2020年3月20日金曜日

【日本史】荒木村重・異伝!~キャラ絵小話シリーズ~

日本史コラム




☝・・・先日、荒木村重さんカードを引きました。 今回は、この話をー。









☝・・・今回のキャラ絵の荒木村重さん・・・ゴッソリと荷物を担いでいますねえ。
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☆マンガ『へうげもの』より、荒木村重


☝・・・歴史好き、かつマンガ好きの方には言わずもがなですが、先ほどのキャラ絵は、マンガ『へうげもの』に登場する荒木村重が、城から一人で逃亡するという一場面をそっくりそのままパクっています。


しかし、これをパクリ・・・もしくは借用と言ったら、少々意地が悪いかもしれない。







☆『信長の野望』シリーズより、荒木村重


☝・・・なんせ、本来 “硬派” であるはずの『信長の野望』シリーズまでもが、荒木村重のキャラ絵を茶道具に執着する姿として描いたりなどと、完全にネタキャラとしての扱いをしているくらいなんですから・・・!


それほどまでに、荒木村重が妻子や家臣を見捨てて、そのうえで茶道具を持って有岡城をはじめとした摂津四城から逃亡したという逸話は、戦国時代屈指のヘタレ話として鉄板となってしまっているようだ。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆書籍『信長の野望 覇王伝 武将file』より


☝・・・そんな荒木村重の謀反は、通説では謎が多いとされている。 わたしがバイブルとして愛読している『信長の野望・覇王伝 武将file』でも、彼の謀反はまったくの意味不明だと、そういった解説がなされていて印象的だ。


そこの部分を少しだけ引用させてもらおう。


【荒木村重】1535~1586
❝今一つよく解せない謀叛を起こして、城を攻囲されるとあっさり妻子を捨てて逃げたといわれる不思議な人である。 信長は怒り狂って二十一才になったばかりの美人の妻君はじめ百二十人を磔刑にして槍で突き殺させ、さらに五百人以上を小屋に押し込めて生きたまま焼き殺した。 戦国七不思議のひとつともいうべき妙な事件である。 ・・・以下略・・・❞



☝・・・そうそう、解せない謀反を起こされた報復として、信長は数百人にも及ぶ村重の縁者を殺戮しているんですよね。 第六天魔王の本領発揮といったところかな・・・おっかねえ!







☆NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』より、だし姫


☝・・・信長が村重に対して行った報復の中でとりわけ悲劇だと言われているのが、先ほどでも触れられた、荒木村重の美人の細君(21)の処刑だ。 そんな彼女は「だし」の名前で知られている。 「だし姫」とか、「だしの方」といった呼び名で。


けっこう前のNHK大河ドラマ・『軍師官兵衛』で、女優の桐谷美玲さんが演じたことで有名になりましたよね。 うーん、美人さんです!







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した荒木村重


☝・・・『信長の野望・覇王伝 武将file』の著者に「戦国七不思議のひとつ」とまで言わしめた荒木村重の謀反。


とはいえ何事にも理由というものはあるもので、村重が謀反に至った理由についての説はいくつか世の中に出回っている。 その中で代表的なものを二つ挙げてみよう。







(1)村重の部下が、勝手に敵である本願寺勢に兵糧を運び入れた。 これは重大な利敵行為であり、このことが信長にバレたら恐ろしいことになる・・・ということでやむなく謀反に至った説。

(2)そもそも村重は野心家であり、毛利家と織田家との間でコウモリ/二股をやっていた。 それが信長にバレたので謀反説。


・・・と、このように、村重が謀反に至った説としては、(1)が通説としてよく知られ、(2)が文献史料を用いる学問の分野で有力となっている。 そして、現在では史料重視の風潮によって(2)の説に軍配が上がっているようだ。


しかし、(2)の説では、それだけでは解けない謎がある。







☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化した荒木村重


そういった謎を具体的に挙げてみよう。


(謎1)
信長が村重の謀反をあらかじめ知っていたとするならば、なぜ村重に弁明の機会を与え、村重の出方を見極めたのか。 また「黒田官兵衛の幽閉」という事件も、信長が村重の叛意を知っていたのならば起こり得なかったハズだ。


(謎2)
どうして村重は、信長軍の包囲が厳重だった有岡城をはじめとした、摂津四城から落ち延びることができたのか。 そして、どうして信長からさらなる追撃や追及といったことを受けなかったのか。 これは村重の妻子や家臣たちが虐殺されていることを思えば、あまりにも対応に差がありすぎる。


・・・こういった、いくつかの疑問は先ほどの説ではうまく説明することができない。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『ぐんたま』より、荒木村重


☝・・・要するに、荒木村重は傍から見て「解せない謀反」をして、経緯は不明なものの、結果的に逃げおおせることができた。 こういった印象を強く持ったわたしでしたが、のちに一つの説を知るようになる。


それは通説とはまるで異なった、異端かつ魅力的な説だ。


これから、その説の骨子を箇条書きで説明することとしよう。








(・ω・)(・ω・)(・ω・)




1.荒木村重と織田信長が対立するそもそもの原因とは、実は一人の美少年を巡ってのことだった。

2.美少年とは小姓の万見重元・・・通称、万見仙千代である。

3.仙千代は色小姓(男色をもっぱらとする小姓、つまりは男娼)上がり。 そんな彼は紆余曲折を経て村重に身受けされ、彼の近侍兼寵童として仕えるようになった。 そんな彼の諱(いみな)である重元の「重」は、村重から偏諱を賜ったもの。

4.仙千代の美少年っぷりは荒木家中だけでなく、やがて上位の織田家中にても知れ渡ることとなる。

5.衆道家としても知られる信長が興味を示す。 そして仙千代を安土に呼び寄せ、そのまま理由をつけて返すことをせず、強引に直臣にしてしまった。

6.当然、村重は信長に対しての感情を悪くする。 やがて村重は信長相手に意地を張り、傍目には不可解・無謀とも思わせる謀反に踏み切る・・・


・・・といったものだ。


とはいえ、荒木村重の謀反の真相が、信長と一人の小姓を取り合っての争いだとは、にわかに聞かされても多くの人は納得してくれないだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・なお、先ほどの「荒木村重が謀反をした理由は、万見仙千代を織田信長に奪われた恨みから、説」を展開したのは、往年の大衆作家で歴史家でもある八切止夫さん(1914~1987)だ。







☆マンガ『雪花の虎』より


☝・・・八切止夫さんを一言で説明するのならば、「上杉謙信=女性説」をはじめて世の中に発表した人、これに尽きます。 (※なお、マンガ『雪花の虎』は八切氏の唱えた「謙信は女性であった」という主張をベースに、ストーリーをはじめとした細かな部分は作者・編集者のオリジナルであると思われます。)


そのため、八切止夫さんはとっぴな説・オカルト説を唱える歴史作家であると世間では見なされている。


けれども、八切さん一連の書籍をきちんと読めば、その主張するところは十分な説得力を持っていて、「あるいは、そうだったかも・・・」と思わせるものがあり、やや強引な部分はあるけれども、ひとつの可能性としてたいへん魅力的であると、少なくともわたしはそう思っています。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国サーガ』より、姫化した万見重元


☝・・・話を万見仙千代に戻してみよう。


『織田信長家臣人名辞典』によれば、仙千代は信長の代表的な小姓らしい。 とはいえ、その出自については神子田氏だとされるものの、複数の説があり、不確実なものとなっている。


このことはよく考えれば奇妙なことだ。 大名の側近に侍る小姓とは、身元が確かな、信頼できる譜代家臣の子息が務めることが一般的だからだ。


しかも、仙千代が史料に登場して活躍するのは、わずか3年ほどの間だ。







☆『千万の覇者』より、堀秀政


☝・・・まず、万見仙千代が史料に初めて登場するのは天正3年(1575)。 どうやら仙千代は先輩小姓である堀秀政の部下となり、信長の小姓としての務めのイロハを学んだようだ。


そうして仙千代は若年ながら南部氏の使者を安土城内の邸宅で饗応したり、相撲好きな信長のために相撲大会の奉行を行ったりなどと、様々な活動が史料に残っていて判明している。

もっとも、仙千代のこういった働きは、彼が有能だから仕事を振られたというのではなく、主君の信長が美少年を大勢侍らしていることを内外にひけらかしたい、そんな虚栄心からであったようだ。 信長という人は安土城を華美に装飾したり、「茶の湯政道」で茶道具をひけらかしたりと、こういった傾向が見て取れる。


やがて来る、天正6年(1578)の10月。 仙千代は謀反を起こした荒木村重に対する糾問使として有岡城に派遣される。 そしてどういったいきさつか、仙千代は実戦経験がなさそうなものの、そこで彼は鉄砲隊の隊長として合戦に参加したようなのだが、あえなく戦死を遂げることとなる・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『しろくろジョーカー』より、荒木道糞


☝・・・話を荒木村重の謀反に戻してみよう。


矢切さんの展開する説・・・「荒木村重が謀反をしたのは、万見仙千代を信長に奪われたため恨みに思った説」の信ぴょう性は、果たしてどの程度なのだろう。


❝ーーー親子は一世、夫婦は二世、主従は三世というが、衆道の念者の繋がりは七世。 ともいうし、終生。未来永劫ともいうじゃろ・・・もし、荒木村重を、わしより早く死なせてみい。 あやつめ喜び勇んで死に居って、あの世へいき・・・去る伊丹城攻めの日に討ち死にしおった仙千代と、あの世で再会し、また二人して仲よう睦みあうに決まっとる。 そない馬鹿げた真似が、させられるかや・・・ よって村重めを殺すなどとは、もっての外なんじゃえ。❞


☝・・・これは矢切さんの小説の劇中にて、織田信長が村重の処遇について述懐する場面を引用したものですが、案外的を得ているのではないでしょうか。 時には緩慢と生かし続けておくことの方が、一思いに殺してしまうよりも残酷な場合が世の中にはある。


わたしも、村重は信長から逃れたのではなく、信長によってあえて見逃されたのだ、といった八切氏の説は十分理にかなっていると思う。 それが傍から見れば「解せない謀反と逃亡劇」であり、あるいは「戦国七不思議のひとつ」と映るのだろう。


村重は逃げ延びてからというもの、自らの名を道糞(どうふん)・・・「道端の野糞」とまで自虐自嘲して、侘しく暮らしていくことになる。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国IXA』より、長谷川秀一


☝・・・最後に・・・寵童の万見仙千代を失った織田信長だったが、とりたてて悲しみに浸る様子もなく、これからも何人かの小姓を寵愛していくこととなる。


まず信長は、仙千代の戦死が確かなことが判ると、仙千代に与えていた安土城内の邸宅を召し上げて、同僚の小姓である長谷川秀一を後任として引き継がせた。


その長谷川秀一と信長との蜜月も比較的短い期間で終わり、やがて森長定・・・通称森蘭丸がその寵愛をほぼ独占することとなる。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦魂~SENTAMA~』より、森蘭丸


☝・・・と! いうことで、今回はこのあたりにてお開きにしましょうか。


衆道といった戦国時代など中世のアブノーマルな性愛については、教科書にはもちろん書かれてはいないし、ホームドラマ風を目指しているNHK大河ドラマでもタブーとされていて、ほとんど無視されるか、あるいは触れられたとしても冗談のように描かれるなど、私たちの戦国時代観に影を落としている。


とはいえ、まぁ、日曜夜の8時台でガチの男色に関する場面がお茶の間に流れたとしたら、それはそれで問題だというか、お茶の間が凍り付くだろうとも思うので、w、フィクションと史実とは分けて楽しんでいくのがいいだろう。


それはそうと、戦国時代当時の男色の文化を知り、そういったものを踏まえての考察が無ければ、分からないことや見えないことも多数あるのではないか。 矢切氏が唱える「荒木村重が謀反した理由は、万見仙千代を奪われた恨みから説」は、こういったことを教えてくれていると、私は思っています・・・!


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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