2019年11月20日水曜日

【マンガ】『九龍ジェネリックロマンス』とアジアンゴシック、そしてディストピア考!~

マンガ/サブカルコラム


☆サイト『週刊ヤングジャンプ』より
https://youngjump.jp/manga/kowloon/


☝・・・週刊ヤングジャンプ・・・通称ヤンジャンにて連載がはじまった、眉月じゅんさん作の『九龍ジェネリックロマンス』


個人的に、この作者さんの前作・『恋は雨上がりのように』をチラ読みしていたこと、そして「九龍(クーロン)」というワードに魔力めいた魅力を感じることから、今回はこいつをお題に駄弁りを展開していこう。







このマンガは、タイトルに冠された「九龍(クーロン)」のとおり、今では失われてしまった魔境として有名な香港の九龍城塞、それが存在した1990年あたりの当時を懐かしむことがメインのマンガだと思いきや・・・


ところがどっこい、第2話の冒頭で「ジェネリック地球(テラ)」なるものが登場し、このマンガの世界観が、まさかの近未来SFものであることが判明しましたね・・・!







それにしてもこの作品、建設中だという人工惑星が登場するという近未来の割には、どこか奇妙な感じがします。 まず、劇中の登場人物たちの身の回りにあるモノの旧式っぷりはどうだろう。


たとえば、主人公である鯨井令子の部屋。 そこには明らかに近未来とは言い難いレトロな趣のあるエアーポットや扇風機が置かれている。 そして彼女が身に着ける腕時計もスマートウォッチなどではなく、ずいぶんと昔からあるような女性用の細い腕時計だ。


それよりもそもそも、なぜこの劇中の世界において、今では失われてしまったはずの九龍城が存在していて、そこに主人公の令子を始めとした日本人が働いているのだろう? こういった疑問が読者の前に横たわっている。


こういったカオスな世界観はどうだろう。 先ほどわたしはこのマンガを近未来SFものだと言いましたが、それは間違いであって、このマンガは現実の世界とはまったく異なる世界・・・時間も空間も違った、パラレルワールド系のお話しなのだろうか。







こう書いてしまうと、わたしが否定的な立場でこのマンガを読んでいるように聞こえるかもしれませんが、そんなことは決してなく、とても楽しく読ませてもらっています。


仮に作者が男性であったならば、同じテーマを描いたとしても、そのマンガにはバトルやエロといった要素が多く含まれがちだ。 でも、このマンガの作者は眉月じゅんさん・・・女性ということもあって、劇中では男性マンガ家にはなかなか描く事の出来ない女性の心理が、マンガのコマに落とされて描かれている。


そう、このマンガは実質、「男性誌に連載された女性マンガ」なのだ。 こういった部類のマンガは昔から一定数あるものの、ふだんからそういったものを読まない男性読者にとっては新鮮であり、刺激的でもある。







「映画は最初の10分」。 ・・・こういった格言があるくらいに、マンガの出だしというものも同様に重要だ。 その点、この物語の滑り出しはなかなかいい感じで、このマンガは週刊連載ということから、こういった「週一の楽しみ」が増えたことをうれしく思う。


なんていうか、大人になってしまうと趣味嗜好のストライクゾーンが保守的になるというか、こういったささやかな楽しみは少しづつ減っていく傾向にあるので、ここは素直にありがたいと思ってしまうよ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


いったん話題を、マンガ『九龍ジェネリックロマンス』から外れてみよう。









☝・・・それにしても、なぜ令和時代の今、我が国で九龍城というモノに光が当てられるのだろう。


かくいうわたしは、リアルに存在した九龍城のことは正直よく知らない。 知っているとすれば、それはプレステ初代でリリースされた『クーロンズゲート』という、ゲーム化されたヴァーチャルでフィクションな九龍城くらいだ。









☝・・・こちらが先ほど触れた、プレステ初代の『クーロンズゲート』のパッケージだ。 ちなみに、リリースされたのは1997年2月。 このゲームは、なんでも今日では「伝説の奇ゲー」などと称されているらしい。


確かにそれは言い得て妙で、このゲームはリリースされたその当時、ゲーム好きな少年少女、そして若干の大人にインパクトを与えた。 かくいうわたしもその一人で、このゲームの持つ強烈な個性の印象はいまだ薄れていない。


たしかその当時は、1996年3月にリリースされた「バイオハザード初代」の大ヒットにより、ホラーといったジャンルがゲーム業界でプチブームとなっていて、そういったホラー系・怪奇系のゲームが雨後の筍のように次々と世に出ていたと記憶している。 そういった世相のもと、『クーロンズゲート』はひときわ異彩を放っていた。


まぁ、この『クーロンズゲート』のゲーム性・・・ストーリー進行やダンジョン攻略、敵とのバトルなど、こういったゲーム性の部分はそれほど面白かったとは言えないけれども、薄暗く荒廃した感のあるクーロンの世界、ドぎつい見た目の住人たち、ねっとりと奏でられる胡弓のサウンドなど、そういったものが絡み合った世界観は総じて面白かった。


九龍城とは、やっぱり闇の中でネオンの光を輝かせているような、悪酔いしてしまいそうなほどのアジアンゴシックに満ちていて、暗さやうさん臭さを基調とした存在であった方がいい。 ・・・こんなことを思ってしまうのは、わたしの九龍城についてのイメージが、ゲーム『クーロンズゲート』の支配下にあるからだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・話をマンガ『九龍ジェネリックロマンス』の方に戻してみよう。


いま物語は第2話まで進んだということで、お話は今後どのような展開を迎えるのだろう。 第2話の扉絵では「大人ロマンス INでぃすとぴあ」ということが書かれていて、このマンガのコンセプトを端的に説明しているけれども、わたしから言わせてもらえば、ディストピア感がやや物足りない。


いや・・・正直に言えば、現時点でディストピア感は限りなくゼロに近い。 九龍の町はゴミゴミとしているものの夜には満天の星が見えるなど環境は悪くなさそうだし、主人公である令子の職場での人間関係もおおむね良好。 また、みずみずしいスイカやプリプリとした水餃子が登場するなど、食べものも美味しそう・・・などなど、劇中の九龍の世界では、好まざるものよりも好むものの方が勝っているように見受けられる。


これはたぶん、作者の眉月さんの九龍城塞というものに対するイメージが、どちらかといえば「懐かしく、古き良きもの」と好意的にとらえているからだろう。


個人的な希望としては、もっともっと、九龍城塞の持つ闇、ゴチャゴチャとしていてアナーキーで、アンダーグラウンドな感じを描いてほしい・・・でも、それだと別物のマンガになってしまいそうだから、ここは素直にこの作者の感性に身を委ねるとしよう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


それにしても、やっぱりキーになるのは「ディストピア」というワードだろう。


わたしたちの社会は、表向きは「明日はより良い社会になる」とうたっているが、それを大嘘だと見做すのが「ディストピア観」で、つまり、人類によって営々と構築されてきた文明社会は高度に発展していくものの、その極みにおいて大崩壊をし、ついには存亡の淵に追い込まれるのではないかといった悲観的な世界観だ。


マンガ『北斗の拳』における世紀末世界、アニメ『風の谷のナウシカ』の腐海に覆われた世界、映画『ターミネーター』『マトリックス』などの機械・AIが支配する世界などがそういったディストピア観にかなう世界だと言えるだろう。 こういったディストピアを舞台とした作品・コンテンツは古くからあり、むしろ古典的だともいえる。


ではなぜ、いまディストピアなのだろう。







それを正確にいい当てるのは難しい。 単純に「異世界ものに飽きた」ということもあるだろう。


とはいえ思い当たるとすれば、ネットワーク社会の出現が、それに慣れない人々を戸惑わせているということだろうか。 ネットワーク社会の出現とは、情報伝達の無駄を省いて世の中を便利にするという側面がある一方で、「管理者/権力者が管理しやすい社会」が到来したことを意味している。


なによりも尊重されるべきである個人が、職場の上司に、あるいは社会や国家に、はたまた無数の「お前ら」といった自分以外のナニモノかによってより強く干渉・支配されるようになった・・・そういった思いが強くなってきているのではないだろうか。


こういった管理のいきすぎた社会がディストピアの条件の一つで、その延長線上にはやがて世界の破滅が待ち構えている。







ディストピアを扱う作品・コンテンツを気になってしまうのは、その作品の表面的なものだけでなく、その深層にある人類滅亡への警鐘と、それを回避しようといった健全な本能のようなものが、心のどこかで反応しているからなのかもしれない。


(つづく)




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2019年11月9日土曜日

【日本史】戦国の冬山登山!~佐々成政のさらさら越え~キャラ小話!シリーズ~

日本史コラム


☆サイト『痛いニュース』2019年10月の記事より
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1995327.html


☝・・・そういえば先日、動画配信をする人が軽装での富士登山を強行して、その結果不幸にも亡くなってしまったといった事故がありましたよねぇ。


こういった冬山登山・遭難系のニュースを聞くたびに、日本史好きのわたしが思い出すのが、「さらさら越え」の佐々成政(読み:さっさなりまさ)だ。


と、いうことで、今回は「さらさら越え」をお題に駄弁りを展開していこうジャマイカ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、佐々成政


☝・・・まずは佐々成政という歴史人物の説明からはじめよう。 佐々成政とは戦国時代の武将で、戦国の覇王・織田信長の家臣として知られている。


そんな成政はゲーム的には鉄砲の特技・適性に秀でており、総じて「なかなか使えるキャラクター」といった立ち位置を獲得している。 とはいえ、世間一般的にはマイナーな武将であると言えるだろう。







☆『千万の覇者』より、佐々成政


☝・・・この佐々成政という人物は、どうも前半生の記録が少ないようだ。 とはいえ、明智光秀や羽柴秀吉のようにほとんど分からないといったレベルではない。


そもそも、成政の実家である佐々家は近江佐々木家(六角家・京極家の祖)の庶流とされていてる。 それがいつの頃からか尾張国・比良に土着し、はじめは斯波家に、次いでは織田家に仕えるようになっていた。







☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化した佐々成政


☝・・・佐々成政には兄弟が多かったようだ。 ちなみに、成政は第5子であるといわれ、長兄の政次とはおよそ13歳年が離れている。 この佐々兄弟はともに織田家に仕えており、それぞれ武勇に秀でた者たちであった。


なかでも成政は信長に目をかけられ、永禄元年(1558)、23歳のときに鉄砲隊の指揮を任された。 それは軍事的なことだけに留まらず、尾張国における鉄砲本体の製造・調達、玉薬の確保といった、鉄砲隊の運用全般を任務としたものであったらしい。


織田軍の真価は鉄砲隊にありーーーこれは今日における織田軍の評価ですが、織田軍の最精鋭である鉄砲隊の運用を佐々成政は背負い、信長の期待を見事に応えていたのだ。 こういったことからも、佐々成政という武将は単なる猪武者ではないと言えるだろう。


このように頭角を現した佐々成政は、やがて佐々の家督を継ぐことを許され、信長の親衛隊・黒母衣衆の筆頭に抜擢されるなど、信長家臣団において地味ながらも着実な出世を遂げていく。







☆『戦国大戦』シリーズより、佐々成政


今回のメインテーマは「さらさら越え」なので、少し端折って話を進めよう。


佐々成政の主君・織田信長が横死を遂げた天正10年(1582)、このとき成政は織田軍・北国勢の一員として越中国の富山城主を務めていた。 成政は敵である上杉軍との最前線に位置しており、自らの本拠地を固めるために、「本能寺の変」後の織田家中の争いで積極的に動くことができなかったのだ。


成政が身動きが取れない状況は、翌年の「賤ヶ岳の合戦」でも続くことになる。 それほどまでに北陸の地は、信長という重石が無くなったことで上杉軍、本願寺系の一揆といった反織田勢力の蜂起が相次いでいた。


こういった状況のなか、天正11年(1583)3月、柴田勝家は羽柴秀吉によって滅ぼされることとなる。 勝家の指揮下にあった佐々成政は、このとき秀吉軍に降伏した。 しかし、それは表向きのことで、成政の本心はというと・・・。







翌天正12年(1584)3月、織田家の正統や主導権を巡って「小牧・長久手の合戦」が勃発する。 織田家の簒奪を目指す羽柴秀吉グループと、信長の次男・信雄と徳川家康がタッグを組んだグループとの戦いだ。


この戦いの前後において、佐々成政は秀吉のふるまいをかねてより我慢ができず、満を持して反旗を翻すことを決意した。 こうして成政は「信雄ー家康の反秀吉グループ」に加盟し、仕掛けたのが同年9月の「末森城の合戦」だ。







☆『戦国ixa』より、奥村助右衛門


☝・・・この「末森の合戦」を扱ったコンテンツとして有名なのが、マンガ『花の慶次』だ。 巻数でいうと1~2の間であり、そこでは、前田慶次の視点にもとづいた末森の合戦が描かれている。


その劇中では、末森城主・奥村助右衛門と前田慶次の友情と奮戦、打算に走りがちな前田利家とそんな夫を奮起させる妻・まつの内助、敵対する佐々成政の武士の意地といったものが描かれており、そしてそれは脚色されたマンガそのものではあるものの、かえって単純化されていて分かりやすく、今日を生きる私たちに戦国時代のロマンを感じさせてくれる。


とはいえこの末森の合戦は、佐々勢が電撃的な侵攻の展開を見せたものの、なんだかんだと前田勢は持ちこたえ、ついには佐々勢を撤退させている。 なお、この時の佐々勢の撤退は堂々たるものであり、敵である前田勢からは称賛の声が相次いだという。







☆『花の慶次』より、佐々成政


☝・・・わたしが思うに、前田と佐々は大将の器量においてはほぼ互角であったものの、佐々成政はアウェイでの戦いというハンディキャップに加えて、なによりも配下に恵まれていなかった。 成政の配下である神保氏張が、後詰阻止の任務を帯びて要所に陣取っていたものの、結局は前田勢の援軍を許してしまったという大失態があり、それがこの戦いの帰趨を決定づけたのだ。







このように、佐々勢は「末森の合戦」で敗退した。 とはいえ、佐々本隊は致命的な打撃を受けておらず、自領に籠ってリカバリーを続けていれば、いずれ反撃・再侵攻の機会が訪れる・・・そのような希望的観測があった。


だがしかし。







☆『戦国サーガ』より、姫化した織田信雄


☝・・・織田信長の次男・信雄はホームラン級のバカ殿だった。 もちろん彼には彼なりの思惑があったのだろうが、「小牧・長久手の合戦」「末森の合戦」など、多くの仲間が血を流して戦線を構築しているところを、同年11月、信雄は秀吉の口車に乗って単独講和を決めてしまったのだ。


こうして、この戦いの名目上のリーダーが戦いをやめた以上は、徳川・佐々ともに戦いを続ける理由がなくなってしまったのである。







☆『信長の野望』シリーズより、佐々成政


成政 「ちょっと! ちょっとちょっと!!」(ざ・たっち風)


☝・・・こうした状況の激変を受けて、信雄ー家康グループとは隔絶された越中国の佐々成政はいてもたってもいられず、こうして敢行されたのが、かの有名な「さらさら越え」だ。


ときは天正12年(1584)の11月。 11月といってもこれは旧暦なので、現在の暦に置き換えれば厳冬期に当たる。 そんな登山道、登山装備ともに未発達な戦国時代に、佐々成政は命を賭して3000メートル級の山脈を二つ越え、家康と直談判するためにはるばる浜松まで赴いたのだ。


ただし、この成政の「さらさら越え」は、世に知られるきっかけとなった書物が『甫庵太閤記』という信ぴょう性が低いと見做される史料に書かれていること、辿ったルートの詳細な記録が残っていないということから、学術的には伝承通りの「さらさら越え」があったと断言することはできず、古くは江戸時代から疑問の声が上がっていた。 


なお、信頼できる史料でも、成政のこの件は 「上下信州を通る」 の一言で書かれているため、真冬のアルプス越えの真偽について白黒はつけがたい。


とはいえ、ルートは不明なものの、佐々成政がこの時期に徳川家康との会見のために浜松を訪れたことは確かであり、「さらさら越え」のルートはすでに修験者や忍者が利用する山道としてある程度の整備がされていたといった史料的な形跡があることなどから、「さらさら越え」はあったと個人的に信じたい。







☆『グーグルマップ』より


☝・・・佐々成政が敢行したといわれる「さらさら越え」。 グーグルマップの航空写真を見れば、越中と信濃の国の間には北アルプスと称される険しい山脈が二つ並んでいるのが分かると思う。


それを、今からおよそ400年以上もの昔に、しかも厳冬期にこういった二つの峠を越えるということがどれほど大変なことなのかは、こんにちの文明の恩恵を享受しているわたしにはとても想像ができない。







☆『戦国ixa』より、佐々成政


何事もかはりはてたる世の中を しらでや雪のしろくふるらん
~佐々成政~


この「さらさら越え」の復路で詠まれたとされるこの句は、時を超えて、成政の人となりや、そのとき彼が感じたであろう万感の思いが伝わってくる。


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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