ixaコラム:経験0からのIXA!
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
どうもー! 「戦国異伝」に突入してからは、無課金で『ixa』を遊んでいるブログ主です。
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☝・・・そんな無課金なわたしにとって、運よくゲットできたシクレ特・有馬さんの特殊効果:消費名声ー20がメチャ便利で、感激しっぱなしです。
今回は、この話題を・・・。
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
先日の攻撃戦のときです。
☝・・・フフー! お手軽なお相手、発見! このお相手に、有馬さん入りの同時攻撃をぶつけてみましょう。
それでは、出撃ー! (^ω^)つ ポチ!
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☝・・・むむー。 わたしの攻撃力の低さは触れないでおくとして、w、お相手の方はほとんど防衛隊の育成をされていない方だったようですね。 ・・・てゆうか、攻撃武将の防御転用ですかー!
@@;
なお、わたしの攻撃部隊のコストは13.5と14.5なので、
13.5+14.5=28
28-20=8
・・・2部隊同時攻撃で、通常なら名声が28が減るところを、有馬さんのスキル効果で8に抑えられています。 こいつぁありがてえ!
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それでは、兵を補充するなどして、先ほどの追撃といきますかー。
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☝・・・軽微→落寸!
・・・有馬さん入りの同時攻撃・追撃ですが、初弾とは編成を変えているのが分かるでしょうか?
追撃では、2部隊のうちの1部隊の人数を減らして、総コストを21に減らしています。 これで同時攻撃での消費名声が、わずか1に!
(^ω^)
本攻撃の後の追撃は、2部隊同時攻撃するかどうか判断に迷うことがよくあります。 けっこう兵が残っている場合がありますからねー。 ですが、このように有馬さんの特殊効果:名声消費ー20を意識して編成を変えれば、名声をほとんど消費せずに戦力アップが可能となるのです。
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
さらに言えば、
☝・・・さこの方さん、深芳野さんなどといった、低コストの弓系カード部隊を本隊の支援に回します。 それで総コストを上手いこと20以内に収め、ふだんから名声を消費せずに同時攻撃をすることも可能ですし、
☝・・・槍を使いたいなら丹羽長重さん、山崎さんなんかもイイかなぁ。 「筋違い角」といった比較的新しい自己合流系スキルとの相性もバッチグーだ。
☝・・・馬を使うならこの2名が候補ですかね。 極・井伊直虎さんは「虎拳」が強力だけれども、兵数が少ないのが思案のしどころ。
☝・・・砲兵科は・・・。 うーん。この組み合わせはナイかな、それなりに攻撃力はあると思われるものの、せっかくの砲兵科が「避雷針効果」で残念なことになってしまいます。 @@;
☝・・・てゆうか、低コストの砲武将を使うのであれば、2016年に配布されたレアリティ天・真田さんなんかが一番使い勝手いいんでしょうねぇ。 わたし的に持っていませんがぁ・・・。 残念っ! (-_-)
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などなど、夢が広がるシクレ特・有馬晴信さんによる「消費名声0での2部隊同時攻撃運用」なのでした。
ただし、そのためには新たな育成コストがかかりますし、そもそも、一定の強さを持つ相手に「低コストカードによる2部隊同時攻撃」は通用しないように思われますからねw ロマンは十分に感じられるものの、わたしは手をつけられないかなぁ・・・。
・
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☝・・・ところで、このシクレ特の有馬さんの固有スキルは「澳門騒擾(読み:マカオそうじょう)」とあります。 これって何のことでしょう? ・。・
「いくさぶる解説文」によれば、有馬晴信さんはマカオと関係したエピソードを残しているみたいですが・・・。
そう思って書籍もあわせて調べてみたところ、なんとこの人物は、日本ーポルトガルという、2か国間の外交を左右するほどの派手な事件の当事者となっていたのです。
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(`・ω・´)(`・ω・´)(`・ω・´)
時は慶長12年(1608年)。 当時、ポルトガル領のマカオにおいて、日本人の船員が多数殺害されるという事件が起きた。 「マカオ騒擾」とは、このことに端を発した一連の事件のことをいう。 名称としては、これ以外には「マードレ・デ・デウス号事件」、「ノサ・セノーラ・ダ・グラサ号事件」とも呼ばれていて、通称は定まっていないようだ。
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☆『千万の覇者』より、徳川家康と徳川秀忠
☝・・・ちなみに慶長12年(1608年)とは、「関ケ原の合戦」と「大坂の陣」とのほぼ中間の時点である。 このころ、日本政治のリーダー・徳川家康は将軍職をすでに息子の秀忠に譲っており、駿府にて大御所政治を始めていた。
「マカオ騒擾」とは、実は、大御所・家康が深く関与することとなるのだが・・・。
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☆官公庁系のサイトより、「16世紀頃の東南アジアと朱印船の航路」
☝・・・話を戻します。 それで、どうして日本人がポルトガル領マカオに多数いて事件に巻き込まれたのかというと、彼らは「朱印船貿易」で海外に出かけていたからだ。 かつては、船の技術が未熟で外洋への長期航海が難しかった日本だったが、江戸初期のこの頃には西洋船舶の技術を学んで/真似して、それが可能になっていた。
そして、マカオでなぜ日本人が殺されたのかというと、ポルトガルの主張によれば「日本人船員が荒くれ者で、町の治安を乱したのでやむなく鎮圧した」ということらしい。
詳しく述べると、日本人は武装してマカオに上陸し、海賊まがいの行為を行ったのだという。 それなので、カピタン・モール(注:官職名。マカオ総司令官のこと)が直々に兵を率いて制圧したという訳だ。 しかし、これは事件当事者の一方で、なおかつ権力側の言い分だから、どこまで本当なのかはわからない。
事実、その事件の生き残りが命からがら日本にたどり着き、そこで訴えたのは、「ポルトガル商人と商談をしているうちにもめてしまったところ、一方的に攻撃をされて殺害・捕縛され、船もろとも一切の財貨を没収されてしまった」という、相手側の主張とはほど遠いものだった。
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☆『戦国ixa』より、増田長盛と豊臣秀吉
☝・・・船の積み荷を一方的に没収する・・・。 このことについて、日本側には思いあたる節があった。 それが10年ほど前に起こった「サン・フェリペ号事件」である。
サン・フェリペ号事件とは、豊臣政権時代の文禄5年(1596)10月に起きた一連の事件だ。 発端は、スペインの船が難破して土佐に漂着したという事故があったのだが、その際の調査で「スペインが国を挙げて世界征服の事業を行っていること」、「世界征服の下ごしらえとしてキリスト教の布教活動を行っていること」を日本当局はハッキリと知ることになったのだ。
この調査は能吏・増田長盛が担当をし、ただちに豊臣秀吉へと報告された。 秀吉はそれを受けてすぐさまキリスト教の禁教令を発令、命令に服しなかった宣教師らを処刑している。 そして、漂着したサン・フェリペ号の積み荷の一切を日本側は没収したのだった。
もちろん、こんな一方的な措置を行ったので、この事件は日本ースペイン間の外交問題となっている。 スペインはそのころ、先年の「アルマダの海戦」で敗れて権威は失墜したものの、依然として世界各地で植民地を経営する「日の沈まぬ国」であった。 余談ですが、「マカオ騒擾」の相手国であるポルトガル王国も、この頃すでに「同君連合」としてスペインの帝国傘下に入っている。 (このあたりを含めたスペイン帝国史は複雑で難解です・・・@@;)
しかし、スペインは世界の大国といえども、日本には戦国時代を乗り切った精強な軍事力があり、またスペイン本国からははるか遠方の地であるなど、色々な要因が重なってスペインはあえて報復をしなかったのだ。 この事件はやがて放置され、忘却という名の処理をされたのだったが、日本と南蛮国(スペイン・ポルトガル)との外交関係にシコリを残したのだった・・・。
このように、「マカオ騒擾」は「サン・フェリペ号事件」を彷彿とさせ、南蛮国によるかつての意趣返しのように思われたのだ。
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☝・・・ここで有馬晴信さんのご登場。 彼は肥前の国・島原半島は日野江の領主である。 彼の生年は永禄10年(1567)とあるので、キャラ絵のイメージとはやや違い、この頃は40代前半の壮年となっていたハズだ。
マカオの事件を生き延びた者たちは、有馬晴信の下に行って報告を行った。 なぜなら、事件に巻き込まれた貿易船は有馬晴信の船であったからだ。 当然その船には有馬家の役人が乗り込んでいて、有馬家は人的、金銭的ともに大きなダメージを負っている。
有馬晴信は生き延びた者たちの話を聞いて逡巡した。 貿易に伴う船のトラブルにはさまざまなものがあるが、今回の相手はマカオの当局であり、その背後にはポルトガル王国が控え、さらにはスペイン帝国の影がちらついて見える。 そうなると、到底この件は晴信の手に負えるものではなかった。
悩んだ晴信は江戸幕府の直轄領である長崎に出向き、その出先機関の役人である「長崎奉行」、「長崎代官」らに相談を持ち掛け、やがて家康と面会して直に決裁を仰ぐという運びとなる・・・。
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康
☝・・・有馬晴信は駿府に出向き、ことの詳細を大御所・徳川家康に報告した。
有馬氏は家康・・・ひいては幕府から許しを受けて貿易を行っていたのだが、その見返りとして、「伽羅(読み:きゃら)」を家康に献上する手はずとなっていた。 それが事件に巻き込まれたことで不首尾となり、この会見は晴信の弁明の場でもあった。
晴信は訴える。 ポルトガル領マカオにおいて、我らは罪なく襲撃され、死者を多数出すハメになっただけではなく、伽羅をはじめとした貴重な積み荷は船もろともポルトガル・マカオの司令官によって不当に没収されてしまったのです・・・と。
家康は、この報告を聞くやにわかに表情が険しくなり、最終的には激怒したと記録にはある。
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・
(; ゚Д゚)(; ゚Д゚)(; ゚Д゚)
ここで脱線ですが、手に入らないことを聞かされて家康が激怒した、伽羅とはいったい何なのでしょう? ・。・
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☝・・・こちらが朱印船貿易で家康が手に入れたかった「伽羅」。 香木の一種で、要は最高級の香料(お香の原料となる)のことだ。
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香木と言えば、
☆『信長の野望』シリーズより、「蘭奢待切り取り」
☝・・・武将と香木のエピソードとしては、信長の蘭奢待(読み:らんじゃたい)切り取りの件が最も有名だろうか? ちなみに、このエピソードの香木・蘭奢待は伽羅ではなく、黄熟香という種類の香木なのだとか。
信長は、この「蘭奢待切り取り」をあくまでも政治的パフォーマンスとして利用し、ろくに香りを楽しむということをしなかったようだったが、家康は違っていた。
一般的なイメージとして、家康は質実剛健にこだわる人物で、茶の湯などといった芸道をもっぱら好まなかったとよく言われている。 しかし、記録を見る限り晩年の家康は香道をこよなく好んでいた。
とはいえ、家康が香道をたしなんだのも、お香の効果として精神に良い影響を与えることを期待していたためのようだ。 香木には精神の鎮静作用があると昔から言われており、なかでも、伽羅は極上品として神秘的な効能も信じられていた。
つまり、家康は香木を薬として使っていたという訳だ。 そう考えると、家康という人はホント質実剛健な人ですよねぇー。 (`・ω・´)
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・
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(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康
☝・・・待望の伽羅が手に入らずに怒り心頭の家康だったが、さすがに思慮深い大政治家だけあって、すぐにその場で結論を出さずに、その事件の調査・裏取りを本多氏(本多正信・正純父子)に命じた。
・・・時間はかかったが、事件のおおよその裏取りを家康は終えた。 そしてその内容を吟味して出た結論が、「日本側にも非はあったが、マカオ総監の取った措置はずいぶんと乱暴だ」ということだった。
家康が何よりもこだわったのが、有馬氏が派遣した船は江戸幕府(日本政府)が公認した朱印船であったということである。 そんじょそこいらの民間商船とは訳が違う。 この船の関係者を攻撃するということは、すなわち幕府を攻撃することに等しいといえた。 つまりは、徳川政権の威光に傷をつけられたのだ。 なおかつ、ポルトガル側がこの件を隠してこちらに告知してこないのは、結局は略奪目的だったという、相手側の心のやましさにも思えてきた。
ここで家康は有馬晴信に厳命を下す。 「機を見て、ポルトガルに報復せよ!」と!
・
・
・
(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☝・・・こうして、有馬晴信はポルトガルのマカオ総督(カピタン・モール)に戦いを挑むことになる・・・!
・・・ですが、1回分のブログとしては随分と長くなってしまったので、次回につづくー!
('◇')ゞ
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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('◇')ゞ
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© 2010-2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
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☝・・・そんな無課金なわたしにとって、運よくゲットできたシクレ特・有馬さんの特殊効果:消費名声ー20がメチャ便利で、感激しっぱなしです。
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先日の攻撃戦のときです。
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☝・・・むむー。 わたしの攻撃力の低さは触れないでおくとして、w、お相手の方はほとんど防衛隊の育成をされていない方だったようですね。 ・・・てゆうか、攻撃武将の防御転用ですかー!
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なお、わたしの攻撃部隊のコストは13.5と14.5なので、
13.5+14.5=28
28-20=8
・・・2部隊同時攻撃で、通常なら名声が28が減るところを、有馬さんのスキル効果で8に抑えられています。 こいつぁありがてえ!
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それでは、兵を補充するなどして、先ほどの追撃といきますかー。
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☝・・・軽微→落寸!
・・・有馬さん入りの同時攻撃・追撃ですが、初弾とは編成を変えているのが分かるでしょうか?
追撃では、2部隊のうちの1部隊の人数を減らして、総コストを21に減らしています。 これで同時攻撃での消費名声が、わずか1に!
(^ω^)
本攻撃の後の追撃は、2部隊同時攻撃するかどうか判断に迷うことがよくあります。 けっこう兵が残っている場合がありますからねー。 ですが、このように有馬さんの特殊効果:名声消費ー20を意識して編成を変えれば、名声をほとんど消費せずに戦力アップが可能となるのです。
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さらに言えば、
☝・・・さこの方さん、深芳野さんなどといった、低コストの弓系カード部隊を本隊の支援に回します。 それで総コストを上手いこと20以内に収め、ふだんから名声を消費せずに同時攻撃をすることも可能ですし、
☝・・・槍を使いたいなら丹羽長重さん、山崎さんなんかもイイかなぁ。 「筋違い角」といった比較的新しい自己合流系スキルとの相性もバッチグーだ。
☝・・・馬を使うならこの2名が候補ですかね。 極・井伊直虎さんは「虎拳」が強力だけれども、兵数が少ないのが思案のしどころ。
☝・・・砲兵科は・・・。 うーん。この組み合わせはナイかな、それなりに攻撃力はあると思われるものの、せっかくの砲兵科が「避雷針効果」で残念なことになってしまいます。 @@;
☝・・・てゆうか、低コストの砲武将を使うのであれば、2016年に配布されたレアリティ天・真田さんなんかが一番使い勝手いいんでしょうねぇ。 わたし的に持っていませんがぁ・・・。 残念っ! (-_-)
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などなど、夢が広がるシクレ特・有馬晴信さんによる「消費名声0での2部隊同時攻撃運用」なのでした。
ただし、そのためには新たな育成コストがかかりますし、そもそも、一定の強さを持つ相手に「低コストカードによる2部隊同時攻撃」は通用しないように思われますからねw ロマンは十分に感じられるものの、わたしは手をつけられないかなぁ・・・。
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☝・・・ところで、このシクレ特の有馬さんの固有スキルは「澳門騒擾(読み:マカオそうじょう)」とあります。 これって何のことでしょう? ・。・
「いくさぶる解説文」によれば、有馬晴信さんはマカオと関係したエピソードを残しているみたいですが・・・。
そう思って書籍もあわせて調べてみたところ、なんとこの人物は、日本ーポルトガルという、2か国間の外交を左右するほどの派手な事件の当事者となっていたのです。
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時は慶長12年(1608年)。 当時、ポルトガル領のマカオにおいて、日本人の船員が多数殺害されるという事件が起きた。 「マカオ騒擾」とは、このことに端を発した一連の事件のことをいう。 名称としては、これ以外には「マードレ・デ・デウス号事件」、「ノサ・セノーラ・ダ・グラサ号事件」とも呼ばれていて、通称は定まっていないようだ。
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☆『千万の覇者』より、徳川家康と徳川秀忠
☝・・・ちなみに慶長12年(1608年)とは、「関ケ原の合戦」と「大坂の陣」とのほぼ中間の時点である。 このころ、日本政治のリーダー・徳川家康は将軍職をすでに息子の秀忠に譲っており、駿府にて大御所政治を始めていた。
「マカオ騒擾」とは、実は、大御所・家康が深く関与することとなるのだが・・・。
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☆官公庁系のサイトより、「16世紀頃の東南アジアと朱印船の航路」
☝・・・話を戻します。 それで、どうして日本人がポルトガル領マカオに多数いて事件に巻き込まれたのかというと、彼らは「朱印船貿易」で海外に出かけていたからだ。 かつては、船の技術が未熟で外洋への長期航海が難しかった日本だったが、江戸初期のこの頃には西洋船舶の技術を学んで/真似して、それが可能になっていた。
そして、マカオでなぜ日本人が殺されたのかというと、ポルトガルの主張によれば「日本人船員が荒くれ者で、町の治安を乱したのでやむなく鎮圧した」ということらしい。
詳しく述べると、日本人は武装してマカオに上陸し、海賊まがいの行為を行ったのだという。 それなので、カピタン・モール(注:官職名。マカオ総司令官のこと)が直々に兵を率いて制圧したという訳だ。 しかし、これは事件当事者の一方で、なおかつ権力側の言い分だから、どこまで本当なのかはわからない。
事実、その事件の生き残りが命からがら日本にたどり着き、そこで訴えたのは、「ポルトガル商人と商談をしているうちにもめてしまったところ、一方的に攻撃をされて殺害・捕縛され、船もろとも一切の財貨を没収されてしまった」という、相手側の主張とはほど遠いものだった。
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☆『戦国ixa』より、増田長盛と豊臣秀吉
☝・・・船の積み荷を一方的に没収する・・・。 このことについて、日本側には思いあたる節があった。 それが10年ほど前に起こった「サン・フェリペ号事件」である。
サン・フェリペ号事件とは、豊臣政権時代の文禄5年(1596)10月に起きた一連の事件だ。 発端は、スペインの船が難破して土佐に漂着したという事故があったのだが、その際の調査で「スペインが国を挙げて世界征服の事業を行っていること」、「世界征服の下ごしらえとしてキリスト教の布教活動を行っていること」を日本当局はハッキリと知ることになったのだ。
この調査は能吏・増田長盛が担当をし、ただちに豊臣秀吉へと報告された。 秀吉はそれを受けてすぐさまキリスト教の禁教令を発令、命令に服しなかった宣教師らを処刑している。 そして、漂着したサン・フェリペ号の積み荷の一切を日本側は没収したのだった。
もちろん、こんな一方的な措置を行ったので、この事件は日本ースペイン間の外交問題となっている。 スペインはそのころ、先年の「アルマダの海戦」で敗れて権威は失墜したものの、依然として世界各地で植民地を経営する「日の沈まぬ国」であった。 余談ですが、「マカオ騒擾」の相手国であるポルトガル王国も、この頃すでに「同君連合」としてスペインの帝国傘下に入っている。 (このあたりを含めたスペイン帝国史は複雑で難解です・・・@@;)
しかし、スペインは世界の大国といえども、日本には戦国時代を乗り切った精強な軍事力があり、またスペイン本国からははるか遠方の地であるなど、色々な要因が重なってスペインはあえて報復をしなかったのだ。 この事件はやがて放置され、忘却という名の処理をされたのだったが、日本と南蛮国(スペイン・ポルトガル)との外交関係にシコリを残したのだった・・・。
このように、「マカオ騒擾」は「サン・フェリペ号事件」を彷彿とさせ、南蛮国によるかつての意趣返しのように思われたのだ。
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☝・・・ここで有馬晴信さんのご登場。 彼は肥前の国・島原半島は日野江の領主である。 彼の生年は永禄10年(1567)とあるので、キャラ絵のイメージとはやや違い、この頃は40代前半の壮年となっていたハズだ。
マカオの事件を生き延びた者たちは、有馬晴信の下に行って報告を行った。 なぜなら、事件に巻き込まれた貿易船は有馬晴信の船であったからだ。 当然その船には有馬家の役人が乗り込んでいて、有馬家は人的、金銭的ともに大きなダメージを負っている。
有馬晴信は生き延びた者たちの話を聞いて逡巡した。 貿易に伴う船のトラブルにはさまざまなものがあるが、今回の相手はマカオの当局であり、その背後にはポルトガル王国が控え、さらにはスペイン帝国の影がちらついて見える。 そうなると、到底この件は晴信の手に負えるものではなかった。
悩んだ晴信は江戸幕府の直轄領である長崎に出向き、その出先機関の役人である「長崎奉行」、「長崎代官」らに相談を持ち掛け、やがて家康と面会して直に決裁を仰ぐという運びとなる・・・。
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☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康
☝・・・有馬晴信は駿府に出向き、ことの詳細を大御所・徳川家康に報告した。
有馬氏は家康・・・ひいては幕府から許しを受けて貿易を行っていたのだが、その見返りとして、「伽羅(読み:きゃら)」を家康に献上する手はずとなっていた。 それが事件に巻き込まれたことで不首尾となり、この会見は晴信の弁明の場でもあった。
晴信は訴える。 ポルトガル領マカオにおいて、我らは罪なく襲撃され、死者を多数出すハメになっただけではなく、伽羅をはじめとした貴重な積み荷は船もろともポルトガル・マカオの司令官によって不当に没収されてしまったのです・・・と。
家康は、この報告を聞くやにわかに表情が険しくなり、最終的には激怒したと記録にはある。
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ここで脱線ですが、手に入らないことを聞かされて家康が激怒した、伽羅とはいったい何なのでしょう? ・。・
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香木と言えば、
☆『信長の野望』シリーズより、「蘭奢待切り取り」
☝・・・武将と香木のエピソードとしては、信長の蘭奢待(読み:らんじゃたい)切り取りの件が最も有名だろうか? ちなみに、このエピソードの香木・蘭奢待は伽羅ではなく、黄熟香という種類の香木なのだとか。
信長は、この「蘭奢待切り取り」をあくまでも政治的パフォーマンスとして利用し、ろくに香りを楽しむということをしなかったようだったが、家康は違っていた。
一般的なイメージとして、家康は質実剛健にこだわる人物で、茶の湯などといった芸道をもっぱら好まなかったとよく言われている。 しかし、記録を見る限り晩年の家康は香道をこよなく好んでいた。
とはいえ、家康が香道をたしなんだのも、お香の効果として精神に良い影響を与えることを期待していたためのようだ。 香木には精神の鎮静作用があると昔から言われており、なかでも、伽羅は極上品として神秘的な効能も信じられていた。
つまり、家康は香木を薬として使っていたという訳だ。 そう考えると、家康という人はホント質実剛健な人ですよねぇー。 (`・ω・´)
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☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康
☝・・・待望の伽羅が手に入らずに怒り心頭の家康だったが、さすがに思慮深い大政治家だけあって、すぐにその場で結論を出さずに、その事件の調査・裏取りを本多氏(本多正信・正純父子)に命じた。
・・・時間はかかったが、事件のおおよその裏取りを家康は終えた。 そしてその内容を吟味して出た結論が、「日本側にも非はあったが、マカオ総監の取った措置はずいぶんと乱暴だ」ということだった。
家康が何よりもこだわったのが、有馬氏が派遣した船は江戸幕府(日本政府)が公認した朱印船であったということである。 そんじょそこいらの民間商船とは訳が違う。 この船の関係者を攻撃するということは、すなわち幕府を攻撃することに等しいといえた。 つまりは、徳川政権の威光に傷をつけられたのだ。 なおかつ、ポルトガル側がこの件を隠してこちらに告知してこないのは、結局は略奪目的だったという、相手側の心のやましさにも思えてきた。
ここで家康は有馬晴信に厳命を下す。 「機を見て、ポルトガルに報復せよ!」と!
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☝・・・こうして、有馬晴信はポルトガルのマカオ総督(カピタン・モール)に戦いを挑むことになる・・・!
・・・ですが、1回分のブログとしては随分と長くなってしまったので、次回につづくー!
('◇')ゞ
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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