2017年6月20日火曜日

【戦国ixa】極・浅野長政さんを落札する! ~キャラ絵小話・浅野長政さん編~(63+64鯖)

ixaコラム:経験0からのIXA!




関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/06/ixa.html
(キャラ絵小話~ヴィレラさん編~)









☝・・・レアリティ極、「質実剛健」の浅野長政さんをカード取引所にてゲトしました。










☝・・・落札できた! やたー (^ω^)


・・・落札価格は5万9000銅銭と、自分の有り金(銅銭)のほとんどを叩いての購入でした。 前期にこのカードが登場して以来、「欲しいなぁ~」と思っていたものの、浅野さんは前期の63鯖では少なくとも30万銅銭以上で取引されていましたから、「自力で引くしかないのねw」と、半ばあきらめていた、そんな念願のカードだったので素直にうれしいデス^^


浅野さんは「戦チケ」から排出されるカードなのでいずれ引くことができるかもしれませんが、意外と欲しいカードがなかなか出なかったりと、狙って当てることはできませんからね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


てゆうか、ここ数日の63+64鯖のカード取引所って、やばいですねw




☝・・・ここ数日、わたしが落札できた「質実剛健」の浅野さんをはじめ、「御手杵」の結城さん、「義龍」の景勝さん、「赤童百鬼」の井伊直政さんなどといった、〝使える極カード”が5万銅銭で大量に出品されていますし、





☝・・・極めつけは、レアリティ・天、それも比較的新しい天が20万銅銭でたくさん出品されているのですから・・・! Σ@@


これらの出品は、「極」が5万銅銭、「天」が20万銅銭と一律に出品されていて、なんじゃこりゃw と思ってしまいました。 もちろん、5万、20万銅銭で出品されているとはいっても、いくらで落札されているかは私にはわからないので、意外と高値で落札されているのかもしれません。 しかし、こうも一度にたくさん出品されているところを見ると、入札が分散されて比較的割安で落札されていると思われます。


これらは、カードそれぞれの需要や性能を反映した値付けといったものがされておらず、また今までの相場の推移を無視するといったような、そんな無機質な出品のされ方から見ても、これらは「中華業者」による出品の可能性が高そうです。 まぁ、いまや一般プレイヤーも中華業者が作った相場に倣って5万、20万銅銭で出品をしているかもしれませんが・・・。







今回、わたしは5万9000銅銭で浅野さんをゲトできましたが、5万9000銅銭とゆう数字が高いか安いかは一考を要しそうです。 と、ゆうのは、刷新間もない鯖は全体に出回っている銅銭量が少ない状態なので、それに応じて価格が抑えられているという見方もできるからです。 経済における、「神の見えざる手」と「価格の自動調節機能」とゆうのは、オンゲにおいてもしっかりと働いているようで、妙に感心してしまったり@@;







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と!ゆうことで、今回はこのあたりでお開き・・・では、あまりに内容が無いので、浅野長政さんについて話を進めていきましょう。









☝・・・「質実剛健」の浅野長政さん。 絵師はBISAIさんと、『戦国ixa』をはじめとして多くのオンゲでキャラ絵を提供されている人気絵師さんだ。


ここのキャラ絵の浅野長政さんの表情に、どことなく妖しい、なにか底意のようなものが含まれているように感じて「戦国ixa wiki」のカードコメント欄を見てみれば、









☝・・・『銀魂』由来のネタシーン、「ムラムラします」を意識したものでは? とゆうコメントが投稿されていて、なるほどね、と思いましたw









☝・・・キャラ絵の余談はさておき、浅野長政さんはどういった人物だったのだろう? わたしのイメージからすれば、浅野さんは武人とゆうよりは文人政治家で、「五奉行の一人」だったという漠然としたイメージしかありませんが・・・。









☝・・・そうして「いくさぶる解説文」を見てみれば、彼は秀吉の正室・寧々の義理の弟とゆう縁戚関係を生かして出世の糸口をつかみ、やがて五奉行の筆頭になり、のちに秀吉の死後は徳川家康の家臣になったということが紹介されています。


・・・う~ん。 プロフィールとしては、これ以上なく簡潔にまとめられた分かりやすい文章ですね~。


しかし、わたしがとりわけ興味を持ったのは、長政が「五奉行へと出世して行った事績」よりも、「寧々の義理の弟で、豊臣秀吉の親類だった」とゆう出自に関する点だ。


ここからは個人的興味として、浅野長政と寧々、秀吉の関係を調べていきたいと思う。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・秀吉と、正室のねね(高台院)。 浅野長政はねねの義理の弟、と先ほどの紹介文でありましたが、いったいどうゆうことでしょう?


そう思って系図を『ウィキペディア』で見てみれば、
(画像をクリックすれば拡大表示されます)




☝・・・う~ん! どこら辺が義理の弟なのかは、一見しただけではまるでわからんw









☝・・・こちらの表示画像の方が簡略化されていてまだ分かりやすいでしょうか? これらの系図では、「浅野家」、「安井家」、「杉原家」、「木下家」といった4つの家系が入り組み、それらは婚姻関係と養子関係が絡みあっていて、とてもわかりずらいことになっています。
@@;








絡み合っていて分かりずらいものを理解しようとするなら、それら一つ一つを解きほぐしていって、個別に把握していくことが一番の近道です。


まず、今回の話題の中心である浅野長政の家である浅野家なのですが、意外にも、長政自身は養子(正確には婿養子)であったのです。 @@




☝・・・浅野家の家紋・浅野鷹。 浅野家は織田信長の弓衆だったと伝わっている。 ここの家紋にある鷹の羽は矢羽であり、弓矢をもって主君に仕えた浅野の家をまさに象徴していると言えるね。


話はすべて、浅野家の当主・浅野長勝(長政の義理の父)に子がいなかったことがそもそもの始まりだったのだ。







いろいろな資料を見ていると、子がいない、できないということは戦国時代である当時はよくあったことのようで、養子のやりとりはごく普通にあちらこちらで行われていたみたいだ。


このような感じで、子のいない浅野長勝は、織田家中の同僚である杉原定利に頼んで幼女・・・いや失礼、w、養女をもらい受けた。 それがまだ幼いころのねねである。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、ねね







こうして、ねねは浅野長勝の下で養育されたのだった。 浅野家では、ねねを一人前の女性にすべく、しっかりとした教育を彼女にほどこしていく。 ゆくゆくは、浅野家を立派に継いでくれる婿にふさわしいように、と。


しかしねねは、そんな浅野家の期待を裏切る暴挙に出ることとなる。 そう、ねねは藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と出会って彼に惚れてしまい、養父母をはじめ周囲の大反対を押し切って、駆け落ちのように藤吉郎の下へ走って祝言を上げてしまったのだ! @@;









この時代の身分制度、もしくは身分意識というのはやはりすごかったみたいで、武家の婚姻ならば家格・身分が釣り合ったもの同士でないとふつう成立しなかったようだ。 特に、藤吉郎は苗字も持たないような最下層の身分だったことから、織田家の正式な家臣である浅野家との身分の差はまるで天地のごとく開きがあったことだろう。


しかし、世の中が決めた暗黙のルールなど、思いに駆られて一途になった14歳の寧々にはまったく関係なかった。 ・・・いわゆる中二病の女子版であるけれども、中二病は昔からあったんだね。w


のちに、秀吉とねねの結婚については「戦国時代において稀有な例である、恋愛結婚」と言われるようになるのですが、当人たちがそのことをどう思っていたのかは定かではない。 興味深いですよね~。 @@







☆『千万の覇者』より、ねね






さて、ねねに家を飛び出されて困ったのは浅野家の面々である。 恥をかかされ面目をつぶされたこともさることながら、家を継いでくれる婿を取るための、娘がいなくなってしまったからだ。


「おいコラ、あんたっとこから貰った娘が勝手に家を飛び出して、どこぞの馬の骨ともわからんサルのような男と祝言を上げてしまったぞ! どう落とし前つけてくれるんじゃあ!」


( ゚Д゚)ゴルァ!!


・・・と、浅野勝長が言ったかどうかは定かではないが、ねねの実家・杉原家にクレームを入れたのは間違いなかったはずだ。


杉原家は返す言葉も無かったろう。 「申し訳ない!」 m(__)m と、ねねの妹であるややを新たな養女として浅野家に送ったのだった。




☝・・・そう! この女性・ややが浅野家の正式な養女となって、のちに婿を迎えることになるのですが、その人物こそが今回の主人公・浅野長政だったのです。 ・・・いや~、ここまで長かったなぁ!w


と、いうことで、浅野長政が「ねねの義理の弟」であり、ひいては「秀吉の親類」であるということは合点していだたけましたでしょうか?w


('◇')つ!







☆『戦国大戦』シリーズより


☝・・・浅野長政は婿として浅野家を継いだことは先ほど触れましたが、彼が浅野家に婿入りすることは、どうやら早いうちから決まっていたようだ。


と、いうのは、長政の実家は尾張国・宮後城主の安井家(所属は織田家)という家で、浅野家とすでに縁戚関係にあったからだ。 そして、浅野の現当主・長勝と長政は叔父・甥の関係だったようです。


家を継がせるのならば、なるべく同族の者に・・・。 あるいは、より血の近い者に継がせたい・・・そういった考えだったのでしょうね。







ちなみに、今回紹介した浅井長政さんなどの生年について記すと、


・浅野長政 天文16年(1547年)生まれ
・寧々   天文16年(1547年)生まれ(※諸説あるようです)
・豊臣秀吉 天文 6年(1537年)生まれ


☝・・・と、長政と寧々は同い年で、秀吉はそれより10歳年上のようだ。









☝・・・もしもねねが、大人しく親の言うことを聞いて秀吉との結婚を思いとどまっていたら、歴史はずいぶんと変わっていたはずだ。 ねねには浅野長政のほかに、前田利家との祝言話もあったそうだ。







☆『戦国サーガ』より、ねね


☝・・・14歳のねねがすべてを捨てて家を飛び出すことで、本来結婚すべき人物たちにドミノやスライドが起こって、歴史が大きく変わった。 人の取るとっぴな行動には、時として歴史を変えるほどの、大きな可能性を秘めている。 人の縁(えにし)って、本当に不思議ですね!







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と!ゆうことで、今回のお題であるはずの浅野長政さんの話題はねねに見事に乗っ取られて、これ以上長政さんについて調べる気は今のところ起きないので、w、今回はこのあたりにしてお開きにしましょう!


(^ω^)ノシ!


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。






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