2019年10月29日火曜日

【時事/食】動物愛護とカニクレーン!~「うなぎすくい」を思い出す~

時事コラム


☆サイト『ライブドアニュース』2019年10月の記事より
https://news.livedoor.com/article/detail/17280396/


☝・・・先日、ネットニュースを読んでいたら、なかなか興味をそそることが報じられていました! そのタイトルは「カニのクレーンゲームに非難殺到@シンガポール」


今回はこいつをお題に駄弁っていこうジャマイカ。










☝・・・さて、こちらが非難殺到したという「生きたカニのクレーンゲーム」。 ピンク色の筐体に、ディズニーorピクサー風のカニが「come & catch me」というキャッチコピーと共に描かれるなど、なかなかファンシーな雰囲気のクレーンマシンである。


このクレーンゲームはシンガーポルの料理店が設置したもので、プレイ料金は日本円で約400円ほどかかる。 そして見事キャッチできたら、お店がそのカニを料理として提供してくれるのだとか。


一見問題なさそうに思えるこのクレーンマシーンは、ひとたびSNSにアップされるや非難が殺到、そこに動物愛護団体が介入して当局を動かし、ついにこの筐体は撤去へと追い込まれた。







@@;


むむー。 そもそもカニは食べられるために店頭に並べられていたということだよねぇ? そこにクレーンゲームというアミューズメントの要素を加えてみた、というのがこのお店の趣旨であったハズだ。


わたしはシンガポールという国について詳しくないのだけれど、この国は確か華僑・・・中国系の民族の割合が多いと記憶している。 そんな華僑の多いシンガポールでは、カニをクレーンゲームの対象にするということが、それほどに悪いこと、可哀そうなことだと認識されているのだろうか?


食べるために捕獲された、ありふれたカニだというのに。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


シンガポールのお国事情は置いといて、わたしはこの件に関連して思い出すものがある。







☆高知県にて


☝・・・それが、「金魚すくい」ならぬ、「うなぎすくい」だ。


今わたしは「うなぎすくい」と言ってみましたが、これはわたしが勝手に言っているものであって、こういった屋台の通称はよくわかりません。


こういった屋台(仮設店舗)は、日本各地で行われる祭りに伴う出店であり、お客にうなぎを釣るという娯楽を提供するかわりに、料金をいただくといった営業を目的としたものだ。 こういった「うなぎすくい」的な屋台/出店は、主に西日本の一部で見られるようですね。


はえー! こんなのあるんだ! @@ ・・・と、関東民のわたしは初見のときに大いに驚いたものです。









☝・・・こんどは側面に回り込み接近、ズームイン。


うなぎがわらわらと泳いでいます。 そこに釣り糸を垂らす女子キッズ。


ここでの遊び方はどのようなものかというと、店の用意した釣り竿・釣り針を用い、制限時間内でうなぎを釣ることが出来たら持ち帰りできる、といったものではなかったかな。 気になるお値段は、確か500円位だったように覚えています。


お店の店主は団扇を仰ぎながらニコニコと笑みを浮かべ、余裕の観戦。 その背後には、 「けっして不可能ではありませんよ!」 と暗に主張する成功時の写真が、これでもかと並べて張り出されてある。


とはいえ、やはりホイホイとうなぎが釣られていては出店の経営はおぼつかない。 そのためだろう、このとき居合わせた女子キッズは 「あぁ、 喰いつかないなぁー orz」 といった、ちょい諦め気味な感じでしたねぇ。 どんまい!
(*´ω`)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『フルボッコヒーローズ』より


☝・・・話をカニクレーンの件に戻してみよう。


もし、「生き物を使った遊戯、娯楽」すべてが悪いことだとするならば、先ほどの「うなぎすくい」はもちろんアウトだし、さらに多くの人が楽しむ「金魚すくい」も悪の認定をされてしまいそうだ。


ま、こんにちの日本ではそういった意見は少数意見であって、ただちに禁止されるとか、そういったことは決してないだろうけれど、反対意見の声の大きさいかんでは、やがては自粛・禁止へと至る方向に流れは変わっていくかもしれない。







☆『遊戯王カード』シリーズより、伝説のフィッシャーマン


☝・・・わたし的に、「本質的に人間とは、生き物を捕まえる系の行為は楽しく感じるものだ」と思っている。 その理由は、人類に「狩猟・採収の本能」が備わっているためだ。


子供が意味もなく昆虫を捕まえたり、ドングリを集めたりするするなどといった遊びも、そういった本能が背景にあるだろう。


有名なテレビ番組『いきなり!黄金伝説』における、お笑い芸人・よゐこ濱口さんの決め台詞・「とったどー!」も、人間の持つ狩猟/漁労の本能と、その収穫物に対する歓喜を端的に表現している。


このように、人間の行う動植物へのハントは根源的なものであり、そこの部分は否定しえないだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『聖剣伝説3』より、フルメタルハガー


☝・・・生きたカニがクレーンゲームの景品になること、そのことに対する心の痛みのようなものは、残念ながら私には持ち合わせていないようだ。 多少の理解はするけれども。 そう断言してしまうくらいに、カニやエビといった海洋の甲殻類は食品であるといった観念が私には強い。


そもそも、カニクレーンゲームの一件が虐待であるのならば、シンガポールは国を挙げてカニはもとより、甲殻類全般を食べずに保護せんかーい!w ・・・と、そう言いたい。


「酔っ払い海老」とか。 ああいった美味しい料理も極悪な虐待ということになるけど・・・いいのだろうか。


ペットや希少自然動物を除いた、生き物全般に対しての過剰なまでの愛護の主張は、ちょっとわたしには理解しがたいものがある。


(つづく)




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2019年10月16日水曜日

【日本史】本多正純公シンポジウム、開催される!

日本史コラム




☝・・・先日、「最初で最後の小山藩主 本多正純公 顕彰シンポジウム」なるイベントが開催されることを知り、わたしの日本史センサーが大きく反応したので行ってきました。 今回はこの話をー。







そもそものきっかけを言うと、わたしはかつて肥前の大名・有馬晴信について話題を提供したことがあったのですが、有馬氏と深くかかわっていると思われたのが、徳川家康に側近として仕えていた本多正純という吏僚で・・・。


しかも、この本多正純という人物は、のちに突然の更迭劇・・・いわゆる「宇都宮釣天井事件」を起こして失脚するという、なんともスッキリとしない晩年の終わり方をしているので、それ以来、わたしは江戸幕府草創期の政治に深く関与した重要人物・本多正純という武将の詳細が知りたいなぁ、と関心を寄せるようになったのです。









わたしの想いはさておき・・・


この「本多正純公シンポジウム」の構成は、


(1)主催者である小山市長、ならびに関係者のあいさつ(約30分)
(2)東京大学史料編纂所教授・山本博文先生の講演(約40分)
(3)本多正純のご子孫・木村敦明さんの講演(約40分)
(4)歴ドル・小日向えりさんを交えたトークセッション(約20分)


・・・といった内容だ。 以下、それぞれの概要と感想を述べてみよう。







(1)小山市長・・・結城紬の和服姿で登壇、郷土愛を体現なされていました。


小山市は関ケ原合戦に関連した「小山評定」が行われた土地ということから、「開運のまち」をキャッチフレーズとしていて、歴史を感じさせる街づくりを目指しているのだとか。


その旗振り役となっているのが現小山市長・大久保氏で、今回のシンポジウムもそれと連動して、市長の意向を大きく反映して行われたものと思われる。 このように、小山市長の大久保氏は「歴史好き」からすれば好ましい市長だと言えるかな。







(2)山本博文先生・・・「角川 漫画日本の歴史」を監修された東大の先生です(ざっくりと)。 個人的には、「角川」ではなく「学研」の方のマンガ日本の歴史シリーズを読み慣れ親しんできたので、このたび話を絡めることができずに残念な気持ちでいっぱいだ。


さて、山本先生は本多正純の生涯についてレジュメを作成、それをもとに解説をされていました。 そのタイトルは「最初で最後の小山藩主本多正純公と二代将軍徳川秀忠公」。 正純が失脚に至った主な原因について、二代将軍秀忠との関係を重視した内容となっておりました。


このときの印象ですが、山本先生の語りはどっしりとした落ち着きがあり、しかも柔和、そのうえで知性を端々に感じさせるといったもので、「さっすが東大の先生!」 と感服しましたねー。







(3)木村さん(本多正信・正純のご子孫)・・・木村さんの講演内容は、家伝とそれにまつわる遺物の紹介、そして本多弥八郎家のご子孫としての活動報告を中心としたものでした。


配られたレジュメのタイトルは「本多家の小山藩政と正純の理」。 その中には正純の年表が入っており、しかもかなり詳細なものとなっている。 これは正純に関心がある人からすれば、重宝する資料となることでしょう。


それにしても木村さん、30代かな? お若い印象でしたね! そして自家の歴史にとても研究意欲のある方なんです・・・ いつか、それらをまとめたものが書籍化されることを期待します。 本多正信・正純とそれにまつわる家伝を知り得るのは、ご子孫くらいしかいないでしょうから・・・!


また、木村さんの語り口は、令和を生きる現代人の感性が十分に反映されていて、そういった辺りも刺激的でした・・・今回の講演では時間が詰まっている都合で早口となっていらっしゃいましたが、w、そういった早口でも歴史用語を噛むことなく滔々と語られており、流麗な弁舌とそれを可能たらしめる頭脳の回転は、「さっすが本多正信・正純父子の血を受け継いでいらっしゃる!」と感じましたね。


なお、木村さんが「本多」という名字でない理由は、江戸時代では「本多姓を名乗り、本多正純の子孫であることを称することを憚ったため(ざっくりと)」だそうです。







(4)歴ドル・小日向さん・・・さすがアイドルだけあって美人さん、会場に花を添えていただきました! ・・・こういった歴史シンポジウムって、参加者の過半数がシルバー世代であることが一般的で、会場はやや枯れた雰囲気になりますからね・・・それを見越してなのか、小日向さんを招いて会場を明るくしたプランナーの方、慧眼です! w


さて、小日向さんは「真田萌え」だそうで、そういった理由から「本多正純は敵方!(大阪城の外堀・内堀を正純が埋めたため)」と本多正純のご子孫・木村さんに話を振り、笑いを取っていらっしゃいました。


などなど、楽しい雰囲気のトークでしたね!







☆『信長の野望』シリーズより、本多正純







と、以上が「本多正純公シンポジウム」の各講演者の概要と、それについての個人的な感想でした!


総じて、なかなか良いシンポジウムでしたね。 特に、本多正純のご子孫でいらっしゃる木村さんの正純についての知見が、本で知ることのできる正純像とはまた違っていて、そういったあたりが興味深かったり・・・。


ただ、個人的に突っ込んで知りたいと思っていた件・・・「岡本大八事件と本多正純、それと大久保忠憐との政権内部抗争」に関することは今回では触れられず、その点では残念でした。


とはいえ、会場では結びに「本多正純公について、これからも学んでいこうという機運を高めていきたい」という宣言が小山市長からなされ、次なる本多氏関連のイベント開催の可能性も言及されたことから、今後も期待大、ですね・・・!
(^ω^)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・さて、「本多正純公シンポジウム」が行われた当日は、台風一過の翌日ということで、開催が非常に危ぶまれていました。 ただ幸いなことに、栃木県小山市には深刻な被害は無かったようで、本シンポジウムも無事開催できたという訳なのです。 それにしても、講演者の方たちはどう集合したのでしょうね? この日の新幹線って午前中運転していたのかしら。


それはそうと、会場となった小山市文化ホールのすぐ西側は崖地となっており、そのすぐ側を一級河川の思川(渡良瀬川支流)が流れている。 シンポジウムが終わった後、気になったわたしは川の様子を見に行き。









☝・・・ま、眩しいー。 台風一過の清々しい空には、西日が煌々と辺りを照らしていた。


13日の夕刻ともなると、川の増水はだいぶ収まっている模様。









☝・・・ポツリポツリと市民が散歩をしがてら、川の様子を見に来ているのが散見されましたねえ。









☝・・・遠景から。 減水してこれだから、やっぱり、今回の豪雨は並みのものではなかったようですね・・・!


改めて、今回の台風・・・令和元年の台風19号は、記録的な雨台風だったと言えるだろう。


深刻な被害に遭われた方に対して、謹んでお見舞いを申し上げます。


(つづく)




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2019年10月4日金曜日

【随筆】夏すぎて、秋きたるらし。

夏すぎて、秋きたるらし。


・・・そう思ってみたものの、今年何度目かの台風が暖気を運んできて、とりわけ秋めいた感じはあまりない。


とはいえ、郊外の田園では稲の刈り入れがあらかた終わり、また街の木立ち・・・たとえば桜の木は落葉が始まるなど、確実に秋の訪れを感じさせる。







・・・さて! 突然ですが、わたしは桜のシーズンは1年に2度あると思っている。 ひとつは当然お花見のシーズンで、そして二つ目が落葉後の、まさにいまの季節だ。


「は? 落葉した桜のどこに見どころがあるんねん!」


・・・そうツッコミを入れるのはごもっとも。 しかし、話を最後まで聞いて下さい。


それは、「落ち葉」がカギとなっている。 あなたは、桜の葉を塩漬けにしたものが、桜餅を包む材料になっていることを知っているでしょう。 その、桜の葉の香りを思い出してください。 ・・・そう、ごくまれに条件が整えば、桜の樹が落とした葉が、えもいえぬいい香りを放つ場面があるのだ。







それはまだ、あたたかい秋の雨上がりに、葉を散らした桜並木で見られる現象だ。


その香りは漠として淡く、儚い香りなので、ガムを噛んでいたりコーヒーを飲みながらでいたら、気づくことはまず無いだろう。 ましてや、煙草を吸っていたら分かるはずもない。


おそらくそれは、桜の葉が自然に醗酵して、その結果、えもいえぬいい香りを放つものだと推測する。 その条件がレアなことに、アスファルトなど舗装した道に積もった桜の葉では、どういう訳かいい香りを嗅いだことはない。 水の浸み込む土があるといった環境ではないとダメなのだろうか。 また、そういった条件にかなう環境であれば、必ずいい香りがするのかといえばそうとも言えず、なんとも不思議な現象なのです。


そんなわけで、秋の日に葉の散った桜の木の下を歩くとき、わたしは嗅覚を研ぎ澄ましながらそこを通り過ぎる。 まれに桜餅系のいい香りを感じられたら、100円玉を拾ったような、そんなささやかなうれしさを感じてしまう。 w







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・さて、こちらは香りのあるお酒で、「ズブロッカ」という洋酒。 「桜餅の香りのお酒」ということで、酒好きの間で知られている。 でも原料に桜の葉は使われておらず、特別な牧草が香りの元なんだって。


わたしがかつて好きだった人が、このズブロッカをずいぶんと気に入っていてね。







また話題が飛びますが、



☝・・・昨年大ヒットした米津玄師さんの「Lemon」の曲中に


❝胸に残り離れないレモンの匂い❞


・・・というフレーズがあるけれども、わたしからすれば桜の葉、そしてズブロッカの香りがそれにあたる。 とはいえ、米津さんの「Lemon」には亡くなったお祖父さんとの思い出が込められているというから、少し意味合いが違うかな。


こういった思い出を誘う香り、残香は誰にでも一つくらいはあると思う。







夏すぎて、秋きたるらし。 暖色の衣干しましょ、ベランダの片隅に。


(つづく)




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2019年10月1日火曜日

【日本史】鉄砲伝来について!~手火矢、石火矢とは何なのか?~(キャラ絵小話!シリーズ)

日本史コラム




☝・・・前回のブログで話題にした円信院殿さんと津田監物さん。 この二つのキャラ絵は、ともに鉄砲がテーマとなって描かれていますよね! と、いうことで、今回は「鉄砲」をテーマに話を展開していこう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、雑賀孫六


☝・・・鉄砲。 その伝来はといえば、日本史の授業で「以後予算(1543)が増える 鉄砲の伝来」という語呂合わせとともに、ポルトガルの商人によって伝えられたと覚えた方も多いかと思う。


しかし、国内外の一部研究によれば、「日本の鉄砲伝来にまつわる通説は、真実からは少し遠いのではないか?」といった疑問が投げかけられることがあり、わたしもそういった主張・意見に共感している。







【❝鉄砲❞はいつ伝来したのか?】


☆『千万の覇者』より、種子島久時


☝・・・日本史の教科書では、鉄砲の伝来は1543年だと決まっている。


というのは、種子島の領主・種子島久時が僧の南浦文之(なんぽぶんし)に編纂させた書物・『鉄炮記』の記述、天文12年8月を根拠としているからだ。 なお、この書物が成立したのは慶長11年(1606)、江戸時代初期だとされている。 みなが良く知っている、ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着して、云々、といった伝承だ。


しかし、戦国時代のいくつかの史料では、鉄砲伝来は1543年ではないと主張するものが散見される。







☆『千万の覇者』より、武田信虎


☝・・・たとえば、武田氏の歴史について書かれた『甲陽軍鑑』では、「鉄砲は信虎の時代、大永5年(1525)に伝来した」と書かれている。 また、北条氏の史書『北条五代記』の記述では、「北条早雲は永正7年(1510)に中国の僧侶から鉄砲を入手した」とある。


つまり、これらの箇所を信じるならば、鉄砲伝来は通説よりも20年以上もさかのぼることになる。 『甲陽軍鑑』と『北条五代記』は、ともに史料として第一級だとはいえないものの、かといって全くののデタラメであるとはみなされていない。 つまり、一定の事実を反映しているのではないかといった疑問だ。







☆映画『もののけ姫』より


☝・・・鉄砲伝来に異説があることを紹介したうえで、こちらの画像をご覧ください。 日本人のほとんどが知っているであろう、ジブリ社の映画『もののけ姫』のワンシーンだ。


(なにも私は「ジブリの映画がソースだ!」などと言うつもりはありませんよ! w)


画像の兵士たちが携えているのは劇中で「石火矢(いしびや)」と呼ばれるものですが、「変わった鉄砲だなぁ」ということで印象に残っている人も多いだろう。 なお、兵士たちを束ねるエボシが所持していたのは、石火矢ではなく銃だ。 少なくとも、この劇中で登場する石火矢とは、私たちのイメージする鉄砲とは違っているといえるだろう。


実は、こういった「石火矢」・・・正確に言えば「『もののけ姫』で登場する石火矢と呼ばれた火器、あるいはそれに準じた火器」こそが、日本にはじめて伝来した鉄砲だと思われるのだ。







☆『戦国IXA』より、山科勝成


☝・・・いったん『もののけ姫』から離れてみよう。


そもそも、先ほど出てきたワード・石火矢とは、こんにちの日本史の解釈では大砲(たいほう/おおづつ)のことだと見なされている。 そして、その大筒が登場するのは戦国時代の後期・天正年間からであり、しかも西洋諸国からの輸入品であるのは明らかだ。 それなので、「『もののけ姫』の劇中に登場する石火矢と呼ばれた火器」はフィクションの産物ということになる。







その一方で、わたしが思い出すのが「手火矢(てびや)」と呼ばれる武器だ。 この武器は天正年間以前に、それも西日本を中心とする地域で史料に登場している。 この手火矢は、「火縄銃の別称/方言である」という安易な解釈で片づけられているが、果たしてそうだろうか・・・?


たとえば、こんにち私たちが一般的に呼びならわす「刀(かたな)/日本刀」も、戦国日本では「太刀」「脇差」「打ち刀」など、細かな特徴・用途の違いで呼び分けられていた。 そんな武器の呼び名に細かい当時の日本人のことだから、手火矢とは火縄銃とはまた異なった構造の火器であった可能性が高い。







個人的には、この「手火矢」こそが、「『もののけ姫』に登場した石火矢的な火器」ではないかと想像する。 米国の歴史学博士トマス・D・コンラン氏の著書によると、


❝16世紀の軍忠状をみると、石による負傷が突然増えていて興味深い。 特に西国が顕著で、このような武器がどのように広がっていったかをうかがわせる。 ・・・云々❞


・・・とあり、石を飛ばす原始的な火器が戦国日本で使われていたのではないかといった指摘をしている。







こういった、「ひとりで扱える、石を飛ばす」系の火器は、13世紀・中国の宋の時代に登場して「火槍(かそう)」と呼ばれ、それが朝鮮・琉球・日本と、少しづつ東アジアの各地に広まっていったと推定されるのだ。


この、中国で火槍と呼ばれた火器の構造はいまひとつハッキリとしないが、青銅製の円筒であり、その口径は火縄銃よりひとまわり以上も太いとされている。 そして「槍」という名のとおり、木の長柄に取り付けられていたと言うではないか。 ・・・あれ、これって「『もののけ姫』に登場する石火矢」そのものではないですか! @@


宮崎駿監督は中国発祥の火槍こそが、「日本でもともと石火矢と呼ばれていた火器」ではないのかと考えたのですね。 もしこの推測が正しければ、戦国日本には西洋由来の火縄銃と、中国由来の火槍をルーツとする、2系統の火器があったことになる。


このように、ジブリ社の映画『もののけ姫』はフィクションであるものの、その原作者である宮崎監督の軍事や武器、それらにまつわる歴史の考察は鋭く、注目に値すると言えるだろう。







☆『千万の覇者』より、北条早雲


☝・・・長くなるので端折りますが、武田信虎、北条早雲が手に入れたとされる鉄砲とは、こういった中国由来の火器であったとするならば、なにも通説と矛盾することはない。 そもそも、北条早雲は「中国の僧から鉄砲を入手した」というのだから。


そのほかに、火縄銃でない火器に関する記録は、古くは平安~鎌倉時代にかけて成立した『玉葉(ぎょくよう)』や、室町時代・文正年間の史料『蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』などに記載されているようだ。 あと、忘れてはいけないのが『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』ですね。


ただし、それらの書では日本人が火器を使用したという内容ではない。 また、肝心の火槍をルーツとした火器がこんにちの日本で現存していないことから、「手火矢、石火矢は火槍系の火器であった」とも断言できない。


いずれにしても、通説を金科玉条とせずに、疑問と好奇心をもって研究を進めていけば、日本における火器と火薬の歴史はより判明していくことだろう。







☆『千万の覇者』より、花舜夫人


☝・・・と!いうことで、まだまだ鉄砲伝来にまつわる通説への疑問は尽きないものの、今回はこのあたりでいったんお開きにしましょう。 それではまた。
(`・ω・´)ノシ


(※)この文章は、ブログ主の見解です。


(つづく)




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