2019年12月25日水曜日

【戦国IXA】「戦国のクリスマス」で極選ポイント3万、配布される!(2019年度)(W4-7)

ixaコラム:経験0からのIXA!









https://cache.sengokuixa.jp/www/xmas2019/


☝・・・今月の2日から「戦国のクリスマス」というイベント/キャンペーンが始まりましたね! ・・・今回はこの話をー。









☝・・・このイベント最大の目玉は、何といっても「極選ポイント合計3万配布」、でしょうねえ。


おかげさまで、普段はカード課金をしない一般庶民のわたしでも、極選くじが引けるぞー!
(*´ω`)


ま・・・、とはいえ極選くじって、たしか夏くじや秋くじの時に引きましたからね。 昔よりはハードル下がってきています。 んで、その時の結果といえば・・・。


確か惨敗したような記憶があるんだけれど(爆)、まあいいかぁ。







とりあえず、現時点(2019年12月中)における「極選くじ」の内容をチェックしてみよう。




☝・・・まず、「極選くじ」から排出されるレアリティは3種類なんですね。


天:15%
極:70%
特:15%


・・・そして、そのうちのレアリティ天はというと、すべて復刻系のものが3枚。







つづいて、レアリティ・極のラインナップ36種類を見てみよう。










☝・・・むむー! @@


まあ、「Yさん」を筆頭に、ぶっちゃけ大ハズレなカードも多いですが、それにも増してキラリと光るカードも多いように思いますね! 一般人の感想として。


最後は レアリティ・特のラインナップですね











☝・・・ほー。 @@


赤枠の服部さんが目立ち過ぎますが、w、それでもキラリと光っているカードは多いですね!







このラインナップは現在「幻の武将 復活の宴」期間中なので、「武ノ美・島津豊久さん」や「騎士団ノ帰還・明石全登さん」といった限定カードをゲットできるチャンスがある一方で、「特・服部半蔵さん」や「Yさん」などのどうしようもないハズレ、いわばババを掴まされるといったリスクもあるわけで・・・。


「極選くじ」。 12月中に引くべきか、それとも1月になってから引くべきか。 それが問題だ。


・・・とはいえ、どうせ無料でもらった極撰ポイントだし、ひょっとして!の夢もありますし、ここは一つ、12月中に引いてみることにしましょう!


それではくじの女神様!


たのんます!! (≧▽≦)
















☝・・・ほほーw 復刻天・村上さん! ありがとー!!
(*´ω`)


固有スキルの「神槍斜線陣」はレベル10にすれば、発動60%、アップ率は88%の性能なんですねー。


そして特殊効果が「攻撃部隊に兵器兵科がいれば効果1.5倍」ですから、その場合のアップ率は132%と、砲兵科が多くなるシーズン終盤でも問題なく使えそう。


よしよし、いい感じです。 つづいて影城主の方も引いてみちゃいましょう。


それでは神様女神様、お願いしまっす! (≧▽≦)
















☝・・・(`・ω・´)・・・。


え!?


なにこれ・・・


カードナンバー2002番。 つ、掴まされたぁ orz


「復活の宴」期間中の極撰くじ、おそるべし・・・デスね・・・。


(つづく)




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2019年12月20日金曜日

【日本史】戦国日本における硝石・火薬の謎について!~キャラ絵小話シリーズ~

時事/日本史コラム


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1995524.html
☆サイト『痛いニュース』2019年11月の記事より


☝・・・今年11月中に起こった「明石駅前尿テロ事件」。 この事件、ひときわ汚く奇妙な事件ということで記憶に残っている方も多いでしょう。


そんなところ、わたしがこの記事を読んで思い出したのが、「そういえば、地面に撒かれたオシッコって、硝石の原料となるだっけ?」といったうろ覚えだ。


と、いうことで、今回はこいつ・・・硝石をメインテーマに日本史や世界史を絡めて、駄弁りを展開していこうジャマイカ。


☆caution!☆
今回のブログ文中には、排泄物といった話題が含まれます。







さて! そもそもの硝石ですが、これは火薬の原料の一つとして知られている。 火薬・・・古くからある黒色火薬は、硝石・硫黄・木炭の三成分でできていて、その起源は古代中国の道家・・・薬師と錬金術師を足して二で割ったような研究者によって発見されたと言われている。


その真偽・詳細はさておき、先ほどの火薬の三成分の特徴としては、木炭が燃焼のベースとなり、硫黄が発火を安定させ、そして硝石が爆発力となるのだとか。


なお、火薬の三成分の割合としては、硝石が全体の70%ほどであり、そして残る硫黄と木炭がそれぞれ15%ほどだとされている。 もちろんこれは大雑把な割合で、正確には火器ごとに最適な成分の配合割合は変わってくるし、また戦場における湿度によってもその最適配合は変わるなどと言われている。 火薬の配合割合とは、けっこうデリケートなものなんだねえ。


このように、硝石は古くから西洋では「ガンパウダー(火薬)の魂」とまで言われ、火薬の主成分として知られていた。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆ネット検索より、黒色火薬


☝・・・「火薬の魂」とまで言われた硝石。 この物質が我が国・日本に伝わり、そして利用が始まった年代は正確にはわからない。 とはいえ、遅くとも天文12年(1543)の鉄砲伝来によって使われ始めたことは確実だ。 (なお、ここからは鉄砲のことを火縄銃、あるいは銃などと正確に言い換えます)


ここに大きな疑問がある。 謎といってもいい。


我が国の火縄銃伝来にまつわる逸話は、銃の製造といったことを中心に事細かく述べているものの、一方で火薬のことについては、まるでぼかしたかのように詳しく記されていない。 火薬は銃使用に欠かせない必需品だというのに。


おそらく、火縄銃が伝来した当時の日本では、火薬の製造・調合方法は銃にまつわる軍事技術の要として、秘密にされていたのだろう。 この秘密さえ守られていれば、火縄銃が世の中に出回って敵方の手に渡っても、深刻な脅威とはなり得ない。







☆『千万の覇者』より、鈴木重兼


☝・・・こうして、戦国日本では火薬の秘密を知り、火縄銃の扱いに長けた「砲術士」、あるいは「鉄砲侍」という呼び名の戦士階級が成立した。 根来衆、雑賀衆といった火縄銃技能集団の活躍だ。


彼らは日本各地の有力大名に招かれて、ある者は傭兵となり、またある者は火縄銃の指南役として鉄砲隊/銃兵隊の隊長を務めるなどした。 なお、こういった砲術士を雇うには、べらぼうな金額の報酬が必要だったと言われている。







☆『千万の覇者』より、鈴木佐太夫


☝・・・しかし、火薬の秘密・・・一握りの専門家集団によって独占されていた火薬の秘密は、徐々に戦国日本の世の中に知られるようになっていく。 火縄銃伝来から20年ほどが経った永禄年間(1558~70)ともなると、火薬の原料とその配合割合を知る者は、砲術士以外でも確実に増えていた。


ただし、たとえ火薬の秘密を知っていたとしても、戦国時代の日本人が自前で火薬を生産することは困難を極めた。 火薬の原料のうちの木炭は容易に手に入れることができる。 硫黄も、まあそれなりに入手は可能だ。 しかし、硝石だけはどうしても調達できずにネックとなって、日本国産火薬の製造を阻んでいたからだ。







☆『千万の覇者』より、武田晴信


☝・・・かの武田信玄も、火縄銃の威力を認めつつもそれを重視しなかったのは、硝石、つまりは火薬の調達が難しかったためと思われる。 火縄銃とは火薬が無ければ無用の長物であり、安定して火薬を調達することができなければ、とうてい戦場で頼りになる武器とはなり得ないだろう。


信玄という人は決して新技術・新兵器に暗いわけではなく、ただ、甲斐の国における火縄銃の運用を検討してみた結果、「鳥脅しのようなものだ」・・・すなわち、現状ではそれほど役に立たないだろうといった、きわめて現実的な結論を出したに過ぎないのだ。







☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化したザビエル


☝・・・武田信玄が火縄銃を重視しなかった例からわかるように、戦国期の日本では硝石の入手ルートはきわめて限定されていた。 その限定されていた硝石の入手ルートとは、輸入・・・つまりは南蛮人との交易である。


そして、南蛮人との交易が行われたのが、「南蛮港」・・・平戸や横瀬浦、豊後府内といった西日本の一部港に限られていた。 なお、南蛮港にはキリスト教の司祭と言った聖職者が滞在することが決まりとなっている。 その理由は、カトリック教徒であるポルトガル船員が宗教的な儀式を必要としていたからだ。


南蛮港の説明はさておき、そういった港から硝石は転売されて、日本各地の需要家である戦国大名へと供給されたのだろう。 ある本によれば、硝石は戦国日本ではまったく産出しなかったことから、ほぼその全量が輸入によってまかなわれていたと書かれてあるものもある。


しかし、いくつかの史料によれば、硝石はある程度日本でも採取されていたようだ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


日本産の硝石の話をする前に、そもそも硝石とはどのような物質であるのかといったことに少し触れてみよう。


硝石は硝酸カリウムを主成分としており、そのほかに硝酸ナトリウム、硝酸マグネシウムといった成分を合わせて硝石という呼び名になっていた。 これは、昔ながらの塩が、塩化ナトリウムや塩化マグネシウム、塩化カルシウムなどの複数成分でできていることと同じことだ。 また、硝石はまたの名を塩硝/焔硝(えんしょう)とも言い、見た目は塩や砂糖と同じ白い結晶の粒だ。 そして、舐めてみるとその味は苦く、そしてひんやりとしたものを感じるのだとか。


また、硝石・・・硝酸カリウムは肥料としても知られている。 農業をやらない人でも、一度くらいは「窒素・リン酸・カリ」という言葉を聞いたことがあるだろう。 これは肥料の三要素と呼ばれるものであるけれど、その三成分の一つであるカリが、硝石の硝酸カリウムに相当している。


このように、硝酸カリウム・・・硝石とは、火薬の主成分で爆発力の源となり、同時に肥料の三要素のうちのカリでもあるというわけだ。







☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化したアルメイダ


☝・・・では、南蛮人はこの硝石をどのようにして交易品として調達していたのだろう。 「石」というように、どこかで硝石を産出する採石場、あるいは鉱山でもあったのだろうか?


・・・その答えはノーだ。 硝石は、その当時の世界・・・16世紀の世界においては、採石場や鉱山で採掘されていない。 天然の硝石とは、主に砂漠地帯の一部土砂や、熱帯地方の一部土壌に多く含まれていることがあり、人々はそういった土砂土壌から硝石を抽出・精製して手に入れてきた。


天然の硝石の産地としてはインドが特に有名で、そこで取れたものは「インド硝石」の呼び名で知られている。 また、火薬発明の母国・中国でも硝石を多く含んだ土壌の地域があり、こういった場所で硝石は産出されて南蛮人の交易品となっていたようだ。


このように、戦国日本ではインド産、または中国産の硝石を、南蛮人を介した交易で手に入れていたと推測されている。







☆『千万の覇者』より、呂宋助左衛門


☝・・・このような輸入硝石は大変に高価で、湿気ることがないように壺に入れられ密封されて、海を渡って取引がなされていた。


ルソンの壺という言葉を聞いたことが無いだろうか? ルソンの壺とは、東南アジアで作られた雑器の壺であるが、戦国~安土桃山時代の日本においては、高額な茶器として扱われていた壺のことだ。


もともとは価値のない雑器の壺が高級品となったのには訳がある。 その訳とは、壺に入れられていた商品・・・硝石や砂糖といった壺の内容物がそもそも高額であり、壺自体にはプレミアムな価値が無かったところを、当時茶道をたしなむ商人が付属品である壺もありがたがって丁重な取り扱いをはじめ、やがて茶道の権威・千利休がお墨付きを与えて高値へと定着したと考えられているのだ。







☆マンガ『花の慶次』より、ルソンの壺


☝・・・つまりは、ルソンの壺とは、高級ブランドの買い物袋、あるいは高級ブランド商品の空パッケージをありがたがっているのと本質は同じだ。 こう思うと、なんとも苦笑してしまいますね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


そうそう、日本国産の硝石の話をしないとね。


火縄銃が伝来して、銃の普及とともに火薬の需要が高まっていくなか、その主成分である硝石を日本でも採れはしないかといった試みが始まっていた。 いくらなんでも、当時の輸入硝石の値が高すぎたからだ。


そんなところ、戦国時代の日本人は民家の土間の土に、もしくは厩や牛舎といった家畜小屋の地面に、あるいは便所周辺の土に硝石が多く含まれているという事実を知るようになる。


当時の日本人はなぜそういった場所に硝石ができるのかといった原理はまるで解っていなかったが、とにかくそういった場所の土を採取して大釜で煮出し、さらにいくつかの工程を経ることで、やがて硝石が手に入ることを知るようになっていた。







☆『信長の野望』シリーズより、毛利元就


☝・・・では、戦国大名は交易を除いて、どう具体的に硝石を調達していたのだろう。


一つの例としては、毛利元就「硝石は牛舎の土から採るのが一番良い」と家臣宛ての書状で言っている。 この書状が残ったのは幸運なことで、毛利家は家臣のそれぞれに硝石入手のノウハウを教えて、硝石入手のための行動を命じていたことが伺われる。


しかし、毛利家以外の大名・・・例えば火縄銃の戦法に秀でた織田家をはじめ、島津や伊達、佐竹家といった大名がどのように硝石を安定的に調達していたのかといったことは、実はあまりよく分かっていない。 やはり火薬にまつわることは軍事機密ということで、史料に残りにくかったのだろうか。


特に疑問に思うのが、戦国時代を過ぎた安土桃山時代、豊臣政権のときに敢行された「文禄・慶長の役」(1592~93)だ。 そのときに動員されたそれぞれおよそ15万人もの兵士は、その半分ほどの割合が火縄銃を装備していたと言われている。 この鉄砲侍たちが使う膨大な量の火薬は、いったいどう調達されていたのだろう? このことは大きすぎる謎だ。







☆『戦国IXA』より、稲富佑秀


☝・・・戦国大名たちの火薬/硝石調達の実態はヴェールに包まれている。 そのかわりに、火縄銃技能集団の中には「家伝書」という形で火薬製造のノウハウを記しており、それが史料として現存していたりする。 なお、こういったものでは近江国友村稲富家の史料が有名だ。


ただし、こういった火縄銃技能集団は徳川家に味方して生き残ったグループであり、またその家伝書は江戸時代になってから編集されたものが多いということから、戦国時代における火薬にまつわる実態は、ほとんど分からないと言うべきだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


このように、残された火薬にまつわる史料の少なさを見ると、戦国大名が積極的に硝石の生産に関わっていたとは考えにくい。


☆ネット検索より、フェリペ2世


☝・・・一方で、西洋世界はというと、戦国日本とは比較にならないほど組織的な硝石の生産体制が敷かれていた。


たとえば、ヨーロッパ各国(強国クラス)では「硝石採集人」という準役人が存在していて、硝石を生産する仕事に携わっていた。 彼らには強権が与えられ、国王や領主の名のもとに、勝手に他人の敷地に入っては硝石を含んだ土を採取し、時には建物を壊したり、広場や住居を占有するなどして硝石集めに奔走していた。


また、西洋諸国ではルネサンス以降の科学の発展により、硝石を産出する工場も考案・建設された。 それが「作硝丘(さしょうきゅう)」、または「硝石丘」と呼ばれたもので、人工の丘を作り、そこに硝石の原料となるもの・・・すなわちオシッコを撒くことで、硝石を生産することができるようになったのだ。


実は、人畜の排出物・・・オシッコに含まれる尿素は土中に撒かれると、微生物がそれを分解して窒素化合物が生成される。 こうした自然界におけるいくつかの化学反応によってできるのが硝酸カリウム、すなわち硝石だ。 (ただし、この作硝丘には石灰も撒かれていたということから、産出する硝石の成分は硝酸カリウムよりも硝酸カルシウムの方が多かったかもしれない。)


うーん! ようやくここで冒頭の「明石駅前尿テロ事件」に話が繋がりましたね!







☆マンガ『ドリフターズ』より、硝石丘


☝・・・この「作硝丘」というものは日本人になじみが薄いが、要するに塩田のようなものだと考えれば分かりやすい。 ともあれ、作硝丘では、こうしてできた土を煮出して上澄みを集め、ろ過や蒸留などを繰り返して硝石は結晶化された。


なお、これら一連の作業ではとてつもない悪臭が発生したらしい。 このことは「硝石採集人」のふだんの乱暴な振る舞いとあいまって、彼らは民衆からたいそう嫌われていた。 ただし、硝石採集人は希望者の多い職業で、なり手はいくらでも現れたといわれている。 それはなぜだろう。







その答えは、「硝石採集人」には兵役が免除されていたためだ。 西洋の国家は戦争遂行のための火薬、その主成分である硝石を大量に必要としていて、硝石を生産するのは専門職に任せるのが一番いいといった認識だった。 そのために硝石採集人には強権が与えられ、さらには徴兵されないといった優遇を受けていたのだ。 もっとも、彼らのサラリーは随分と低い水準であったようだが・・・。


このように、西洋諸国は社会インフラを整えて、比較的安定した硝石の生産体制を作り上げていた。 のちに近代、「列強国」と呼ばれるようになるその基(もとい)は、優れた銃火器と火薬の主原料である硝石の安定的生産、この二つの要素が大きいと言えるだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


【小話:あんがい、硝石は身の周りに存在する?】


さて! こうして硝石のことについて文章を書いていると、わたしはかつて硝石を実際に間近で目にしたかも? ということをここでふと思い出した。 なお、それは理科の実験室や試薬で見たといった話ではない。


いつもの脱線であるけれども、この機会を逃せば2度と語ることのないような話なので、蛇足ながら綴ってみよう。







それはけっこう昔の話だ。 わたしがある会社の商業施設で働いているとき、ひとつのクレームが舞い込んできた。 そのクレームとは、「男性トイレの小便器が故障し、詰まって溢れているから何とかせんかーい!」・・・といったものだった。


そうは言われても、わたしにはトイレのトラブルを解決する技術がない。 それなので、上司と相談をして、水回りの業者の手配を済ませておいた。 だが、その業者さんはその日のうちには来れないという話だった。 会社が特定の業者と修繕の専属契約をしているという弊害だ。


そこでわたしに与えられた緊急ミッションが、「小便器から汚水がじわじわと溢れている現状を、応急的になんとかせんかーい!」 ・・・というものだった。 orz







仕方なしにわたしは、少考したのち、とりあえずポリバケツと灯油のポンプを用意した。 灯油のポンプをペコペコし、汚水を汲み上げてはポリバケツに移して、最終的には大便器にそれを破棄しようといった戦術だ。




☝・・・この作戦は功を奏し、おおかたの汚水を片づけることができた。 そして、汚水が残りわずかになったときのこと。


ズゴー! ズゴー! と音を立ててポンプが吸い出したのは、なんと砂のようなものであった。 サラサラサラ、と白っぽい砂が吸い出されてきたのだ。


ええ、便器の中にどうして砂が!? しかもその量、およそ一握りの砂ほどと、けっこう多い。


そのブツを思い出して形容するならば、「ハチミツの瓶に沈殿した糖のような、結晶の粒々」であったと証言したい。


「うへぇ~」 @@;


当時の私は、こんな作業、さっさと終わらせてしまおうといった一心であったから、この時に現れた砂は、どうせ不健康な人間から出た尿結石か何かだと決めつけて、さほど気に留めることもなく、それ以来、この時の出来事は記憶の海の底に沈んでいた。


けれども、このたび硝石について調べてみたことから、案外この時に出た砂とは、硝石系の物質であった可能性が高そうだ。 硝石は、別名を「小便塩」とも言うらしいし、いくらなんでも、尿結石が一握りほど便器の底に溜まっているなんてこたぁないだろうから!


・・・このように、硝石というものは身の回りに存在していないようで、案外身近に潜んでいるのかもしれない。w







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆ようつべより、植村花菜さんの『トイレの神様』


☝・・・汚い話はこの歌を聞いて、浄化浄化ー!


うーん。 どうでもいい話を挟んだことで、話の流れがぶった切れてしまいましたね。 ・・・まあいいか。 当ブログは、ブログ主のとりとめのない感想と駄弁りの連続です。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国IXA』より、円信院殿


☝・・・古代中国で発見されたとされている硝石。 この物質は銃火器の火薬として、爆発物として長いこと戦略的に扱われてきた。 しかし、人類の科学の進歩によって、やがてより威力の強い爆発物が発見されることになる。 硝石の戦略的価値が、今まさに変わろうとしていた。







それはスチームパンクな雰囲気の漂う、19世紀のことだ。 この時代の有名な化学者といえば、日本では断然ノーベルが挙げられるけれども、黒色火薬に代わる爆発物を発見したのは別の化学者だ。


☆ネット検索より、シェーンバイン


☝・・・その化学者はドイツ連邦のシェーンバイン。 そして彼が発見した化学物質はニトロセルロース、またの名を綿火薬といった。 それは1845年の出来事で、彼の妻のエプロンがきっかけで発見に至ったエピソードが有名だ。


ちなみに、新しく発見されたニトロセルロース・・・綿火薬は文字通り、綿の繊維を化学(ばけがく)して火薬にしたものだ。 さらに、この綿火薬は煙が出ないことから、「無煙火薬」の通称が一般の間で定着した。


兵器として使うための研究期間を50年ほど経たのちに、やがて無煙火薬は無煙であること、より強い威力であること、この二大利点から、完全に黒色火薬に取って代わることとなる。


こうして、黒色火薬とその主成分の硝石は、ひとつの技術体系として歴史的な役割を終えたのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『伊万里湾大花火ポスター』より


☝・・・古代の人が住居周辺で見つけた、燃える塩のような粒。 この物質は、やがて硝石と呼ばれて火薬となり、そこから銃火器が発達し、長いあいだ多くの人命を奪ってきた。 だが、いまやそれは花火といった、主に平和的なもののために使われている。


人類の歴史とは、資源と、それにまつわる技術・道具の沿革史でもあるということを、このたび改めて感じさせられましたね!


・・・そうそう、仮にオシッコから肥料や硝石を作ろうとするならば、駅前は避けて、他人の迷惑にならないような場所で作るべき・・・デスね!w


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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2019年11月20日水曜日

【マンガ】『九龍ジェネリックロマンス』とアジアンゴシック、そしてディストピア考!~

マンガ/サブカルコラム


☆サイト『週刊ヤングジャンプ』より
https://youngjump.jp/manga/kowloon/


☝・・・週刊ヤングジャンプ・・・通称ヤンジャンにて連載がはじまった、眉月じゅんさん作の『九龍ジェネリックロマンス』


個人的に、この作者さんの前作・『恋は雨上がりのように』をチラ読みしていたこと、そして「九龍(クーロン)」というワードに魔力めいた魅力を感じることから、今回はこいつをお題に駄弁りを展開していこう。







このマンガは、タイトルに冠された「九龍(クーロン)」のとおり、今では失われてしまった魔境として有名な香港の九龍城塞、それが存在した1990年あたりの当時を懐かしむことがメインのマンガだと思いきや・・・


ところがどっこい、第2話の冒頭で「ジェネリック地球(テラ)」なるものが登場し、このマンガの世界観が、まさかの近未来SFものであることが判明しましたね・・・!







それにしてもこの作品、建設中だという人工惑星が登場するという近未来の割には、どこか奇妙な感じがします。 まず、劇中の登場人物たちの身の回りにあるモノの旧式っぷりはどうだろう。


たとえば、主人公である鯨井令子の部屋。 そこには明らかに近未来とは言い難いレトロな趣のあるエアーポットや扇風機が置かれている。 そして彼女が身に着ける腕時計もスマートウォッチなどではなく、ずいぶんと昔からあるような女性用の細い腕時計だ。


それよりもそもそも、なぜこの劇中の世界において、今では失われてしまったはずの九龍城が存在していて、そこに主人公の令子を始めとした日本人が働いているのだろう? こういった疑問が読者の前に横たわっている。


こういったカオスな世界観はどうだろう。 先ほどわたしはこのマンガを近未来SFものだと言いましたが、それは間違いであって、このマンガは現実の世界とはまったく異なる世界・・・時間も空間も違った、パラレルワールド系のお話しなのだろうか。







こう書いてしまうと、わたしが否定的な立場でこのマンガを読んでいるように聞こえるかもしれませんが、そんなことは決してなく、とても楽しく読ませてもらっています。


仮に作者が男性であったならば、同じテーマを描いたとしても、そのマンガにはバトルやエロといった要素が多く含まれがちだ。 でも、このマンガの作者は眉月じゅんさん・・・女性ということもあって、劇中では男性マンガ家にはなかなか描く事の出来ない女性の心理が、マンガのコマに落とされて描かれている。


そう、このマンガは実質、「男性誌に連載された女性マンガ」なのだ。 こういった部類のマンガは昔から一定数あるものの、ふだんからそういったものを読まない男性読者にとっては新鮮であり、刺激的でもある。







「映画は最初の10分」。 ・・・こういった格言があるくらいに、マンガの出だしというものも同様に重要だ。 その点、この物語の滑り出しはなかなかいい感じで、このマンガは週刊連載ということから、こういった「週一の楽しみ」が増えたことをうれしく思う。


なんていうか、大人になってしまうと趣味嗜好のストライクゾーンが保守的になるというか、こういったささやかな楽しみは少しづつ減っていく傾向にあるので、ここは素直にありがたいと思ってしまうよ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


いったん話題を、マンガ『九龍ジェネリックロマンス』から外れてみよう。









☝・・・それにしても、なぜ令和時代の今、我が国で九龍城というモノに光が当てられるのだろう。


かくいうわたしは、リアルに存在した九龍城のことは正直よく知らない。 知っているとすれば、それはプレステ初代でリリースされた『クーロンズゲート』という、ゲーム化されたヴァーチャルでフィクションな九龍城くらいだ。









☝・・・こちらが先ほど触れた、プレステ初代の『クーロンズゲート』のパッケージだ。 ちなみに、リリースされたのは1997年2月。 このゲームは、なんでも今日では「伝説の奇ゲー」などと称されているらしい。


確かにそれは言い得て妙で、このゲームはリリースされたその当時、ゲーム好きな少年少女、そして若干の大人にインパクトを与えた。 かくいうわたしもその一人で、このゲームの持つ強烈な個性の印象はいまだ薄れていない。


たしかその当時は、1996年3月にリリースされた「バイオハザード初代」の大ヒットにより、ホラーといったジャンルがゲーム業界でプチブームとなっていて、そういったホラー系・怪奇系のゲームが雨後の筍のように次々と世に出ていたと記憶している。 そういった世相のもと、『クーロンズゲート』はひときわ異彩を放っていた。


まぁ、この『クーロンズゲート』のゲーム性・・・ストーリー進行やダンジョン攻略、敵とのバトルなど、こういったゲーム性の部分はそれほど面白かったとは言えないけれども、薄暗く荒廃した感のあるクーロンの世界、ドぎつい見た目の住人たち、ねっとりと奏でられる胡弓のサウンドなど、そういったものが絡み合った世界観は総じて面白かった。


九龍城とは、やっぱり闇の中でネオンの光を輝かせているような、悪酔いしてしまいそうなほどのアジアンゴシックに満ちていて、暗さやうさん臭さを基調とした存在であった方がいい。 ・・・こんなことを思ってしまうのは、わたしの九龍城についてのイメージが、ゲーム『クーロンズゲート』の支配下にあるからだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・話をマンガ『九龍ジェネリックロマンス』の方に戻してみよう。


いま物語は第2話まで進んだということで、お話は今後どのような展開を迎えるのだろう。 第2話の扉絵では「大人ロマンス INでぃすとぴあ」ということが書かれていて、このマンガのコンセプトを端的に説明しているけれども、わたしから言わせてもらえば、ディストピア感がやや物足りない。


いや・・・正直に言えば、現時点でディストピア感は限りなくゼロに近い。 九龍の町はゴミゴミとしているものの夜には満天の星が見えるなど環境は悪くなさそうだし、主人公である令子の職場での人間関係もおおむね良好。 また、みずみずしいスイカやプリプリとした水餃子が登場するなど、食べものも美味しそう・・・などなど、劇中の九龍の世界では、好まざるものよりも好むものの方が勝っているように見受けられる。


これはたぶん、作者の眉月さんの九龍城塞というものに対するイメージが、どちらかといえば「懐かしく、古き良きもの」と好意的にとらえているからだろう。


個人的な希望としては、もっともっと、九龍城塞の持つ闇、ゴチャゴチャとしていてアナーキーで、アンダーグラウンドな感じを描いてほしい・・・でも、それだと別物のマンガになってしまいそうだから、ここは素直にこの作者の感性に身を委ねるとしよう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


それにしても、やっぱりキーになるのは「ディストピア」というワードだろう。


わたしたちの社会は、表向きは「明日はより良い社会になる」とうたっているが、それを大嘘だと見做すのが「ディストピア観」で、つまり、人類によって営々と構築されてきた文明社会は高度に発展していくものの、その極みにおいて大崩壊をし、ついには存亡の淵に追い込まれるのではないかといった悲観的な世界観だ。


マンガ『北斗の拳』における世紀末世界、アニメ『風の谷のナウシカ』の腐海に覆われた世界、映画『ターミネーター』『マトリックス』などの機械・AIが支配する世界などがそういったディストピア観にかなう世界だと言えるだろう。 こういったディストピアを舞台とした作品・コンテンツは古くからあり、むしろ古典的だともいえる。


ではなぜ、いまディストピアなのだろう。







それを正確にいい当てるのは難しい。 単純に「異世界ものに飽きた」ということもあるだろう。


とはいえ思い当たるとすれば、ネットワーク社会の出現が、それに慣れない人々を戸惑わせているということだろうか。 ネットワーク社会の出現とは、情報伝達の無駄を省いて世の中を便利にするという側面がある一方で、「管理者/権力者が管理しやすい社会」が到来したことを意味している。


なによりも尊重されるべきである個人が、職場の上司に、あるいは社会や国家に、はたまた無数の「お前ら」といった自分以外のナニモノかによってより強く干渉・支配されるようになった・・・そういった思いが強くなってきているのではないだろうか。


こういった管理のいきすぎた社会がディストピアの条件の一つで、その延長線上にはやがて世界の破滅が待ち構えている。







ディストピアを扱う作品・コンテンツを気になってしまうのは、その作品の表面的なものだけでなく、その深層にある人類滅亡への警鐘と、それを回避しようといった健全な本能のようなものが、心のどこかで反応しているからなのかもしれない。


(つづく)




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2019年11月9日土曜日

【日本史】戦国の冬山登山!~佐々成政のさらさら越え~キャラ小話!シリーズ~

日本史コラム


☆サイト『痛いニュース』2019年10月の記事より
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1995327.html


☝・・・そういえば先日、動画配信をする人が軽装での富士登山を強行して、その結果不幸にも亡くなってしまったといった事故がありましたよねぇ。


こういった冬山登山・遭難系のニュースを聞くたびに、日本史好きのわたしが思い出すのが、「さらさら越え」の佐々成政(読み:さっさなりまさ)だ。


と、いうことで、今回は「さらさら越え」をお題に駄弁りを展開していこうジャマイカ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、佐々成政


☝・・・まずは佐々成政という歴史人物の説明からはじめよう。 佐々成政とは戦国時代の武将で、戦国の覇王・織田信長の家臣として知られている。


そんな成政はゲーム的には鉄砲の特技・適性に秀でており、総じて「なかなか使えるキャラクター」といった立ち位置を獲得している。 とはいえ、世間一般的にはマイナーな武将であると言えるだろう。







☆『千万の覇者』より、佐々成政


☝・・・この佐々成政という人物は、どうも前半生の記録が少ないようだ。 とはいえ、明智光秀や羽柴秀吉のようにほとんど分からないといったレベルではない。


そもそも、成政の実家である佐々家は近江佐々木家(六角家・京極家の祖)の庶流とされていてる。 それがいつの頃からか尾張国・比良に土着し、はじめは斯波家に、次いでは織田家に仕えるようになっていた。







☆『戦国姫譚Muramasa』シリーズより、姫化した佐々成政


☝・・・佐々成政には兄弟が多かったようだ。 ちなみに、成政は第5子であるといわれ、長兄の政次とはおよそ13歳年が離れている。 この佐々兄弟はともに織田家に仕えており、それぞれ武勇に秀でた者たちであった。


なかでも成政は信長に目をかけられ、永禄元年(1558)、23歳のときに鉄砲隊の指揮を任された。 それは軍事的なことだけに留まらず、尾張国における鉄砲本体の製造・調達、玉薬の確保といった、鉄砲隊の運用全般を任務としたものであったらしい。


織田軍の真価は鉄砲隊にありーーーこれは今日における織田軍の評価ですが、織田軍の最精鋭である鉄砲隊の運用を佐々成政は背負い、信長の期待を見事に応えていたのだ。 こういったことからも、佐々成政という武将は単なる猪武者ではないと言えるだろう。


このように頭角を現した佐々成政は、やがて佐々の家督を継ぐことを許され、信長の親衛隊・黒母衣衆の筆頭に抜擢されるなど、信長家臣団において地味ながらも着実な出世を遂げていく。







☆『戦国大戦』シリーズより、佐々成政


今回のメインテーマは「さらさら越え」なので、少し端折って話を進めよう。


佐々成政の主君・織田信長が横死を遂げた天正10年(1582)、このとき成政は織田軍・北国勢の一員として越中国の富山城主を務めていた。 成政は敵である上杉軍との最前線に位置しており、自らの本拠地を固めるために、「本能寺の変」後の織田家中の争いで積極的に動くことができなかったのだ。


成政が身動きが取れない状況は、翌年の「賤ヶ岳の合戦」でも続くことになる。 それほどまでに北陸の地は、信長という重石が無くなったことで上杉軍、本願寺系の一揆といった反織田勢力の蜂起が相次いでいた。


こういった状況のなか、天正11年(1583)3月、柴田勝家は羽柴秀吉によって滅ぼされることとなる。 勝家の指揮下にあった佐々成政は、このとき秀吉軍に降伏した。 しかし、それは表向きのことで、成政の本心はというと・・・。







翌天正12年(1584)3月、織田家の正統や主導権を巡って「小牧・長久手の合戦」が勃発する。 織田家の簒奪を目指す羽柴秀吉グループと、信長の次男・信雄と徳川家康がタッグを組んだグループとの戦いだ。


この戦いの前後において、佐々成政は秀吉のふるまいをかねてより我慢ができず、満を持して反旗を翻すことを決意した。 こうして成政は「信雄ー家康の反秀吉グループ」に加盟し、仕掛けたのが同年9月の「末森城の合戦」だ。







☆『戦国ixa』より、奥村助右衛門


☝・・・この「末森の合戦」を扱ったコンテンツとして有名なのが、マンガ『花の慶次』だ。 巻数でいうと1~2の間であり、そこでは、前田慶次の視点にもとづいた末森の合戦が描かれている。


その劇中では、末森城主・奥村助右衛門と前田慶次の友情と奮戦、打算に走りがちな前田利家とそんな夫を奮起させる妻・まつの内助、敵対する佐々成政の武士の意地といったものが描かれており、そしてそれは脚色されたマンガそのものではあるものの、かえって単純化されていて分かりやすく、今日を生きる私たちに戦国時代のロマンを感じさせてくれる。


とはいえこの末森の合戦は、佐々勢が電撃的な侵攻の展開を見せたものの、なんだかんだと前田勢は持ちこたえ、ついには佐々勢を撤退させている。 なお、この時の佐々勢の撤退は堂々たるものであり、敵である前田勢からは称賛の声が相次いだという。







☆『花の慶次』より、佐々成政


☝・・・わたしが思うに、前田と佐々は大将の器量においてはほぼ互角であったものの、佐々成政はアウェイでの戦いというハンディキャップに加えて、なによりも配下に恵まれていなかった。 成政の配下である神保氏張が、後詰阻止の任務を帯びて要所に陣取っていたものの、結局は前田勢の援軍を許してしまったという大失態があり、それがこの戦いの帰趨を決定づけたのだ。







このように、佐々勢は「末森の合戦」で敗退した。 とはいえ、佐々本隊は致命的な打撃を受けておらず、自領に籠ってリカバリーを続けていれば、いずれ反撃・再侵攻の機会が訪れる・・・そのような希望的観測があった。


だがしかし。







☆『戦国サーガ』より、姫化した織田信雄


☝・・・織田信長の次男・信雄はホームラン級のバカ殿だった。 もちろん彼には彼なりの思惑があったのだろうが、「小牧・長久手の合戦」「末森の合戦」など、多くの仲間が血を流して戦線を構築しているところを、同年11月、信雄は秀吉の口車に乗って単独講和を決めてしまったのだ。


こうして、この戦いの名目上のリーダーが戦いをやめた以上は、徳川・佐々ともに戦いを続ける理由がなくなってしまったのである。







☆『信長の野望』シリーズより、佐々成政


成政 「ちょっと! ちょっとちょっと!!」(ざ・たっち風)


☝・・・こうした状況の激変を受けて、信雄ー家康グループとは隔絶された越中国の佐々成政はいてもたってもいられず、こうして敢行されたのが、かの有名な「さらさら越え」だ。


ときは天正12年(1584)の11月。 11月といってもこれは旧暦なので、現在の暦に置き換えれば厳冬期に当たる。 そんな登山道、登山装備ともに未発達な戦国時代に、佐々成政は命を賭して3000メートル級の山脈を二つ越え、家康と直談判するためにはるばる浜松まで赴いたのだ。


ただし、この成政の「さらさら越え」は、世に知られるきっかけとなった書物が『甫庵太閤記』という信ぴょう性が低いと見做される史料に書かれていること、辿ったルートの詳細な記録が残っていないということから、学術的には伝承通りの「さらさら越え」があったと断言することはできず、古くは江戸時代から疑問の声が上がっていた。 


なお、信頼できる史料でも、成政のこの件は 「上下信州を通る」 の一言で書かれているため、真冬のアルプス越えの真偽について白黒はつけがたい。


とはいえ、ルートは不明なものの、佐々成政がこの時期に徳川家康との会見のために浜松を訪れたことは確かであり、「さらさら越え」のルートはすでに修験者や忍者が利用する山道としてある程度の整備がされていたといった史料的な形跡があることなどから、「さらさら越え」はあったと個人的に信じたい。







☆『グーグルマップ』より


☝・・・佐々成政が敢行したといわれる「さらさら越え」。 グーグルマップの航空写真を見れば、越中と信濃の国の間には北アルプスと称される険しい山脈が二つ並んでいるのが分かると思う。


それを、今からおよそ400年以上もの昔に、しかも厳冬期にこういった二つの峠を越えるということがどれほど大変なことなのかは、こんにちの文明の恩恵を享受しているわたしにはとても想像ができない。







☆『戦国ixa』より、佐々成政


何事もかはりはてたる世の中を しらでや雪のしろくふるらん
~佐々成政~


この「さらさら越え」の復路で詠まれたとされるこの句は、時を超えて、成政の人となりや、そのとき彼が感じたであろう万感の思いが伝わってくる。


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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