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関連する前回
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キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(2)
(・ω・)(・ω・)(・ω・)
☆『信長の野望』シリーズより、本多正純
「これはあくまで有馬殿による敵討ち。 くれぐれも、お忘れなきよう・・・」
☝・・・ときに、慶長13年(1609)6月。 有馬晴信はポルトガルへの報復措置について、本多正純からおおよその筋書きを知らされた。 そして、その筋書きに従って行動を取るようしてはどうだろうか?と言われたのである。
・・・このことは、教唆といった形をとった事実上の上意下達であった。
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☆『戦国ixa』より、有馬晴信
☝・・・それから急いで国元に向かった有馬晴信だったが、この件の連絡役として、本多正純の家臣・岡本大八なる人物が晴信に付けられてこれより同行した。
(連絡役とは名目の、監視役か・・・。) 岡本大八は晴信からすれば若造と言っていい年齢である。 そんな若造に監視されることも含めて晴信は岡本を疎ましく思ったが、その岡本は本多氏の家臣、ひいては大御所の陪臣ということで、権力の上下関係に敏感な晴信は岡本を追い払うことはできなかった。
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駿府から有馬晴信の国元・島原半島まで帰るには、大坂までを陸路で行き、それからは船を使った。 当時の大坂ー長崎の旅程は、天候が順調であれば20日ほどかかったそうだ。 その際、船上で岡本大八が晴信に話しかける。
岡本が言うには、自分は監視役などでは全くない。 監視役は「長崎奉行」の長谷川氏がその任務に当たってるのだという。 そして自分はあくまでも本多正純、ひいては大御所の意向を直に伝え、サポートする役割を担っているのだ、と。 このように岡本はぜひ自分を信頼してほしい、と晴信に訴えた。
その言葉の証として、彼は懐中から袱紗のような包みを取り出し、晴信の前で開いて見せる。 ・・・そこから出てきたのは、数珠・・・。 と、思いきや、数珠の先には銀のロザリオが付けられており、鈍い光を放ってきらめいていた。 「コンタツ」と呼ばれるキリスト教の数珠で、キリシタンの証とも言える品であった。
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☆『戦国ixa』より
☝・・・同じ宗門の者同士というのは不思議なもので、それまで警戒すべき他人であってもイッキに打ち解ける、そんな共振・共鳴といった共感の念を引き起こす。 ・・・語弊を恐れずに言えば、この時代のキリシタンとは、迫害されることでかえって信仰心の炎をあかあかと燃やす種類の人たちである。
そう、キリスト教の迫害はすでに秀吉の時代から始まっており、キリシタン同士の共鳴する心は強くなる一方だった。 大御所政治時代のこの頃も、いく分かは緩んできていたものの、キリスト教は依然としてご法度であった。 特に、大名や武士といった社会をリードする層には禁教が敷かれていたのである。
有馬晴信はキリスト教を秀吉時代に棄教していたものの、それは表向きであって、実態としてはキリシタンであることをやめていなかった。 むしろ、コエリョ、オルガンティーノ、ヴァリニャーニなどといったイエズス会歴々の宣教師たちを師と仰ぎ、彼らとの繋がりを保ち続けるなど、あいかわらず信者であり続けていたのだった。
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☝・・・この時代、キリシタンは概して西日本に多く、東日本には少なかったようだ。 そういった先入観もあって有馬晴信は、「まさか大御所様のご家中にキリシタンがいたとは!」と、サプライズ的な感動が大きかった。
このように、晴信は岡本がキリシタンであると解ると、今まであった心の垣根が取り払われて彼と打ち解けていく。 岡本が言うには、自分は身分の低い郷士の家柄の出で、ひょんなことからキリシタンの教えを知り、信徒になるに至った。 彼はスペイン系キリスト教会の信徒で、晴信が所属するイエズス会とは別の会派であるという。 また、尊師の名前は迷惑が掛かっては悪いと、言葉を濁してその名は明かさなかった。
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「話は戻りますが」 と、岡本は重ねて晴信に言う。 ポルトガルへの報復の件について、特に、長崎奉行の長谷川氏は何かと干渉してくるかもしれない。 そのことについて、わたしの主である本多正純も心配をしている。 ですが、わたしを上手く使えば、彼の干渉を抑えることができるはずだ・・・と。
晴信「・・・。」
晴信は岡本の話す言葉のすべてを信用したわけではなかったが、長崎奉行の長谷川氏の干渉については、「さもありなん」 と直感で同意した。 彼は権力を笠に着るといったような典型的なタイプであり、一癖も二癖もある人物であることは解っていたからだ。
結局、晴信は、岡本の話ぶりに不審な点がなかったことと、岡本という男が居ることで中央とのパイプが増えるのは良いことだと、悪くない方向で納得することに決めた。
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脱線ですが、ここでイメージを補強するためにも、キリシタン武将というものについて少し触れておきたい。
☆『千万の覇者』より、高山右近
☝・・・キリシタン武将としての生きざまは、ジュスト右近(高山重友)が最も鮮烈な輝きを放っている。
右近は、いろいろなことにおいて‟特別”なキリシタン武将だった。 まず、右近から発せられる言葉・・・とくにキリスト教の講釈は理路整然としていて一切の淀みがない。 容姿についての記録は見当たらないが、彼の南蛮趣味によるファッションは多方面に影響を与えたと言われているから、きっとイケメンの部類だったろう。
また、「清くあること」が信条の第一で、右近は絵にかいたような品行方正ぶりだった。 いわゆる、昨今世の中を騒がせている「セクハラ親父の対極」だ。 それでいて、石田三成のようなガッチガチの堅物と同類かといわれれば、そうとも思わせない不思議な魅力を右近は持ち合わせていた。 そして、その魅力で秀吉政権下の武将・・・それも、黒田官兵衛父子や蒲生氏郷といった知性ある大物を次々に改宗へと導いたのだ。
そんなカリスマ性のある右近でしたが、秀吉がキリスト教を敵視して弾圧に乗り出したため、それに抗議。 大名という身分を捨てて信仰を守った。 以来、右近は「マカオ騒擾」が起こるこの頃まで、親交のあった大名たちに温かく迎えられ、客人として静かに暮らしている。
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☆『戦国ixa』より、黒田官兵衛と大友義統
☝・・・先ほど名前の挙がった黒田官兵衛も、キリシタンとしてなかなか印象的なエピソードを残している。
「関ケ原の合戦@九州」において、官兵衛は大友吉統(義統)に攻め込まれた。(正確には、友軍の領土が攻め込まれたところを、官兵衛が援軍を買って出た。) 大友吉統はキリシタン大名として有名な大友宗麟の跡継ぎで、元キリシタンである。 そして、このときには改易されていたことから、旧領奪還ということで遺臣を集め、関ケ原の動乱に乗じて兵を挙げたのだった。
もちろん、官兵衛と吉統の戦いは、「ixa的」にも彼らがレアリティ・天と序の関係であるように、まったくお相手にならない。 官兵衛は吉統をカウンターでコテンパンに撃破、彼を捕縛した。
そのとき官兵衛は、九州制覇に水をさされて邪魔をされたことよりも、吉統がキリスト教を棄教していたことにひどく腹を立てていた。 そして 「どーして棄教したんだ! デウス様はお怒りだぞ!」 と彼を叱りつけ、w、なおかつ父親のような保護者となってあれやこれと密な世話をし、ついには吉統のキリスト教回心をなしえている。
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☆『戦国ixa』より、黒田長政と明石全登
☝・・・黒田官兵衛のキリシタン熱は彼の家中にもしっかりと伝わっていた。 それは嫡男の長政もほかならない。 長政は、「関ケ原の合戦」で敗れて落ち延びたキリシタン武将・明石全登(てるずみ)の保護を部下から打診され、同じキリシタンの誼から彼を匿った。
これはまごうことなき謀反人の隠匿であり、ともすれば家を滅ぼしかねない愚挙である。 家康びいきで知られ、政治力にも長けた長政だったが、このように政治よりも信仰を大切に思うといった一面もあったのだ。
「マカオ騒擾」の起こった年のころは、明石全登は状況の変化により黒田の領内を出て、さらに別の支援者を頼って落ち延びていた・・・。
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☆『戦国無双』シリーズより、宇喜多秀家
☝・・・こういったエピソードは大名とか上級武士といった階層の話にとどまらず、一般兵クラスであっても当てはまっている。 たとえば戦場において、キリシタン武士どうしが敵味方でばったり出くわした場合は、戦うことをしないで互いに見逃すということがよくあったようだ。 もちろんこれは軍令違反で、見つかったら罪に問われる。 それ以外にも、キリシタン同士が助け合う例は多くあって、枚挙にいとまがない。
「キリスト教における兄弟愛」といった概念がキリシタンたちにそういった行動をさせていたのだろうか? ・・・ともかく、キリシタンの相互扶助は、この当時の日本社会の常識を大きくはみ出して超えていた。
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☆『グーグルマップ』より
☝・・・有馬晴信、岡本大八らを乗せた船は瀬戸内から赤間ケ関(下関)を抜け、博多、平戸に寄港したのち、西海を一巡りするように長崎へと到着した。 これからは晴信の居城・日野江まで陸路で向かうのだが・・・。
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☝・・・長崎で船を下りた有馬晴信らを出迎えたのは、「長崎奉行」の長谷川左兵衛藤広(さへえ・ふじひろ)だった。 なお、「長崎奉行」とは幕府の出先機関の役人(現地長官)であり、幕府の意向を受けて、主に外国との取り次ぎや交易に関することを仕事としていた。
・・・この人物は、もともと大した武功を上げて出世した武士ではない。 ただ、彼の妹の「お夏」は踊りがうまく、美人で有名であった。 それが主君・家康の目に留まって‟お手付き”となり、側室となった。
そういった経緯があって、左兵衛は縁戚関係をフルに活用し、江戸幕府の外港とも言える長崎の奉行に収まっていたのだ。 そして江戸から遠く離れた天領の地で、大御所の威光を笠に着て、このごろ近隣では並ぶ者がいないほどのローカルボスと成りおおせていた。 なお、左兵衛の生年は永禄10年であり、晴信とは同い年である。
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左兵衛
「やあやあ! 互いに、やっかいなお役目を仰せつかってしまいましたな! かくなる上は示し合わせて、例の下手人を召し取ることにしましょうぞ!」
開口一番、左兵衛が軽口を叩く。 様子を察するに、どうやら左兵衛には左兵衛で命令が伝達されていたようだ。 ・・・改めて、ポルトガルへの報復がお膳立てされていて、その駒として動かされることに気持ち悪さを感じた晴信だったが、いまさらどうこうと言ったところで状況は変わらない。 ただただ、目の前の難局を泳ぎ切るだけだ・・・と、晴信は不愉快な左兵衛との打ち合わせを大ざっぱに済ませたのだった。
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☆『戦国ixa』より
☝・・・それから国元に帰った有馬晴信を出迎えたのは、妻のジュスタだった。
なお、ここに掲示したキャラ絵は高山右近の妻・ジュスタですが、同名ということでイメージを借用しました。 ちなみに「ジュスタ」とは、「マリア」と同じく、女性の洗礼名/教名としてごくありふれていた。 小西行長の妻もジュスタであったようだ。
(・・・晴信の妻は、たしか近隣の領主、大村純忠の娘・ドナ・ルシアでは? と、覚えている人は流石です。 しかし、慶長年間のこの頃に、晴信の妻として名前が挙がるのは、中山大納言の娘・ジュスタである。 果たして晴信の結婚関係がどうであったのか、ドナ・ルシアとはどうなったのかなど、そのことについて詳しい資料が見あたらない/残っていないので、一般人である自分は、そこは何とも、です・・・。 @@;)
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それから、有馬晴信は妻のジュスタと一部の重臣を集め、「マカオ騒擾」の後始末から危険な任務を与えられたことを包み隠さず打ち明けた。
一同
「ポルトガルのカピタン(マカオ総督)を、兵を使って捕縛して江戸に差し出すーーー!?」 その乱暴な案に、居合わせた面々は戸惑いを隠さなかった。 イエズス会の本国である南蛮国と事を構えるということについて、特に、妻のジュスタの動揺は大きかった。
ジュスタ
「何もそんな乱暴なことをしなくても・・・。 司祭様に話を通せば、彼ら(カピタン)もきっと善処してくれます。 いたずらに事を荒立てるのはキライです」・・・このように、ジュスタの心境はポルトガル人に同情的だったといえる。
彼女のキリスト教への篤信ぶりは有名で、イエズス会の宣教師もその態度を称賛するほどのレベルであった。 他方、重臣たちもみなキリシタンであり、宣教師らの本国・ポルトガルと事を構えることにためらいを感じ、一様に沈痛な面持ちであった。
話は心情的なことから、次第に政治的なことへと移ってゆく。
ジュスタ
「カピタンを捕縛するとなると、その船の積み荷はどうなるのです? イエズス会の司祭様たちが迷惑をされるじゃありませんか。 交易で得た金銭に、イエズス会の活動資金が当てられているのは、この地のキリシタン、あるいは交易をする者ならば誰でも知っていることでしょうに・・・!」
・・・本来であれば、教会が商売や利殖をすることは禁止されている。 聖職者が俗化してしまうからだ。 しかし実際のところ、イエズス会の活動資金は交易の利益によってまかなわれていた。
というのは、教会には喜捨や布施といった収入も当然あったが、それらは経費全体からすれば微々たるものであった。 また南蛮本国から教会にまとまった援助金も支払われていたが、その到着が遅れたり、額が十分でなかったりと、要するに 「現地調達で何とかするしかねえ!」 ということに繋がって、教会は交易に深く関与していたのだ。
晴信
「船の積み荷に関しては、私にはあずかり知らぬところだ。 長崎奉行の長谷川氏が処理をすることになっている・・・」
重臣
「待ってください、それでは、我らは使われるだけということですか? 「マカオ騒擾」で家中の者を大勢殺され、船と積み荷まで奪われておいて・・・!」
別の重臣
「いや、それを言ってくれるな、殿もお困りだろう。 大御所様のご下命とあらば、武士である以上、引き受けるしか手は無いものぞ」
一同
「・・・。」
・・・その場にはキリシタンの心情と武士の面目とが反目し合い、葛藤となって、ただただやるせない雰囲気が漂っていたのだった。
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さて、有馬晴信と妻のジュスタ、それと一部の重臣たちによる会議が行われた数日後のことーーー。
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☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化したジョアン・ロドリゲス
「OH! 罪深き子羊よ! 日頃の行いを悔い、神に懺悔してくだサーイ!」
☝・・・(姫化したキャラ絵しか無くてスミマセンw 雰囲気壊すなぁ・・・@@;)
これは長崎にある教会の、告解室(懺悔ボックス)での一幕である。 そこではツヅ(通事)というあだ名を持った神父(宣教師)がいて、この日、ある人物から指名を受けて告解を行った。
告解をしたジョアン・ロドリゲス・通事という人物は日本イエズス会の財務担当をしている宣教師だ。 また、ツヅ(通事)というあだ名を持つくらいに日本のあらゆることに通じていた。
この日、ロドリゲス・ツヅに告解を行ったのはいったい何者だったのか。 そしてその時にどんな内容のことが話されたのか。 これについては誰も知らないーーー。
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☆アニメ『名探偵コナン』より、黒い人w
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やがて時は満ち、およそ一月後の慶長13年(1609)8月ーーー。 長崎の港に、一隻のポルトガル船が来航した。
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☆『戦国ixa』より、南蛮人のイメージとして
☝・・・その船は、燃えるような夕焼けの黄昏時に現れた。 その名も「マードレ・デ・デウス号」。 「ナウ」と呼ばれるポルトガルの大型帆船である。 この船は「安宅(あたけ)」といった日本の大型船から比べても一回りも二回りも巨大で、船首と船尾に砲台を備えたその船は、まさに海上を移動する城塞のように目に映った・・・。
港に入る際、航海の無事を祝って放たれる祝砲も、マードレ号が行うとどこか底意を感じさせる。 その轟音は夕暮れ時の長崎の港に響き渡り、残響が禍々しくたなびいていた。
有馬晴信の見張り役
「とうとう来なすったばい! ・・・はよう主(あるじ)に知らせるばってん!」
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かくして役者は揃い、「マカオ騒擾」に端を発した「マードレ・デ・デウス号事件」がはじまろうとしていた・・・!
・・・ですが、長くなってしまったので、今回はこの辺りでお開き。 次回をお楽しみにー。
(^ω^)ノシ!
(つづく)
※この文章はブログ主の見解です。
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