☆サイト『週刊ヤングジャンプ』より
https://youngjump.jp/manga/kowloon/
☝・・・週刊ヤングジャンプ・・・通称ヤンジャンにて連載がはじまった、眉月じゅんさん作の『九龍ジェネリックロマンス』。
個人的に、この作者さんの前作・『恋は雨上がりのように』をチラ読みしていたこと、そして「九龍(クーロン)」というワードに魔力めいた魅力を感じることから、今回はこいつをお題に駄弁りを展開していこう。
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このマンガは、タイトルに冠された「九龍(クーロン)」のとおり、今では失われてしまった魔境として有名な香港の九龍城塞、それが存在した1990年あたりの当時を懐かしむことがメインのマンガだと思いきや・・・
ところがどっこい、第2話の冒頭で「ジェネリック地球(テラ)」なるものが登場し、このマンガの世界観が、まさかの近未来SFものであることが判明しましたね・・・!
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それにしてもこの作品、建設中だという人工惑星が登場するという近未来の割には、どこか奇妙な感じがします。 まず、劇中の登場人物たちの身の回りにあるモノの旧式っぷりはどうだろう。
たとえば、主人公である鯨井令子の部屋。 そこには明らかに近未来とは言い難いレトロな趣のあるエアーポットや扇風機が置かれている。 そして彼女が身に着ける腕時計もスマートウォッチなどではなく、ずいぶんと昔からあるような女性用の細い腕時計だ。
それよりもそもそも、なぜこの劇中の世界において、今では失われてしまったはずの九龍城が存在していて、そこに主人公の令子を始めとした日本人が働いているのだろう? こういった疑問が読者の前に横たわっている。
こういったカオスな世界観はどうだろう。 先ほどわたしはこのマンガを近未来SFものだと言いましたが、それは間違いであって、このマンガは現実の世界とはまったく異なる世界・・・時間も空間も違った、パラレルワールド系のお話しなのだろうか。
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こう書いてしまうと、わたしが否定的な立場でこのマンガを読んでいるように聞こえるかもしれませんが、そんなことは決してなく、とても楽しく読ませてもらっています。
仮に作者が男性であったならば、同じテーマを描いたとしても、そのマンガにはバトルやエロといった要素が多く含まれがちだ。 でも、このマンガの作者は眉月じゅんさん・・・女性ということもあって、劇中では男性マンガ家にはなかなか描く事の出来ない女性の心理が、マンガのコマに落とされて描かれている。
そう、このマンガは実質、「男性誌に連載された女性マンガ」なのだ。 こういった部類のマンガは昔から一定数あるものの、ふだんからそういったものを読まない男性読者にとっては新鮮であり、刺激的でもある。
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「映画は最初の10分」。 ・・・こういった格言があるくらいに、マンガの出だしというものも同様に重要だ。 その点、この物語の滑り出しはなかなかいい感じで、このマンガは週刊連載ということから、こういった「週一の楽しみ」が増えたことをうれしく思う。
なんていうか、大人になってしまうと趣味嗜好のストライクゾーンが保守的になるというか、こういったささやかな楽しみは少しづつ減っていく傾向にあるので、ここは素直にありがたいと思ってしまうよ。
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いったん話題を、マンガ『九龍ジェネリックロマンス』から外れてみよう。
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☝・・・それにしても、なぜ令和時代の今、我が国で九龍城というモノに光が当てられるのだろう。
かくいうわたしは、リアルに存在した九龍城のことは正直よく知らない。 知っているとすれば、それはプレステ初代でリリースされた『クーロンズゲート』という、ゲーム化されたヴァーチャルでフィクションな九龍城くらいだ。
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☝・・・こちらが先ほど触れた、プレステ初代の『クーロンズゲート』のパッケージだ。 ちなみに、リリースされたのは1997年2月。 このゲームは、なんでも今日では「伝説の奇ゲー」などと称されているらしい。
確かにそれは言い得て妙で、このゲームはリリースされたその当時、ゲーム好きな少年少女、そして若干の大人にインパクトを与えた。 かくいうわたしもその一人で、このゲームの持つ強烈な個性の印象はいまだ薄れていない。
たしかその当時は、1996年3月にリリースされた「バイオハザード初代」の大ヒットにより、ホラーといったジャンルがゲーム業界でプチブームとなっていて、そういったホラー系・怪奇系のゲームが雨後の筍のように次々と世に出ていたと記憶している。 そういった世相のもと、『クーロンズゲート』はひときわ異彩を放っていた。
まぁ、この『クーロンズゲート』のゲーム性・・・ストーリー進行やダンジョン攻略、敵とのバトルなど、こういったゲーム性の部分はそれほど面白かったとは言えないけれども、薄暗く荒廃した感のあるクーロンの世界、ドぎつい見た目の住人たち、ねっとりと奏でられる胡弓のサウンドなど、そういったものが絡み合った世界観は総じて面白かった。
九龍城とは、やっぱり闇の中でネオンの光を輝かせているような、悪酔いしてしまいそうなほどのアジアンゴシックに満ちていて、暗さやうさん臭さを基調とした存在であった方がいい。 ・・・こんなことを思ってしまうのは、わたしの九龍城についてのイメージが、ゲーム『クーロンズゲート』の支配下にあるからだろう。
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☝・・・話をマンガ『九龍ジェネリックロマンス』の方に戻してみよう。
いま物語は第2話まで進んだということで、お話は今後どのような展開を迎えるのだろう。 第2話の扉絵では「大人ロマンス INでぃすとぴあ」ということが書かれていて、このマンガのコンセプトを端的に説明しているけれども、わたしから言わせてもらえば、ディストピア感がやや物足りない。
いや・・・正直に言えば、現時点でディストピア感は限りなくゼロに近い。 九龍の町はゴミゴミとしているものの夜には満天の星が見えるなど環境は悪くなさそうだし、主人公である令子の職場での人間関係もおおむね良好。 また、みずみずしいスイカやプリプリとした水餃子が登場するなど、食べものも美味しそう・・・などなど、劇中の九龍の世界では、好まざるものよりも好むものの方が勝っているように見受けられる。
これはたぶん、作者の眉月さんの九龍城塞というものに対するイメージが、どちらかといえば「懐かしく、古き良きもの」と好意的にとらえているからだろう。
個人的な希望としては、もっともっと、九龍城塞の持つ闇、ゴチャゴチャとしていてアナーキーで、アンダーグラウンドな感じを描いてほしい・・・でも、それだと別物のマンガになってしまいそうだから、ここは素直にこの作者の感性に身を委ねるとしよう。
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それにしても、やっぱりキーになるのは「ディストピア」というワードだろう。
わたしたちの社会は、表向きは「明日はより良い社会になる」とうたっているが、それを大嘘だと見做すのが「ディストピア観」で、つまり、人類によって営々と構築されてきた文明社会は高度に発展していくものの、その極みにおいて大崩壊をし、ついには存亡の淵に追い込まれるのではないかといった悲観的な世界観だ。
マンガ『北斗の拳』における世紀末世界、アニメ『風の谷のナウシカ』の腐海に覆われた世界、映画『ターミネーター』『マトリックス』などの機械・AIが支配する世界などがそういったディストピア観にかなう世界だと言えるだろう。 こういったディストピアを舞台とした作品・コンテンツは古くからあり、むしろ古典的だともいえる。
ではなぜ、いまディストピアなのだろう。
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それを正確にいい当てるのは難しい。 単純に「異世界ものに飽きた」ということもあるだろう。
とはいえ思い当たるとすれば、ネットワーク社会の出現が、それに慣れない人々を戸惑わせているということだろうか。 ネットワーク社会の出現とは、情報伝達の無駄を省いて世の中を便利にするという側面がある一方で、「管理者/権力者が管理しやすい社会」が到来したことを意味している。
なによりも尊重されるべきである個人が、職場の上司に、あるいは社会や国家に、はたまた無数の「お前ら」といった自分以外のナニモノかによってより強く干渉・支配されるようになった・・・そういった思いが強くなってきているのではないだろうか。
こういった管理のいきすぎた社会がディストピアの条件の一つで、その延長線上にはやがて世界の破滅が待ち構えている。
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ディストピアを扱う作品・コンテンツを気になってしまうのは、その作品の表面的なものだけでなく、その深層にある人類滅亡への警鐘と、それを回避しようといった健全な本能のようなものが、心のどこかで反応しているからなのかもしれない。
(つづく)
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