2020年5月24日日曜日

【日本史】コロナ・パンデミックと信長の叡山攻め!~ついでに日本仏教について思いを馳せる~キャラ絵小話!シリーズ~

時事/日本史/仏教コラム


☆サイト『ダイヤモンドオンライン』 2020年4月24日の記事
「東京五輪の1年後開催は無理、中止を直ちに決めるべき理由」より
https://diamond.jp/articles/-/235644


☝・・・コロナ・パンデミックという緊急事態で1年の延期が決定している東京2020オリンピック。


けれども、このパンデミックの影響の大きさ・深刻さを考えると、来年2021年度での通常開催は、難しいというのが正直なところだろう。







☆サイト『痛いニュース』 2020年3月の記事
「来日した聖火さん、強風により予備含め種火ごと消えてしまう」より
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1998903.html


☝・・・先ほどのニュースに関連して思い出されるのは、今年の3月に「日本に来た五輪の聖火が消えてしまった」というトラブルです。


このトラブル、ネット上では「不吉だ」「縁起でもない」ということが半ば冗談のように言われていましたが・・・ここにきて、その縁起でもないことが、おぼろげながらにも現実味を帯びてきたと言えるのではないでしょうか?
(;・∀・)







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)


それはそうと、今回のブログは日本史がテーマだ。 そして、わたしが先ほどの「五輪の聖火が消えてしまった」という事件に触れて、思い出すことがある。









☝・・・それが、工藤かずや原作、池上遼一画のマンガ・『信長』(連載期間:1986~90)だ。


その3巻に信長の比叡山攻めの回があり、そこで「不滅の法燈」なるものが出てくるのです。









☝・・・「不滅の法燈」ってナニ? という方への説明の画像がこちら。


【不滅の法燈】
比叡山延暦寺 開山以来1200年以上 根本中堂でともし続ける 天台宗の象徴


☝・・・「不滅の法燈」について、簡潔な説明としてはこれ以上のものはないだろう。


ある炎を一つの灯にして、絶やさずにずっと灯し続ける・・・これを尊い象徴としたものが「五輪の聖火」であり、天台宗の開祖・最澄が灯したと言われる「不滅の法燈」というわけだ。







さて、「不滅の法燈」を巡っての攻防を、先ほどのマンガ『信長』では、比叡山の僧兵・・・若狭坊厳空(わかさぼう・げんくう)という名の、武蔵坊弁慶を思わせるような見た目の僧兵の立場から描いている。


そして劇中では、比叡山は信長軍の攻撃によって全山が灰燼と化したかのように見えたが、若狭坊厳空らの命を懸けた活躍によって、不滅の法燈は守られたという話になっている。







☆ゲーム『信長の野望』シリーズより


☝・・・先ほどのマンガ『信長』の「不滅の法燈」を巡ってのストーリーは要するに、


比叡山延暦寺は信長の攻撃によって灰燼と化しました。 けれども、その象徴であり魂でもある「不滅の法燈」だけは、なんとか守り切ることができたのです!


・・・という、延暦寺の主張がそのまま採用されている。 しかしその本当のところはというと、延暦寺の主張とはやや異なっているようだ。







☆『戦国大戦』シリーズより、南光坊天海


☝・・・戦国時代が終わり、江戸時代に入ってからのこと。 比叡山延暦寺は江戸幕府の支援を受けて、僧・天海 の総指揮のもと再建されることになる。 そしてその際の記録が残されている。 それによると、


延暦寺を再興するにあたって、その象徴である「不滅の法燈」がすでに失われてしまったことは、寺にとって不名誉なことであった。 それなので、出羽国の立石寺(山寺の通称で知られる)に分灯した法燈があったので、そこから再度分灯するという手順を取って、法燈を再び本山へ戻したのだ、と。


・・・やはり、信長の叡山攻めで「不滅の法燈」が失われたことは確実だ。 このように、寺の関係者は威厳を重んじるあまりか、嘘をつくことが往々にしてある。







☆『戦国アスカZERO』より、姫化した天海


☝・・・なお、比叡山延暦寺が江戸時代に再興されるにあたって、かつて寺にいた僧侶や、寺の古記録といった資料が役に立ったと言われている。


これは大いなる謎で、通説によれば延暦寺は織田軍によって徹底した破壊や殺戮の大弾圧を受けて、再起不能の状態に追いやられていたハズだ。


それなのに、延暦寺の再建が比較的スムーズに行われたという事実を考えれば、信長の叡山攻めは不徹底で、事前に難を逃れた僧侶や寺宝、古記録が多数あったことを示唆している。 かの天海も、難を逃れたその一人という訳だ。







☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化した天海


☝・・・それに加えて、近年の比叡山の発掘調査によると、「信長の叡山攻め」の焼け跡などの状況を調べたところ、『信長公記』や『言継卿日記』といった史料の記述とは一致しない部分が多数あったようだ。


それなので、調査をした学者は 「信長が行った比叡山焼き討ちについての通説は、いろいろな史料に依存して真実だと思われてきたが、この度の発掘調査を見る限りでは、そういった史料には誇張といった嘘が含まれているように思われるので、通説の見直しが必要だ」 と結論づけている。


織田軍は、比叡山延暦寺の中心的な建物を焼き払い、そのことを「全山、火の海にしてやったぞ!」と誇張する。 それに対して延暦寺は「いやいや! そうはいっても、我らは天台宗の象徴・不滅の法燈を守り切ったのです!」と虚偽の主張をする。 いつの世も変わらない、権力をもった者同士の宣伝合戦という事だ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、先ほど比叡山延暦寺について触れたことで、ここからは仏教のことを少し考察していきたい。 比叡山延暦寺が「鎮護国家の根本道場」という日本仏教の大看板をしょっているのは有名な話で、それに対してわたしは、日本仏教というものについて一般人なりに考察をしてみたいとかねてより思っており、今回がそのいい機会というワケだ。


いつもの脱線ですが、日本史と仏教に関心のある方はお付き合いください。









☝・・・仏教。 それはインドの釈迦の教えであると言われていて、一般の人たちもそういった認識を持っているものだと思いますが、わたしからすればそれは難解・・・というか、正直言って意味不明なものだ。


まず、仏教は釈迦が本尊であるはずなのに、日本の寺では如来や観音、不動、阿修羅、明王、○○天(毘沙門天など)といった、釈迦とは異なるものを「ほとけ」と総称して祀っている。 たとえば観音って、明らかに女神でしょ。


そして、寺で釈迦の教えは平易な言葉では説かれず、「題目」や「経」といった、よくわからない呪文が大切にされている。 南無妙法蓮華経/南無阿弥陀仏/あるいは「般若心経」などと。 ごく一部の熱心な信者ならば、呪文のような経を聞いて釈迦の思想が分かるのだろうけれども、それってかなり不親切ではないの?


さらに、僧侶は広範かつ難解な釈迦の教えを理解し、そのうえ厳しい戒律を守ることで人々の尊敬を集める・・・ハズが、なんだかんだで戒律なんのその。 釈迦との見解の相違で、妻帯OK。 お酒?いえこれは般若湯です。 戒名一文字○万円と金儲け。 釈迦の教えを、どれだけ理解して実践しているのだろう。 こういったような現状がある。 頭を丸めて寺で働いてさえいれば、その人は僧侶ですか?


このようにわたしには、仏教への興味や関心がありつつも、日本仏教に対する不信感や批判心がある。







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)




☝・・・わたしの仏教についての認識は以上のとおりとして、次は日本仏教の沿革を見てみよう。


日本の仏教伝来は、「ゴミ屋さん、ほっとけ」という語呂合わせで、538年のことだと教科書では教えている。 聖徳太子が生まれる前の、飛鳥時代の初期に伝わった、外来の宗教ということだ。


そして大和国(奈良県)を中心とした畿内地方で仏教は隆盛した。 東大寺、興福寺といった寺院を包括した南都・平城京の成立だ。









☝・・・時は流れ、100年足らずで平城京は廃都とされ、遷都が敢行される。 「鳴くよウグイス平安京」の語呂合わせで知られるように、桓武天皇は794年に都を新たに建設した。 その主な理由は、大きな力を持つようになった南都の寺院勢力の政治干渉を嫌ったためだと言われている。


一国の都が破棄される・・・それも短期間に二つも(平城京と長岡京)という事実は、よくよく考えれば重大な事件であり、教科書で説かれる以上のよほどの理由があったものだと思われるけれども、ここでその疑問はスルーしよう。


ともかく、南都に代わり、新しい計画都市が山城盆地の中央、二つの川に挟まれた原っぱに建設された。 その都市は中国大陸の思想・・・いわゆる「風水」の思想のもと、立地が決まったと言われている。


「風水」で有名なのが、「青龍・白虎・朱雀・玄武」という四つの神獣による「四神相応の地」というワードだ。 地形/地勢をそれぞれの神獣に見立てて祭祀をすることで、一定の条件を満たした都市はマジカルな恩恵を受けると当時は信じられていた。







☆切手「特別史跡キトラ古墳」より


☝・・・この「四神相応の地」には弱点がある。 それが「鬼門」という概念で、対象となる都市の東北から南西にかけた斜めのラインが「鬼」の通り道であり、様々な災厄をもたらすと風水の思想では考えられていた。


それに対抗するのが「鬼門除け」という概念だ。 鬼門除けの祭祀をすることで、都市のマジカルな結界が完成すると当時は信じられたのだ。 そしてこの時、たまたま新都の鬼門の方角:東北の比叡山に、たまたま若き無名の僧:最澄が小さな庵を結んで暮らしていた。


その小さな庵は、新しい都の鬼門を守護する祭祀施設として認定され、のちに日本仏教を代表する大寺院・比叡山延暦寺へと発展することとなる・・・。







☆切手「遣唐使船」より


☝・・・桓武天皇は進取の気概がある大政治家で、当時世界最大の帝国であった唐へ、優れた人材を派遣・留学させた。 それが「延暦年間の遣唐使」で、多数の官僚とともに、空海・最澄といった僧侶が入唐したことが知られている。


桓武天皇が僧侶を入唐させた狙いは、ズバリ、当時最先端の仏教の一派である「密教」を日本へ導入するためだ。 事実、最澄と空海はともに唐の寺院で密教を学び、日本へ帰国すると密教系の寺院を建設している。







☆ウィキペディアより、桓武天皇


☝・・・桓武天皇はどうして新しい仏教を必要としていたのだろう。 その心底は時代も身分も異なるわたしには伺い知ることはできませんが、桓武天皇は皇統の異なる出身であり、一説には、皇位を巡る数多くの暗闘を制覇した、血塗られた天皇だともいわれている。


「密教」は仏教の宗派のなかでも、より現世利益を求めた仏教ともいわれ、「加持祈祷」といった儀式で呪術的な効果を得られると当時は信じられていたらしい。 密教の儀式・呪法のひとつに呪詛があり、さらには呪詛に対するアンチ効果・・・怨霊除け・怨霊封じといった分野もあるといわれ、桓武天皇はそういったマジカルな恩恵を密教に求めていたのかもしれない。


それはさておき、桓武天皇は延暦25年(806)3月に崩御した。 最澄が唐から帰国して半年後のことで、このとき行われたであろう密教の加持祈祷は効果を発揮しなかったようだ。 最澄・空海といった密教を学んだ僧侶たちは、こうして自分たちの庇護者を失ったのである。







☆切手「東寺 大威徳明王」より


☝・・・しかし、最澄・空海のもたらした新仏教・密教は、当時の日本仏教界に画期的なインパクトを与えた。 最澄もすぐれた人物だったが、特に、空海という人物が巨大すぎた。 この空海という人物は、権威付けといった粉飾を差し引いても、まぎれもなく日本史上屈指の天才だ。


最澄・空海はときに反目しつつも、密教を日本で弘めるという点では足並みをそろえ、従来の日本仏教をより密教的に、密教へと塗り替えていくことに尽力した。 その結果、最澄の比叡山延暦寺と空海の高野山金剛峰寺という二つの密教寺院は、やがて日本仏教の中核として確立・定着したのである。







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)




☝・・・しかし、わたしが思うに、その「密教」なるものが日本仏教の中心となることは、釈迦の教え本来のものから遠ざかることであり、残念なことであった。


わたしたち日本人は、日本仏教こそがスタンダードな仏教だと信じて疑わず、歴史や仏教に関心が無ければこのことに気づくこともありませんが、よくよく注意してみれば、日本仏教は本来の仏教からは大きく変容してしまっている。 その例をいくつか挙げてみよう。










☝・・・そもそも、密教とは「秘密の仏教」という意味であり、「釈迦の教えに隠された秘密がある」と見做している。 そしてそれは極論すればオカルトへの道だ。 オカルトの怖いところは、解釈人の考えによっては、本来の教えが曲解されてしまうことにある。


傍証として、今日の世界宗教であるキリスト教やイスラム教に対して、「聖書/コーランには秘密が隠されている!」などと主張するものがいるだろうか? もしいたとしても、それはごく一部の少数であり、反主流の異端と呼ぶべき存在であろう。


つづいて、密教は英語で「タントリズム~タントラ主義の仏教~」と訳されており、仏教の亜流とされている。 そして、日本仏教は高野山・比叡山の両密教系寺院を中心としているでしょう。 そのことから、日本仏教は密教が正統ということになり、それはつまり釈迦本来の教えからは遠ざかってしまっているといえる。









☝・・・さらに、密教とは曼陀羅の図を見ればわかるように、(中央に主なるほとけがいるものの、)多神教の世界観だ。 これはインドのヒンズー教の影響が大きいと言われている。 その証左としては、たとえば観音菩薩信仰はインドの女神信仰が変容したものだと言われている。 また、不動明王といった怒れる表情の「明王」や、毘沙門天といった戦いのほとけである「〇〇天」は、どちらもインド・ペルシア由来の神々だ。 つまり、本来の釈迦の教えとは関係がない。


そして何よりも、釈迦は加持祈祷といった儀式・呪法を民衆に勧めていたのか。 題目を唱えよ、ただ一心に帰依せよと言っていたのか。 釈迦が民衆に伝えたことは、


1.「すべてのものごとに原因と結果・・・すなわち因果がある」
2.「人間の知覚、また人を取り巻く環境には実体がない・・・すなわち空(くう)である」
3.「因果と空、このことについてよく考えを巡らせれば、人は苦しみから解き放たれる」


・・・この3行にまとめたことであり、日本仏教が重んじる儀礼的なものは、本来否定されるべきことだ。


以上が、密教へ傾斜した日本仏教ついての個人的見解です。







(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)


日本仏教についてここまで批判を展開してきたわたしですが、


しかし、仏教についていくつか本を読み、考えているうちに、日本仏教がこのような亜流へとなってしまったことは、残念なことであるけれども、仕方のないことだともわたしは思えてきた。









1.そもそも、釈迦の思想は難解すぎた。 「対機説法」といって、釈迦が真理について相手や状況によってさまざまなたとえ話で語ったことが、後の世に多数の解釈を生じた原因だった。


また、難解な釈迦の思想を探求するには、釈迦が生きた当時のインド社会の背景・・・すなわちインドの国民宗教であるヒンズー教を知る必要があった。 そのため、ヒンズー教が仏教に混じりこみ、やがて仏教はヒンズー教・・・巨大なインド社会という大海に飲み込まれ、沈んでしまった。




2.釈迦の語りでしばしば出てくる「般若(パンニャー)」は、「人知を超えた智慧」と解釈されている。 その般若なるものを、生身の人間が獲得できるのだろうか? ・・・つまり、釈迦は人知を超えた存在を認めており、それはすなわち神以外にほかならない。 なので、こんにち仏教寺院がアミダとか如来といった釈迦以外の神をあがめることは、釈迦の思想と矛盾していない。




3.日本仏教は中国仏教を基盤としているが、その中国仏教がすでに本来の仏教から変容してしまっていたので、そこから学んだ日本仏教もまた、釈迦本来の教えから遠くなってしまっていることはやむを得ないことだ。




4.さらに、釈迦の教えは僧侶であっても完全に理解することは困難なのだから、それを当時の無知な民衆に広めるためには、「超訳」する必要があった。


加持祈祷といった現世利益を求めるマジカルな行為や、題目や経を唱えるといった行為は、一種の「超訳」であるといっていい。 当時としてはやむを得ない必要悪であったと言えるだろう。 「超訳」のために日本仏教は隆盛したが、一方で純粋さを無くすなど、失うものも多かった。




5.寺院、僧侶の堕落や腐敗はいつの世もありがちなことで、それを批判していても始まらない。 それでも朽ち果てなかったということは、腐敗する以上に浄化するものがあったということで、そのために日本仏教は今日でも存続しているのではないか。


仏教批判のうち、僧侶のお金儲けについては、寺という施設の運営には欠かせないものである。 また、日本の僧侶が妻をめとるという事は、本来戒律では禁じられていることだが、僧侶が人である以上、結婚することは普通のことだと思うし、世襲化は寺の安定した継続のために役に立っている。




6.江戸時代が日本仏教にとって悪い時代だった。 この時代に、寺は完全に民衆統治のための行政の一機関となり下がった。 寺人別帳で戸籍管理。 寺子屋で民衆を教育。 これらにはもちろん功罪があって、一概に良し悪しは言えないが、批判の多い「葬式仏教」の始まりは江戸時代であることは確実だ。







このように、日本仏教の寺院や僧侶が世俗化したことはやむを得ないことだったと、一定の理解はできる。


とはいえ、ほんらい宗教とは理想を語り、夢を見させるものだろう? それに対して日本仏教は、あまりにも現実に流され過ぎている。 釈迦の説いた純粋な仏教を、今一度弘めてピュアさを取り戻すべきだ。 それがこんにちの日本仏教の課題だと思う。







日本仏教がこれからも存続して、日本の歴史の連続性・継続性が保たれることを願いつつ、今回はこのあたりでお開きとしておきましょう。 硬い話題の文章を読んでいただき、ありがとうございました。
mm


※この文章はブログ主の見解です。


(つづく)



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2020年5月15日金曜日

【IXA】いくさの子コラボ、はじまる!(2020年5月度)(w4-8)

【IXAコラム:経験0からのIXA!】




(・ω・)(・ω・)(・ω・)


https://sengokuixa.jp/ikusanoko/


☝・・・皆さんこんにちは! コロナウイルスにまつわるあれやこれといった騒動のために、ブログへのモチベーションがダダ下がりなブログ主です。 orz


あと、「武将育成キャンペーン」が始まったこともあって、忙しいw 『IXA』では合戦期間の間隔が一日短くなりましたけれど、そのためか、育成に本腰を入れづらくって。


微課金のわたしでも「戦くじ」「春くじ」といったくじで引いた素材の消費にアップアップしているのに、加えて「金・銀くじ」といった課金くじを引いている上位のイクサーの方たちはどうしているのかしら? (・∀・)?







http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2000303.html
☆サイト『痛いニュース』2020年5月の記事
「ゲーム代行業の男、コロナ感染と嘘をつき逮捕」より


☝・・・そういえば、世の中には「ゲーム代行業」なるアルバイトがあるんですね! こういったアルバイトって、てっきりネタか何かだと思っていたんだけれども、まさか本当に存在しているとは・・・。


でも、われらが『戦国IXA』では難しそうですね? IXAのアカウントはヤフーアカウントと連動していて、そこからクレジットカードも使えてしまうので、万が一の事故を思えば、とても見ず知らずの相手に依頼はできない・・・w


そしてそもそも、どこかの誰かにゲームでのレベル上げの作業を賃金支払ってやらせるということ自体が、馬鹿らしいことであり、間違っていマス!


ゲーム代行を依頼する人もどうかと思うけれども、それ以上に、こんな現状を招いてしまっている日本のオンゲ業界は、猛反省するべきだ。







(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)


それはそうと、我らが『戦国IXA』では「いくさの子コラボ」が始まりましたね!









☝・・・「いくさの子コラボ」。 コミックゼノンと『IXA』とのコラボって、これで三度目でしたっけ。 まぁ、今回のコラボキャンペーンも、要するに課金くじの販売促進キャンペーンの側面が大きいものだと思うから、わたしには関係ないのですが・・・







否! 否とよ! おいにも関係あったとよ! (博多弁)


その心はというと、「春くじの極撰ポイント」を持ち越ししていたためデス!











☝・・・いやいやー! @@


4月末のメンテ明けで、この「極撰くじ」ラインナップを見た人は、衝撃を受けたのではないでしょうかw


まさか、このタイミングでコラボ企画がぶち込まれて限定カードがラインナップに加わり、しかも、「極撰くじ」で目玉カードの排出確率はそれぞれ10%・・・!


つまり、「極撰くじ」1回につき、限定カードが排出される確率は、40%!









☝・・・と!いうことで、極選ポイントを温存していたプレイヤーは、まさにこれ以上ない使い時と言えるだろう。


それでは、いってみましょう・・・


頼んます!
(`・ω・´)つ ポチ
















☝・・・(`・ω・´)・・・。


うそーーーんw


何ていうか・・・すんごく負けたような気がするw


ふて寝します。 (-_-)zzz


(つづく)




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