2019年7月30日火曜日

【ixa/日本史】蘆名家&れんみつ姫編(17)~キャラ絵小話!シリーズ~

ixa/日本史コラム


関連する前回
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☝・・・キャラ絵小話! 蘆名家&れんみつ編(16)

https://exp0stargalaxy.blogspot.com/2019/05/ixa.html
☝・・・シリーズ第一回はこちら




☝・・・キャラ絵小話! 蘆名家&れんみつ姫編、今回は第17回目となります。







(前回のあらすじ)
天正5年(1577)。 この年は奥羽の大名各家で外交関係の大きな変化が見られた。 まず、伊達氏と田村氏が婚姻同盟を結び、佐竹氏に対して敵対的な姿勢を見せる。 対する佐竹氏は、会津の蘆名家と同盟を結び、奥羽地域に対する影響力をいっそう増していく。 ここに新たに、奥羽における佐竹氏VS伊達氏の争いの構図が現れたのだ。(前回のあらすじ、ここまで)







☆『信長の野望』シリーズより、佐竹義重


☝・・・明けて天正6年(1578)。 蘆名との同盟を結び、北方の戦乱を一段落させた佐竹義重は、今度は南方に転じ、北条氏に対して戦いを挑むことを決意する。 このころの北条氏は、安房の里見氏を降してその旗下に置き、関東南部の統一を完成させていた。


北条氏の領国は広く、その地で養われる兵馬の数は東国において抜きん出ている。 自分たちだけで戦うことに若干の不安を覚えた義重は、関東管領職の上杉謙信にも助力を要請した。 謙信はあいもかわらずの律儀さでその要請に応え、自らの将兵に対して関東出馬の号令を発する。







☆『千万の覇者』より、上杉謙信


☝・・・だがしかし。 同年3月、上杉謙信は関東出兵の準備中に、居城の春日山城内で急性の病気を発症。 卒倒してそのまま帰らぬ人となってしまった。


「四十九年 一睡の夢 一期の栄誉 一杯の酒」


・・・これは謙信の辞世の句である。 彼の享年は49、酒を愛し、戦国の世を愛した不世出の闘将の死であった。







☆『戦国ixa』より、上杉景勝と上杉景虎


☝・・・上杉謙信は後継者をしかと定めていなかったため、上杉家では謙信の名跡を巡ってただちに争いが巻き起きる。 謙信の養子二人・・・甥の景勝と北条氏康の七男・景虎による、いわゆる「御館(おたて)の乱」の勃発だ。


この御館の乱で、会津の蘆名氏は景虎を支持したようだ。 蘆名家の当主代行の盛隆が、軍勢を率いて越後へ出陣したとの伝承が記録として残っている。 ただ、この出陣の結果は負けと伝わり、この戦いの意味合い自体もあまりよく分かっていない。 火事場泥棒的な侵攻だったのだろうか。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


視点を越後から関東へ戻そう。


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した佐竹義重


☝・・・佐竹義重は上杉謙信の死の知らせに接し、大きな衝撃を受ける。 そして予定されていた合戦について、頼みにしていた上杉軍が不在になるということで、重臣たちからは延期の意見も出された。 しかし、振り上げた拳を臆病風に吹かれてむざむざと下げることは、「鬼」の義重のプライドが許さなかった。


かくして、佐竹義重はそのまま予定されていた攻撃を敢行する。 義重を総大将とした佐竹グループの軍勢は、下野の国・旧小山領ならびに壬生領周辺で北条氏の軍勢と対峙した。


・・・その戦いの推移や結果については、詳細な資料が残されていなく、ありていに言えばよくわからない。 記録に残らないような、地味な戦いだったのだろうか。 ただ、北条氏の佐竹氏に対する軍事行動は、この戦いを境に、当面の間は派手な動きは鳴りを潜めることとなる。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治


☝・・・また同年、下野の国での戦いの後、佐竹義重は小田氏治を軍門に下した。


小田氏は古くから常陸の国・南西部に根を張ってきた武家である。 小田氏はしぶとい小大名で、この頃は北条氏を後ろ盾にしてなんとか命運を繋いできたが、天正6年(1578)、ここに独立大名としての同家の命運は潰えたのである。


この小田氏の従属をもって佐竹氏は、これ以上南方への軍事的・政略的活動をいったん停止させた。 北条氏とのこれ以上の摩擦を回避したのだろう。







☆『信長の野望』シリーズより、小峰義親


☝・・・佐竹氏の目は再び北方へと向けられる。


さらに同年、佐竹義重は南奥白河の小大名・白川結城氏に次男・喝食丸(読み:かつじきまる、のちの義広)を入嗣させた。 ほとんど真綿で首を絞めるようなやり方ではあったが、白川領は一滴の血も流すことなく、平和的?に佐竹一族の版図に加えられたのだ。







☆『千万の覇者』より、佐竹義重


☝・・・このように、天正6年(1578)までには、佐竹家は常陸の国・太田を本領として、その属邦・影響下に置いた勢力は常陸、下野、下総、陸奥の4か国に及び、その勢いは日の出のごとくであった。


そして義重は、銃口を奥羽の地に向けて当面を戦い続けるのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さらに2年が経った天正8年(1580)のこと。







☆『戦国ixa』より


彦姫 「みなさまお久しぶりです、彦姫です。 ・・・娘のれんみつは、無事に3歳を迎えることができました・・・今日はひな祭りのお祝いです!」


彦姫 「さ、れんみつ、おじいさまに挨拶をなさい」


れんみつ「・・・おじいさま、ねているの?」


盛氏 「・・・ハッ!」 (盛氏は席で居眠りをしていたが、名を呼ばれてとっさに目覚めたようだ。 盛氏は大汗をかいている)


盛氏 「たいへんな夢をみてしまった・・・!」


一同 「?」


盛氏 「わしは・・・わしの命数は、もう永くはない!」


一同 「ええー!?」







さてさてどうなる会津の蘆名家。 気になる展開は、次回となります。お楽しみにー!
(・ω・)ノシ


(なお、8月はリアル都合により、ブログ更新は休みがちになります・・・)


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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('◇')ゞ



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