2020年1月5日日曜日

【サブカル/マンガ】『化物語』とブルマー談義!~キャラ絵小話!シリーズ~

サブカル/マンガコラム




☝・・・いつも楽しく読んでいる『少年マガジン』の『化物語』。 先日の4・5号(2020年度)においても「風の谷のナウシカのノーパン問題」をネタにするなど、原作者の西尾維新さんのギャグは冴えている。


「ナウシカのノーパン問題/疑惑」は昔からあったものだけれども、それが「鉄板のネタ」となったのは2000年以降のネットが普及して以来といったところだろうか。 わたし的にも、その頃友人たちとTV放送のナウシカを見た際に、話題になったことを思い出します。w


このことはさておき、さいきん私がこのマンガを読んでいて印象に残っているのが、以下のコマだ。









ブルマーだとッ?
馬鹿な!!
アイツはもう絶滅したはずだッ!!!


☝・・・マンガのこのコマ、めちゃくちゃインパクトありましたよねw


ただ、今日日の若い子たちがこのコマを見ても、あまりピンと来ないんじゃないのかなぁ、とも思いますねぇ。(忍野風)


折しもわたしは、女子児童の体操着がブルマーからショートパンツ、あるいはハーフジャージパンツへと移行する過渡期に小学校を過ごしたという世代であることから、今回はブルマーについて駄弁りを展開していこう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『ソードアートオンライン』シリーズより


☝・・・ブルマー。 これは日本における女子児童、あるいは女子学生の「下の体操着」として定着してきた衣類のことだ。 ただし、先ほど触れたマンガのセリフにあるように、令和の今日ではすっかり「絶滅」してしまっている。


このブルマーが考案されたのは19世紀(1800年代)のことで、その名称の由来は「ブルーマー夫人」に由来している。 


ただし少し複雑な経緯があって、実のところブルーマー夫人はブルマーを考案してはいない。 ブルマーという名称の発端は、ブルーマー夫人の知り合いの、ミラー夫人という女性だった。







☆ネット検索より、ブルーマー夫人


☝・・・ブルマーについてストレートに話をしていきたいところだけれども、まず、その前提として西洋世界のフェミニズム(女性解放、ならびに男女同権の社会を目指す思想・運動)について少し触れなければならない。


その理由は、ブルーマー夫人もミラー夫人も、ともにフェミニズム/女性解放運動をしていた仲間であり、そういった彼女らフェミニストによってブルマーの原型が考案されたからだ。


なお、ここからはフェミニズムの理念に沿う形で、彼女たちのことを「〇〇夫人」という呼び名ではなく、ファーストネームをつけて呼ぶことにしよう。







☆『ラブライブ!』シリーズより


☝・・・フェミニズム、女性解放運動といえば、こんにちの日本では「ガラスの天井」というワードが象徴するように、女性の社会進出についての障壁、あるいはそれに関連した精神的な障壁の問題を扱うことがメインとなっている。


しかし、アメリア(ブルーマー夫人)やエリザベス(ミラー夫人)が生きていた時代は、「ガラスの天井以前の問題」が女性たちの間に横たわっていた。


それが、「コルセットとロングスカート」といった衣服による肉体的拘束、そして「伝統的な淑女(レディ)像」といった精神的な拘束だ。 当時の女性解放運動家は、そういった拘束からの解放を目指して日々奮闘していたという訳だ。







☆『愛の若草物語』より


☝・・・蛇足だけれども、アメリアやエリザベスが活動していたころの時代観・世界観がよくわからないという方は、名作文学『若草物語』のイメージを参考にしてもらおう。


『若草物語』の作者、ルイーザ・メイ・オルコットとアメリアはともにアメリカ人であり、生きた時代もほぼ重なっている。 「アメリカ南北戦争(1861~65)」という動乱を挟んだ、開拓真っ只中のアメリカという説明も加えれば、よりわかりやすいだろう。







☆ネット検索より、ブルーマー服


☝・・・こういったフェミニズム勃興期のアメリカで、エリザベス(ミラー夫人)は女性解放の一環として、「動きやすい服」を考案した。


それが上記の図の服である。 スカートとパンツ(ズボン)を重ねて履き、全体的にゆったりとした衣服といった印象だけれども、こういった服は当時のフェミニストたちに好評を博して広まっていった。 日本で言うところの「埴輪ルック」的なスタイルの登場だ。


こうしたアメリアやエリザベスらフェミニストの新しいスタイルは、仲間内ならいざ知らず、公の場にそういった出で立ちで出席すると、彼女たちは嘲笑の的とされた。


これは例えるなら、現代の冠婚葬祭の場において、男性が女装して出席したときの周囲の反応を想像するのが一番近い。 今となっては意外なことなのだけれども、ズボン・パンツは男性のみが履くものだという強い固定観念が当時はあったからだ。


エリザベスやアメリアらフェミニストたちは信念をもって社会に一石を投じていたわけだけれども、そういった行動は残念ながら「炎上」したというわけだ。








しかし、しばらくして流れが変わる。


エリザベス(ミラー夫人)の「新しいスタイル」が炎上した前後において、アメリア(ブルーマー夫人)が雑誌でこの服を紹介したところ、大反響が巻き起こった。 アメリカ各地で働く女性たちが、動きやすく、働きやすいといったこの服の機能性に注目したのだ。


こうして先ほどの新しいスタイルは全米、そして西洋世界に広まり、一定数の女性の支持を得るに至る。 この新しい服装は「ブルーマース:ブルーマー夫人の服」と呼ばれるようになり、女性がズボンを履く端緒となったのだ。







☆『ラブライブ!』シリーズより


☝・・・ブルマーという名称の出発点のいきさつは以上のとおりだ。 はじめにコルセットとロングスカートという女性の肉体的拘束があり、それからの解放をうたったフェミニズムという思想・運動があった。 そしてエリザベス・ミラーが動きやすい服を考案して、それをアメリア・ブルーマーが広めたといった流れだ。







☆ネット検索より、日本のブルーマー服


☝・・・さて、このブルーマー・スタイル、あるいはブルーマー服は海を渡り、やがてわが国・日本にも伝わることとなる。


日本におけるブルーマー服は、およそ明治末~大正期に伝わったようだ。 しかし、当時の日本人女性がフェミニズムを掲げてそういった服装をしたのかどうかはよくわからない。 わかっていることは、ブルマーは大正時代(1912~1926)にはすでに女児の体操着として一部の学校で採用されていた、という事実だ。


その当時のブルーマー服はこんにち私たちが認識するようなものではなく、いわばダルダルのズボンを膝下、もしくは膝上で締めて止めるといった、「ちょうちんブルマー」と言われるような形状だった。


このちょうちんブルマーが、体操/運動でより動きやすいようにと短くなっていき、やがて私たちが知るブルマーの姿になったという訳だ。







☆『プロジェクト東京ドールズ』より


☝・・・なお、こんにちの私たちは主に既製服を着用しているハズだけれども、ある時期までは、たいていの衣類は家庭で作るといった時代があった。 ブルマーもその構造は簡単なので、各家庭のお手製で作られていたようだ。


当時の婦人雑誌を参照すると、ブルマーはその型紙とともに、下着を覆う衣類として、布地は上着のものを使うようにといった指定がされている。 当時の世のお母さん方は、娘のためにせっせと夜なべして縫物をして、ブルマーを作っていた・・・こんな時代もあったのですね。 @@







☆『ビーナスイレブンびびっど』より


☝・・・このように日本で定着していたかのように思えたブルマーは、どうして「絶滅」してしまったのだろう。


思うに、ブルマーはだんだんと下着と同一視されていったのではないだろうか。 ブルマーは本来下着ではない。 とはいえ、ブルマーが下着に近い衣類であることは、だれの目からも明らかだ。


ブルマー着用が廃止されたということは、何かしら原因があったはずだと思う。 それも日本全国的に廃止されたという事実があるので、文部科学省を頂点とした教育機関が何らかの決定を下した可能性が高い。


ブルマーの廃止が始まったのは80年代(1980~89)だといわれている。 その時期にブルマー廃止に関わる何かしらの事件・出来事があったのだろうか。 「ブルマー廃止やむなし」と思わせるような、ブルマーをけなし、こき下ろすような社会的風潮が。 たとえば、テレビの低俗なお笑い番組やエロ番組などでよく使われていたりだったとか。


とはいえ、わたしはその当時鼻水たれの子供であり、80年代のそういった社会的背景は正直よく分からないし、キチンとした書籍資料も残念ながら手元にない。


それなので、ブルマーについて等身大で語らせてもらえば、アニメ『サザエさん』における「ワカメちゃんのパンツが見える問題」を思い出します。







☆ネット検索より、ワカメちゃん


☝・・・画像を見てもらえば分かりますが、ワカメちゃんはスカートからパンツが見えていて、それで子供心ながら「どうしてスカートからパンツがはみ出ているんだろう? @@;」という疑問があって、それは小学校などのクラスのお笑いネタとして鉄板だった。


しかし、このブログをここまで読んでくれたら分かるように、ワカメちゃんのスカートからはみ出していたのはパンツではなく、見えても問題のないブルマーだ。 こんな単純な事実も、わたしたちの世代はわからなくなってしまっていた。 ただただ、ブルマーといえば紺色(わたしたちの学校ではそうだった)で、そして女子の下の体操着だといった感覚だった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ブルマー廃止の原因について行き詰っているところ、ここでわたしは一つのネット記事を見つけた。 そのソースは『朝日新聞デジタル』と、情報の信頼性は比較的高そうだ。 少なくとも、一般人が何か言っているよりかは。


☆サイト『朝日新聞デジタル』2019年4月の記事
「消えたブルマー 中3女子の「はきたくない」に裁判官は」より
https://www.asahi.com/articles/ASM4Q6SG2M4QUTIL076.html


☝・・・わたしはこのサイトの会員ではないので全文は読めませんでしたが、それによれば、女子生徒がブルマーを履くことへの抵抗の声が、1990年を過ぎた頃から徐々に大きくなっていったようだ。


そして、ブルマーを履くことに強い羞恥心を感じるようになった原因が、日本の世の中に「ブルセラショップ」という、いかがわしい商店が登場したことが一因だと記事では触れられている。


つまりブルマー廃止の原因とは、1990年前後に登場したブルセラショップという商売によって、そのイメージが著しく汚され貶められ、世の中は「こんなもの、着てられない/着せられない!」という風潮となり、それでブルマーは「絶滅」させられたということになる。


・・・なんということだ。 一部の過激な連中が悪ノリをして行き過ぎた行動をすると、その反動が全体の規制となって返ってくる。 こういった当たり前の法則が、90年代前半の日本で発動されていたのですね。







脱線ですが、「一部の過激な連中が行き過ぎた行動をするせいで、多くの人が迷惑をする」ということは、社会のあちこちで散見される。


例えば、最近でいえば「京アニ ガソリンテロ事件」を起こした犯人のために、車両に給油する以外でのガソリンの購入はとても面倒なものになってしまったし、また「水泳の授業が男女で分けられた」ことも、一部の「エロい男子」が大騒ぎしてスク水女子をからかって問題になったことが原因だ。


もっと視点を大きくすれば、2010年代半ばの「ヘイトスピーチの規制」も、関係する過激団体が悪ノリした結果、法で規制されるようになる原因だった。 そして現在係争中の「『NHKから国民を守る党』が関連した騒動」も、いずれ全体にさらなる規制となって返ってくることだろう。 世の中の悪とは、過激な主張・行動をする一部の輩だ。


それはさておき、こうして日本の学校教育現場における女子のブルマー着用は、90年代半ばで「絶滅」に至ったのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『フェイト・グランドオーダー』より


☝・・・ここまでに、あまりにもブルマーブルマーと連呼していたので、文章を書いているわたしはブルマーについて少しゲシュタルト崩壊気味だ。w それなので話をまとめて終わりへと向かおう。


世の中には「ブルマーが廃止されて残念だ」という意見が一部で見られるけれども、正直、わたしにとってブルマーなんぞ絶滅しようが存続しようが、そんなことはどうだっていい。


というのは、ブルマーが存在していたのはわたしが小学生のときで、小学生ゆえにそれを邪(よこしま)な目で見ておらず、性的な思い出と結びついていないからだ。


てゆうか、純粋に衣類として見ればブルマーはどこかポテっとしてやぼったく、ショートパンツやハーフジャージパンツの方がよほどスタイリッシュだと思う。 もっとも、キュートさという点においてはブルマーが勝っているように思うけれども。


ともかく、『化物語』でいじられたように、ブルマーは男子/男児の心をくすぐり、刺激するなにものかがあるのは確実だ。




☆『ナナリズム』より


☝・・・失われてしまったものへの哀惜と、戻らない過去の時間。 それらは相絡まり、まるで「『ハンター×ハンター』の死後強まる念」のごとくとなって、ブルマーは廃止されてもなお、キャラ絵における一つのジャンルとして描かれ続けている。


そしてそれは、令和の時代にも伝承されていくことだろう。 紳士諸氏の支持がある限りは。


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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