易を行っていたのだが、その見返りとして、「伽羅(読み:きゃら)」を家康に献上する手はずとなっていた。 それが事件に巻き込まれたことで不首尾となり、この会見は晴信の弁明の場でもあった。


晴信は訴える。 ポルトガル領マカオにおいて、我らは罪なく襲撃され、死者を多数出すハメになっただけではなく、伽羅をはじめとした貴重な積み荷は船もろともポルトガル・マカオの司令官によって不当に没収されてしまったのです・・・と。


家康は、この報告を聞くやにわかに表情が険しくなり、最終的には激怒したと記録にはある。







(; ゚Д゚)(; ゚Д゚)(; ゚Д゚)


ここで脱線ですが、手に入らないことを聞かされて家康が激怒した、伽羅とはいったい何なのでしょう? ・。・









☝・・・こちらが朱印船貿易で家康が手に入れたかった「伽羅」。 香木の一種で、要は最高級の香料(お香の原料となる)のことだ。







香木と言えば、


☆『信長の野望』シリーズより、「蘭奢待切り取り」


☝・・・武将と香木のエピソードとしては、信長の蘭奢待(読み:らんじゃたい)切り取りの件が最も有名だろうか? ちなみに、このエピソードの香木・蘭奢待は伽羅ではなく、黄熟香という種類の香木なのだとか。


信長は、この「蘭奢待切り取り」をあくまでも政治的パフォーマンスとして利用し、ろくに香りを楽しむということをしなかったようだったが、家康は違っていた。


一般的なイメージとして、家康は質実剛健にこだわる人物で、茶の湯などといった芸道をもっぱら好まなかったとよく言われている。 しかし、記録を見る限り晩年の家康は香道をこよなく好んでいた。


とはいえ、家康が香道をたしなんだのも、お香の効果として精神に良い影響を与えることを期待していたためのようだ。 香木には精神の鎮静作用があると昔から言われており、なかでも、伽羅は極上品として神秘的な効能も信じられていた。


つまり、家康は香木を薬として使っていたという訳だ。 そう考えると、家康という人はホント質実剛健な人ですよねぇー。 (`・ω・´)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康


☝・・・待望の伽羅が手に入らずに怒り心頭の家康だったが、さすがに思慮深い大政治家だけあって、すぐにその場で結論を出さずに、その事件の調査・裏取りを本多氏(本多正信・正純父子)に命じた。


・・・時間はかかったが、事件のおおよその裏取りを家康は終えた。 そしてその内容を吟味して出た結論が、「日本側にも非はあったが、マカオ総監の取った措置はずいぶんと乱暴だ」ということだった。


家康が何よりもこだわったのが、有馬氏が派遣した船は江戸幕府(日本政府)が公認した朱印船であったということである。 そんじょそこいらの民間商船とは訳が違う。 この船の関係者を攻撃するということは、すなわち幕府を攻撃することに等しいといえた。 つまりは、徳川政権の威光に傷をつけられたのだ。 なおかつ、ポルトガル側がこの件を隠してこちらに告知してこないのは、結局は略奪目的だったという、相手側の心のやましさにも思えてきた。


ここで家康は有馬晴信に厳命を下す。 「機を見て、ポルトガルに報復せよ!」と!







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





☝・・・こうして、有馬晴信はポルトガルのマカオ総督(カピタン・モール)に戦いを挑むことになる・・・!


・・・ですが、1回分のブログとしては随分と長くなってしまったので、次回につづくー!
('◇')ゞ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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2018年3月4日日曜日

【戦国ixa】引退セールを見てみよう!~ダブルモノマネ大内さん、投げ売りされる!~(57-64鯖)

ixaコラム:経験0からのIXA!









関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2018/02/ixa57-64_7.html
新章・「戦国異伝」に突入し、各種チケットのイッキ引きをする!(4)終


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


『戦国ixa』のゲーム内にある、カード取引所。 そこでは時に、通常ではありえないような値付けがされたカードが出品されるなど、”お金持ちの子供たちが集まる学校のバザー”的なワクワク感を味わうことができます。


そう、『ixa』ではみなさんご存じ、引退者の投げ売り行為のことです。


というのも、つい先日、”廃クラスのカード”がまとまって出品されていて、取引所を常日頃巡回しているハンターたちをざわつかせたという出来事があったので、今回はそれらをまとめて皆さんと共に鑑賞していこうジャマイカ。 @@







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





☝・・・スペシャルなスキル、「八重言代主神」、「神屋楯比売命」を追加した天・大内義隆さん! ・・・てゆうか、「神屋楯比売命」というモノマネスキルがあったんですねー。 初めて見ました。 @@


『戦国ixa ウィキ』によれば、新しいモノマネスキル・「神屋~」とは、最新のレアリティ・天、「1106 足利義輝さん」「1109 安東愛季さん」が素材になるとのことだ。 と、いうことは、このカードを出品した方は、今期になってこのカードを完成させたのち、引退を決意したということになるのかな。


・・・普通に考えて、このカードの完成にはずいぶんとお金がかかっているだろうし、急いで引退する必要性は全く無いように思いますが・・・。 裏山しい暴挙ですね。
(`・ω・´;)










☝・・・「武装商船」、「天威雷弓」を追加した天・小早川さん!


先ほどの「ダブルモノマネ大内さん」を見ているので、このカードのスキル追加の意図は明快です。 加勢を含めた防衛隊を穴太衆縛りにして、ガッチガチに堅くしようという・・・w










☝・・・「風狂幻術」、「潜姫到陣」を追加した極・吉乃さん!


「風狂幻術」も「潜姫到陣」も、いずれもレアなスキルですよねぇ。 特に「潜姫」! 
これって、素材はオリジナルのヤツだけじゃありません?w 


注目すべき点は他にもあります。 「風狂幻術」が第2スキルに位置しているので、割と早めに習得したのでしょうか・・・。 消費されていったカードの時価を考えるだに、うすら寒さを感じてしまいます! ><







ド派手でスペシャル感あふれるカードは以上の3枚で、ほかには、
































☝・・・などと、合計8枚のカードが、31銅銭にてオークションスタートしていたのでした。


うーん。 これらのカードを見てみると、どれもスキルがキレイに統一されていて、引退したと思われるプレイヤーの方の几帳面な性格が伺われるなぁ。 そのような方が、どうしてまたやけっぱちな投げ売りを?


・・・そう思ってみたところ、そういえば、今は新たな生活が始まり出す新春ですよね。 もしかしたらその方は、新年度から生活パターンが大きく変わってしまうため、区切りをしっかりとつけるために引退を決めたのかもしれない。














(・ω・)(・ω・)(・ω・)


引退出品と思わしき、これらのスペシャルな投げ売り。 それらのカードのそれぞれに、いったいいくらの値がついたのかは知る由もがな、ですが、『ixa』界では確実にべらぼうな課金者がいて、辞める時には”引退セール”という花火を打ち上げて辞めていくという現実を改めて目の当たりにしましたね。


わたしはこういった引退セールを全く理解できない、といったニュアンスのことを先ほど口走りましたが、察するに、最後に大きな花火を打ち上げて辞めていくことを含めて、引退する方は”楽しんでいた”のかもしれない。


引退を決めたあるプレイヤーが、時間とお金とこだわりと愛情をもって完成させたカードは、取引所というシステムを通じ、まったく別のプレイヤーに引き継がれ、ゲーム内でこれからも活躍をし続ける。


それはまるで、”育成を終えて世間に旅立たせる”、といったことにどこか似ていて、ある種の感慨を覚えたのデス・・・!
(`・ω・´)



(つづく)






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