http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1995524.html
☆サイト『痛いニュース』2019年11月の記事より
☝・・・今年11月中に起こった「明石駅前尿テロ事件」。 この事件、ひときわ汚く奇妙な事件ということで記憶に残っている方も多いでしょう。
そんなところ、わたしがこの記事を読んで思い出したのが、「そういえば、地面に撒かれたオシッコって、硝石の原料となるだっけ?」といったうろ覚えだ。
と、いうことで、今回はこいつ・・・硝石をメインテーマに日本史や世界史を絡めて、駄弁りを展開していこうジャマイカ。
☆caution!☆
今回のブログ文中には、排泄物といった話題が含まれます。
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さて! そもそもの硝石ですが、これは火薬の原料の一つとして知られている。 火薬・・・古くからある黒色火薬は、硝石・硫黄・木炭の三成分でできていて、その起源は古代中国の道家・・・薬師と錬金術師を足して二で割ったような研究者によって発見されたと言われている。
その真偽・詳細はさておき、先ほどの火薬の三成分の特徴としては、木炭が燃焼のベースとなり、硫黄が発火を安定させ、そして硝石が爆発力となるのだとか。
なお、火薬の三成分の割合としては、硝石が全体の70%ほどであり、そして残る硫黄と木炭がそれぞれ15%ほどだとされている。 もちろんこれは大雑把な割合で、正確には火器ごとに最適な成分の配合割合は変わってくるし、また戦場における湿度によってもその最適配合は変わるなどと言われている。 火薬の配合割合とは、けっこうデリケートなものなんだねえ。
このように、硝石は古くから西洋では「ガンパウダー(火薬)の魂」とまで言われ、火薬の主成分として知られていた。
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☆ネット検索より、黒色火薬
☝・・・「火薬の魂」とまで言われた硝石。 この物質が我が国・日本に伝わり、そして利用が始まった年代は正確にはわからない。 とはいえ、遅くとも天文12年(1543)の鉄砲伝来によって使われ始めたことは確実だ。 (なお、ここからは鉄砲のことを火縄銃、あるいは銃などと正確に言い換えます)
ここに大きな疑問がある。 謎といってもいい。
我が国の火縄銃伝来にまつわる逸話は、銃の製造といったことを中心に事細かく述べているものの、一方で火薬のことについては、まるでぼかしたかのように詳しく記されていない。 火薬は銃使用に欠かせない必需品だというのに。
おそらく、火縄銃が伝来した当時の日本では、火薬の製造・調合方法は銃にまつわる軍事技術の要として、秘密にされていたのだろう。 この秘密さえ守られていれば、火縄銃が世の中に出回って敵方の手に渡っても、深刻な脅威とはなり得ない。
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☆『千万の覇者』より、鈴木重兼
☝・・・こうして、戦国日本では火薬の秘密を知り、火縄銃の扱いに長けた「砲術士」、あるいは「鉄砲侍」という呼び名の戦士階級が成立した。 根来衆、雑賀衆といった火縄銃技能集団の活躍だ。
彼らは日本各地の有力大名に招かれて、ある者は傭兵となり、またある者は火縄銃の指南役として鉄砲隊/銃兵隊の隊長を務めるなどした。 なお、こういった砲術士を雇うには、べらぼうな金額の報酬が必要だったと言われている。
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☆『千万の覇者』より、鈴木佐太夫
☝・・・しかし、火薬の秘密・・・一握りの専門家集団によって独占されていた火薬の秘密は、徐々に戦国日本の世の中に知られるようになっていく。 火縄銃伝来から20年ほどが経った永禄年間(1558~70)ともなると、火薬の原料とその配合割合を知る者は、砲術士以外でも確実に増えていた。
ただし、たとえ火薬の秘密を知っていたとしても、戦国時代の日本人が自前で火薬を生産することは困難を極めた。 火薬の原料のうちの木炭は容易に手に入れることができる。 硫黄も、まあそれなりに入手は可能だ。 しかし、硝石だけはどうしても調達できずにネックとなって、日本国産火薬の製造を阻んでいたからだ。
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☆『千万の覇者』より、武田晴信
☝・・・かの武田信玄も、火縄銃の威力を認めつつもそれを重視しなかったのは、硝石、つまりは火薬の調達が難しかったためと思われる。 火縄銃とは火薬が無ければ無用の長物であり、安定して火薬を調達することができなければ、とうてい戦場で頼りになる武器とはなり得ないだろう。
信玄という人は決して新技術・新兵器に暗いわけではなく、ただ、甲斐の国における火縄銃の運用を検討してみた結果、「鳥脅しのようなものだ」・・・すなわち、現状ではそれほど役に立たないだろうといった、きわめて現実的な結論を出したに過ぎないのだ。
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☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化したザビエル
☝・・・武田信玄が火縄銃を重視しなかった例からわかるように、戦国期の日本では硝石の入手ルートはきわめて限定されていた。 その限定されていた硝石の入手ルートとは、輸入・・・つまりは南蛮人との交易である。
そして、南蛮人との交易が行われたのが、「南蛮港」・・・平戸や横瀬浦、豊後府内といった西日本の一部港に限られていた。 なお、南蛮港にはキリスト教の司祭と言った聖職者が滞在することが決まりとなっている。 その理由は、カトリック教徒であるポルトガル船員が宗教的な儀式を必要としていたからだ。
南蛮港の説明はさておき、そういった港から硝石は転売されて、日本各地の需要家である戦国大名へと供給されたのだろう。 ある本によれば、硝石は戦国日本ではまったく産出しなかったことから、ほぼその全量が輸入によってまかなわれていたと書かれてあるものもある。
しかし、いくつかの史料によれば、硝石はある程度日本でも採取されていたようだ。
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日本産の硝石の話をする前に、そもそも硝石とはどのような物質であるのかといったことに少し触れてみよう。
硝石は硝酸カリウムを主成分としており、そのほかに硝酸ナトリウム、硝酸マグネシウムといった成分を合わせて硝石という呼び名になっていた。 これは、昔ながらの塩が、塩化ナトリウムや塩化マグネシウム、塩化カルシウムなどの複数成分でできていることと同じことだ。 また、硝石はまたの名を塩硝/焔硝(えんしょう)とも言い、見た目は塩や砂糖と同じ白い結晶の粒だ。 そして、舐めてみるとその味は苦く、そしてひんやりとしたものを感じるのだとか。
また、硝石・・・硝酸カリウムは肥料としても知られている。 農業をやらない人でも、一度くらいは「窒素・リン酸・カリ」という言葉を聞いたことがあるだろう。 これは肥料の三要素と呼ばれるものであるけれど、その三成分の一つであるカリが、硝石の硝酸カリウムに相当している。
このように、硝酸カリウム・・・硝石とは、火薬の主成分で爆発力の源となり、同時に肥料の三要素のうちのカリでもあるというわけだ。
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☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化したアルメイダ
☝・・・では、南蛮人はこの硝石をどのようにして交易品として調達していたのだろう。 「石」というように、どこかで硝石を産出する採石場、あるいは鉱山でもあったのだろうか?
・・・その答えはノーだ。 硝石は、その当時の世界・・・16世紀の世界においては、採石場や鉱山で採掘されていない。 天然の硝石とは、主に砂漠地帯の一部土砂や、熱帯地方の一部土壌に多く含まれていることがあり、人々はそういった土砂土壌から硝石を抽出・精製して手に入れてきた。
天然の硝石の産地としてはインドが特に有名で、そこで取れたものは「インド硝石」の呼び名で知られている。 また、火薬発明の母国・中国でも硝石を多く含んだ土壌の地域があり、こういった場所で硝石は産出されて南蛮人の交易品となっていたようだ。
このように、戦国日本ではインド産、または中国産の硝石を、南蛮人を介した交易で手に入れていたと推測されている。
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☆『千万の覇者』より、呂宋助左衛門
☝・・・このような輸入硝石は大変に高価で、湿気ることがないように壺に入れられ密封されて、海を渡って取引がなされていた。
ルソンの壺という言葉を聞いたことが無いだろうか? ルソンの壺とは、東南アジアで作られた雑器の壺であるが、戦国~安土桃山時代の日本においては、高額な茶器として扱われていた壺のことだ。
もともとは価値のない雑器の壺が高級品となったのには訳がある。 その訳とは、壺に入れられていた商品・・・硝石や砂糖といった壺の内容物がそもそも高額であり、壺自体にはプレミアムな価値が無かったところを、当時茶道をたしなむ商人が付属品である壺もありがたがって丁重な取り扱いをはじめ、やがて茶道の権威・千利休がお墨付きを与えて高値へと定着したと考えられているのだ。
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☆マンガ『花の慶次』より、ルソンの壺
☝・・・つまりは、ルソンの壺とは、高級ブランドの買い物袋、あるいは高級ブランド商品の空パッケージをありがたがっているのと本質は同じだ。 こう思うと、なんとも苦笑してしまいますね。
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そうそう、日本国産の硝石の話をしないとね。
火縄銃が伝来して、銃の普及とともに火薬の需要が高まっていくなか、その主成分である硝石を日本でも採れはしないかといった試みが始まっていた。 いくらなんでも、当時の輸入硝石の値が高すぎたからだ。
そんなところ、戦国時代の日本人は民家の土間の土に、もしくは厩や牛舎といった家畜小屋の地面に、あるいは便所周辺の土に硝石が多く含まれているという事実を知るようになる。
当時の日本人はなぜそういった場所に硝石ができるのかといった原理はまるで解っていなかったが、とにかくそういった場所の土を採取して大釜で煮出し、さらにいくつかの工程を経ることで、やがて硝石が手に入ることを知るようになっていた。
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☆『信長の野望』シリーズより、毛利元就
☝・・・では、戦国大名は交易を除いて、どう具体的に硝石を調達していたのだろう。
一つの例としては、毛利元就は「硝石は牛舎の土から採るのが一番良い」と家臣宛ての書状で言っている。 この書状が残ったのは幸運なことで、毛利家は家臣のそれぞれに硝石入手のノウハウを教えて、硝石入手のための行動を命じていたことが伺われる。
しかし、毛利家以外の大名・・・例えば火縄銃の戦法に秀でた織田家をはじめ、島津や伊達、佐竹家といった大名がどのように硝石を安定的に調達していたのかといったことは、実はあまりよく分かっていない。 やはり火薬にまつわることは軍事機密ということで、史料に残りにくかったのだろうか。
特に疑問に思うのが、戦国時代を過ぎた安土桃山時代、豊臣政権のときに敢行された「文禄・慶長の役」(1592~93)だ。 そのときに動員されたそれぞれおよそ15万人もの兵士は、その半分ほどの割合が火縄銃を装備していたと言われている。 この鉄砲侍たちが使う膨大な量の火薬は、いったいどう調達されていたのだろう? このことは大きすぎる謎だ。
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☆『戦国IXA』より、稲富佑秀
☝・・・戦国大名たちの火薬/硝石調達の実態はヴェールに包まれている。 そのかわりに、火縄銃技能集団の中には「家伝書」という形で火薬製造のノウハウを記しており、それが史料として現存していたりする。 なお、こういったものでは近江国友村や稲富家の史料が有名だ。
ただし、こういった火縄銃技能集団は徳川家に味方して生き残ったグループであり、またその家伝書は江戸時代になってから編集されたものが多いということから、戦国時代における火薬にまつわる実態は、ほとんど分からないと言うべきだろう。
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このように、残された火薬にまつわる史料の少なさを見ると、戦国大名が積極的に硝石の生産に関わっていたとは考えにくい。
☆ネット検索より、フェリペ2世
☝・・・一方で、西洋世界はというと、戦国日本とは比較にならないほど組織的な硝石の生産体制が敷かれていた。
たとえば、ヨーロッパ各国(強国クラス)では「硝石採集人」という準役人が存在していて、硝石を生産する仕事に携わっていた。 彼らには強権が与えられ、国王や領主の名のもとに、勝手に他人の敷地に入っては硝石を含んだ土を採取し、時には建物を壊したり、広場や住居を占有するなどして硝石集めに奔走していた。
また、西洋諸国ではルネサンス以降の科学の発展により、硝石を産出する工場も考案・建設された。 それが「作硝丘(さしょうきゅう)」、または「硝石丘」と呼ばれたもので、人工の丘を作り、そこに硝石の原料となるもの・・・すなわちオシッコを撒くことで、硝石を生産することができるようになったのだ。
実は、人畜の排出物・・・オシッコに含まれる尿素は土中に撒かれると、微生物がそれを分解して窒素化合物が生成される。 こうした自然界におけるいくつかの化学反応によってできるのが硝酸カリウム、すなわち硝石だ。 (ただし、この作硝丘には石灰も撒かれていたということから、産出する硝石の成分は硝酸カリウムよりも硝酸カルシウムの方が多かったかもしれない。)
うーん! ようやくここで冒頭の「明石駅前尿テロ事件」に話が繋がりましたね!
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☆マンガ『ドリフターズ』より、硝石丘
☝・・・この「作硝丘」というものは日本人になじみが薄いが、要するに塩田のようなものだと考えれば分かりやすい。 ともあれ、作硝丘では、こうしてできた土を煮出して上澄みを集め、ろ過や蒸留などを繰り返して硝石は結晶化された。
なお、これら一連の作業ではとてつもない悪臭が発生したらしい。 このことは「硝石採集人」のふだんの乱暴な振る舞いとあいまって、彼らは民衆からたいそう嫌われていた。 ただし、硝石採集人は希望者の多い職業で、なり手はいくらでも現れたといわれている。 それはなぜだろう。
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その答えは、「硝石採集人」には兵役が免除されていたためだ。 西洋の国家は戦争遂行のための火薬、その主成分である硝石を大量に必要としていて、硝石を生産するのは専門職に任せるのが一番いいといった認識だった。 そのために硝石採集人には強権が与えられ、さらには徴兵されないといった優遇を受けていたのだ。 もっとも、彼らのサラリーは随分と低い水準であったようだが・・・。
このように、西洋諸国は社会インフラを整えて、比較的安定した硝石の生産体制を作り上げていた。 のちに近代、「列強国」と呼ばれるようになるその基(もとい)は、優れた銃火器と火薬の主原料である硝石の安定的生産、この二つの要素が大きいと言えるだろう。
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【小話:あんがい、硝石は身の周りに存在する?】
さて! こうして硝石のことについて文章を書いていると、わたしはかつて硝石を実際に間近で目にしたかも? ということをここでふと思い出した。 なお、それは理科の実験室や試薬で見たといった話ではない。
いつもの脱線であるけれども、この機会を逃せば2度と語ることのないような話なので、蛇足ながら綴ってみよう。
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それはけっこう昔の話だ。 わたしがある会社の商業施設で働いているとき、ひとつのクレームが舞い込んできた。 そのクレームとは、「男性トイレの小便器が故障し、詰まって溢れているから何とかせんかーい!」・・・といったものだった。
そうは言われても、わたしにはトイレのトラブルを解決する技術がない。 それなので、上司と相談をして、水回りの業者の手配を済ませておいた。 だが、その業者さんはその日のうちには来れないという話だった。 会社が特定の業者と修繕の専属契約をしているという弊害だ。
そこでわたしに与えられた緊急ミッションが、「小便器から汚水がじわじわと溢れている現状を、応急的になんとかせんかーい!」 ・・・というものだった。 orz
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仕方なしにわたしは、少考したのち、とりあえずポリバケツと灯油のポンプを用意した。 灯油のポンプをペコペコし、汚水を汲み上げてはポリバケツに移して、最終的には大便器にそれを破棄しようといった戦術だ。
☝・・・この作戦は功を奏し、おおかたの汚水を片づけることができた。 そして、汚水が残りわずかになったときのこと。
ズゴー! ズゴー! と音を立ててポンプが吸い出したのは、なんと砂のようなものであった。 サラサラサラ、と白っぽい砂が吸い出されてきたのだ。
ええ、便器の中にどうして砂が!? しかもその量、およそ一握りの砂ほどと、けっこう多い。
そのブツを思い出して形容するならば、「ハチミツの瓶に沈殿した糖のような、結晶の粒々」であったと証言したい。
「うへぇ~」 @@;
当時の私は、こんな作業、さっさと終わらせてしまおうといった一心であったから、この時に現れた砂は、どうせ不健康な人間から出た尿結石か何かだと決めつけて、さほど気に留めることもなく、それ以来、この時の出来事は記憶の海の底に沈んでいた。
けれども、このたび硝石について調べてみたことから、案外この時に出た砂とは、硝石系の物質であった可能性が高そうだ。 硝石は、別名を「小便塩」とも言うらしいし、いくらなんでも、尿結石が一握りほど便器の底に溜まっているなんてこたぁないだろうから!
・・・このように、硝石というものは身の回りに存在していないようで、案外身近に潜んでいるのかもしれない。w
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☆ようつべより、植村花菜さんの『トイレの神様』
☝・・・汚い話はこの歌を聞いて、浄化浄化ー!
うーん。 どうでもいい話を挟んだことで、話の流れがぶった切れてしまいましたね。 ・・・まあいいか。 当ブログは、ブログ主のとりとめのない感想と駄弁りの連続です。
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☆『戦国IXA』より、円信院殿
☝・・・古代中国で発見されたとされている硝石。 この物質は銃火器の火薬として、爆発物として長いこと戦略的に扱われてきた。 しかし、人類の科学の進歩によって、やがてより威力の強い爆発物が発見されることになる。 硝石の戦略的価値が、今まさに変わろうとしていた。
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それはスチームパンクな雰囲気の漂う、19世紀のことだ。 この時代の有名な化学者といえば、日本では断然ノーベルが挙げられるけれども、黒色火薬に代わる爆発物を発見したのは別の化学者だ。
☆ネット検索より、シェーンバイン
☝・・・その化学者はドイツ連邦のシェーンバイン。 そして彼が発見した化学物質はニトロセルロース、またの名を綿火薬といった。 それは1845年の出来事で、彼の妻のエプロンがきっかけで発見に至ったエピソードが有名だ。
ちなみに、新しく発見されたニトロセルロース・・・綿火薬は文字通り、綿の繊維を化学(ばけがく)して火薬にしたものだ。 さらに、この綿火薬は煙が出ないことから、「無煙火薬」の通称が一般の間で定着した。
兵器として使うための研究期間を50年ほど経たのちに、やがて無煙火薬は無煙であること、より強い威力であること、この二大利点から、完全に黒色火薬に取って代わることとなる。
こうして、黒色火薬とその主成分の硝石は、ひとつの技術体系として歴史的な役割を終えたのである。
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☆『伊万里湾大花火ポスター』より
☝・・・古代の人が住居周辺で見つけた、燃える塩のような粒。 この物質は、やがて硝石と呼ばれて火薬となり、そこから銃火器が発達し、長いあいだ多くの人命を奪ってきた。 だが、いまやそれは花火といった、主に平和的なもののために使われている。
人類の歴史とは、資源と、それにまつわる技術・道具の沿革史でもあるということを、このたび改めて感じさせられましたね!
・・・そうそう、仮にオシッコから肥料や硝石を作ろうとするならば、駅前は避けて、他人の迷惑にならないような場所で作るべき・・・デスね!w
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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