2019年5月10日金曜日

【ixa/日本史】れんみつ姫を引く!~キャラ絵小話・蘆名家&れんみつ姫編(1)

ixa/日本史コラム:経験0からのIXA!




関連する前回
https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/04/ixa_12.html
濃姫さんを引く!~キャラ絵小話・濃姫編~







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・おおっと、NEW! れんみつ姫ゲットです。
(^ω^)


ここのゲーム、けっこうクジの内容が偏るようで・・・。 今れんみつ姫を引いたのは影城主の方でしたが、肝心の本城主の方はというと、いっこうにれんみつ姫を引くことはできず・・・。 「磯野さん」とか「本願寺」だとか、微妙なカードはポコポコ出るんですけどねえw


(てゆうか、そもそも、「天上くじ」でれんみつ姫が出ること自体がハズレなのですがぁー! orz)









☝・・・それはさておき、変わった名前をしている「れんみつ」は、会津・蘆名家の姫のようだ。


そういえばここ最近、ここのゲームでは蘆名家絡みのカードが次々とリリースされていますよね! 「カタストロフの彦姫さん」とか、「大庭三左衛門」とか。


そこで興味を覚えたわたしは、少しばかり戦国蘆名家の歴史について調べてみると、何気にけっこう面白いのです。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【ここから日本史の話題】


突然だけれども、「会津の歴史」と言われて思い出すのは何だろう? 会津鶴ヶ城、松平容保、戊辰戦争、白虎隊 etc ・・・。







☆官公庁のサイトより、『大河ドラマ 八重の桜』ポスター


☝・・・「会津の歴史」といえば、日本全国区的には幕末に関するものが圧倒的にメジャーで、その地域の戦国時代はというと、どちらかといえばマイナーだと言えるだろう。


しかも、その戦国時代においても、脚光を浴びるのは伊達政宗による「摺上原(すりあげはら)の合戦」「上杉景勝と東北の関ケ原」といったものがメインで、会津の伝統的な領主であった蘆名氏が主人公として語られることはごくごく少ない。


しかし、繰り返しますが、調べてみるほどに、会津・蘆名の戦国史はなかなかに興味深いのです。 そして、その属性は「哀史/悲しい歴史といった類のものだ。


ここからは、そういった蘆名家の戦国史について話を展開していこう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


蘆名家の戦国史・・・。 そうはいっても、さて、どの時点からそれを語ったらいいだろうか?







☆『戦国大戦』シリーズより、蘆名盛氏


☝・・・そもそも蘆名家とは、その先祖が鎌倉の御家人ということで、会津地方の領主に任命されて以来、その地に根ついてきた武家である。 そんな蘆名家は戦国時代の天文年間あたりから盛氏という優れた当主が現れて、その勢力は一段と勢いを増した。 その基(もとい)となったいきさつがこうだ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、伊達稙宗


☝・・・そもそも、戦国時代、奥羽地方における最大の武家勢力は伊達氏であった。







☆グーグル検索より、伊達氏の縁戚関係


☝・・・その当時の当主・伊達稙宗はいろいろと旺盛な人だったようで、子供をたくさん儲けては他家と縁戚関係を結び、一大勢力圏を築き上げた。 こういった婚姻・養子縁組を介して作られた勢力圏は「洞(うつろ)と呼ばれている。


この「洞」、「洞中(とうちゅう)」という概念は少し難しい。 似たような歴史用語に「家中(かちゅう)というものがあるけれども、「家中」が「家の子・郎党」といった譜代の家臣で構成されているのに対して、「洞中とは、家中が集まってできたもの」と解釈できるだろうか。 要は武家の連合体ということだ。


そんな伊達洞中には会津の蘆名氏も含まれている。 蘆名盛氏の妻の親父が稙宗という関係からだ。 こういったことにより、蘆名家は奥羽のドン・稙宗の影響下にあった。







☆『戦国大戦』シリーズより、伊達稙宗


☝・・・しかし、大きくなりすぎた雪だるまが自身の重さによって自壊するように、稙宗の洞中もいったん崩壊の時を迎える。


天文8年(1539)頃のこと。 稙宗の権力欲は止まることを知らず、こんどは越後守護の上杉家をも自らの洞中に組み込まんと画策する。 稙宗の政治力によって彼の三男・時宗丸(のちの実元)の入嗣が内定し、いざ養子入りの門出というときにその事件は起こった。







☆『戦国ixa』より、伊達晴宗


☝・・・天文11年(1542)6月、伊達家嫡男の晴宗が、あろうことか父の稙宗を襲撃・拉致し、彼を居城の座敷牢に幽閉したのだ。 この事件の知らせを受けて、奥羽地方には激震が走る。


幽閉された稙宗はほどなく側近・小梁川宗朝によって救出され、親子は軍勢をもって対立した。 その際、両陣営はそれぞれ各地の勢力に対して自分に味方をするよう要請を行ったため、伊達洞中は二分、これによって「伊達氏天文の乱」と呼ばれる大戦(おおいくさ)が始まることになる・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、れんみつ


☝・・・しかし、今回のテーマは「蘆名家とれんみつ姫」についてなので、「伊達氏天文の乱」の細かい記述は端折ろう。


ただ、この6年にも亘る伊達氏の内紛は、当初反乱を起こした晴宗方が不利であったところを、会津の蘆名盛氏が晴宗に味方をすることで流れが変わり、稙宗方は逆転されて、晴宗方の勝利でこの乱は終結した。


そう、若き日の盛氏は「天文の乱」終結の立役者でもあったのだ。






☆『のぶニャがの野望』より、伊達テネむね


☝・・・「伊達氏天文の乱」の背景や経緯は不明なことが多く、何より当事者である伊達父子の心境について述べた史料が残っていないなどと、いまだ完全な解明はされていないようですが、


・支配をより強めていこうという当主・稙宗と、一部その取り巻き
・それに反発する嫡男・晴宗とその取り巻き


・・・大雑把にはこのような対立構図だと考えられている。 また、伝承によれば、伊達稙宗は家中・洞中から非常に畏怖されていた存在だったらしく、そういった「恐ろしい」稙宗のキャラクターもあって、この乱は起こったのだろう。







☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化した伊達稙宗


☝・・・「伊達氏天文の乱」終息後、奥羽のドン・伊達稙宗は隠居することになり、軍事・政治の表舞台から姿を消した。 また、新たな当主となった晴宗は安全地帯を求めて本拠地を伊達郡から移動。 以来、羽州・米沢が伊達氏の居城と定められる。


伊達洞中は完全な瓦解こそはしなかったものの、こうして伊達宗家の影響力は大幅に低下し、相対的にその洞中の傘下に置かれた各武家の力は高まった。


つまり、会津の蘆名盛氏は「天文の乱」が終わることで、「伊達氏支配からの卒業」を迎えたと言えるだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


れんみつ姫と戦国蘆名家の歴史を語ると言っておきながら、その前座とも言うべき話を長々としたことを申し訳なく思います・・・。


ですが、戦国奥羽における伊達氏の存在、また、「洞(うつろ)」といった武家の連合体についての知識は、これからの蘆名家を語るうえで欠かせない前提となるのです。 ですのでどうかご容赦を。


ということで、ここでいったん仕切りとしましょうか。 次回に続きます。
('◇')ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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2019年5月2日木曜日

【時事/日本史】炎上と政変!~ノートルダム寺院火災事件が起こる~

時事/日本史コラム


関連する前回
https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/04/blog-post_23.html
そらと曽良!~芭蕉忍者説について~


(・ω・)(・ω・)(・ω・)




先日おこった、フランス・ノートルダム寺院の大火災。 この事件はインパクトありましたよね。







☆サイト『ライブドアニュース』2019年4月の記事より
http://news.livedoor.com/article/detail/16323454/


☝・・・このニュースを受けて、日本では「金閣寺の炎上」を連想した人が多数いた模様だ。 たしかに、フランスでの件を我が国になぞらえてみれば、昭和20年代に起きた金閣寺の火災がそれに近い事件だと言えそうだよね。









☝・・・日本の事例はさておき、近年で「国を象徴するような建造物の炎上・焼失」といえば、わたしは隣国・韓国の「南大門火災」を思い出しました。 この事件が起こったのは2008年2月ということで、もうずいぶんと時が過ぎてしまったのですね・・・。







それはさておき、




☝・・・さきほどのニュースによると、ノートルダム寺院の火災の写真・映像を見た一部の人たちの中には「不謹慎ながらも美しい、絵になる」といった感想が複数あったようだ。


確かに言われてみれば、壮麗な建物の炎上は人の心に迫るものがあると思う。 フランスの人には申し訳ないけれども・・・また、人類の文化的損失といった観点は抜きにして。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【ここから日本史の話題】


戦国時代に親しんでいるわたしにとって、大炎上は歴史物語のクライマックスシーンだ。 ここからは、「炎上と政変」をテーマに駄弁りを展開していこう。







【本能寺の変】


☆『のぶニャがの野望』シリーズより、織田のぶニャが


☝・・・ベタであるけれども、「炎上と政変」といえば「本能寺の変」がその代表だろう。







☆『信長の野望』シリーズより


☝・・・「桶狭間の合戦」で華々しく全国デビューを果たし、戦国の世を駆け抜けていった織田信長。 「本能寺の変」とは、そんな時代を代表する英雄の、あまりにも鮮やかすぎる最期だと言えるだろう。 本能寺に立ち上った紅蓮の炎とは、彼の死を飾る花でもあった。


「もしも本能寺の変が無かったら」・・・そんな想いがロマンとなって尽きること無く、今日の私たちを惹きつけている。







☆『信長の野望』シリーズより、織田信長


☝・・・「もし、本能寺の変が無かったら・・・。」 信長が天下を統一していただろうという意見が多数の中、やっぱり信長は謀反を起こされて殺されていただろうといった意見も少なくない。


その代表として、羽柴秀吉が謀反を起こす可能性が指摘されている。 彼は信長に対して従順であるというイメージが強いけれども、そもそも、「本能寺の変」の黒幕は秀吉だという説も昔から根強い。 なぜなら秀吉は「本能寺の変」最大の受益者だからだ。


秀吉は「本能寺の変」の報告が届いてからすぐさま敵軍・毛利との和睦を成立させ、神速とも思える「中国大返し」、そして姫路城ですべての財産を部下に分け与えてからの「山崎の合戦」、そして勝利。 この一連のスマートでスムーズ過ぎる動きは、光秀の行動をあらかじめ把握していたからだ、と考えるのがより合理的だ。


また、信長死後1か月もたたない「清須会議」にて、秀吉は悪びれることなく三法師を傀儡として擁立、主家簒奪の着手を始めている。 信孝、勝家、信雄・・・。 秀吉は織田家中の有力者を次々と屈服させていった。 そこにかつての主・信長と織田家に対する敬意や遠慮といった意識は見当たらない。


そういった点からも、秀吉は「本能寺の変」が起こらなくても謀反を起こした可能性は高いと思われているのだ。







☆『のぶニャがの野望』より、織田のぶニャが


☝・・・さて、近年のゲームで信長は「火/炎の属性」として位置付けられることが多い。 それは多分に「本能寺の変」による炎上のイメージからであろう。


その一方で、わたしが思い出すのが「梅雨将軍」という信長の通り名だ。 これはマンガ『花の慶次』の劇中に出てくるワードで、そのあたりの文章を引用すると、


❝信長は別名梅雨将軍とも呼ばれ、大事な決戦では必ず雨が降ったという。 それは、あたかも摩利支天が信長に付き従う如きであった。❞


・・・とある。 確かにそう言われてみれば「桶狭間の戦い」では豪雨と暴風が、「刀根坂の戦い」も暴風雨に乗じた作戦行動をとっている。 あと小規模な合戦では、1554年に信長は暴風雨のさなか、船を出すように命じて海を渡り、城を落としたという「村木砦の戦い」も印象的だ。


このように考えると、信長の属性は風雨・・・すなわち水と風、あるいは雷だと言えるのかもしれない。


とはいえ「梅雨将軍」という通り名は、さきほどの作品以外ではついぞ聞いたことが無い。 『花の慶次』だから、作家の隆慶一郎さん説ですね。 一部ネット情報によれば、それを初めて言ったのは新田次郎さんである、そんな指摘もありましたが・・・その情報が正確であるかどうかは不明です。


それはさておき、歴史人物の属性を考えるということもなかなか面白い作業だよね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【永禄の変】


☆『千万の覇者』より、足利義輝


☝・・・「本能寺の変」に次ぐ有名な変事といえば、「永禄の変」だろう。 永禄の変とは、室町13代将軍・義輝が殺された事件のことだ。 この変事でも紅蓮の火の手が上がっている。







永禄8年(1565)5月のこと。 三好義継を大将として、松永久秀、三好長逸ら三好三人衆をはじめとした部将の率いる三好家の軍勢が1万の兵を引き連れて入京。 将軍義輝の二条御所に向けて進軍した。


はじめ、その軍勢は清水寺参詣、次いでは「訴訟」と称して京の町を進軍したらしい。 そのため京の町では特別な騒ぎとはならなかった。 軍勢を引き連れての「訴訟」だから、それは穏やかなことでは決して無い。 しかし、いかにも三好家のやりそうなことで、「訴訟」のぶん話し合いの余地があると思われて、それが義輝の油断を誘った。


義輝の御所は深い堀が巡らされ、さらに要所には高い土塁や石垣、城門が設けられた堅固な城郭であったらしい。 しかし、この時はたまたま城門の改修中であった。 そのような御所を、三好の軍勢が取り囲む。 そう、久秀や三好三人衆ら三好家は、密偵のもたらした情報・・・「二条御所、ただいま門の改修中にて守り弱し」 をもとに、今回のことを仕掛けてきたのだ。







☆『千万の覇者』より、足利義輝


☝・・・ここからが有名なシーンだ。 御所を囲んだ三好の軍勢は鉄砲を発射。 それを合図に兵が一斉に御所へとなだれ込む。


二条御所には護衛である御伴衆が数十人しかいなかったと言われている。 一万対百弱。 結果は目に見えていた。 数の暴力で彼らはなぎ倒され、ついには将軍義輝だけが取り残された。 「裸単騎」とは、まさにこういった状況か。


この時すでに建物には火が回りだしている。 火の粉が舞い、煙が立ち込めるなか、義輝は畳に秘蔵の名刀すべてを突き立てて、寄せてくる兵を斬り倒し、切れ味が悪くなるごとに刀を取り換えては敵を斬り倒す、これを繰り返した。


その無双ぶりに三好の兵は怖気づき、ついには名乗りを上げるものが居なくなった。 なので「池田丹後守の息子」という武将が現れ、義輝と対決する。 池田は長槍を手に取った。


「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」。 尋常な強さでない相手に、池田はまず義輝の足を払った。 よろめく義輝。 連携で、雑兵たちがここぞとばかりに障子・戸板といった類のものを投げつける。 完全に動きを封じられた義輝。 そこを池田の槍が襲い掛かり、ついに義輝はとどめを刺された。


こうして、剣豪将軍こと足利義輝は三好家の軍勢によって殺された。 京の町衆はこの事件について「ほんまにこの頃は・・・言葉にならへん」と言いあい、下剋上の風潮に眉をひそめ、頻繁に起こる兵乱に不安の気持ちを吐露している。 とにもかくにも、この政変によって下剋上の風潮はここに極まったのだ。







☆『のぶニャがの野望』より、まつニャが久秀


☝・・・以上が「永禄の変」の通説で、松永久秀による将軍弑逆事件として世に流布している。 しかし、まじめな歴史研究によれば、この変事に久秀の関与は無いらしい。


それによると、そもそも、「永禄の変」で久秀は出陣すらしていないらしい。 久秀の考えは「将軍は操り、利用するものであって、殺すものではない」というもののようで、これは亡くなった三好長慶の戦略を引き継いだものだった。


とはいえ、当時の世間は三好家を動かしていたのは久秀だと見做していた。 そんな三好家が将軍を襲撃・弑逆してしまったのだから、久秀が首謀と見做されてもそれは仕方のないことだったろう。


足利将軍家と三好家は長い間、明に暗に争いを続けてきた。 三好長慶の生存中に将軍弑逆事件が起きれば歴史としては分かりやすかったが、いかんせん長慶は「永禄の変」の前年に、42歳で病死してしまっている。


ここはやはり、「永禄の変」とは、三好家の成り上がり・下剋上の最終段階として、いずれは将軍家に牙をむく方針であったのだと解釈したい。 それが長慶の死という混乱によって、弑逆という過激な手段として現れてしまったのだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【大寧寺の変】


変事としての知名度は一段下がりますが、「大寧寺の変」も広く火の手が上がった政変として知られている。







☆『戦国姫MURAMASA』シリーズより、姫化した陶晴賢


☝・・・「大寧寺の変」とは、天文20年(1551)9月、大内家の重臣・陶隆房(のちの晴賢)が主家に対して反乱を起こし、傀儡を擁立して下剋上を果たした事件のことだ。 そのために大名の大内義隆は死亡して、「西ノ京」と讃えられた山口の町は戦火に晒された。


反乱がおきた時、陶隆房の兵がおよそ1万だったのに対して、主人の大内義隆が集めた兵は2000ほどだったと言われている。 しかも、義隆に付き従うのは穏健な文治派といった武将ばかりで、陶の率いる反乱軍とまともに戦うことはできなかった。 そのため義隆は長門の国・大寧寺にいったん逃れる。


しかし、その大寧寺も敵兵によって取り囲まれて、ここに大内義隆の進退は極まった。







☆『千万の覇者』より、大内義隆


討つ者も 討たるる者も諸ともに
如露亦如電(にょろやくにょーでん) 応作如是観(おうさにょぜかん)


大内義隆はこう辞世の句を詠んで自刃した。 この歌の内容についてですが、その中身に仏教・お経の一節が使われている為か、わたしなど一般人には甚だ難解だ。









☝・・・そこで岩波文庫の『般若心経 金剛般若経』をガイドに、わたし流の解釈をしてみよう。


まず、先ほどの「にょろやくにょーでん、おうさにょぜかん」というのは『金剛般若経』の核となる部分で、釈迦が語ったと言われているものだ。 その漢文を読み下したものを引用すると、


❝一切の有為法は、夢・幻・泡・影の如く
露の如く、また、電の如し。
まさにかくの如き観を作すべし。❞


・・・とある。 より噛み砕いてみれば、


目の前に現れるあらゆる事象は、夢や幻、泡や影のようなもので、
あるいは露(儚く消えてゆくもの)、または雷光(一瞬の輝き)といったものだ。
このようなものと見なしなさい。


・・・このように解釈できるだろう。 つまりは 「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞと常ならん」 ・・・無常の観念ということだ。


その節が「討つ者も、討たるる者も、諸ともに」にかかるのだから、


これも因果であろう。 わたしはすべてを受け入れて無常の境地へと至っており、今はすべての人が釈迦の教えに帰依すべきだという願いだけを持っている。


義隆辞世の句を私はこのように理解しましたが・・・。 こうしてみると、大内義隆という人物はすでに武将であることを辞めてしまっていて、限りなく出家に近い心境であったことが改めて解った気がします。







☆『信長の野望』シリーズより、陶晴賢


☝・・・さて、この「大寧寺の変」は、通説では陶晴賢が首謀者として反乱を主導したとされている。 確かにそれは間違ってはいないものの、その通説にはいくつか軽視されているものがあると思う。 それが大友家や毛利家といった、外部の大名の関与だ。


まず、大友義鎮は陶晴賢と綿密な連絡を取り合って、晴賢の反乱を容認。 晴英(義鎮の弟)を傀儡の当主として送り出すことに協力している。 その見返りは九州における大内領の受領だ。 また毛利元就は、晴賢の反乱とあからさまに呼応して軍事行動を行い(→ 佐東銀山城攻め)、安芸の国を平定すべく行動を開始している。


つまり毛利家独立の道とは、陶晴賢の謀反と起点を同じくしていたという事実だ。 これが下剋上に手を貸したと言わずして、なんと言おう。 やがて毛利元就は晴賢を謀反人呼ばわりして挑発し、彼をおびき寄せて「厳島の戦い」で討ち取り、さらには山口に攻め入って主家の大内家を滅ぼしている。


こうしてやや長尺の視点で推移を見ると、結局「大寧寺の変」で恩恵を受けたのは毛利家だったということになる。 陶が手を汚して果実を得たところを、その横から毛利が現れて果実を横取りしていったといった具合に。


毛利元就は稀代の謀略家だと言われている。 元就はいつからその❝絵を描いて❞いたのだろうか・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


「変事」に炎はつきものだ。 既存の構造物を焼き尽くす紅蓮の炎。 その際、灰燼に帰すのはなにも物理的なものばかりではない。 炎と共に滅んだ人物、その人物にまつわる組織だけでなく、時として政治体制、そして時代の空気といったようなものも、焼かれることでいったんリセットがなされる。


それはまるで、早春の野焼きによって野が焼かれ、そこから新しい息吹が芽生えることと似通っている。







令和元年のしょっぱなから炎上と政変の話題を展開するなど、時期にそぐわない気がしましたが・・・^^;


それも泰平の世の中にあって、一服の刺激を求めたのだと屁理屈を言いつつ、今回はこれにてお開きにしましょうか。
(`・ω・´)ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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2019年4月25日木曜日

【戦国ixa】「花びら集め」イベント、開催される! &春くじを引く~

ixaコラム:経験0からのIXA!









関連する前回
https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/03/ixa.html
「日ノ本燎原」の大殿について、好き勝手に駄弁ってみる!(後編)


(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・「花びら集め」、3万枚のノルマを何とか達成っ。


今回のイベントクエスト、いつもと比べるとやや難易度が高かったようで・・・。 わたしの友人の何人かは実力があるにもかかわらず、イン時間が少ないといった問題からか、途中からやる気を失っていたりしていました・・・。


かくいう私も、まっとうな戦いだけで花びらを集めることはできずに、ランクアップ、スキル追加合成といったカードを溶かすことで何とか達成できました。 うろおぼえですが、花びら5000枚分ほどはカードを溶かしてゲットしていたはずですw


せっかく手に入れた珠子さん、役に立つといいなぁ。 ・・・あいかわらず、この姫がどこの誰なのかは分かりませんが!w







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


https://cache.sengokuixa.jp/www/season_spring2019/


☝・・・ところで、今年も「春くじ」の販売がありましたよね。


「季節くじ」・・・通常の課金くじとは違い、オマケ排出100%ということもあって、ここのゲームをしているプレイヤーからすればお得感がありますよねえ。(一般人の目線)


ということで、わたしも5日分引いてみました。







一日めー!




☝・・・おう、NEWカード。 鐘捲自斎さん!


実質「剣豪」のカードですね。 使いどころは限定されますけれど、100%発動のスキルが面白そうです。 取っておこうかなぁ。







二日め!




☝・・・おっ。 2日目もこの鯖的にNEWカードですね。 富永直勝さん!


陣で100%発動するスキル系。 役には立つんだろうけど・・・、スキル追加といった育成作業が大変ですねえ・・・。 とりあえずの保管で。







3日目!




☝・・・ぐぬー、今回はハズレですね。 素材ゲットと考えればいいかなぁ。 つぎ、行ってみましょう。







4日目!




☝・・・NEW! 「青葉ノ奏」の青柳さん!


明るい時間帯に活躍するスキル系。 レアリティ・特ですから、実戦に出すのは辛いですよねえ。 2枚あれば合成も考えるのですが・・・。 売却候補ということで。







ラストの5日目!




☝・・・「火牛鬼」の三浦さんー!


☆3レベル20なので素材ですね。 「春くじ」はこれにて終了ですが、自分、最後まで高ランクの隠し玉を引けなかったなぁ。 ちょっと残念・・・。
(´・ω・`)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


一方、他鯖では・・・。
















☝・・・おおう! 1%の大当たりだあー。
(*´ω`)


・・・でも、わたしのメイン鯖がワールド4+5なのに対して、こちらは2+3ですからね。 当分は使うことができない、ってことで・・・。 orz


(そもそも、統合するまで飽きずにプレイを続けることができるのかな? 怪しいw)


どうでもいい鯖に限って、いいカードを引く・・・これもIXAあるあるです。 ま、確率的にはしゃーないですね!


引き続き楽しんでいこうかな。
(`・ω・´)ノシ


(つづく)




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2019年4月23日火曜日

【日本史/サブカル】そらと曽良!~芭蕉忍者説について~

サブカル/日本史コラム


関連する前回
https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/03/blog-post_9.html
ウシジマくん完結と、ダークな歴史人物について!


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


たまにはライトな話題でも、と思って今回のお話は。







☆サイト『痛いニュース』2019年4月20日の記事より
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1989526.html


☝・・・ふーん。 (`・ω・´)


女優さんの希望とか、要望といったものが通る業界なんですね。 とはいえ、個別にその対応は違ってくるんでしょうけど・・・


それはそうと、今回わたしは何もAVの話をしたいというのではない。w わたしが今話題にしたいのは、














☝・・・今回お題にするのは「そら違い」の、曽良こと「河合曽良」です! w


画像手前が言わずと知れた俳句の神様・松尾芭蕉で、その後ろで編み笠をかぶっている方の人ですね。 そう、曽良とは芭蕉の有名な弟子として知られている人物のことです。









☝・・・さて、そんな曽良の師匠である松尾芭蕉について、みなさんはこんな都市伝説を聞いたことがないだろうか?


それが「松尾芭蕉、実は忍者だった説」で、歴史好きの人ならきっと一度は見聞きしたことがあるハズだ。


その説を4行でいうと、


1.松尾芭蕉の生まれは伊賀の国。 だからきっと忍者だ
2.芭蕉たちの『奥の細道』の旅は、実は密偵調査の旅だった。 理由は以下。
3.芭蕉一行の旅程が尋常でない。 体力ありすぎ。 特殊訓練を受けた忍者だからだ
4.旅のルートに不可解な点あり。 隠密行動だからだろう。 すなわち、忍者である


☝・・・うーんw こうして4行にしてしまうと、この説がいかに強引なものであるのかということが分かってしまいますねえ・・・w このように、都市伝説とかオカルト説というものは、えてして強引なこじつけ・関連付けといった、主観的な傍証を重ねて成り立っていることが解ると思う。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


しかし、わたしがここから話を展開するのは、まぎれもなく「芭蕉、実は忍者だった説」を 肯定 するものだ。


そのキーとなるのが、芭蕉の有名な弟子・曽良なのである。 まずは、曽良と言う人物の生い立ちから、芭蕉と出会うところまでのことを述べてみよう。









☝・・・曽良の生年は慶安2年(1649)、信濃の国・上諏訪で生まれた。 父は高野七兵衛という人物であったらしい。 どうも曽良の家庭は「ワケあり」だったらしく、またその家庭では不幸が続き、彼は親戚の家を転々としたのち、12歳からは伊勢長島の大智院という寺に引き取られて、そこで成人した。


成人して河合惣五郎と名乗った曽良は、やがて伊勢長島藩に仕えることになる。 孤児として寺で育てられたのだから坊主にでもなりそうなものの、これは不思議なことだ。 曽良の実家、あるいはその養家が武士の身分だったのだろうか。


ところがどういうわけか、河合惣五郎、のちの曽良は30歳で藩を辞して、やがて江戸に上がり、いわゆる遊学生活をするようになる。 彼の師となったのは吉川惟足(きっかわこれたり)という人物で、そこで惣五郎は神道、国学、和歌、地理、歴史を学んだと言われている。


そして訪れる、芭蕉との邂逅。 天和3年(1683)、惣五郎35歳のとき、甲斐の国で彼は芭蕉と出会い、そこで入門をしたようだ。 新たに名乗った、惣五郎の俳号・・・「曽良」とは、「彼の育った伊勢長島の土地に流れる木川と長川、それらの川の一字づつを取った」ことが由来だと伝わっている。







どうだろう。 ここまでが曽良の半生についての通説ですが、そこからは曽良が忍者であったという根拠を見出すことはできない。 ただ、江戸時代の孤児がどうして藩士になれたのか、そしてせっかく藩士となったというのに、どうして家を守ることをせずに遊学、そして漂泊同然の道を選んだのかといった、どうも不可解な部分が目立って見える。


実は、この曽良の半生における不可解な行動は、晩年のとある行動に結び付くことになる・・・。







それが、芭蕉が亡くなったのちの、曽良の晩年の頃である。 宝永6年(1709)1月、曽良は幕府役職の「巡見使」の一人に任命されている。







☆サイト『コトバンク』より
https://kotobank.jp/word/%E5%B7%A1%E8%A6%8B%E4%BD%BF-78589


☝・・・「巡見使」とは、「江戸幕府が諸国に派遣し、地方の政情・民情の視察にあたらせていた役人」とある。


これは決定的なことで、もうこれ以上の議論は要らないだろう。 江戸時代は「お役人様!」の時代である。 曽良とは、俳句が趣味の単なるおっさんなどでは決してなかった。 巡見使に任命されるということは、幕府が一定の信頼に足ると認めた人物であるということであり、つまり曽良とは、そういった視察に関する任務の実績があったということを示唆している。


その実績とは、他ならぬ『奥の細道』であったろう。 つまり彼らの旅とは、「俳諧師を表芸とした密偵活動」であったということだ。









☝・・・どの時点で曽良が幕府の命を受けるようになったのは定かではない。 けれども、彼が不自然に藩を辞して江戸遊学をしているあたり、その前後から幕府と接触するようになったのではないだろうか。


そうなると曽良が芭蕉と出会う前の時点ということになり、もともと密偵/忍者であったのは芭蕉ではなく、実は曽良の方だったということになる。 『奥の細道』での密偵業務については、曽良が主導したのだろうか。


・・・こういった考察はなかなかに面白いですが、これ以上は根拠に欠ける空論になってしまいそうなので、このあたりで引き揚げるとしようかな。


以上、「松尾芭蕉、実は忍者説」・・・実はそいつは少し誤りであって、「弟子の曽良こそが忍者だった説」・・・でした!







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【ちょこっとサブカルの話題】


そういえば、忍者といえば、今でも「忍者もの」としてサブカルの分野で高い人気がありますよね。


その代表的なものに「少年ジャンプ」の「うずまきナルト」シリーズが挙げられるだろう。




☝・・・でも、このマンガを読んでいても、 「忍者らしくない・・・ぜんぜん❝忍んで❞ねえじゃんかよ・・・」 などと思ってしまいますねえ、個人的に。 単なるバトルアクション漫画と見れば面白いんですけれどね。 ま、少年誌のマンガに大人がそういったツッコミを入れることがナンセンスかな・・・w







そんなところ、面白いと感じる忍者マンガがある。 それが「ヤンマガ」に連載されている花沢健吾さん作の「アンダーニンジャ」だ。




☝・・・さきほどの少年マンガとは違って、こちらに出てくる忍者はちゃんと❝忍んで❞います。 てゆうか、忍びまくっています。 そのあたりがツボなんですよねえ。 それと、マンガに時おり挿入される小粋な述懐文章。


関連で、作家の西尾維新さんは「忍」について、「刃の下に心あり・・・」と言ってましたが、まさに忍び/忍者とは、そういった精神を体現した人たちなのだなー、なんてこのマンガを読みながら思い出したりして、妙に感心してしまったり。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


おおっと、なってこった。 今回はライトに話題を展開するつもりが、今回もまたくどくどと話が長くなってしまいましたね。


最後は、芭蕉と曽良とにちなんで、狂歌を一句をしたためて〆としますか。




忍ぶれど 色に出でにけり 曽良とそら
トモ~


・・・お後がよろしいようで・・・逃亡!
(・ω・)ノシ


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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('◇')ゞ



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