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キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(4)
第一回はこちら
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☆『戦国ixa』より、有馬晴信
ときに慶長13年(1609)、夏ーーー。 有馬晴信とその家臣たち・・・「カピタン捕縛組」は、日中の灼熱を避け、波打ち際の番屋から停泊を続けるポルトガル船の監視を続けていた。
死者を迎え、送り返す祭りーーー盆を過ぎると、季節はゆるりと移り替わる。 昼間の暑さこそ変わらないが、朝晩は次第に涼しく、ねっとりとした熱気の連続ががゆるりと和らぎ、気温に上下の波が生まれてくるのだ。 空中に含まれる水分は冷えることで霧となる。 ・・・長崎の港にも、連日朝もやが立ち込めるようになってきた。ーーー秋の訪れである。
そんななか、ペッソアの特使が駿府の徳川家康との会見を果たし、つづいて江戸の秀忠との会見に向かったとの報せが、本多正純の家臣・岡本大八を通じて晴信のもとへ届けられた。
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☆『戦国ixa』より
岡本
「大御所様とポルトガルの会見では、マカオ騒擾の件について、ポルトガルから謝罪はおろか、言及そのものが無かったとのこと。 また、糸割符の制度について、これは不公平な取り決めであるから認められない、という主張がなされたそうです。 ・・・これらは慮外な申し出であり、こういったポルトガル側の態度について、大御所様はあいかわらずご立腹のご様子。 予定どおり報復をするように、とのご意向です」
晴信
「いよいよか! しかし、カピタンがあのバケモノ船に籠っている以上、そう簡単に手出しはできないな・・・」
一同はチラリと湾を見る。 そこには3階建ての巨船、マードレ・デ・デウス号が砲門を開きつつ、要塞然として海上に浮かんでいた。
「ここは長崎奉行の長谷川殿に動いてもらい、カピタンを陸に呼び出すしかないか」
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☆『戦国ixa』より
こうして長谷川が動く。 マードレ号が積載した交易品を詳しく知りたいから、そのリストを作らせてほしい、と。 そして陸に上がって商談をしようじゃないか、と。 しかし、カピタン・モールのアンドレ・ペッソアは終始それに非協力的で、とりわけ主要な積み荷である生糸については、頑なにその商談を拒み続けた。
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商船が商談を受け付けない、という不可解な対応をしたため、一同は困惑する。 事態が硬直するのを見かねた岡本は、かねてより主・本多正純から授けられていた策・・・家康の名における、ペッソア召喚の書状を用意した。 これは偽の書状ということになるが、ペッソアを捕らえるという至上命題のためにはやむを得ないことだ。 ペッソアにとって家康から召喚状が届くということは、彼の立場上応じざるを得ないハズで、事実上の「出頭命令」ということになり、その効果はてきめんだと思われた。
・・・ところが、権威ある大御所の命令に対してもペッソアは頑として従わなかった。 それどころか、書状を持参した岡本を無下に追い返したのだ。 船からたたき出すような勢いで、まるで邪魔な野良犬を追い払うような態度だった。
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一同
「・・・これは・・・。 ペッソアのやつめ、何か異変を察知している? ・・・我々の捕縛計画が。 というか、情報が漏れているということも?」
捕縛組の誰しもが、ここで一つの疑念を抱きはじめた。 裏切りとも言える、情報漏えいの可能性だ。 そうでもなければ、ペッソアの異常ともいえる警戒ぶりと、その拒絶反応は不可解だった。
そして、一同は味方の裏切りという疑念もさることながら、もっと重大な可能性に気づくことになる。 ポルトガルの極東における船団の指令武官、カピタン・モールの取った頑なな態度が示唆する、この件のさらなる方向性とは・・・。
晴信
「まさかとは思うが、ヤツめ、ひと暴れでもするつもりか?」
一同
「!」
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☆『戦国ixa』より
アンドレ・ペッソアという司令官のとる行動は、先年の「マカオ騒擾」の件でも明らかなように、きわめて武断的である。 今回の来日でも、その傾向は同じままだ。 ここでペッソアに先手を打たれ、長崎でも騒擾を起こされて、挙句に逃亡を許してしまったとしたら・・・。 それは武士として、大御所の下命を受けた者としてあまりにも面目の立たないことであり、具合の悪いことであった。
有馬晴信を中心とした一同は、ここにきて一段階悪い事態を想定しだした。 当初予定していた捕り物よりも遥かにやっかいな、武力を背景にした外国船への臨検および拿捕である。 しかし、例の司令官が大人しくそれに従うとはとても考えられなかった。
・・・これからの困難を思うと、晴信をはじめとした有馬の兵たちは合戦に臨むような面持ちになる。 それは兜の緒をぎゅっと締めたようなイメージで、南蛮船を監視する番屋の屋内はピリリとした空気に包まれたのだった。
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☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した有馬晴信
☝・・・それから、有馬晴信は船戦の準備を進めさせた。 しかし、この時点でそういった軍船や水夫・・・いわゆる船侍がまるで不足していることに気づかされる。 海のことをよく知り、船を手足のごとくに動かせなければ、船上の戦いはおぼつかない。 とくに、船戦の経験のある兵士の不足は深刻だった。
というのは、かつては有馬家中に大勢いた水軍の関係者たちであったが、まず第一に、豊臣秀吉が天下を統一して平和になってからはローカルな船戦はめったに起こらなくなり、船侍たちは次第に「陸の侍」となっていったし、第二に、それでも残った船侍たちは「文禄・慶長の役」に従軍することで、結果、大半がその命を失ってしまっていたからだ。
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☆『グーグルマップ』より
☝・・・「文禄・慶長の役」。 ・・・とりわけ、秀吉の朝鮮戦役でのオーラスを飾る、日本軍総撤退のときである。 有馬晴信は朝鮮・順天総大将・小西行長の与力としてその指揮下に入り、小西水軍の一翼を担って、船に不慣れな味方の撤退を援護する任務に就いていた。
それに対するは明・朝鮮連合水軍。 彼らの船数は多く、また撤退する日本軍を追撃する側であるということで有利な状況にあり、晴信を含めた小西水軍、ひいては日本側の劣勢は明らかだった。
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☆韓国のサイトより、亀甲船
☝・・・それからのめくるめく攻防はすさまじく、まさに壮絶の一言に尽きた。 なかでも、これを機に徹底的に日本軍に打撃を与えて再攻の念を挫けさそうと、朝鮮水軍の指揮官・李舜臣の攻撃は激烈を極めた。 そう、有馬晴信は亀甲船に乗り込んだ伝説的なこの海将とも銃砲を交わしていたのである。
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☆『戦国ixa』より、島津義弘と島津忠恒
☝・・・そのとき、漢気溢れる島津軍を中核とした水軍の救援が無かったら、有馬晴信たちの運命は儚くも潰えていただろう。 援軍が現れたため、明・朝鮮連合水軍の銃口は向きを転じ、日本水軍は混戦の末に李舜臣を戦死せしめるなど勝利を得、おかげで晴信たち小西水軍は順天付近の戦闘海域からなんとか撤退することができた。
しかし、有馬家中の軍船や船侍たちは、その大半がこの前後の戦いで沈没し、命を落とすなど、異国の深い海の底へと水葬されてしまったのだ・・・。
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☆『のぶニャがの野望』より、ありミャー晴信
☝・・・有馬晴信の胸中には、かつての戦いが鮮やかによみがえり、そのときに命を落としていった兵や家臣たちの顔が去来する。 そしてかみしめるようにこう言った。
晴信
「異国の大船とはいえ、相手はたかだか一隻じゃあないか。 しかもここは日本。 朝鮮の役での苦難を思えば、こんなものは問題の内に入らないぞ!」
晴信の檄が飛び、重臣たちは問題を解決すべく奔走する。 船の不足は近隣の水軍大名から借りることで、また、船侍の不足は傭兵を雇うことと、家中の若い兵らを短期のうちに徹底的に訓練することで、問題の解決にめどをつけた。
・・・こうして有馬家は、その総力を挙げて船団を用意し、有馬家の主要な港・口之津を出港した。 季節は晩秋、台風の恐れが無くなってからの出撃であった。 その軍容は、安宅船6隻、関船30隻、その他の小舟100余りと一説には伝わる。
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船にはそれぞれ大小の幟旗がはためき、美々しく飾られて船団は海上を進んでいく。 目指すは長崎、そこで待ち受けているものはーーー。
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と!いうことで、今回はこのあたりでお開き。 次回はどのような展開となるのでしょうか? お楽しみにー。 ノシ
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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